第11話 胸の暖かさ


ふわふわと不安定な、まるで水の中を漂っているような感覚。

悩みも苦しみも怒りも、全て忘れてただただ流れに身を任せる。

すると、いつから隣りにいたのか。

一人の少女が、繋いだ手をさらにきゅっと握って、一切曇りのない笑顔を浮かべる。


「お姉ちゃん!これからも一緒にたくさんの人を助けようね!」


久しく目にしていなかったその笑顔は、イザベラが唯一幸せだった時に当たり前のように見ていたもので。

何をしても思い通りに行かない現実で、強かに生き続けてはいるものの、イザベラだって20を少し越えたばかりの女の子。

壁にぶつかる度、何度も苦しみから逃れたくて、母の後を追おうとした。

しかし、その度に彼女を引き止めたのは……。


「………ライザ」


そう呟くとともに目を覚ましたイザベラは、つーっと一筋の涙が流れていくのを感じた。

それは幸せな過去の夢にもっと居たかったという寂しさからのものでもあったが、それ以上に悪夢続きだった毎日の中、ようやく幸せな夢で目覚めることができたという安心も大きかったようだ。


「………もう一度寝ればまた見れるかしら」


ぽつりと独り言を呟くイザベラは、寝起きのぼーっとした頭で、ただただ白い天井を見つめていた。

が、その視界に、突然ひょいっと見知った顔が現れる。


「何を見るの?」

「っ……!!?」


完全に自分一人の空間にいると思っていたイザベラは、突如現れた親友の顔に驚き、思わず跳ね起きてしまった。

結果、仲良く額をぶつけ合った二人は、しばらく苦悶の表情で額を押さえることになる。


「………急に跳ね起きないでくれる?」

「………それを言うなら、急に声掛けないで」


隊長という立場にいるからこそ、普段は全く隙を見せない二人の珍しい姿。

だが今、そんな二人の姿を見る者は他にいない。


「……ジン様は?」

「さあ?さっきまでいたけど、『ちょっとイザベラさん見ててもらっていいかな』って言って、どこか行ったわ」

「………そう」


ロゼアの返答にイザベラは、素っ気なく返事をしたが、その顔にはホッとしたような表情が浮かんでいて。

目敏くそれに気づいたロゼアは、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。


「何、好きになっちゃったの?」

「は?」

「だって、あの男性嫌いのイザベラ様が、素直に抱きしめられた挙げ句、すんなり言う事聞くなんて」

「っ……それは……」


今更になって、昨夜のジンとのやり取りをロゼアに見られていたのだということに気づいたイザベラは、気まずそうに目を逸らす。

そんな親友の姿を見たロゼアは、意外そうに目を大きくした。


「え、本当に?」

「そんなわけ無いでしょ!変なこと言わないで」

「ふーん……まぁ、そういうことにしておくわ」

「何よその意味深な……」


含みのある物言いをしたロゼアに、イザベラが反論を重ねようとしたその時。

ガチャリと部屋のドアが開いた。


「あ、イザベラさん起きたんだ。どう?体調回復した?」


寝ずにイザベラを看病していたとは思えないほど爽やかな笑顔を浮かべるジンは、その手にトレーを持っていた。

『まさか自分の食事を持ってこさせてしまったのか』と内心焦りながらも、イザベラはベッドに座った体勢のまま深く頭を下げる。


「おかげさまで十分な休息が取れました。ご迷惑をおかけし申し訳ございません」

「そんな。謝らないでよ。ほら、これ朝ご飯。食べれそうだったらでいいんだけど……」

「……頂きます」


持ってこさせてしまったものは仕方がないと、素直にトレーを受け取ったイザベラ。

それを足の上に乗せると、匙を手に取り、まだ湯気を立てている卵粥を一口すくい口に入れた。

