横顔

澄田こころ(伊勢村朱音)

横顔

 いとこの咲良さくらちゃんが、うちのお兄ちゃんをこっそり見ている横顔が嫌いだった。咲良ちゃんは絵がものすごくうまくて、スケッチブックを一心不乱に見つめる時の横顔は大好きなのに。


 絵を描いている咲良ちゃんは、大事なものをいとおしむような、とてもきれいな顔をしている。それなのに、お兄ちゃんを見つめる横顔は今にも泣きだしそうだった。


 何か言いたくて言えない、もどかしさを飲み込んだ表情をしている。そんなの咲良ちゃんに、似合わなくて気持ち悪い。


 だから咲良ちゃんがお兄ちゃんを見つめる視線を遮り、わたしはいつも邪魔する。


「ねえ、咲良ちゃん。このクッキーおいしいよ。食べてみて。美優がつくったんだよ」


 咲良ちゃんは、ゲームをしているお兄ちゃんからゆっくりわたしに視線を移す。


「さっき、食べたよ。おいしいって。言ったじゃん」


「あれは、チョコ味だったでしょ。今度のは普通のだから」


 わたしのわがままに、咲良ちゃんはちょっと困った顔をしてお花の形のクッキーをつまんだ。


「うん、こっちもおいしい」


 ちょっとお砂糖を入れすぎた甘いクッキーをほおばり、咲良ちゃんもお砂糖みたいに甘くとろけそうな顔をした。


「咲良、無理して食わなくていいって。そのクッキー超甘くね?」


 テレビの画面を見たまま、お兄ちゃんが咲良ちゃんに話かける。


「もう、お兄ちゃんのいじわる。ちょっとお砂糖の量、間違えただけだもん!」


「えー、ちょっとか? かなり甘かったぞ」


 わたしとお兄ちゃんの言い合いが始まると、パンパンと手を叩く音がリビングに鳴り響く。


「はい、おやつはおしまい。夕飯食べられなくなるからね」


 お母さんが、テーブルの上のクッキーをさっさとかたずけ始めた。


「明日、何時にお家を出るの?」


「うーん、九時には出発しないとね。美術館、遠いから」


 すかさず、お兄ちゃんのブーたれた声が聞こえてきた。


「えーそんなの、早いって。せっかく部活休みなのに。もうちょっと寝かせろよ」


 それなら、お兄ちゃんは留守番すればいい。わたしと咲良ちゃんとお母さんだけで、本当は行きたいのに。


「おばさん、やっぱりいいよ。わざわざ見にいかなくても」


 咲良ちゃんが、お兄ちゃんのせいで申し訳なさそうに言う。


「ダメよ。せっかく県の美術展の最優秀賞に選ばれたんだから。この県の中学生で一番ってことだからね。すごいことなんだよ。あきらも絶対見た方がいいから」


「でも……」


 咲良ちゃんはうつむいて、言葉を口の中に押し込んだ。


「あー、わかったって、起きるよ。よく考えたら、部活より時間遅いし」


 お兄ちゃんは、画面を見ながらぶっきらぼうに言う。

 もう、それなら最初から文句を言うな。わたしはお兄ちゃんの坊主頭を、蹴っ飛ばしてやりたくなったけど、咲良ちゃんの前なのでなんとかこらえた。


「ねえ、今日はわたしの部屋で咲良ちゃんといっしょに寝るんだよね。いっしょのお布団じゃダメ?」


 わたしはちらりとお兄ちゃんを見ながら、お母さんに甘えた声でせがんだ。


「もうあったかくなってきたけど、いっしょのお布団は寒いかな。美優、寝相悪いし、咲良ちゃんをお布団から追い出すよ」


 もっと小さいころは、畳の部屋にお布団をふたつ敷いて、お兄ちゃんもまじって三人で寝てた。


 咲良ちゃんにお母さんはいなくて、お医者さんをしているお父さんは忙しい。だからしょっちゅううちに、泊まりにきた。


 咲良ちゃんとお兄ちゃんと三人で、くだらないおしゃべりしながら眠るのはとても楽しかった。でもそれも、お兄ちゃんと咲良ちゃんが中学生になったらなくなった。


 わたしは咲良ちゃんを独り占めできてうれしいはずなのに、三人だけの秘密のおしゃべりがちょっとだけ懐かしい。


 クラスの嫌いな奴の悪口とか、アニメやゲームの話。お母さんにばれないようにひそひそ声の会話は、夜遅くまで続いた。


 わたしは一番最後まで起きてようってがんばったけど、けっきょくだんだん眠くなって、お兄ちゃんと咲良ちゃんの声が遠くなっていくのが心地よくてさみしくて、うれしかった。


