第1話 常識が通じない男


ここアルトリア王国は、世界でも3本の指に入るほど広大な領地を持っていて、一年の前半は程よく温暖な気候。

後半は、寒いとまでは行かない、涼しく過ごしやすい安定した気候が特徴。

そのため、作物なども育てやすく、商業も発達している。

しかし、そんなアルトリア王国での暮らしにもデメリットがある。

それは、人々が住まう領地を囲むように広がっている、通称『魔の森』と呼ばれている危険地帯の存在だ。

街から出て少し森に入るくらいなら、危険度の低い魔物くらいしかいないため大して害はないが、森の奥に行くに連れ危険度が増していく。

命が欲しいのなら足を踏み入れてはいけないと、子供の頃から耳が痛くなるほど言い聞かせられる危険な場所なので、一般市民は滅多なことがない限り、森の入口付近以外には足を踏み入れない。

しかし、魔の森に足を踏み入れなければいけない者たちもいる。

なぜなら、魔物の繁殖スピードはかなり早いということが分かっていて、定期的に個体数を減らさないと、近隣の街に被害が出てしまうからだ。

そのため本来なら王国直属の騎士団である金色の騎士団、通称『金騎士』たちが定期的な討伐を行わなければいけないのだが、『いざという時に王様を守れない』という理由で、その仕事を民営の騎士団である黒銀の騎士団、通称『黒騎士』たちに全任しているのだ。

責務を放棄しているとも言える金色の騎士団に批判が集まりそうなものだが、そもそも一般的な認識として、それぞれの騎士団は守るものが違う。

金色の騎士団は、幹部が貴族男性で固められた貴族のための騎士団。

一方、黒銀の騎士団は、団員全員が一般女性で構成された市民のための騎士団なのだ。

黒銀の騎士団ができる前は、一般市民がいくら危険な目に遭おうと、王都ベルハイムに害が及ばなければ、断固として国は騎士団を動かさなかった。

そんな状況を見かねて一人の女性が0から作り上げたのが、黒銀の騎士団だ。

どれだけ功績をあげようが、国からは全く評価されず、支援金すらもらえない黒騎士たちは、市民からの寄付と、冒険者ギルドに寄せられるクエストをこなして何とか運営を続けている。

