氷砂糖が溶ける間に

Planet_Rana

★氷砂糖が溶ける間に


 彼は、私が部屋に来るたびに飲み物を淹れてくれる。


 ある日はお茶。ある日は紅茶。ある日はコーヒー。


 私は彼に砂糖を貰って、苦いミルクと共に注ぎ入れる。彼はそうする私を見て、忙しなくカラカラとマドラーを回す。


 砕かれた豆を水出しして、カフェインを抑えたコーヒーはこぽこぽとペットボトルに注がれる。それの一部をコップに移して氷を入れた。カラカラ音がする理由は、器に氷が当たっているから。


 キンキンに冷やしたそれを喉に流し込み、彼は一息ついた。夏の酷暑にうかされて普段は行こうともしないプールやらゲームセンターやらに遊びにいった後だ。汗で張り付いた黒シャツが彼の輪郭を明確にする。


 ちらりちらりと見ていると、視線が気になったのか彼は立ち上がり「着替えて来る」の一言を残して行ってしまった。


 後に残るのは、画面が真っ黒な液晶テレビとお互いのスマホ。そして一人アイスカフェオレを嗜む私と彼のブラックアイスコーヒーである。


 男性の部屋というのは女子の私からすれば物珍しい。彼の趣味もそうだが、この部屋にはあまり物が置かれていないのだ。1LDKに一人暮らしで家賃が二万弱だと言えば誰もが驚くが。そういう意味でもここは謂れのある部屋だ。


 ……まあ誰かが被害をこうむった場所ではないらしいので、そういう意味ではクリーンな物件である。コップの中に納まった氷が表面を艶めかせ、つるりと一滴滑り落ちた。陶器のカップの肌は先程はけて行った彼の肌のようにじめじめてらてらと光っている。


 靴下を履いたままの人間がフローリングを歩く音がして振り向けば、服を着替えた彼が戻って来ていた。外を歩いた時に身に着けていた黒色ではなく、夏を想起させる様な青色だった。


 彼はふるふる首を振ると、私の隣に腰を下ろすとアイスコーヒーを口に含んだ。飲み込まれたアイスコーヒーが何処へ行くのか、私は知らない。


 今日も楽しかったねとか、今夜は何を食べようかとか。そんな他愛のない話が続く。冷房も無い部屋だが、外の熱波と関係なしにひんやり涼しい。おそらくは彼が毎日振る舞ってくれる飲み物のおかげだろう。因みに冬は、美味しい鍋を一緒に食べてくれる。


 私はアイスカフェオレを口に含み、聞いてみる。コーヒーを入れる日、彼は必ずブラックで飲むのだが。これは好みだろうか。


 彼は目を丸くして私の問いに答える。多分「知らなくても大丈夫」だとか「ミステリアスな方がいいこともある」とか、そういう返事だった。


 ふむ。と、一応納得して私はアイスカフェオレを飲み干した。バイバイとかおやすみとか、また明日とか。そんな簡単な挨拶をして部屋を出た。


 後ろ手に、襖を閉じる。


 彼は、ずっとこの部屋に住んでいる。四次元かと思うほど充実した調理器具と共に、食材をたまに買い出しに行くくらいの外出しかしない彼は、この部屋に住んでいる。


 外は夜だというのに蒸し暑く、これからやって来る日の出だってこの熱を増幅させるに違いない。カーテンを開け、パジャマ姿で伸びをした。寝ぼけ眼を擦りながら今日の予定を確認し、コップへ水道水を流し込んで氷を入れた。


 残暑お見舞い申し上げます。身体が透けた君よ。イマジナリーフレンドかモノホンかどうかは判断がつかないがそれでも、私の話し相手になってくれてありがとう。八月の始め、残暑というにはまだ早いように思う一日が今日も始まろうとしている。


 朝から卵とパンを焼く。肉汁弾けるフライパンを横目に口に含んだ水道水は、何だかほのかに甘かった。水の味ではない。予想外の味に「うっ」となるも仕方がないかと二口目。


 彼はきっと背伸びをしたくてブラックコーヒーなるものを飲めると装っているのだろう。今度一緒に飲んでみようか。微糖ではなく、とびきりブラックなやつを。


 冷たいコーヒーと暖かな談笑。熱い夏も寒い冬も、それらがあれば乗り越えられるだろうか。リモートワークが肌になじみ、人とのつながりが希薄になり、会いたいと願うほど会えなくなる。身近な隣人の微笑みも、毎日誰かと一言二言交わす大切さも。全て忘れる前に夜明けが来て欲しいと思った。


 そんな一日を今日も、エンターキーから始める。




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