 もう、あんな時間はすごせないんだ。そう思ったら、胸の奥がもやもやする。


 今日もきっと、咲良ちゃんより早く寝ちゃうだろうけど、咲良ちゃんの声を聞きながら眠るの楽しみだ。




 翌朝、玄関のドアをあけると強い風が頬にあたった。わたしはぶるるっと体をふるわし、パーカーのチャックをあわてて上げる。


 お母さんは呑気な口調で、「春の嵐だね。もうすぐ季節が変わるよ」って言った。

 季節が変わる時に、嵐がくるなんて変だ。お天気が悪い日に、季節なんて関係ないのに。夏でも秋でも、冬でも強い風は吹く。


 それとも、春の嵐は特別なのかな。


 咲良ちゃんの絵が展示されている美術館は、高速にのって二時間もかかった。タイルがびっちり貼られた真四角の建物は立派で、見あげたわたしの首は少し痛い。


 周りを見回すと、小学生から高校生ぐらいの子供と家族づれが多かった。中にはおじいちゃんおばあちゃんも加わった、にぎやかな集団もある。


 咲良ちゃんの家族は誰も来ていない。でも、わたしたちは咲良ちゃんの家族同然だ。お母さんに連れられて入り口に向かう間、わたしはふんぞり返って行進した。


 中へ入ってオレンジ色のライトがやさしい館内を進んでいくと、中学生部門の展示室に到着した。


 その広い室内の一番奥に、咲良ちゃんの絵は飾られていた。

 最優秀賞と金ぴかの文字の下には名前と『ともだち』というタイトルが書かれていた。


 セーラー服を着たポニーテールの女の子がこちらを見て、静かに座っている。女の子のまわりはほんのり桜色で、そのやさしい淡い色はだんだんこい青へと変わっている。


 女の子の中から、春があふれているみたいな絵だった。たぶん、咲良ちゃんの友達がモデルなんだろうけど、わたしには咲良ちゃんそのものに見えた。


 いつも絵を描く咲良ちゃんのきれいな顔が、鏡のように絵の中に閉じ込められたようだ。


「わたし、この絵好き。だって――」


『咲良ちゃんみたい』


 なんでか、続きは口から出てこなかった。

 絵の中の女の子と咲良ちゃんは似てないから、変だって思われる。変だって思われるのは、恥ずかしい。だから、言えなかったんだ。きっと、そう。


「なんか、青春って感じだなあ」


 お母さんの口からは、変な感想がもれた。でも、誰も笑わない。お母さんのセリフが笑われないのだったら、わたしも『咲良ちゃんみたい』って言えばよかった。


 でも、今のタイミングで言ったらそれこそおかしい。

 ふと横を見ると、お兄ちゃんは咲良ちゃんの絵を見ずにつまらなさそうな顔をして突っ立っていた。


「お兄ちゃんは、感想ないの?」


 わたしがせっついたら、「別に」とそっけなく言って、フラフラと人込みの中へ消えて行った。わたしの目の端で、咲良ちゃんはじっとその後ろ姿を見ている。


 咲良ちゃんはまた、あの泣き出しそうな顔をしているのだろう。そんな横顔を見たくなくて、わたしはじっと前を見続けた。


「はあ、咲良ちゃんの絵を見たら気がぬけちゃった。ちょっとお手洗いに行ってくるね」


 お母さんの天然発言に、「わたしも」と咲良ちゃんも言ってふたりは展示室から出て行く。わたしだけ、咲良ちゃんの絵の前に取り残された。


 なんだか居心地が悪くて、お兄ちゃんを探した。そうしたら、いつの間にかわたしの隣に立っていた。その横顔に向かって、「なんでちゃんと絵を見ないの」と文句を言おうとして言葉を飲み込んだ。


