第8話 優しさ


「ニーナ!!」


突然血を吐き地面に倒れた妹に駆け寄るイーナ。

彼女は、何が起きたか分からないまま、何度もニーナの名前を呼び体を揺さぶった。

が、すぐにイーナの体を引き剥がすようにして、レモナがそれを止める。


「イーナさん!ダメです!動かさないでください!傷口が広がってしまいます!」

「え……?傷…口……?」


先程の毛玉ザルとの戦闘は皆無傷で終わったはずだ。

それなのに何故ニーナが傷を負っているのかと混乱するイーナの横で、険しい表情をしたレモナが、バッとニーナの服の裾をめくった。

露になったニーナの白くて細い腹。

その左側腹部に直径5cmほどの風穴が開いていた。

そこから流れた鮮血が少しづつ地面に広がっている。


「……ひっ…」

「な、なんで……こんな怪我……」

「さっきの毛玉ザルにやられた…の……?」

「いや、この傷跡は毛玉ザルのものじゃない。たぶんあの戦いの後に違う魔物にやられたんだと思う」


冷静に情報を整理しながら止血を試みるレモナ。

その傍らでジンは全神経を集中させ周りを警戒していた。


(まだ近くにいるだろうな……。とは言え、さっきの毛玉ザルもそうだったが、全く気配を感じない。……気配遮断のスキルでも持っているのか?だがそれなら目視は可能のはず……)


いつ次の攻撃が来るか分からない緊張感を感じながら、360度全方位を確認したジンだが、敵の姿を捉えることは出来ない。


(………という事は、気配遮断に加えて、透明化も出来るのか)


今1番高い最悪の可能性を冷静に受け入れたジンは、ゆっくりと目を閉じた。

風に揺られた葉の擦れる音、同行しているメンバーの呼吸音。

それらを感じながらジンはさらに集中を高める。

広範囲にではなく、自分を中心に半径10mほどの限られた範囲を対象にして。

音源が明確なものは省き、不明なものを探していく。

その時。




……パキッ…




木々の先の先に生えているような細い枝を踏み抜いた微かな音。

その音が聞こえた瞬間、ジンは瞳を開くと同時に、風の魔力を纏わせた左手を振るった。

風の刃が飛んで言った方向は何も無い空間。

だが……。




ギギャッ!!



甲高い鳴き声と共に、その空間に血飛沫が上がった。

同時に、ボトリと魔物の前足のようなものが地面に落ちる。

すかさずジンは同じ場所に風の刃を3つ立て続けに打ち込んだ。

が、それらは数メートル先の木を薙ぎ倒しただけ。

逸る気持ちを意識して抑え、再び目を閉じ、聴覚を研ぎ澄ましたジンだが、しばらく経っても魔物の反応はない。


(……逃げたか)


そう結論づけたジンは、周囲への警戒は続けて行いつつ、ニーナの傍にかがみ込む。


「イーナ。ニーナには聖魔法の適性は?」

「な、無いです……」

「……そうか」


レモナがヒールを使わず患部の止血に専念していることから薄々気づいていたジンだが、確実にとれる選択肢を消していく。


「レモナさん、今からニーナを騎士団に運んで救護室に連れて行ったら助かりますか?」

「……この小さな体に対して出血量が多いので、確実に助かるとは言えません。が、持ってきている道具では対処できませんし、ヒールが効かないので、騎士団へ運ぶしか方法は無いです。おそらく今日はイザベラ隊長もいらっしゃるので何とかなるかもしれません……」

