第2話

 あたしはリリに憧れている。


 出会った時から、リリはあたしにとって妖精のような存在だった。


 あの頃、リリはいつも泣いていた。上のクラスからも、同じクラスからも、皆から変だと言われていた。


 あたしは虐めをわかってなくて、リリの側にいた。


「ねえ、ココ、わたし、宇宙人なんだって……」

「宇宙人?」

「みんなと違うから……わたし……宇宙人なんだって……」


 リリの目から涙が落ちた。泣き顔もとても可愛くて、あたしは目を輝かせた。


「かっこいいー!」


 リリがきょとんとして……あたしを見た。


「だから、リリは妖精さんみたいにキラキラしてるんだね! 髪の毛も、おめめも、ずっとキラキラしてて、ココね! ずっとずっと、可愛くて、綺麗だなって思ってたもん! 宇宙人なら、納得した! かぐや姫だ!」

「……かぐや姫?」

「すっっっごく綺麗なお姫様でね、でも、最後は月に帰っちゃうの! ママがね、言ってたの! かぐや姫はね、宇宙人だったの! だからすっごく綺麗だったの!」


 リリはかぐや姫と同じなんだね!


「じゃあ、お月様から迎えが来るまで、ココ、リリと仲良くする!」


 あたしはリリの手を握りしめた。


「お人形遊びしよ! リリ!」

「……うん!」


 あたしとリリが笑い合って、二人で遊ぶ。お人形を箱から出して、仲間はずれにしてくる皆なんか知らぬ顔で、二人だけで、ずっと、長い間遊び続ける。


「リリ、大好き!」

「わたしも……!」


 リリが笑顔で言ってくれるの。


「ココが大好き!」




 ああ、……戻りたい。


 もう、目覚めたくない。








 けれど、目は覚める。


 日は登ってない。

 あたしは瞼を上げた。

 隣を見て、隣で眠る人物を見て、ここが現実であることを知らされる。

 時計を見て、もう一回寝ようとした。

 だけど、目を閉じたら不安になった。

 先の見えない未来を考えた。

 考えたら生と死について思考が動いた。

 あたしは耐えきれなくなって、壁に頭を打ち付けた。あたしは耐えきれなくなって、壁を叩きまくった。あたしは耐えきれなくなって泣いた。あたしは耐えきれなくなって、耐えきれなくなって、不安になって、壁に、手を、頭を、体を、頭を、頭を、頭を、あたし、頭から、血が出てくるまで、あたし、あたしは……。



「ココ、うるさい」



 リリの声で、あたしの動きが止まった。



「まだ朝じゃないよ」

「………………」

「ココ」


 手首を掴まれる。


「早く。隣。戻って」

「…………」

「ああ、可哀想に」


 リリの胸に抱きしめられたら、あたしは耐えきれなくなって――また、泣き始めた。


「ココ、私、ここにいるよ」

「……………」

「大好き。ココ。大丈夫。私が」


 その顔は、嬉しそうに笑っている。


「ココを守るから」


 優しく、あたしに囁いた。









 リリとの出会いは保育園だった。

 金髪の青い目、外国人顔の子供が現れたものだから、皆はびっくりして、リリを宇宙人と呼んでいた。

 でも、あたしはリリを純粋に綺麗だと思った。あたしは黒髪だけど、リリは星のような金髪で、あたしの目は黒いけど、リリの目は海のような青色で、あたしはすぐにリリを好きになった。

 まるで一目惚れのようにリリに近付きたくなって、リリが保育園にやってきたその日からずっと側にいたと……お母さんが言ってた。


 小学校に入ってからも、仲良しだった。

 小学三年生でクラスが変わった。

 クラスが変われば友達も変わる。

 友達が変われば話す機会が減った。


 お母さんが死んだ。


 初めてお父さんを見た。でも、あの人はお父さんではなかった。ただ、お金はくれる人だった。家と、生活費を与えられた。

 お母さんがいないから、あたしは一人で生活することになった。お腹が空いたら自分で作るしかなかった。何度か施設の人が来たけれど、誰かいるふりをしてた。お父さんに、そうしないとお金を渡せないと言われたから。