 お兄ちゃんは、先ほどの関心のなさが嘘のように絵に見入っている。まるで、穴があくんじゃないかって思うほどの真剣な目をして。


 そんなお兄ちゃんの顔を、わたしは見たことがなかった。いつもだらけた顔をして、野球をしている時だってこんな顔をしていない。


 わたしがあっけにとられていると、お兄ちゃんがふっとわたしを見る。


「きれいだな」


 それだけ言って、またどこかにふらふらと歩いて行った。

 きれいって、何が?

 絵がきれいなの。モデルの女の子がきれいなの。それとも……。




 帰りの車の中でずっとわたしは黙っていた。


「なんか、みんな大人しいね。お腹いっぱいでねむいの?」


 お母さんがハンドルを握りながら、押し黙ってる子供たちに話しかける。お昼に食べたハンバーガーは、ちっとも美味しくなくて半分しか食べられなかった。


「きょうは連れてきてもらって、ありがとうございました」


 咲良ちゃんが、狭い車中でおじきをする。


「気にしなくていいよ。いいもの見せてもらって、感動しちゃった。なんかあの絵から元気もらったからさ」


「その言い方、おばさんくさい」


 助手席に座るお兄ちゃんが、すかさずツッコミを入れる。


「もう、この思春期が! じゃあ彬はどう思ったのよ。咲良ちゃんの絵を見て」


 しかえしみたいに感想をせまられ、お兄ちゃんは口を閉ざす。わたしはさっき聞いた『きれいだな』って感想を言ってやろうと思った。


 そうしたら、きっとお兄ちゃんは困る。絶対お母さんがニヤニヤして、『何がきれいなの?』ってわたしのかわりに聞いてくれるから。


 ぎゅっと閉じていたわたしの唇から力がぬけた瞬間、お兄ちゃんはぼそりと言葉をこぼした。


「あの絵、咲良に似てた」


「えっ、そおかな。咲良ちゃんの方がかわいくない?」


 お母さんのとんちんかんなセリフに、笑いがこみ上げてくる。

 わたしだけがお兄ちゃんの気持ち、わかっちゃった。


 ついでに、自分の気持ちも。

 こんな言葉のかけらをつなぎ合わせてわかるほど、簡単なんだね。


「くくくっ……。ばっかみたい!」


 わたしが思い切り笑い飛ばしたら、お母さんは憤慨した。


「ちょっと、お母さんがばかなの。美優、ひどくない?」


「だって、ちゃんと見てないんだもん」


「えっ、それって、咲良ちゃんよりモデルの子の方がかわいいってこと?」


「もう、全然違う。そうじゃない。なんでわかんないの!」


 そうだよ。なんでこんな簡単なことわかんないの。前ばっかり向いてないで、視線をちょっとずらすだけで、ちゃんと目が合うのに。


 なんで、横顔ばっかり見てるわたしにだけわかるの?


 ほんと、ばかみたい。


 こわれたおもちゃみたいにケラケラ笑い続けるわたしに、みんな何も言わず茫然としている。


 その呆けた顔が面白すぎて、笑いがとまらない。笑いすぎて、とうとう涙が出てきた。


 きっとこの涙は春の嵐に巻き上げられた砂が、入っただけだ。


         了












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横顔 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei

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