瞬間、イザベラの垂れ目がちな目が見開かれる。


「……美味しい」


ジンとロゼアに見られているということも忘れて、思わずそう呟いてしまったイザベラの言葉に、何故かジンが過剰に反応した。

ぱぁっと顔を輝かせると、嬉しそうな笑顔で『本当に!?それならどんどん食べて!』とイザベラに笑いかける。

そんなジンの反応を見たイザベラは、『まさか……』と思いながらも、次を食べる前にジンに尋ねた。


「あの……このお粥って、ジン様がお作りになられた……わけではないですよね?」


イザベラがジンに放った質問を傍らで聞いたロゼアは、ギョッとした顔でジンへ視線を移す。

当然のことながら、ジンが持ってきた食事は、料理長のフォルマが作ったものだと思っていたのだ。

まさか、男性が女性に料理を作るなど、使用人のようなことをするはずがない。

そう思っていたのだが……。


「そう、俺が作ったんだ。口に合ったのなら良かったよ」


一切曇りのない満面の笑みでそう答えたジン。

イザベラに注意され己の行動を反省したジンだが、そもそもがズレているため、この世界の常識に合わせるのはまだまだ難しそうだ。

一方、ジンの回答を聞いたイザベラは、改めて手元にある卵粥に目を移す。


(……ジン様が作ったのなら、全部食べなきゃダメよね。食べれるかしら……)


元々食が細いイザベラにとっては、健康な時ですら深皿に入れられた1人前の粥は少し多くて。

それでも、ジンが男だからと言う理由ではなく、わざわざ作ってくれたという気持ちを汲んで、無理矢理にでも完食しようとした。

しかし、その時。

ふわっ……とイザベラの頭にジンの大きな手が乗る。

そして、イザベラの顔を覗き込んだジンはニコッと笑いかけた。


「無理しなくていいからね。余ったら俺が朝ご飯として食べるから」

「……あ。……はい、ご配慮ありがとうございます」


常識外れのジンだが、こういうところは何故か敏い。

結局、ジンの言葉に甘え、半分ほど食べて皿をトレーに戻したイザベラは、再度ジンに礼を言った。


「お粥、美味しかったです。ありがとうございました」

「お粗末さまでした。顔色も少し良くなったね」

「……はい、おかげさまで」


ここまで自分のことを考えて、本当の優しさを見せてくれるジンを、これ以上嫌悪などできないのだろう。

素直にジンに礼を言ったイザベラは、ちらりと壁に掛かっている時計に目をやった。


「それではそろそろ、仕事の方に向かいたいと思います。……よろしいでしょうか」

「ふふっ、流石に今日も一日寝てなさいなんて言わないよ」


イザベラの健康を考えると同時に、彼女が抱く治癒師という仕事への情熱も理解しているジンは、すんなりイザベラの言葉を受け入れた。

それを聞いてホッとした表情を見せたイザベラは、いそいそとベッドを降り、改めてジンにお辞儀をする。


「ベッドを使わせていただいてありがとうございました。支度のため自室に戻らせていただきます」

「………」

「……?な、何か私の顔に付いていますでしょうか……」


イザベラの言葉に対して突然反応を見せなくなったジンは、イザベラの顔をジッと見つめ、何やら考え込んでいる様子。

すると急に、


「あのさ、今日、イザベラさんの仕事場について行ってもいいかな?」

「え……?き、今日は街へ怪我人の治療に向かう予定ですので、見て面白いものはないと思いますが……」

「うん、それでもいいんだ。ダメかな?」


この程度の男性の頼みを、女性であるイザベラが断る権利などないに等しい。

が、本気で断られる可能性を考えているジンは、恐る恐るという様子でイザベラの返事を待っている。


(………ただの好奇心かしら?そう言えば、魔の森へが立ち入り禁止になったから冒険者としての仕事ができないのよね。そういうことなら……)


