試されていたのは、どちらだったのか?

芥川龍之介の小説にはいろいろな解釈を許容するものが多くて、この「仙人」もそのひとつだと思います。
書かれてあることを素直に読むと、純粋な青年、権助が信念をつらぬいて医者夫婦に誠実につかえた結果、ついに念願の仙人となる――そんな教訓じみた物語と受け取ることができます。

でも私はここで、別の解釈を提案したい。
権助は最初から、神や仙人といった、人知を超えた存在だったのではないでしょうか。

物語の冒頭で、権助は「ただ飯炊き奉公に来た男」とだけ紹介されています。
それ以外の素性はなにも明かされず、まさに謎の人物です。
そして、神仏は時に物乞いなどのみすぼらしい姿で現れ、人々を試すという伝承もあります。
現実では考えられないほど馬鹿正直で純粋な権助の姿が、私にはそういった神秘的な存在の象徴のように思えてなりません。

医者夫婦は「しめしめ、ばかがきた」などと思い、権助を都合の良い奉公人として扱いました。
ですが、彼らは実は試されていたのではないか、とは考えられないでしょうか。
彼らは最後まで権助の言葉やふるまいの深さに気づくことなく、彼のことを使い潰してしまった。そして、面倒になったら殺そうとまでしてしまった。
権助が彼らのもとを離れ、最後に空へ昇っていくシーンからは、「彼らは永遠に大切な機会を失ってしまった」などといったメッセージ性を感じないでしょうか。

どのような意図でこの物語が書かれたのか、真相はわかりません。
しかし私には、この権助という男が、なんだか一筋縄ではいかない狡猾な人物のような気がしてならないのです。

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