第2話

 あくる23日も雪で、その次のイヴも雪だった。友達は22日のうちにほとんど帰省してしまい、陽介はひとりで暮らすアパートにいたところでもう何もやることはなかったのだが、雪の影響で新幹線が止まっただの高速道路が渋滞だのときいてしまうと、実家に帰る気力も失せる。

 結局24日、雪にうずもれたベランダをながめつつ、陽介はぼーっとスマホをいじっていた。音もなく降る雪に対抗するように、わざとポテトチップスをばりばり噛んで。

「美沙はちゃんと、空港に行けたんだか……」

 ポテトチップスを飲み込む合間に、陽介は呟いた。ニュースサイトを見ると、さっきから雪の影響、雪の影響という文字がやたら目につく。

 もしも、空港に向かう路線が止まってしまったら、美沙の予定はパーだろう。

 陽介は雪をながめ続けながら、ふと、軽い自己嫌悪に陥った。大半は本当の心配だったが、予定変更になることを願う気持ちも確実に隠れているのに気づいてしまったからだ。いま美沙の予定が変更になったところで、最初に約束していたパーティーが復活するわけじゃない、とは思うのだが。

(何となーく、そういう期待をしちゃうとこがなあ——)

 自己嫌悪を飲み下すようにジュースを含んだそのときだった。テーブルの上で、不意にスマホがヴーヴー言い出した。

 陽介は半分傾けたコップから手を離し、本体をつかもうとして指ではじいてしまった。カーペットの上にぼつんと落ちたそいつをあわててつかみ上げ、画面を見る。

 美沙だ。電話してくるとは珍しい。

「も、もしもし?」

『あっ、陽介? はろ〜』

 声を聞いて、なぜか胸がどきんとした。陽介はあわてて呼吸を整えた。

「な、何だよ、どーしたんだよ。なにかあった? 空港には行けるのか?」

『え、あ、うん、それは大丈夫、かな。ねえ陽介、陽介は今どこにいるの?』

「俺? 俺はその……家だけど」

『何だ、寂しいの〜。どっか出かけなよ、町はクリスマスだよー?』

「あ、あのなーっ。それが予定キャンセルした奴の言うことか!?」

 スピーカーの向こうで、美沙が華やかな笑い声をたてた。

『ごめんごめん、悪かった。じゃねー、ちょっと電話したかっただけだから。ばいばーい』

「え? おい、美沙?」

 電話はいきなりぶつりと切れた。

 陽介は画面を見つめながら、しばらく首をひねっていた。

「何なんだ、おい……?」

 疑問の言葉を口の中で繰り返してみても、やっぱり訳が分からない。電車の待ち時間のひまつぶし? それとも……いや、「それとも」何なのか、まったく思いつけない。

 広がるもやもやを抑えきれず、こっちから連絡してみようかと考え始めたとき、手に持ったままのスマホがまた振動音を立て始めた。陽介は表示を確認もせず、あわただしく画面をタップする。

「もしもし? 美沙!?」

『なわけない。君のバイト先の店長さんにあらせられまーす』

 間髪入れず返ってきた声は、美沙とはかけ離れすぎた男の声であった。やべぇ、ちゃんと見てスルーすりゃよかった……と、陽介は肩を落とした。バイト先のディスカウントショップの店長はやたらノリがよく、そしてちょっと妙な30男である。

「やめてくださいよ、自分に敬語使って。なんですか用件は?」

 陽介はいつになくぶっきらぼうにそう言った。店長は、ふだんは楽しい相手だ。が、こっちの気分が良かろうが悪かろうがテンションがかわらないので、疲れているときには正直話したくない。

 店長の声が、実に実に、悲しそうになった。

『話し方が冷たいなー、井上くん。冬なんだから、せめて暖かく話そうよ。な? ホットに、ホットに』

「……」

『機嫌悪いなあ。まあいいや、本題ね。実はさ、ちょっと君に用があってさ。店まで来てくんない?』

「俺……、バイト入れてませんけど」

『仕事はさせないから安心してって。そりゃあ、前にだまして呼びだして手伝わせたこともあったけど、あっはっは。まあ、今日の用はそんなんじゃないんだ。ほんと、ちょっと出て来いよ』