「…………いや、確実でないなら止めましょう」

「し、しかし!他に方法がっ……」


自分が取れる唯一の選択肢を拒否されたレモナは、ジンに対し感情的に言葉をぶつけようとして、慌ててそれを飲み込んだ。

そんな彼女の前で少し考える素振りを見せたジンは、モネと目を合わせる。


「モネ。皆んなを騎士団まで護衛してもらってもいいか?」

「え……?じ、ジン様はどうされるのですか?」

「俺はニーナの治療を行ってからニーナと一緒に戻るよ」


さらりと言われたジンの言葉に、レモナが険しい顔で異を唱えようとした。

が、それを予想していたジンが、真剣な表情でレモナの言葉を遮る。


「時間がありません。私を信じてくれませんか。お願いします」

「我々がいてはいけないんですか?」

「はい。治療方法は見られたくありません」

「………」


不信感を抱かせるジンの言葉。

最近騎士団で寝泊まりしだしただけの男を、信じられるわけがない。

しかもレモナは今日が初対面だ。

が、悩むレモナが答えを出す前に、涙で顔を濡らしたイーナとサーナがジンの前に立つ。


「お願いしますです!ニーナを助けてくださいです!」

「……ニーナ助けて……お願いします…です」


ニーナと一番深い繋がりがある二人の言葉。

確実に助けられる選択肢がない今、家族である二人がジンを信じるというのであれば、それに文句を言える者など居ない。

そう考えたモネは、先ほどジンが切り落とした魔物の足を持って、レモナに声をかける。


「レモナ。ジン様を信じよう」


親友でもあるモネの言葉に、レモナは一度深く息を吐いて、こくりと頷いた。


「ジン様、それでは止血を代わって頂けますか」

「はい」

「………どうか、よろしくお願い致します」


ジンが本当にニーナを助けてくれるのかという不安も、4番隊の一員であるのに何も出来ない無力感も、全部押し殺してそう言ったレモナは、ジンに止血を代わるとすぐにその場を立った。

そうして、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしたモネたち。

ニーナと二人きりになったことを確認したジンは、覚悟を決めるかのように1度息を吐くと、止血のため患部を圧迫している手をゆっくりと外した。

そしてすぐに、ニーナの後頭部に手をやり、上体を起き上がらせる。


「ニーナごめんな。ちょっと我慢してな」


そう言うとジンは、ニーナの小さな唇に自分の唇を合わせた。

そしてレイリアを助けた時のように、自らの魔力をニーナへ流し込む。

気を失っていながらも違和感は感じるのか、ニーナの小さな体がピクっと反応するが、特に大きな反応は見せない。


そして、ジンの白い魔力が二人を包み込み、それが晴れた時、ニーナの傷口は完全に塞がっていたのだった。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




