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「海の天狗・山の天狗」か「海の民・山の民」か

私の投稿作品「木地師とサンカ」について
他の場所で抗議?苦情?を頂戴しました。

つまり「天狗」というのは日本人の信仰に
根ざしたものなので、それを私が児童文学で
勝手にいじるのは、良くないというご意見です。

元々この物語は、「海の民・山の民」が登場する
ものでした。
「海の民」の子孫が木地師になり、山の民の子孫
がサンカになって、東国のあるところで木地師と
サンカが土木工事を行って・・・というストーリー
です。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888423786

皆さまは読まれて「海の天狗・山の天狗」がいいのか
それとも「海の民・山の民」がいいのか、正直な
ご意見を伺いたいです。

6件のコメント

  • こんにちは。「木地師とサンカ」は大変興味深いタイトルで内容も面白く読ませていただいています。
    ぼくらが教わった日本の歴史は支配階級としての領主と被支配者としての農民の構造で、それ以外の商人や職人は人として歴史として扱われてきませんでした。そこに光をあてたのは歴史家としては網野善彦さんがいます。「無縁、公界、楽」は衝撃的な内容でした。また海の民、山の民に光を当てたのも網野さんや笹本正治さんらです。やっと周知されてきたのではないでしょうか。そのうえに高秀さんの作品が登場したと読み込めました。この二つに焦点があてられたことで平野の民の存在も浮かび上がってきているのも事実です。もはや農民、武士だけを論じればよい時代は過ぎています。
    民俗学では南方熊楠さんや柳田國男さんがいて木地師、サンカについて調査や論考をされています。
    ぼくはこれらの論考に刺激を受けて職人や商人の歴史について、常に考え調べています。
    指摘をされた方の趣旨がよくわからないのですが、
    わたしとしては海の民、山の民とした方がすんなり飲み込めます。
  • ありがとうございました。

    子ども向きの作品なので「天狗」を最初に出したほうがいいかなと最近は考えています。

    いろいろ悩むばかりです。

    PS
    連載を大変楽しみにしています。
  •  おはようございます。初めまして。先日は『トナカイ&ダチョウ飼いの北川さん』を大変楽しく読みました。
     さて、天狗が日本人の信仰に云々という苦情ないし抗議については無視することをお勧めします。ご作品『木地師とサンカ』を読んでいない(物理的な意味ではなく作品として理解する意志がない)、単なるいいがかりなのが明白だからです。大体が、左様な『定説』に拘束される筋合いはないでしょう。小説なのですから。
     それで、私もまた『木地師とサンカ』を読みました。『忌憚なき』とのことですのでその通りに感想を述べます。
     まず題名につきまして、『サンカ』は白土三平先生の『カムイ伝(小学館)』で十年ほど前に初めて知りました。こうした題材に焦点を当てるのは実に野心的であり大いに敬服するところです。実際、カクヨムでそれを実行するのはまさに草分け、先鞭と考えても良いでしょう。その一方で、誰になにを訴えたいのか少々不明瞭でもありました。児童文学『風ファンタジー』とのことですが、ファンタジーといったら特にカクヨムなどの読者は剣や魔法の出てくるテレビゲーム風の世界を連想します。『木地師』という言葉で木工職人を思い当てられる若い読者(※私は昭和47年生まれです)は極めて稀です。また、児童とは何歳くらいを想定なさったのでしょうか。ご作品を読む限りでは、中学生でも難しいと考えそうなお話でした。それから、些細な点ですが『第一章』→『第2話』とあり一貫性がありません。
     次に、第一章に移ります。『この国』とはどの国でしょうか。サンカや木地師なのだから日本に決まっているのは理解できますが、サンカや木地師だから日本と『わかってもらえるはずだ』と考えていらっしゃるのではないでしょうか。南の方とは九州や沖縄でしょうか。ポリネシア諸島でしょうか。南の海『独特』とありますが『独特』は小学(または中学)何年生で習う熟語か、パソコンで執筆していらっしゃるならレーティングが表示できるオプションがありますが確認なさったでしょうか。……これら一連の疑問は、作者が『自分にとってわかりきっていること』と『読者にとって必要であり簡潔な説明が必要なこと』と『読者が喜ぶ内容であり情緒に訴えねばならないこと』の区別がついているかどうかという観点になります。小学一年生でもマグロやカツオは喜んで食べもすれば図鑑で理解もします。その一方で、初夏が旧暦(昔話として語るなら新暦と旧暦の差異は微妙に難しい問題になります)では四月というのは大人でも知らない人が珍しくありません。
     ……少々長くなり過ぎました。一度区切ります。続きは時間ができ次第に。
  •  お待たせしました。続きです。