ジンからの申し出の真意を計りかねるイザベラだが、単なる暇つぶしだろうと結論づけたようだ。


「そういうことでしたら、是非。準備をしましたら再度ジン様のお部屋へ参りますので、そのままご案内させていただきます」

「……!!ありがとう!待ってるね!」


イザベラの返事を聞いて、ぱぁっと顔を明るくしたジン。

そんなジンの頭に、パタパタと嬉しそうに動く犬耳が見えてしまったイザベラとロゼアは、『疲れてるのかしら……』と思わず細めた目をゴシゴシと擦るのだった。






◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「あちらが現在被害を受けた怪我人が集められている場所となります」


あの後、仲良く騎士団の宿舎を出たジンとイザベラ。

まだロベルタの街に来てから日が浅いジンのために、イザベラが簡単な街の説明をジンにしながら歩くこと約10分。

目的の建物が2人の前に現れた。


「本来は集会所として利用されていますが、現在は臨時の治癒院のような場所になっております」

「そうか……。未だ魔物の被害は収まっていないんだね……」

「はい。死者はまだ出ていませんが、かなりの重症者もいますので、予断を許さない状況です」


怪我人の状況をジンに説明しながら、集会所の中に足を踏み入れたイザベラとジン。

すると、また新しい患者がやってきたと思ったのか。

集会所の中にいた4番隊の隊員が、緊張した面持ちで一斉にバッと顔を上げた。

が、そこにいるのがイザベラだと分かると、皆一様に『助かった……』と安心した顔を見せる。


「イザベラ隊長!良かった……。重症者の対応が追い付いておらず、すぐにご対応いただきたいのですが……」

「分かったわ。……ジン様、大変申し訳ございませんが、案内はここまでとなってしまいます……」

「うん、大丈夫だよ。行ってあげて」

「ご理解ありがとうございます」


何の抵抗もなくジンに頭を下げるイザベラを見て、驚いた顔を見せた4番隊の隊員たち。

しかしすぐに、今は人命がかかっている仕事中だと気を引き締め直す。

そしてイザベラも、集会所奥に集められている重症者のスペースへ移動しようとした。

その時。


「おい!貴様今までどこで何をしていた!!」


そう声を荒らげながら、突如集会所に入ってきたのは、一人の老人。

70歳は超えているだろう彼は、特に体に問題がある様子もなく、スタスタと歩いてイザベラの前へ立つ。

そして、唾を飛ばしながら、しゃがれた声でイザベラを怒鳴りつけた。


「貴様が昨晩ここにいなかったせいで、いつもの睡眠薬を受け取れなかった!!だからワシは昨日熟睡できんかったんじゃぞ!!」

「………申し訳ございませんでした」

「申し訳ございませんで済む問題か!!ワシが良いと言うまで、ここで土下座しろ!!」

「ザルグ様、大変申し訳ございませんが、今すぐ治療が必要な者がおりまして……」

「黙れ!!どうせ女だろう!そんなもの放っておけ!早く、言う通りにせんかっ!!」


生死の堺を彷徨っている重症者がいると分かっても、自己中心的な感情を優先するザルグという老人。

イザベラは、今すぐにも治療をしなければいけないのにと内心焦りながら、ここは言う通りにするのが最善だと考える。

そして、ゆっくりとザルグの前に膝をつこうとした。

が、それを優しく阻止する者が……。


「土下座なんてする必要ないよ」


ザルグとイザベラの間に入ったのは、今までイザベラとザルグのやり取りを静観していたジンだった。

イザベラを庇うように背中に隠すと、自分より遥かに小さいザルグを見下ろす。

突然、大男が自分の前に立ちはだかったことに臆して一歩後ずさるザルグ。

しかし、元来持つプライドの高さはそう簡単に曲げられないのだろう。

小さく声を震わせながらも、恐怖を無理やり吹き飛ばすように大声でジンへ食って掛かる。


「な、何じゃお前は!!ワシは今そこの役立たずと話してるんじゃ!関係ないやつは引っ込んでおれ!!」

「関係なくないからこうして間に入っている」

「なっ……!だ、黙れ!お前に何のっ……」

「イザベラが昨晩ここに来なかったのは、俺の命令だ」

「っ……。な、何だと!!」


今まで聞いてきたジンの声で一番低く、威圧感のある声。

それをジンの背後で聞いていたイザベラは、ジンが何故今日、自分の仕事場に付いて来たがったのか、その真意に気づいてしまった。

それは、今まで街の人々へ向けて治療活動をするのが『当たり前』になっていたイザベラが、それを破った時、『当たり前』を享受していた者たちから責められる可能性をジンが考えていたから。