騎士団本部に戻ってきたモネたち一行は、すぐさま各々所属する隊の隊長へ事の顛末を報告しに行った。

もちろんレモナも4番隊隊長のイザベラへ報告すべく、救護室の隣に併設された4番隊の執務室へ駆け込む。


「イザベラ隊長!!」

「……どうしたの、そんなに慌てて。怪我人でも出たのかしら?」

「はい……!9番隊のニーナが魔の森で重症を負って……。で、でも今ここにはまだいなくて……!」

「落ち着きなさい」

「……っ」


冷静ながらも圧のある声でレモナをたしなめたイザベラは、目を通していた書類を置いてレモナに向き合う。


「私がする質問に答えて。ニーナの怪我の詳細は?」

「あ、えっと、左側腹部に直径5cm程度の外傷があり、腹から背中にかけて貫通しています」

「傷を負ってどれくらい時間が経ってる?」

「15〜20分ほど経っているかと思います」


レモナの回答を聞いたイザベラは、眉間に皺を寄せる。


「……危険ね」


そうポツリと呟いたイザベラは、次にゆっくりレモナに視線を合わせた。

その目には冷静さと一緒に、先程までは見せなかった怒りの感情が混在していた。


「で?患者の側にいるべきあなたが、患者を置いて帰ってきた理由は?」

「……それは、その……」

「早く言いなさい。状況を説明できるのはあなただけなのよ」

「っ……。……私には100%助けられる選択肢がありませんでした。そしたらジン様が…」


そこまでレモナが話した時、目を見開いたイザベラがガタッと音を立てて立ち上がった。

そのまま険しい表情でレモナに詰め寄る。


「あの人に治療を任せたの?」

「は、はい……。ジン様が治療するとおっしゃって……」

「……あの人のスキルを知っていて、その選択をしたの?」

「え?す、スキルですか?」

「……知らないのね。…………ならいいわ。パルダ」


レモナから視線を外したイザベラは、4番隊副隊長のパルダに声をかける。

突然声をかけられたパルダは、ビクリと体を震わせながら立ち上がる。


「な、何でしょうか?」

「悪いけど、今夜はレイラの部屋で寝て。後で話はつけておくわ」

「え?あ、はい……分かりました…?」


この状況で何故自分の寝床の話になるのかと戸惑うパルダだが、イザベラはそれ以上は説明しなかった。

代わりに、白衣を身にまといながらレモナに告げる。


「レモナ。この後ニーナが運ばれてきたらあなたが担当しなさい。おそらく今日一日安静にしていれば大丈夫だから、特別な処置は必要ないわ」

「え?で、でもニーナは重症を……」


言葉の真意が分からず言い淀むレモナを視線だけで制すと、イザベラはパルダに『ここは任せるわ』と一言告げて待機所を出て行った。


そんな彼女がロビーに向かうと既に、ニーナが重症だという報告を聞いた隊員たちが集まっていた。

前線で戦うことも多い騎士団では、団員が負傷することなど珍しくもない。

だが、死を覚悟するほどの怪我であれば話は別で。

戦い方以上に自分の身を守る術を叩き込まれる黒銀の騎士団では、1年間の死亡者は数えるほどしかいない。

そのため、ニーナの負傷は団員たちにとっても大きな出来事であり、自らの仕事の手を止めても安否を確認したいのだろう。

そしてその中には、ニーナの直属の上司である、第9番隊隊長のロゼアの姿もあった。

胸元まであるアッシュグレーの髪に、彼女の真面目さを強調させるような細いブラックフレームの眼鏡。

しかし、艶やかな切れ長の目と赤いリップの塗られたぷっくりとした唇が絶妙に大人の色気を醸し出している。

そんなロゼアは、サポートの仕事が多いため普段は9番隊の執務室にいることが多いが、ニーナ負傷の話を聞いてこうしてロビーに出てきたようだ。

彼女はニーナが運ばれてくるのを待ちながら、自らの服を小さな手で掴み不安そうな顔をしているイーナとサーナの頭を撫で、『大丈夫よ』と声をかけながら落ち着かせていた。

そこにイザベラが声をかける。


「ロゼ」

「……ベラ」


イザベラの姿を確認したロゼアは、冷静な表情で彼女を見返すが、発した言葉には少し棘があった。


「……ニーナが怪我をしたと聞いたわ。あなたの隊の子が例の男性様に治療を委ねたことも」

「レモナの未熟さは謝るわ。ごめんなさい。……でもあの子に選択権なんてなかったの。男からの提案をあの子が突っぱねることなんて出来ないもの」

「……不敬よ。言葉に気をつけなさい」


イザベラの男嫌いは騎士団では暗黙の了解となっているが、だからと言って看過できないと真面目なロゼアがたしなめる。

しかし、いつものことだが、イザベラは反省の色など見せず、ロゼアの言葉をスルーした。