 人との交流場所は学校しかなかった。


 運のいいことに、友達には恵まれた。皆と遊んでる時はとても楽しかった。


 初恋を覚えてる。

 ユウジ君。

 好きって言ったら、俺も好きって言われた。

 手を繋いで歩いた。ユウジ君と一緒に歩けて、あたしはとても嬉しかった。


 でも、ユウジ君はリリを好きになった。だから、別れてほしいって言われた。えー? て思ったけど、小学生だったし、恋愛とも呼べない恋愛ごっこだったから、あたしはまた別の人を好きになることにした。


 でも、そこから……皆が恐らく、リリの魅力に気付き始めたのだろう。

 あたしが好きになった男の子は、全員リリを好きになった。


 廊下で、リリと目があった。あたしは目を逸らした。すれ違った。話すこともないし、頭の中もごちゃごちゃしてた。


 成長していく度に、リリは明るくて、輝いていった。あたしは暗くなって、どんどん透明になっていった。


 リリの周りは笑顔で溢れている。

 あたしの周りは、同情と優しさで溢れている。


 リリは心から笑ってる。

 あたしは心から作ってる。


 その時には、リリを嫌に思う自分と、リリを未だに大好きな自分が出来上がっていた。


 高校で離れると思ってた。

 距離を開けることに、あたしはとても喜んだ。リリの第一志望の学校を聞いて、あたしはめちゃくちゃ勉強した。

 せめて学業だけはと思った。

 リリの一個上の学校に行ってやろうって躍起になった。

 顔でも、性格でも勝てないなら、せめて、頭だけ。勉強だけはと思った甲斐もあり、あたしは高校を合格した。


 嬉しかった。喜んだ。

 リリと離れられることに心から嬉しかった。


 入学式、教室のドアを開けた。




 リリがいた。




 自己紹介の時から、皆の人気者になった。話し上手で、気遣いが出来て、誰にでも優しくて、成績トップで、友達が多くて、結局、あたしはリリに勝つ事が出来なかった。


 あたしは、心を無にした。

 大丈夫。話す機会はない。リリの周りはカースト一軍ばかりで、明るい子と、引っ張ってくれる子が多かったから。

 虐めはなかった。ただ、あたしが透明人間なだけ。


 ふと、リリを見た。リリは笑顔だった。

 ふと、鏡を見た。あたしは真顔だった。


(……ブス、だなぁ)


 あたしは手洗い場の水で手を洗い、ハンカチで拭った。


(あたしも美人だったら良かったのに)


 好きになった男の子も、気になった男の子も、全員リリを好きになるのは継続中。何も勝てないから、あたしは黙って諦める。


(高校卒業したら生活費止めるってお父さんから連絡来てたから、そろそろアルバイトしないと)

(あ、そういえば宿題出されてた)

(明日は体育あるな)


 色んな事を考えていたら、足が勝手に動き出した。


(あたし、この先……生きてていいのかな)


 色んな事がありすぎて、背負うのが苦しい。


(お母さんの側に行きたい)


 教室に戻ると、掃除班は既に解散して、もう誰もいなかった。


 だから、あたしは窓を覗き込んだ。ここから飛び降りたら、骨は折るだろう。でも、死ねるかはわからない。


(でも)


 物は試しだよね。


(すぐに意識が飛ぶかも)


 あたしは窓に足をつけた。


(あ、いける)


 体に力が入る。


(あ、)


 持ち上げようと、体が動き出す。


(やった)



 あたし、これで逝ける。




「危ないよ」




 振り返ると、リリが笑顔であたしを見てた。


「そこ、遊ぶ場所じゃないよ。ココ」


 飛び降りる場所すら、リリに奪われた気分だった。


「部活は?」

「……入ってない」

「あれ、そうなんだ。……家庭科部は?」

「……委員会の仕事じゃないの?」

「忘れ物取りに来たの。あった、あった」


 リリがノートを机から出し、再びあたしを見た。


「玄関まで一緒に行こうよ!」

「……」

「ん? 駄目?」

「……いや」


 その日はもう、飛び降りれなくなった。


「行こう」

「なんか久しぶりだね!」

「……そうだね」


 無邪気なリリ。あたしのしたいこと、あたしが側にいたい人、全部を無自覚に奪ってしまうリリ。嫌い。でも、人を嫌いになるなんて良くない。だから口では言う。好き。リリは良い子だよね。すごく優しい。でも内心、ずっと言ってる。嫌い。嫌い。嫌い。リリなんて大嫌い。あたしの先を行って、勉強も、人間性も全部完璧なリリなんて、目に入れたくないくらい大嫌い。声も聞きたくない。リリの存在自体忘れたい。関わった過去すら捨ててしまいたい。