「だから、バイト入れてません」

『そんなこといわないでさ。来ないと店長、泣いちゃうよー』

 ご勝手にどうぞと言いたくなったが、陽介は言葉を飲み込んで、思い直した。どうせ、暇なのだ。

 ため息のような音量で、陽介は「分かりましたよ」と答えた——


**


 ——それが、数時間前の話である。


「……手伝わせる気はないって、いったくせに……」


 陽介はへろへろになって、ざくざくと帰路の雪を踏んでいた。

 のこのこ出かけていったら、店長は満面の笑みで陽介を迎えてくれた。「やあ来た来た。いや、クリスマスだから君にシャンパンをあげようと思ってねえ。こっちこっち」……と招かれるままに進んだらいきなりエプロンをつけさせられ、カウンターの前に引き出されてしまった。陽介は何とか帰るタイミングを見つけようと頑張ったが、なぜか客は蟻の行列のようにやってきて、抗議する暇さえ与えてくれなかった。


「結局、6時か……」


 午後いちばんに出かけていって、いつものバイトより長い時間、手伝わされたことになる。ちなみにシャンパンの件だけは、嘘ではなかった。その重い瓶は、いま、陽介に引きずられながら、雪の上に太いすじを引いている。

 振り向くと、シャンパンが引いたすじがクネクネと行ったり来たりしていて、まるでへびのようだった。何だかあのなべつかみのへびが、ぱかっと口を開けて這い進んでいったあとのようだ——そう思ったとき、陽介は急にシャンパンを叩き割ってやりたくなった。


 ——なにがメリー・クリスマスだ。


 帰り道のわきの家からは時折ツリーの光が散りこぼれ、雪を虹色に染めていた。庭の木が、ちかちかと瞬いているところもあった。そこはかとなくチキンの香りが漂ってくることもあり、やさしく暖かい笑い声が聞こえてくることもあった。きっと、家族でクリスマス・ディナーを囲んでいるのだろう。

 だけど、だけどだ。


『イヴだね。だから?』


 そうだ。ほんとに「だから?」だ。イヴがなんだ、俺なんだよ、祝ってほしいのは。それなのに12月24日は、これまでもこれからも、自分だけの記念日にはなりやしない。

 雪に足を取られるのもかまわず、陽介は足を早める。

 八つ当たりなのはわかっていたが、苛立ちは陽介の中で、キャンドルサービスのごとく静かに拡大してきていた。——おいそこのお前ら、何でクリスマスだイヴだってパーティーをするんだ? 自分の神様ならわかるが違うだろ、なのになんなんだ、どいつもこいつもツリーを飾り、チキンとケーキを食べ、シャンパンをあけて乾杯して。何だって日本中の誰もかれも、意味もないのに同じことをしたがるんだ。

 苛立ちと八つ当たりの裏から、思い出が引っ張り出されてきた。「ハッピー・バースディ」のあとにくっつく「メリー・クリスマス」というおまけと、あからさまにクリスマス用の、サンタののったデコレーションケーキを、どこか複雑な思いでながめていた、小さい頃の自分——。


 ——ああ、そうか。


 さらさらと降りしきる雪の中を歩く、陽介の足取りはふたたびゆっくりになった。

 今さらわかった。美沙と過ごしたかったのはイヴじゃなかったのだと。望んでいたのは、彼女に、誕生日を祝ってもらうこと。

 でも、イヴが誕生日だと、陽介は美沙に言えていなかった。それは自分を祝えと押しつけることの照れくささからかもしれなかったし、自分の気持ちはともかく女子は「彼と過ごすイヴ」に憧れるものではないかという、先走った気づかいがあったからかもしれない。でも、皮肉にも彼女は『イヴだね。だから?』の人で——。美沙はこの日を、友達のために割いてしまった——。

