壁のみぞ知る

羽間慧

壁のみぞ知る

 宇部松清さまの「なんやかんやで!〜両片想いの南城矢萩と神田夜宵をどうにかくっつけたいハッピーエンド請負人・遠藤初陽の奔走〜」

 https://kakuyomu.jp/works/16817330651605896697


 完結に先立ち、長編化のご尽力に対し深く感謝の意を表します。宇部さまのより一層のご活躍を心からお祈り申し上げます。


 ネタバレには配慮して執筆しておりますが、原作未読の方はぜひ本編にお越しくださいませ。なんやかんやで三話分、番外編で二話分の創作意欲をいただくほど尊みが過ぎました(二〇二三年二月二十二日現在)

 供給過多で溢れた言葉を優しく受け止めてくださった宇部さま並びに読者の皆さま、身に余る光栄でございます。誠にありがとうございました! また公式に感化されて書くことがあるかもしれませんが、温かい目で見てもらえたら幸いです。






 □□□□



 私は女子高生の皮をかぶった、ごく平凡な腐女子だ。

 書店でBL漫画を買うのはハードルが高く、電子書籍で癒しを得る人だった。大学で一人暮らしをしたら、ネットショッピングでたくさん買うと決めている。推しカプの祭壇を作る夢があるから受験勉強を耐えられているのは、ここだけの話だ。


 三次元の男より、二次元の推しカプが何倍も尊い。そう思っていたはずだった。とある男子校のホームページが検索画像の中に入っていたとき、私はスマホの画面を叩き割りそうになった。

 推しカプが通う高校の制服によく似ていた。しかも、最新のブログの記事は文化祭前日準備というではないか。思い立ったが吉日とばかりに、休みを返上して人生初の男子校へ行った。一般公開された男子校は他校からの客も大勢いて、空気は難なく同化できた。


 制服を目の保養にして帰ろうとしたとき、たまたま上演された劇に心を奪われた。否、王子が尊すぎて、過呼吸になりそうになったのだ。


 漫画『闘玉演舞とうぎょくえんぶ』に登場する最推しの金剛こんごうくんそっくりだったなんて、誰が予想できただろうか。この王子をモデルにした原作があったら、バイト代を全部つぎ込んでいた。アクスタもアクキーも、ミニ色紙、ラバスト、クリアファイル、その他もろもろ購入しなければなるまい。


 なーんて心の中で合掌していた自分は甘かった。金剛くんが実在していたら、親友キャラの清雨きよさめさんもいるはずなのに! 推しが姫、つまり推しカプが白雪姫の世界でいちゃつこうとしている可能性を、どうして予想できなかったのかだろう。完全に不意打ちだった。

 私の顔はにやけ、よだれが床にこぼれそうだった。ハンカチで口を押え、心の声をうっかり外に漏らさないようにした。


 王子よ、さっさと姫を生き返らせなさい。小人達! 神父を呼びに行って、結婚式の準備をするのです!


 万札を舞台に投げ込めないことを悔やみながら、私は劇を夢中で鑑賞した。三次元の嫌悪感は全く残っていなかった。行く気が湧かなかったBL喫茶に入ろうとしたのは、推しカプの再現を超えた二人に出会えたおかげかもしれない。

 教室の入り口を覆うオレンジ色のカーテンをくぐると、長身のウェイター二人が同時にえしゃくをした。


「おかえり、なさいませ。お、おおお嬢様」


 がっしりした体格に似合わない、おどおどとした様子が可愛らしい。眩しさに思わずもう一人の方を見ると、蠱惑的な笑みが返された。


「私達が丁重におもてなしをさせていただきます。あくまでも二番目として、ですけどね」


 とっておきのおもてなしをするのは、最愛の人だけだもんね。

 私は二番目と言われても、機嫌を悪くしなかった。むしろ、推しが空気を労わってくれるだけで平伏したいところだ。


「こちらの席へ、どぞ!」

寿都すっつ君。緊張して敬語が取れてしまっていますよ。お客様にタメ口で話すなんて、いけませんよ。後でい~っぱい練習しましょうねぇ」


 いかにも体育会系のムキムキ男子に、長い髪を下ろした美人があごクイをする。楽園である。知らぬ間に天国へ来てしまっているようだ。私の意識は遠くなりそうだった。高校生の色気ではない。もしかして先生もウェイターとして駆り出されているのかもしれない。


 耐えて、私のよだれ! 自分の性癖がばれちゃうよ!


 私がハンカチを取り出す前に、寿都君と呼ばれた青年が美人の両手を握った。


大祐だいすけ先輩、少しは人目を気にしてください。ずっと嫌がらせをされて、俺は困っているんですよ。責任取ってくれませんか?」


 嫌がらせの内容、詳しく! 私は空気そのものです。どうか、二人だけの空間だと思って、包み隠さず話してください! それから、責任の取り方についても。


「寿都君。そんなに触らないでください。どれだけ触っても、何も出ないですよ」


 またまた、何も出ない訳ないでしょうに。

 寿都君が口を開いたのは、私の心の声と同時だった。


「じゃあ、俺から門別もんべつ先輩に触らない方がいいってことですよね。これから気をつけます」


 BL喫茶なんて、どうせビジネスとしての愛しか見せてもらえないと高をくくっていた。だが、現在進行形で進んでいる恋愛模様は、明らかに真実の愛だ。


「ずるいですよ。買出しに出かけた子が戻ってくるかもしれないから、わざわざ寿都君呼びを続けているのに。下の名前でおねだりしたくなってしまうでしょう」


 寿都君の右手を自らの頬に当てた大祐先輩は、潤んだ瞳で言い過ぎたことを詫びる。


 まだドリンクの注文をしていないのに、こんなに甘い展開を味わってしまっていいのですか。

 とりあえず、イベントが発生しそうなオムライスを注文した私は、一時間と経たないうちに昇天したのだった。




 お腹も心も満たされて、思い残すことは何もない。今度こそ帰ろうとした私の目に、劇に出ていた王子と姫の姿が映る。しかも、ギャルっぽい見た目の女子に囲まれているではないか。スマホを向ける彼女達は、可愛いとかウケると連呼して勝手に盛り上がっている。


 勝手に写真を撮るんじゃない! パシャパシャと耳障りな音を出して。お前らの勝手な行動が、ハッピーエンドに影響したらどうしてくれるの?

 うわーん! 本当は声を大にして言いたいのに。清雨似の受けが駆けつけてくれるんじゃないかって、本能が叫んでしまっているんだけど! 腐女子の魂が憎い!


「いかがなされましたか? スマホを忘れておりましたので、至急追いかけたのですが」


 冷ややかで、それでいて悪魔のように甘美な囁きが聞こえた。振り返った先には、さっき給仕してもらった長髪の店員がいた。


「あの王子が無理やり写真を撮られていて。助けてあげたいんです。勝手にネットにばらまかれなんてしたら……」

「かしこまりました。お客様」


 王子と姫は何も知らない。高らかに笑っていた女子高生らの顔が青くなり、無断で撮った写真を全て削除する過程を。別の場所で校内巡回中の寿都もまた、盗撮犯を捕まえていたことを。


 それぞれの恋路は、壁のみぞ知る。

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