見返りなど求めず、ただ守りたいものを守るために戦える者のみが、その騎士団に所属しているのだ。

そんな黒騎士たちは、その日も魔の森で、騎士団の運営費のために討伐クエストをこなしつつ、森の魔物の個体数を減らす遠征を行っていた。


「補給係、食料はどれくらい残ってるかしら」

「はい。現時点で2日分はございます」

「そう……。クエストは今日で決着をつけるつもりだけれど、何があるか分からないわ。一食分を少し減らして節約して」

「はい!」


森の少し開けた広場で休息をとっている黒騎士たち。

黒銀の騎士団の由来は鎧の色から。

しかし、資金難のせいで鎧など身につけていない黒騎士たちは、最低限の急所を隠すだけのほぼ普段着と変わらない軽装備。

そのため、自ら名乗らないと黒騎士だとは分からない状態だ。

そんな彼女たちの中心で指揮をとっているのは、水色のロングヘアをなびかせた、一人の綺麗な女性だった。

騎士としては細身な体格の彼女は、右目に眼帯をつけており隻眼で。

それでも唯一見える左目は、氷のような冷たさを感じさせるほど鋭い圧を放っており、部隊長としての威厳を感じさせる。

と、そんな彼女が突然部下との会話を不自然に止め、口をつぐんだ。

何事かと部下の頭にハテナが浮かぶこと数秒。

彼女は、一切顔色を変えないままゆっくりと背後を振り返った。


「………誰?」


艶やかささえ感じさせるほどゆったりとした声は、その場にいる全員の耳に届き、雑談をしていた隊員たちの会話が一斉に止まる。

木々の揺れる音のみが漂う静寂の中、彼女の問いかけに答えるものはいない。

が、10秒ほどしても疑いが晴れなかったためか、木の陰に隠れていたその人は、観念したように隊員たちの前に姿を見せた。

そこに現れたのは、190cmを有に超えるガタイの良い黒髪の男。

よく見れば綺麗な顔立ちをしているのだが、それ以上に有り余る全身の野生感が隊員たちに圧を与える。

見るからに戦闘向きな彼に対して、黒騎士たちは一様に警戒心を抱いた。

が、それ以上に彼女たちを動揺させた感情は『驚き』だった。

その理由は、魔物が蔓延る危険な森に現れた者の性別。


「な、なんでこんなところに男が……!」


下っ端の隊員が思わず声に出してしまった言葉は、この場にいる皆が思っていること。

しかし、この世界で男を前に女が悠々と座っていることなど許されない。

そんな共通認識の元、指示も何も出ていないのに、座って休んでいた隊員たちはすぐに立ち上がり直立の姿勢を取る。

部下が皆正しい対応をしたことを確認した部隊長の女性は、突然現れた男に向き合い、静かに頭を下げた。


「男性様とは知らず失礼な物言いを致しました。大変申し訳ございません。私、黒銀の騎士団第3番隊隊長のレイラと申します」


動揺を微塵も表に出さず涼やかに挨拶をしたレイラだが、内心冷や汗をかいていた。

というのも、この世界には昔からの常識として、男尊女卑という考えが強く根付いている。

そのため、先程のレイラの言葉遣いと、その後部下が男性を『男』呼ばわりしたことは、相手によっては不敬罪として扱われてしまう可能性のあることだったのだ。

すごく細かいことだが、『男性様が白を黒と言ったのなら、それは黒だ』という考えをする過激派もいるため、女性は気にし過ぎだと言われるくらい気をつけなければいけない。

しかし、今回の相手は大して気にしていない……なんて言うレベルではなく、挨拶をしたレイラに対してペコリと頭を下げた。


「丁寧にどうも……。私はジンと言います。拠点となる街を探しているところです」


とても簡素な挨拶。

しかし、その場にいる全員が、彼の挨拶をすぐに理解することができなかった。

なぜなら、この世界に女に対して敬語を使う男などいるはずもないのだから。

男女比が2:8と偏っているこの世界では、人類の存続のために男性を保護する名目で男尊女卑という考えが昔から根付いている。

だからこそ、この世界で暮らす人々は、小さい頃から『男は女よりも偉い』という基本概念を植え付けられる。

母親ですら息子が生まれれば必ず敬語を使うし、物心ついたばかりの男児でさえ、毎日女性から過剰なほど丁寧に扱われ、女に何をしても怒られることがないと分かると、自然と女性を軽視していく。

それが普通。

それがこの世界の常識なのだ。

それなのに、今この男…ジンは、軽視すべき対象である女に礼を言い、敬語を使うという、『敬う行為』をしたのだ。

これには流石のレイラも唖然とした表情を見せる。

が、当の本人は凍りついたこの場の空気などどこ吹く風で、会話を続ける。


「騎士団とおっしゃいましたが、どの街を拠点にしていらっしゃいますか?もし良かったら同行させていただきたいのですが」

「………あ。え、っと……拠点……」

「……?」


質問の内容は極めて簡単なのに、驚きに飲まれてしまっているレイラは、まともに返答することもできない。

が、すぐに『女である自分が男性を待たせてはいけない』という植え付けられた考えが頭をよぎった。

一度深く深呼吸したレイラは、今経験している非日常を一旦受け入れ、ジンとの会話にだけ専念しようと気を引き締める。


「……失礼いたしました。我々黒銀の騎士団は、ここから馬で2時間ほどの距離にある『ロベルタ』という街を拠点としております」

「……ロベルタ。そこには冒険者ギルドはありますか?」

「はい、ございます。我々も今回そのギルドでクエストを受けてから、ここまで参りました」

「なるほど。でしたら、そのロベルタの街までご一緒させていただくことはできますか?」

「………」


ジンからの相談に、言葉を詰まらせるレイラ。

今の彼女の中には、ジンの提案を断るという選択肢はない。

アルトリア王国は、レイプや奴隷制、過剰な横暴などは法律で禁止しているが、それ以外のことは各々の裁量に任せられているのが現状。

そのため、ジンが男性である以上、この程度の提案は迷うことなく受けるということになる。

では、レイラが迷いを見せた理由は何かというと、それは今抱えているクエストをどうするかという問題だ。

今回受けたクエストの討伐対象はジャイアントベアという、E〜SSSまでの危険度の中でAクラスに当たるなかなかの強敵。

もちろん今回組んだ討伐隊は、ジャイアントベアを討伐できる前提で組まれているのだが、ジンが同行するとなると、彼を守るための人員を戦闘要員の中から割かなくてはいけない。

