第9話(最終話)
それから半年が経った。
僕は彼女の実家を訪れて仏壇に参拝をした。彼女の両親と少しだけ会話をした。ある封書を渡されたので中を開けてみると、死亡届のコピーした用紙が入っていて、死因の詳細の欄を見て目を疑った。
グレード3の脳腫瘍が肺に転移していたという。いつから症状が出ていたのか伺うと、亡くなる1年前だと言った。
彼女は何の気も無しに気丈に振る舞いを見せていたのかもしれないと言ってきた。生前はそんなに痛々しくしている様子や顔色など全くもって感じはしなかった。
いつものあの男勝りで僕に威勢よく体当たりしてきた姿しか思い浮かばない。そうか、誰よりも強く元気に生きている存在を見せつけたかったのかもしれないな。
しかし、自殺を図ったのは本当に病気が原因なのだろうか。いなくなってしまった相手に問うても何の返事すら返ってはこない。
お互いは肉体関係だけの間柄だったに過ぎないが、僕個人としてはそうではなかった。彼女という存在がとても色濃く爪痕を残すように身体に刻まれているのだ。
それはきっと僕だけではなく、家族や知人など彼女を知る人間たちも似たような思いで、彼女という存在の
そう、彼女は重たい存在ではない。比重があまりにも軽すぎたんだ。
いくら生きた証を残したとしても、人間の在り方次第で比べものにされてしまう。僕らだってそんなちっぽけな欠片の片隅でいつしか死を待ちながら生きている生き物なのだ。
後悔しないように生きて生きて、生きた証を遺してやるという思いを焼き尽くす生き物はこの地球上に「人間」しか脳が伝達して考えないのだ。
だけど、比べてなんかはいけないのだ。
どんなに野蛮じみた彼女の性格や性癖でさえも、僕は僕なりに受け入れてきた。抱きしめても透明人間みたいに腕の中をすり抜けては
薄っぺらの蝋燭が彼女の一生の「命」だったとしても、人間として僕の前に現れた。横柄だったかもしれないが、それが彼女のそのものの存在だった。
人通りの多い街路樹沿いを歩いて信号を待っていると、対向車線の向こう側の歩道に歩いている人達の流れに目が行った。よく見てみると、その人混みの中にある女性の姿が見えたので、僕は思わず息を飲んだ。
彼女が歩いていた。
居ても立っても居られず、車のクラクションに混えて大声で彼女の名前を呼んだ。
「
周りの通行人がまじまじと僕の叫び声に反応して横目で眺めていた。しかし、彼女は気づいていなかったので、信号機が青に点滅しすぐさま走り出して行った。辺りを見回したが、もう既にその姿は無かった。
ただの錯覚だったのか、何の為に姿が見えたのかわからないまま僕は途方に暮れながら家路を戻って行った。
自宅に帰って玄関を開けると、アキの靴が置いてあった。
「連絡したんだけど、気づいてなかった?」
「すまない。急用があって出れなかった」
「今日は俺が夕飯作るから、かけて待っていて」
「俺も、手伝う。何から支度する?」
「じゃあ炊飯器の準備して。」
手を洗い2人で支度を進めていった。
鶏の手羽先煮に茄子と大根の煮物、そして味噌汁に白いご飯。僕らの好きな和物でテーブルを彩った。後片付けは僕が行なった。鍋を洗い終わったところで、僕は不意に以前彼女が亡くなる前日に夕飯を作ってくれた時の表情を思い出した。何かにきづいたのか、アキが近づいてきた。
「想ちゃん、大丈夫?」
「何?」
「泣いている。何かあった?」
「……昔の事を思い出していた。大した事じゃない。気にするな」
「彼女の事?」
「……ああ。前に飯作ってくれた事があって。唯一の一度だけの手料理。俺……あんな風に優しくされたの……なかったからさ」
僕は涙が止まらなくなってしまった。それを見かねたアキは僕を抱きしめてきた。
「1人で、抱えるんじゃない」
「まともじゃなかったけど、それでも良かった。あのままのあいつでいいんだよ。俺……あいつが好きだった……」
彼の肩にもたれて頷いた。当時の出来事を最後まで全部話した。恥ずかしかったけど彼はずっと僕の目を見ながら聞いてくれた。
これから長い
人の在り方をもう一度わきまえて、僕は彼とともに生きていく決意をした。
彼女の
特別なものを手に入れた訳ではないが、その方舟に揺らされてさすらい続けながらようやく陸地に辿り着いた。
陰日向に咲く色彩溢れる愛たちよ、ここで生きる事の意義を探していこう。僕はこの湖水から湧き流れる水に身体を浮かべながら
了
晦渋という耐えがたい存在の軽さ 桑鶴七緒 @hyesu
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