     第一章につきまして、我が国で農業が始まってから海と山の天狗の関係がぎくしゃくし始めたとありますが、これは本作でも非常に重大な転換点のはずです。どうせなら『誰が、いつ頃、なんのために、どこから、どのように農業を始めたのか』を詳しく描いて欲しいです。また、『ごく一部のものを除いて~適していません。』と『だから自分にとって便利な植物を好きなだけ』は文章として繋がりにくいです。『塩は必需品』とありますが何故必需品なのか、児童文学を意識するなら簡潔に説明した方が良いのではないかと思います。それから私は『天狗とひょうたん』なる民話は全く聞いたことがありません。山の天狗の生活が苛酷なのは誰でも想像がつきますが、なにがどう苛酷なのかを伝えるのがご作品の本旨の一部ではないでしょうか。更には、最終的に天狗は『人間』と違う魔物かなにかなのか、木地師は現在でも存在しますがなにか特別な存在なのか、小さな読者は混乱するかもしれません。
     第2話に入ります。『乾いたからから原とぬめったどろどろ谷』という章題は読みにくいし覚えにくかったです。からからなら乾いていて当たり前ですし、どろどろならぬめっていて当たり前なわけで、馬から落ちて落馬したのと同義でしょう。わいせつ本のエピソードは大人が読む分にはどうともしませんが、子供は嫌がったり親御様が顔をしかめたりする可能性があります。無論、民話や説話にはいくらでもその類が出てきます。ただ、わざわざ挿入する必要があったかどうかは若干疑問です。本作が本当に面白く、楽しくなるのは第2話の中盤辺りからです。ただし、木地師とサンカが何故仲が悪いのかが漠然としか伝わらないので折角の魅力がうまく伝わりにくいです。塩田のやり過ぎで海が荒れた話なら木地師の祖先の自業自得ですし、手形の有無はサンカのせいで木地師が損をした話ではもちろんありません。つまり因果が良く分かりません。
     第3話につきまして、サンカが農民に見られているから逃げ出せないというのは正直なところ首をひねりました。どうせ貧しく他所と大して交流もない村なら、拘束されているのでもなければ逃げるにしくはないように思えます。自尊心が許さないのかも知れませんが、ではそれまでどうしていたのでしょうか。
     サンカと木地師の智恵比べ、技比べが結果として全ての人々の為になっていくという過程はとても面白いですし読み応えがありました。ただ、そこに至るまでの過程が既述の通りです。極端な話、少なくとも第一章は今のままなら読んでいて不要か、逆に大きく頁を割いて民俗(族)ドラマの幕開けにするかした方か最後まで盛り上がり続けたように思えます。いずれにせよ『今の日本を作った影の功労者』という風呂敷にはいささか中途半端な感がします。 以上です。ご参考になれば幸いです。
  • ありがとうございました。

    工夫します。
  • 高秀恵子 様
    初めまして、螢音と申します。
    普段、軽文学ばかり読んでいる自分ではありますが、職業柄、気になってしまい、拝読させて頂きました。
    僭越ながらレビューも書かせて頂きましたが、何分語彙力が不足していることと、分野の違う小説のレビューばかり書いているので、作者さんの意図と違う内容になっているおそれがあると思い、挨拶に伺いました。
    もし、レビュー内容に問題がある場合には、訂正、ないしは削除などなど対応させて頂くので、その場合には活動報告までコメントください。
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