イザベラのその対応に慣れっこなロゼアは、諦めたように溜め息を吐き、ニーナの件に話を戻す。


「その男性様はどれくらいの医療知識をお持ちなの?あなたの隊の子の代わりに治療をするんだから、それなりに経験はあるのよね?」


ロゼアの質問は患者側の立場として当然のもので。

質問という形式は取ったが、ロゼアからしては一応の確認というつもりだった。

しかし返ってきた答えは……。


「……さあ。分からないわ。少なくともあの人がきちんとした医療行為をしている姿なんて見たことない」

「………は?」


一瞬で顔色を変えたロゼアのこめかみに、血管が浮き上がる。

そのまま怒りの言葉を発しようとしたロゼアを、イザベラが手で制した。

そして、何故か眉間に皺を寄せ、心底憎らしいというような表情で言った。


「でも、私の予測が合っているなら……ニーナは無事よ」

「なんでそんなことっ……」

「来たわ」


ロゼアがイザベラを追求しようとした時、玄関付近でざわめきが起きた。

そして、何やら慌ただしい声がしたかと思うと、集まっていた団員たちが道を開けるように退く。

その道を通って、担架に乗ったニーナが運ばれてくる。


「ニーナ!!」

「……ニーナは無事……?……生きてる…?」


この場で1番心配していたであろうイーナとサーナが、救護室に向かう担架に駆け寄り、先導しているレモナに尋ねる。

すると、困惑したような表情をしたレモナが深く頷いた。


「傷は完全に塞がってた。呼吸も安定してるし、これから詳しく検査するけど……たぶん大丈夫だと思う」

「「……!!」」


レモナの言葉にイーナとサーナがぱぁっと顔を輝かせる。

そして、張りつめた糸が切れたのだろう。

安心してぽろぽろと大粒の涙を流し出す二人だが、すぐに礼を言うべき人がいることに気づき、その姿を探した。

が、既にその人は別の人間と話をしているところで……。


「あ、あのイザベラさん。頭を上げてくださいっ……」

「………」


戸惑うジンの前で深く頭を下げているのは、あの男嫌いのイザベラだった。

周りの団員たちは、信じられないという表情で目を見開き、その光景を見守っている。

すると、ゆっくりと頭を上げたイザベラは、しっかりとジンの目を見つめながら、謝罪の言葉を口にした。


「この度は我が隊の隊員が力不足だったことにより、多大なご迷惑をおかけしました。大変申し訳ございませんでした」

「い、いや……レモナさんはきちんと仕事をこなしていました。責めないであげてください」

「………ご配慮ありがとうございます」


感情の籠もっていない声でそう言ったイザベラは、こちらが本題とでも言いたげに、素早く話を切り替えた。


「少々お話を伺いたいのですが、お時間頂けますか?」

「え。あ、明日でも大丈夫ですか……?」

「いえ、今すぐにお願いします。私の部屋へ案内させていただきますわ」

「いや、あの……」

「……ああ、女臭い部屋に入るのは嫌でしょうか?それなら別の部屋を……」

「ち、違います!部屋に行くのは問題ないんですけど……」

「そうですか。では、こちらです」


半ば強引に言質を取ったイザベラは、ジンを促して2階へ向かう。

後ろを確認せず歩いていくイザベラを無視できず、後に続いたジンは複雑な表情をしていた。

そうして、呆気に取られている団員たちに見守られながら、2階にあるイザベラとパルダが使っている私室に辿り着いた二人。


「どうぞ」

「………あ、あの」

「話は中でいたしましょう。どうぞ」

「……っ」


ドアを開けてジンが入るのをずっと待っているイザベラを見て、根負けしたジンは恐る恐るという様に中に足を踏み入れた。

ふわっと鼻腔を抜けるフローラルな香りを感じながら部屋の中ほどまで来たジンは、意を決してという様子でイザベラに言葉をかける。


「あ、あの……!申し訳ないんですが、治療方法についてはお話しできません。ただ、きちんと治療はしましたのでそこは信じ……」

「ここへ横になっていただけますか?」

「…………え?」


ジンの話を遮り、突然、ベッドに横になれと言うイザベラに、ジンは呆けた顔をする。

ジンとしては、レイリアの治療をした時のように、どう治療したのかを詰問されるのだと思っていたのだ。

イザベラが何を考えているのか分からないジンは、戸惑って何の行動も起こせない。

そんなジンを見て、小さく溜め息を吐いたイザベラは、ツカツカとジンの前に移動し、彼を見上げ視線を合わせると、これまた唐突に告げた。


「私、ユニークスキルを持っていますの」

「……え?……ユニーク、スキル…?」

「はい。範囲内の生き物の状態異常を“香り”で把握できる能力ですわ」

「……っ」

