第29話 アカデミーへ

 一カ月後。

 そこに至るまで、怒涛の日々だった。


 ザカリー様にルシア様の教育を任された翌日から、授業を開始。

 元々やる気になられていたから、リノの歌を聞きながらでも、真剣に向き合ってくれた。


 お陰で、完治と共に過程を修了することができた。

 ザカリー様にそう言ったが、本当に間に合うとは。ルシア様の優秀さには驚かざるを得なかった。


 これなら、本当に王子の婚約者に……いずれ王妃になられても、と思ったが、私が口を出すことではない。

 どうなるのか、どうするのかはルシア様次第だ。


 私の教育が少しでも、そのお役に立ったならいいのだけれど。それを知る機会がないのは残念だ。


 何故なら、今日。私は二カ月ばかり滞在したディアス公爵家を出るからだ。


 後ろには馬車。

 隣には、アカデミーに共に帰るリノの姿がある。


「長かったようで短かったわね」

「リノはただ歌っていただけじゃない」

「色々手伝ってあげたっていうのに、あんたは!」


 ルシア様の授業が開始してから、薬の調合や在庫整理など、手が回らなくなった。

 そんな時、リノが見かねて手伝ってくれたのだ。


「感謝しているけど、あの歌詞がね。悪意にしか感じない」

「それは被害妄想って言うのよ。ルシア様ばかりか、ザカリー様も褒めてくださったんだから」

「え? き、聴いたの? あの歌を!」


 阻止していたのに!


「ルシアから聴いたんだ」


 顔から火が出るほど動揺していたら、ザカリー様の声が近くから聞こえてきた。

 振り返るとそこには……。


「あっ、えっと、もしかして……ザカリー様?」


 高く結い上げていた、長く美しい金髪はなく。全体的に短くなられたザカリー様の顔がそこにはあった。

 よく見ると、後ろ髪をバッサリ切られたわけではないようだった。青いリボンで結ばれている。それでも、申し分程度の長さだった。


 服装も青いスーツが様になっている。

 昨日まで女装されていた方とは思えないほどに。


 これまで何度か、女装されていないザカリー様の姿は見た。けれど、比較にならないほど、格好よくなられた姿に驚いた。


 先ほど、動揺していたせいだろうか。顔がまだ熱い。


「一応、昨夜帰ってきた形になっている。だからこの見送りは、礼というよりも、ルシアが世話になった者の顔を見にきた、ということにしてくれ」

「わ、分かりました」


 口調は変わらない。普段のザカリー様だ。ただ見た目が変わっただけなのに、心臓の音がうるさかった。


 いやいや、これはリノの歌を聞かれたことに対してよ!


「それであの歌なんですが、リノが勝手に作っただけで……私は、その……」


 もう! リノが変な歌を作るから、妙に意識しちゃうじゃない。


「大丈夫だ。深い意味に捉えてはいない。ただ、ルシアが気に入っているんだ。よく歌っている」

「ルシア様は歌の才能があるみたいで、私も教えがいがありました」


 リノ!


「ごめんね、アニー。同時に二人がいなくなるのが寂しくて、リノに教えてもらったの」

「お気持ちは分かりますが……」


 ザカリー様から覗くようにして現れたルシア様に、私は濁すことしか言えなかった。

 レルシィ病にかかってから、邸宅に引き籠もりざるを得なかったのだから。


「だからこの時のことを、忘れないようにしたいの。ね、お兄様」

「あ、あぁ」

「アニーもよ。アカデミーでお兄様を待っていてね」


 すっかり元気になられたルシア様に、どういうわけか私もザカリー様もたじたじだった。


「ルシア様はどうされるのですか? ザカリー様がアカデミーに入学されたら――……」

「勿論、お母様と共に、お父様と戦うのよ。お兄様を見ていて思ったの。好きでもない方の婚約者にはなりたくないって」

「ルシアっ!」


 ザカリー様の叫び声など、どこ行く風のように、ルシア様は私に近寄り手を取った。


「ふふふっ。また会う時はいい報告をお互いにしましょうね」

「はい。教授になったら、連絡致します」

「そういう意味ではないんだけど……」

「ルシア様。アニタに言っても無駄です。ザカリー様に言わなくては」

「もう何度も言っているわ」


 頬を膨らませてリノに文句を言うルシア様。

 一体、何のことを言っているんだろう。


「それよりも、もう行く時間だろう。今日中にアカデミーに帰れなくなるぞ、二人とも」

「あら、そうでしたわ。では、私は先に馬車に行きます」


 リノはそう言って、カーテシーをするだけして、馬車に向かって行ってしまった。


「ルシア様。お元気になられて、とても良かったです。二カ月ばかりでしたが、お会いできたことも含めて」

「私もよ、アニー。あの時、貴女に気づいていなかったら、今も私はあの部屋から出られないままだったから。それにお兄様も」


 振り返り、ザカリー様の腕を取って、前に引き寄せた。お陰で、私との距離が縮む。


「俺も、この姿には戻れなかっただろう。感謝している」

「お兄様!」


 何故かルシア様に背中を叩かれるザカリー様。


 不思議に思っていると、突然手を取られた。


「っ!」


 ほんの少しだけ持ち上げられ、甲に唇が当たる。


 何度かアカデミーで見たことのある、貴族の振る舞い。

 確か挨拶、だったっけ。


「一年、待っていてくれ。そしたら――……」

「分かりました。分かりましたから、手を離してください。その、慣れていないんです」

「済まない」


 私は再び熱くなる顔を隠すように、カーテシーをした。


「ザカリー様。アカデミーへの入学をお待ちしています」


 そう言って逃げるように馬車へと向かう。


 星が教えてくれた『アカデミーへ』が、誰に対しての言葉だったのか。

 図らずもその役目を、私はしっかりと果たしていた。

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病弱な公爵令嬢(?)の家庭教師 ~その正体は?~ 有木珠乃 @Neighboring

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