 でもそれを口に出してしまえば、あたしは人から後ろ指を指される気がして、黙ってた。


「明日雨なんだって」


 リリの無邪気な声が耳に入ってくる。


「湿気で髪の毛どうかしちゃうよ。本当に嫌になる」

「……リリの髪の毛、ずっと綺麗だよね」

「【あで髪】だよ。あのコンディショナー、すごく良いんだよね!」


 お前はいいよな。お金持ちで。


「この間、ママにおねだりしてやっと買ってもらえたものがあって」


 お前はいいよな。親から愛されてて。


「明日の体育楽しみだなぁ」


 友達がいて、人気者で、ちやほやされて、成績優秀で、美人で、優しくて、誰にでも優しくて――。


「ココ?」


 お願い。


「顔青いけど、大丈夫?」


 殺したくなるくらい優しい声で、あたしを呼ばないで。


「低気圧で気分悪いのかも。早めに寝るよ」

「えー! 大丈夫!? 帰り、何か持っていこうか? 家変わってないよね?」

「いい、いい。大丈夫。委員会の仕事頑張って」

「本当に大丈夫?」

「うん。大丈夫」


 大丈夫じゃない。お前が憎い。


「じゃ、また明日」

「うん! また明日ね! ココ!」


 名前を呼ばないで。リリ。


「話せて楽しかった!」

「あたしも」


 お前なんか大嫌い。



 結局、その日、あたしがお母さんの元へ行くことはなかった。



(……あたし、最低だ)


 温かいベッドの中で、自分を責める大好きな時間が始まる。


(リリが、あんなに気を遣って話しかけてくれたのに、あたし、冷たい態度取ってた。返事もそっけなかった。どうしよう。なんでもっと人に優しく出来ないんだろう)


 あたしは最低な人間だ。

 だから一人で丸くなって、日記アプリに反省文を書くの。


 ごめんなさい。

 出来ない人間でごめんなさい。

 生まれてきてごめんなさい。

 いらない人間でごめんなさい。


 次の日も学校がある。

 また次の日も学校。

 アルバイトでは客に散々虐められた。

 それでもお金を貯めたら、この地域から出られる。お父さんのお金に頼らず生きていける。


 将来、あたしがなれる職業とかあるのかな。

 あたし、何になりたいのかな。

 高卒で就職って出来るのかな。


 沢山の職業が載った雑誌を見てみる。


(あ)


 保育士。


(……保育士か)


 まだ何も知らない子供達。苦しいことを知っているからこそ、何か、力になれることがあるかもしれない。


(働こう)


 働いて、お金を作って、大学は無理かもしれないけど、資格を取る学校代には届くかもしれない。


(勉強、頑張ろう)


 世界が輝いた気がした。勉強をする目的が生まれたのだから。わからないことは理解するまで勉強した。体育は苦手だったけど、少しでも成績を伸ばせるように頑張った。保育士について、図書室の本を読み漁って、本屋で保育士の勉強本を買った。それを毎晩やった。倉庫に置かれていたキーボードで簡単な曲を弾けるように指を動かした。考えることをやめたら、毎日が楽しくなってきた。目的に向かって走ると、リリのことを忘れることが出来た。