「ここまで言えばお分かりですよね?どうぞこちらに横になってください」


イザベラの言葉を受けたジンは、一瞬の逡巡を見せたが、すぐに諦めた様に彼女の言う通りにした。

靴を脱ぎ、普段イザベラが使っているベッドに身を横たえたジンは、静寂の中、棚から何やら道具を取り出し始めたイザベラの背中にぽつりと問いかける。


「…………いつから分かっていたんですか?私の能力が、相手の状態を治療するのではなく、“自分に移す”能力だって……」


イザベラには全てバレていると察したジンは、自らの口から己のスキルの詳細を明かした。

そんなジンの言葉に特段何の反応も見せなかったイザベラは、取り出した応急バッグの中を漁りながら何気ない口調で答える。


「ジン様がレイリアの治療を行った後、家の前で私とすれ違ったのですが、覚えていますでしょうか?」

「…………家の前。いや、覚えてないです……」

「その時にレイリアが発していた病魔の香りがジン様からしていたのです。その時はまだ分からなかったのですが、レイリアの家を訪ねたら病気が治っていたので、もしやと」

「…………なるほど」


完敗だと言いたげに目を閉じたジンは、警戒と緊張で強張っていた体から力を抜いた。

そんなジンの傍らに立ったイザベラは、『失礼致します』と声を掛けてから、ジンの服の裾を捲る。

すると、ジンの鍛えられた腹部が露わになり、その左側腹部に、貫通はしていないが深く抉れたような傷があった。

出血が止まっていないその傷口からは、今も真っ赤な鮮血がじわじわと滲み出ている。


「………ヒールで途中まで回復したのですね」

「はい。一応聖魔法の適性はあるのですが、適合率は低めで……。自然治癒力が高いので、これくらいなら寝たら3日ほどで完治するのですが、今回は出血が多かったので応急処置として……」

「良い処置とは決して言えませんが、出血を抑えるためには仕方がなかったとも言えますわ」


機械的にそう言ったイザベラは、テキパキと患部の消毒を行ってから、自らの右手を傷口にかざす。

そして、聖域の精霊を起源とした、7属性ある魔力の中でも珍しい聖魔法を己の右手に込めた。

ポゥっと彼女の右手から淡く白い光が発され、それは徐々に強く光るとともに、密度を高めながら重点的に患部を覆う。

すると、じわじわとゆっくりだが、視認できるスピードで抉れた肉が復元し始めた。

常人なら完治までに2〜3週間ほどかかるであろう傷を、圧倒的な速さで再生させていくイザベラ。

聖魔法が使える者なら、知識をつけ、練習さえすればヒールくらいなら使えるようになる。

が、今イザベラが行っているのは、特別な名前こそないが、彼女が独自に開発した治療法で、彼女以外にできる者はいないだろう。

豊富な知識、経験、そして何より、聖魔法の適合率が高くないと出来ない芸当である。

しかし、これだけの密度の聖魔法を使い続けるのは、いくら4番隊隊長のイザベラと言えど辛いようで。

5分ほど続けた頃から、イザベラの呼吸が少し乱れ始め、15分かけて完全に傷を塞いだ頃には、彼女の額には玉のような汗が滲んでいた。


「あ、あの……ありがとうございます。……大丈夫ですか?」

「………………問題ありません」


治療が終わり、体を起こすとともにイザベラを気遣うジン。

しかし、まるでジンに弱みを見せたくないとでも言いたげに、普段通りに振る舞うイザベラは、何事もなかったかのように使用した道具を棚へ片付けようとする。

が、体は嘘をつけないようで、白衣をまとった彼女の体がふらっとよろめいた。

慌ててジンが立ち上がり、イザベラの体を支える。

しかし、すぐに身を捩るようにしてジンの手を拒否したイザベラは、ふらつきながらも自分の足で立つことを選んだ。

そんな彼女を見て、ジンは思わず問いかけてしまう。


「……どうして私を治療してくださったんですか?」


男が嫌いなはずなのに、矛盾する行動をとったイザベラへの純粋な疑問。

しかし、その質問を受けたイザベラは、眉間に皺を寄せ、怒りの色を見せた。


「………それは私が、男が嫌いだという理由で治療を放棄するような人間に見えるということでしょうか?」

「あ、いや……」


声を荒げる訳でもなく、静かに怒るイザベラを見て、自分が彼女のプライドを傷つける質問をしてしまったと気づくジン。

気まずそうに目を泳がせるジンを見て、一つ溜め息を吐いたイザベラは、自嘲するように言った。


「……まぁ、そう見られても仕方ないでしょうけど。……確かに私は男性が嫌いです。でも、それ以上に治癒師という仕事に誇りを持っています。だからこそ、患者が女だろうが男だろうが、人間だろうがそうでなかろうが……私ができる限りの治療をします」

