古本屋

N岡

古本屋

 古書店で値打ちのプレミア本を買い、高値をつけてネットで転売することで生計を立てている男が居た。

 男は今日も日がな一日街の古書店を渡り歩いていたが、目ぼしい品物が見つからない。

 以前は二、三店舗回れば一冊くらいは四桁で売れる本が落ちていた。同じ地域に同業者が現れたのだろう。ニッチな分野だと油断していた自分を呪った。ここ数週間で煙草ワンカートンほどの売り上げもない。男は焦っていた。

 車を走らせて、隣県の街まで来た。日は沈みかけ、遠い山々の輪郭が黄金色に染まっていた。スマホで古書店を検索すると、すぐ近くに『古本屋』という店が見つかった。

 随分と古そうなビルの一階に、店はあった。昭和の頃からそのまま、という風情の錆ついた看板に深緑のゴシック体で店名が書いてある。近づくとセメントのヒビから茶色い染みが垂れていた。ガラス戸の向こうは電気が消えているのか、暗い。それでも入り口に営業中の札が下がっている。

 人口の少ない田舎の街だ。品揃えはあまり期待していない。言い訳じみたことを心で呟きながら、男は店のガラス戸を引いた。

「いらっしゃいませ」

 と意外な声音が響いてきた。歳の若いハキハキした女の声だ。

「すみません、すぐ明かりをつけますね」

 直後、羽虫のような音を鳴らしながら蛍光灯が点いた。奥から現れた声の主は、中学生くらいの少女だった。

「ごゆっくりどうぞ」

 少女はわざとらしい笑顔を向けて、すぐに書架の陰に引っ込んでしまった。

 店内を見回す。こぢんまりとした店だ。壁側を合わせても五列ほどしかない書架に、古い、というよりも汚れたり破れたりした本ばかりが並んでいる。これではたとえ希少価値のある物が見つかったとしても大した値段がつかない。やはりハズレだったか。と肩を落としたその時、ふと一冊の本が目に留まった。

 国語辞典ほどの厚みがあり、革装丁に金の装飾が施された本だ。タイトルを見て男は唾を飲み込んだ。本物であれば数十万、いや百万は下らない超希少本だった。

 しかし、どういうわけかその本は脚が一本欠けた机の下で、価値のなさそうな別の二冊に挟まれて、欠けた脚の代わりに机の天板を水平に保つ役目を与えられていた。

「どうしてこの本がここに……偽物か?」

 男は思わず声に出して呟いた。しゃがみ込んで、机が倒れないように本を抜き取り、ページをめくって真贋を見極める。間違いなく本物の超希少本だった。

「み、見つけたぞ……!」

 だがどうしてこんなに価値のある本がこんな所に。もしかすると、ここの店主はこの本の価値を全く知らないのでは。男の心臓が踊った。この所落ち込んでいた売上を一気に挽回する絶好の機会が訪れたのだ。

「どうかされましたか?」

 背後から声を掛けられ、男は悪戯がばれた子供のように、咄嗟に本を閉じて元の位置に戻した。

「あ、ああ、いえ……こ、この机、お洒落だなと思って」

 振り返ると、先ほどの少女が居た。男は立ち上がって机の天板を撫でた。これといって特筆すべき点のない、古びた木製の机だ。

「えー? このボロっちいのがですか? 壊れてますよ、これ」

 男の不審な挙動に、少女は眉をひそめる。

「いや、この壊れっぷりがいいっていうか、その……えーっと、あ! そうだ。今日はお店のお手伝いかな? 店主さんは居る?」

「祖父は去年亡くなりました。今は時々、こうして私がお店を開けているんです」

「ああ……そっか。それはお気の毒に。ごめんね、なんか余計なこと聞いちゃったね」

「いえ、いいんです。祖父はだいぶ高齢でしたから」

 男は「しめた」と胸中で微笑んだ。恐らく、先代の店主が亡くなった後、物の価値を知らないこの少女が壊れた机の応急処置としてあの超希少本を使ったのだろう。上手く行けば二束三文で手にいれることが出来るかもしれない。そのためには本の価値を絶対に悟られないようにしなければ。

 そこで男は妙案を思いついた。

「この机、もし良かったら譲って頂けませんか?」

「えっ……?」

 少女は目を見開いた。

「いえ、もちろん無料タダでとは言いません。千円でどうですか?」

「え、でも売り物じゃないし……それにこれ、壊れてますよ」

「もちろん、承知の上でのお願いです。私はこれまで様々な机を見て来ましたが、ここまで素晴らしい逸品に巡り会えたのは今日が初めてです」

 男は愛おしそうに机を撫で回した。少女は唖然とした表情のまま男の熱弁に耳を傾けている。

「このよご……いえ、年季の入り方といい、こわれ……もといアシンメトリーさといい。どこを取っても一級品です。奇跡とは全くこういうことを言うのですねぇ。はぁい」

「うーん……」

 少女は顎に指を当て、思案げに虚空を見回し、やがて男を見てVサインをした。

「二万円じゃダメですか?」

「えっ……?」

 今度は男が目を見開く番だった。

「二万円なら、売っても良いですよ」

 男は逡巡しゅんじゅんした。ここで二万円は高い、などと言えば、奇跡だの一級品だのと褒め散らかしたのが怪しくなってしまう。

「い、良いでしょう。もちろんこれほどの一級品ですので、二万円でしたら安い買い物ですよ」

 言うや否や、財布から一万円札を二枚取り出して、少女に押し付ける。これ以上値上げされる前に押し切ってしまわねば。本の売値を考えれば二万円など微々たる金額だ。

「わあ、本当に良いんですか?」

 少女は紙幣を胸元で握りしめ、嬉々とした表情で男を見上げた。

「もちろんです。私にとっては一級品ですから。あー……ところで」

 男は頬を掻きながら視線を落とした。

「そこのぉ……欠けた脚の下にある三冊ですが。この机を水平に保つのに丁度良い塩梅なので、一緒に持っていっても構いませんね?」

 ここまで来れば勝ったも同然である。少女は本の価値などわからないはず。しかも脚の欠けた机の応急処置に使うほど、この本が無価値だと思い込んでいる。だからこの後すぐ、少女がどうぞ持っていかれて下さいと告げて、超希少本は男の物になるはずだった。しかし——

「あ、ダメです」

 少女はきっぱりと言った。

「えっ……?」

 三度みたび、目が大きく開かれた。言わずもがな男の目である。少女が毅然とした態度で続ける。

「ダメですよ。これは確か数百万円する本です。祖父がこの本だけは絶対に売らないようにって、生前何度も念を押してましたから」

「は……? じゃ、じゃじゃじゃあ、ななんで、こんな所に挟んで……」

 男が鼻水を垂らしながら震える指先を本に向けると、少女はわざとらしい笑顔を浮かべて、言った。

「祖父はこうも言っていたんです。脚の折れた机の下にこの本を挟んでおけ、そうすれば時々、机が二万円くらいで売れるからって」


〜おしまい〜

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