 陽介は肩をすくめた。自嘲のように少し笑って、シャンパンの瓶を持ち直した。しょうがないからこのシャンパンで、自分の誕生日だけを祝おう、そう思った。もしかしたら今日の日本でただひとり、クリスマス以外のことでシャンパンをあける奴かもしれないが、それもまあ悪くない。

 暗がりと雪の中に、見慣れたアパートの影が浮き出てきている。

 残りわずかになった道を、陽介はとぼとぼと歩き進めた。何となくいつもより遠いような気がするがとにかく歩き、あとはアパートの階段を上るだけというところにたどり着いたとき、陽介はふと足を止めた。


「……あれ?」


 自分の部屋のベランダに、明かりがこぼれている。

 消し忘れた、のだろうか? 部屋を出たのは昼間だが、雪空のせいで暗かったから、確か電気はつけていた。

 いつもなら消し忘れたりしないのに、やっぱり今日はついてない。陽介はため息をつくと、大股で一気に距離をかせいで、玄関のドアを開けた。

 と、その途端、


「ハッピー・バースデ〜イッ!」


 ぱあんと軽い音がして、視界が極彩色に染まった——。


「……え?」


 ふわっと風が起こり、頭にだらんだらんの紙テープがうちかかる。それをかきわけるのも忘れ、陽介はきょとんと立ちつくした。

 紙テープの向こうに、美沙がいた。

 クラッカーをかまえて、いつものように、にっこり笑って。


「み……美沙……?」

「あははー、びっくりした?」


 陽介は立ちつくしたまま、上から下まで美沙の姿を凝視していた。幻でもハリボテでもなかった。間違いなく、それは本当に、美沙だった。


「……え。どうして」


 だけど、驚きで身体が動かない。立ちつくしたまま、ただ、問うことしかできない。と、美沙は、肩をすくめてかるく笑った。


「サプライズに決まってるじゃない。ていうか、一応カギもらってるし、まさか不法侵入とか怒らないよね? あたしね、店長からきいたんだ。今日が陽介の誕生日だって」

「……店長が……?」

「そーだよん。履歴書見て覚えてたんだってさ」


 まだ呆然としている陽介がおかしいらしい。美沙はまた、楽しそうにくすくす笑った。


「ごめんね。空港行きとか友達とか、あれはぜーんぶでっちあげ。午前中買い物してさ、それから店長にあんたを誘い出してもらって、ここに上がり込んで準備してた」


 美沙は一息つき、それから、あわてたように付け加えた。


「あ、だけど、イヴの過ごし方を決めちゃうことはないって言ったのは、でっちあげじゃなくてあたしの考えだからね。だから、これはクリスマスじゃなくってサプライズ・パーティーなの! わかる? だってさ、キリスト様のお誕生日は世界中で祝ってるんだもん。あたしひとりくらい、陽介だけをお祝いしたっていいじゃない」


 身体も動かなければ、声も出ない。陽介は自分が、どんな表情をしているのか分からなかった。たったひとりであけようと思っていたシャンパンの瓶が、床と擦れて小さく音を立てた。

 最低の日なんかじゃなかった。そうじゃなくて、逆だった。

 今日は誕生日。生まれて初めてイヴ以外のものになった、自分だけの記念日。


「——れた」

「え? なに?」

「やられた。成功しすぎだよ、サプライズ……」


 陽介はそう言って美沙を見つめる。


「ありがとな」


 そういうだけで精一杯だった。ここでこんな月並みな言葉しか出せない自分を悔しく思ったけれど。

 だが、きっとそれで充分だったんだろう。美沙の表情がふうわりとなごみ、いたずらっぽく、それでいてはにかんだような色彩を帯びていったから。


「ちょっと素直すぎだよ。じゃ、もう一回おまけね。感動して泣くなよ〜……せーの!」


 クラッカーがもうひとつ、ぱあんとはじけて音を響かせる。

 空に舞った色とりどりの紙テープをかきわけて、美沙が近づいてきた。彼女はさっきの微笑みのまま、陽介の頬に照れくさそうにキスして、言った。


 ……ハッピー・バースディ。

 ただ、それだけ。

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記念日のため息 岡本紗矢子 @sayako-o

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