 リリに勝てなくたっていい。だって、あたしはあたしなんだから。


 お母さんの写真に手を合わせては笑顔になれた。


「お母さん、あたし、頑張るよ」


 勉強した。家でも、学校でも、保育士になりたくて、子供達の先生になりたくて、あたしは必死に勉強した。


 職業体験が実施された。

 あたしは迷わず保育園を選んだ。

 保育士を目指す上で、役に立てばと思った。

 当日の参加メンバーを見た。



 リリがいた。



「こんにちはぁー!」


 リリは笑顔を振りまいた。


「リリ先生って呼んでねぇー!」

「きれー!」

「外国人なの?」

「かわいいー!」


 リリは、子供達にとって珍しい容姿を持っていたので、まるでお姫様のように誰よりも大人気だった。子供たちはリリにばかり近づいた。リリが、とても綺麗だったから。


 職業体験が終わると、あたしは――なぜだか、勉強する気が失せた。そして、それが続き――参考書も読まなくなって――読んでも、無駄だと思うようになって――なんか、冷めちゃって、あたしは――保育士の本を全部捨てた。


「あれ、ココ。今日は勉強しないの?」

「ああ、なんか」


 窓を眺めながら、友達のアオイちゃんに返事をした。


「飽きちゃった」


 窓の向こうには、楽しそうなリリが歩いていた。












 ココの目が開いた。

 黒い瞳が私を見つめる。

 だから私は笑みを浮かべる。


「おはよう。ココ」

「……あたし、寝てた?」

「うん。ぐっすりだった」


 ココの髪の毛を撫でる。綺麗だな。ココの頭を撫でてみる。可愛いな。ココの頬に触れてみる。


(あれ?)


 ココが涙を流した。その瞬間が――見惚れるほど美しかった。


「……ココ?」

「……夢、見てた」

「どんな夢?」

「昔の夢。保育園の頃の」

「毎日遊んでたよね」


 幸せだった。ココが側にいてくれたから。


「覚えてる? いつもお人形遊びしててさ? お姫様になって、二人でいつも空想の町に出掛けるの」

「ショッピングに行ったり、お茶をしに行ったり、ドレスを買いに行ったり」

「お散歩したり、犬を飼ったり、猫を飼ったり、道中で……」

「王子様が現れたり」


 ――その瞬間だけ、黒い瞳は私に向けられてなかった。


「ココ」


 低い声で呼べば、ココの瞳がようやく私に戻ってきた。


「今日、土曜日だね」

「……うん」

「外に出たらばれちゃうから、今日はずっと一緒にいよう?」

「……うん」

「そうだ。生活用品揃えなきゃ」

「……お金ないよ」

「大丈夫。これから新しい口座にいっぱい入ってくるから」

「……え、なんで?」

「ココは知らなくていいの。でも、大丈夫。入ってくるから」

「……そうなの?」

「うん」

「……えっと、じゃあ……欲しいものある? 買ってくる……」

「じゃあ、お使いメモを書くところから始めないとね」


 ココの手を握りしめて、ココに寄り添う。ああ、幸せだなあ。


「ココ」


 ココが私を見てくれる。


「私がここにいて、幸せ?」

「……うん。嬉しい」


 リリを独占できる優越感。


「リリが側にいてくれる事が、すごく嬉しい」

「幸せ?」

「嬉しい」

「幸せじゃないの?」


 訊くと、ココは黙った。私はココを見た。ココは私を見つめている。でも、答えない。「幸せ」だと言わない。私はこんなに幸せなのに。ココは違うみたい。


 へえー。そっか。

 まだ、ココロが残ってるんだね。

 奪ったと思ったのに、いらないココロが存在しているんだね。


 じゃあ、これからはそれを奪ってあげる。


 ココの彼氏を取った時みたいに。

 ココの好きな人を取った時みたいに。

 ココの成績も、人柄も、評価も、夢も、希望も、全部奪った時みたいに。


 ココのココも全部、奪ってあげる。

 ココ。全部余計な物なの。

 ココはね、そんなこと考えなくていいの。

 何も考えなくていいの。


 よく理解してね?



 ココにはね、私しかいないんだよ。



「不安なんだね。ココ」

「……」

「大丈夫だよ。私がココを守ってあげる」


 暗い部屋に閉じ込められた私。


「だから、ココは堂々としてればいいの」


 全ての責任を背負わせ、ココに鎖を巻き付ける。


「私の言う通り動いてれば、ね? 大丈夫。全部大丈夫だから」


 ここは私達の楽園。


「ココ、目……瞑って?」

「……」


 ココが目を瞑ると、私から近づいて、ココの唇にキスをした。

 荒れた唇が、愛しくてたまらない。


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