「………。……すいません」


堂々と自らの信念を話すイザベラに、ただただ申し訳ないと頭を下げるジン。

そんな彼を見たイザベラは、厳しい表情で言葉を続けた。


「……あなたは、簡単に女に頭を下げるのですね」

「……え?」

「女に敬語を使い、困っていたら手を貸し、病気や怪我をしている者がいれば己の身を犠牲にし助ける……。………楽しいですか?」


鋭い瞳に射抜かれ、予想外の言葉を投げかけられたジンは、思わず体を固くする。

ジンが今まで女性に対して行ってきた言動は、完全なる善意だった。

男女平等の世界という理想を叶えるために、せめて自分の周りだけでもと、そう考えての行動だった。

ジンの言動に悪意がないことは、流石のイザベラでも分かっている。

が、それでも……いや、だからこそ、イザベラは厳しい口調でジンに告げた。


「この世は男性優位。憎らしくも、これは法律で定められている絶対的なルールです。あなたがどんな考えを持っているのかは知りませんが、あなたが女性に与える優しさが、全て相手のためになるわけではないということを自覚して下さい」

「………っ」

「レイリアの件もニーナの件も、感謝はしていますわ。ですが、もし二人のせいであなたの身に何かあったら、罰を受けるのは女側なのです。下手したら、当事者だけではなく、その場にいて止められなかった人間にも罰が下されるかもしれません」

「…………」

「……三つ子たちはまだ若いので分かりませんが、少なくともレイリアは、あなたのスキルの詳細を知っていたら、そのスキルを使うことを良しとはしなかったでしょう」


口調こそ静かだが、その声には明確な怒りが含まれていて。

それを受けたジンは、自分では全く思いつかなかった考えに呆然とする。

そんなジンを見て、自分が伝えたかったことはきちんと彼に届いたと思ったのだろう。

言いたいことは言ったという様子のイザベラは、最後に自嘲するような笑みを浮かべ言った。


「どうぞ、私のことは自警団に引き渡して下さい。"個人的な"感情をぶつけて、一線を超えたことは自覚していますわ」


そう言うとイザベラは、率先して自警団に行こうとするかのように白衣を脱ぎだす。

が、そんな彼女の肩をジンの手がガシッと掴んだ。

ジンの突然のその行動に、流石のイザベラも怯えたような表情を見せる。

しかし、イザベラの目を真っ直ぐに見るジンの目は、曇りのない純粋な輝きを見せていて。


「ありがとう」


真面目な表情で、はっきりと告げられた感謝の言葉に、イザベラはジンの手を振りほどくのも忘れて固まる。

そんな彼女に、さらにジンは言葉を重ねた。


「俺、男女平等の世界をつくるのが夢なんだ。だから、まずは自分の周りだけでもって思ってたんだけど……。そうだよね。今すぐに世界を変える力もないのに、考え無しで世界に抗っても、周りを困らせるだけだよね」

「……なに…」

「ちゃんと教えてくれてありがとう。あと、嫌な役やらせちゃってごめん。これからはちゃんと考えて行動する」


自分の言葉を真っ直ぐに受け止め、反省し、真っ直ぐに返してきたジンに、イザベラは何も言えない。

いくら今まで良い顔をしていたジンでも、これだけ言われれば怒りを露わにすると思っていたのだ。

それなのに、怒るどころか感謝してくるジンを前に、イザベラは頭が真っ白になってしまう。

が、同時に無意識下で焦りを感じていた。

男など皆一緒。

女を蔑み、好きに弄び、それでも大した罪に問われない。

そしてまた同じことを繰り返し、女を迫害する。

だからこそ、イザベラは過去に自分の大切な人を傷つけ、奪った、男という生き物を一様に嫌っていた。

嫌うことが出来ていた。

そうすることが、男により命を奪われた大切な人への手向けになると、そう思っていたから……。

揺れる自らの心に気づいたイザベラは、ジンの手を力任せに振り払い、彼から顔を背けた。


「……治療は終わっていますが、今日はこの部屋で安静にしていて下さい」


治癒師として、何とかそれだけ告げたイザベラは、逃げるように部屋を出て行く。

ひとり部屋に残されたジンは、静寂の中、イザベラが出て行ったドアをしばらく見つめていた。

が、ふと、未だ彼女の温もりが残る左手に視線を落とした。

そして、イザベラに言われた言葉を思い返し、しっかりと心に刻むと、そっとその手を握り締めたのだった。

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