何かしらのトラブルがありジンが怪我をしようものなら、それ相応の責任がこの場にいる全員どころか騎士団にまで課せられてしまう可能性がある。

だからこそ今レイラは、ジンを守りながらクエストを続行するか、安全策を取り、違約金を払ってでもクエストを諦め、一度拠点に帰るか悩んでいるのだ。

が、そんな彼女の懸念を半分だけ理解したジンは、微塵も悪気などない表情で彼女が取れる選択肢を一つに絞った。


「あ、もちろん、クエスト中ということでしたので、クエスト完了したら街に戻るという形で構いません。……どうでしょうか?」

「………………かしこまりました。どうぞよろしくお願い致します」


覚悟を決めたレイラは、本来職務中には絶対に見せることのない、爽やかな笑顔をジンに向けた。

すると、ジンもほんの僅かに口角を上げ、再び頭を下げて礼を言う。

二度も男に頭を下げられ礼を言われるなど経験したことないレイラは、笑みを浮かべた自分の顔が引きつっているのを感じた。

このまま笑顔を浮かべ続けるのは不可能と判断した彼女は、くるっと後ろを向き背後で待機している隊員たちに向き合うと、端的に指示を出す。


「休憩終わり。荷物を片付けて移動するわ」

「「「「はい!」」」」


レイラの命令に統率の取れた返事を返した隊員たちは、テキパキと広げていた荷物をまとめ、戦場での相棒でもある愛馬の背に固定していく。

そして、最後に自らも愛馬に跨がり、いつでも移動できるよう待機する。

そんな中、あることに気づいたレイラは、隊員の中で一番下っ端のモネという女性を呼び寄せた。

ブルーのショートボブを揺らして駆け足でレイラの前に立つモネは、少し緊張した面持ちで指示を待つ。


「モネ。申し訳ないけど、あなたの馬をジン様にお貸しして」

「は、はい!かしこまりました!」


元気よく敬礼をしたモネは、愛馬のクルルクに『お客様だから落としちゃダメだよ』と不安そうに語りかける。

そして、少し緊張した面持ちで手綱をジンに渡した。

すると、素直にその手綱を受け取ったジンは、何を思ったかクルルクの目をジッと見つめる。

クルルクもその視線に応え、お互い無言で見つめ合うこと10秒ほど。

不意にジンがふっ…と表情を緩め、我が子を褒めるかのようにクルルクの頭を撫でた。

クルルクの方も甘えるようにジンに顔を寄せ嬉しそうに鳴く。

どうやら背中に乗ってもいいという許可が出たらしい。

ジンは軽やかにクルルクに跨がり、座り心地を確かめると、すぐにモネに対してちょいちょいっと手招きした。


「……あっ、え?」


人見知りのクルルクとあっという間に心を通わせてしまったジンを呆然と見ていたモネは、下っ端の自分に何の用があるのかと動揺を見せる。

が、先程のレイラと同じように『男性を待たせてはいけない』という考えの元、ほぼ無意識で、クルルクに跨がっているジンの方へ近寄っていく。

すると、


「ひゃぁっ…!!」


若干無理な体制で前屈みになったジンが、モネの体をくるっと半回転させ、後ろから両脇に手を差し込み、ひょいっと持ち上げたのだ。

予想外のことに素っ頓狂な声を上げるモネをスルーして、ジンは自らの前にモネを座らせる。

そのまま何事もなかったかのように、手綱を両手で持ち、レイラに声をかけた。


「こちら準備できました」

「………ぁ、いや。も、モネは別の隊員の馬に乗せても大丈夫ですが……」

「……?クルルクは加護が施された戦闘馬ではないのですか?でしたら二人乗りでも大丈夫だと思うのですが」

「あ、はい……ジン様が気にされないのであれば大丈夫でございます」

「……?」


男であるジンが女のモネのために馬を走らせるような形になることを気にしての提案だったのだが、ジンは全く気にしていない様子で。

結局、ジンの意思を尊重して、緊張でカチコチになっているモネに同情しながら、一行は移動を開始したのだった。

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