そして、そうなった時、自分が盾となってイザベラを守れるようにと、わざわざここまで付いてきたのだ。


(この方はどこまで……)


今までは隊長として誰かを守る立場だったイザベラ。

そんな彼女は、久々に守られる側に立ったことで、慣れない胸の暖かさに涙腺が緩みかける。

が、今は涙を流している場合ではないと気を引き締め、一度深く深呼吸をした。

すると、まるでそれを待っていたかのようにジンが振り向き、イザベラに声をかける。


「イザベラ、重症者の治療を」

「はい。承知いたしました」

「なっ!!おい、何を勝手に!!まだ話は終わってないぞ!!」


ザルグがジンの影から、イザベラに対して声を荒げる。

が、イザベラはその声には一切耳を貸さず、重症者が集められているスペースへ部下とともに向かった。

そんなイザベラの後ろ姿を見たザルグは、わなわなと体を震わせる。


「貴様ぁっ!!ワシを無視したな!!不敬罪で警備隊に突き出してっ……」

「それは無理だろう」

「っ……!!何だと!!」


一貫して冷静なジンは、冷たくも聞こえる落ち着いた声で、ザルグに語りかける。


「見たところあなたは60歳を超えている。つまり、保護・優先等級は俺より下なはずだ」

「ぐっ……」

「イザベラはきちんと法に則って、従うべき者の言葉に従っただけだ」


ジンが放った言葉はこの世界の常識。

男性がこの世界において保護・優先される理由は、ただ数が少ないからではない。

人類が女性だけになり、生殖行為を行うことが不可能になることを阻止するためだ。

つまり、男性側に一番求められているのは『子作りが可能かどうか』である。

が、人間は60を超えれば自ずと精子は枯れていく。

そのため、男性であっても60歳を超えると、一律で保護等級というものが下げられ、優先順位が下がるのだ。

それは本来、男性の保護にかける経費を抑えるためのものである。

が、ジンは今回その優先権の高さを利用した。

男であることの特権を好まないジンにとって、その権利を振りかざすような行為は、あまりしたくなかっただろう。

しかし、イザベラを守るためには、自らの気持ちなど取るに足らないと考えたようだ。


「それだけ元気に騒げば、今日はゆっくり眠れるんじゃないか?」

「ぐぬぬぬっ……」


自分とジンの立場の違いに気づいたザルグは、何も言い返せず唸ることしかできない。

が、もう食い下がることもできないと分かったのだろう。

地団駄を踏むように荒々しい足取りで、集会所を後にした。

その後ろ姿が見えなくなるまで見送ったジンは、『やれやれ』というように息を吐くと、今度はその視線を集会所の奥へ向けた。


(………もうイザベラさんを責めるような人はいなさそうだな)


ジンとしては、怪我人の家族や友人からイザベラが非難されることを心配していたが、そちらは問題なさそうだ。

むしろ街の人々は、無理をさせていることを理解しているようで、『大丈夫?』『ありがとね』とイザベラを気遣う様子が見て取れる。


(この光景を見れば、イザベラさんが街の人達にどれだけ寄り添って来たかが分かるな……)


やることはやったと、集会所の壁際に移動したジンは、テキパキと部下に指示を出しながら治癒を行っているイザベラを見つめる。

その時、ジン本人は気づいていなかったが、集会所にいる多くの人々は気づいていた。

イザベラを見つめるジンの眼差しが、慈愛にも似た優しさを含んだ、暖かいものだったということに。

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男尊女卑の世界で最強の男は、それでも謙虚で…。 熾水 -Shisui- @horoyoi_91

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