本編

第1話


 あたしはリリに憧れている。


 あたしだけじゃない。

 リリは皆の【星】だった。

 SNSに顔写真を出せば、フォロワーはあっという間に増える。SNSに踊ってみた姿を出せば、たちまちバズる。ミスコン企画に参加すれば、圧倒的な票で優勝する。


 宇南山うなやま・デボルト・リリはカナダ人と日本人のハーフで、皆の憧れる高い鼻や青い目を持っていた。カーストで例えるなら圧倒的一軍だった。でもリリはカースト関係なく誰にでも優しかった。虐めや嫌がらせを下らないことと考える非常に頭が良くて、良い子だった。


 だから皆、リリを好きになった。

 男の子なんて、ちょっと優しくされたらすぐにリリを好きになった。


 リリが優しいのは、多分、幼少期に虐められていたからだと思う。金髪だったし、青い目だったし、一人だけ異質だった。だから成長して、美しくなったリリは誰にもでも優しくなったのだと思う。


 でも、あたしが優しくしたところで誰も何も思わない。

 リリが優しくすれば皆は喜ぶ。

 あたしが優しくしても誰も喜ばない。

 だって、それが当たり前。


 リリが笑顔を浮かべれば男の子はリリを好きになる。

 あたしが笑顔を浮かべれば男の子は何とも思わない。


 リリはクラスの人気者。

 あたしはただのクラスメイト。


 リリは皆の憧れ。

 あたしはただの人間。


 リリが笑顔を見せた。

 それはあたしに向けられていた。



 それが、全ての引き金だった。




 一人でいるところを狙った。


 あたし、野球のバッドを盗んだの。


 リリが委員会の仕事で残ってたから。


 暗い道に誰もいなかったから。


 リリが靴を履き替えていたから。


 だから、


 あたし、



 だから――。




「ありがとう」





 リリが言ったの。













「誘拐してくれて」









 鈍い音が響いた。



 真っ赤な血が、玄関を濡らす。









(*'ω'*)





 頭に包帯を巻いたリリは、先ほどからパソコンを弄っている。

 一方、あたしは膝を抱きしめ、倉庫の隅でガタガタと震えている。


「これで良し」


 リリがあたしに振り向いた。


「これで大丈夫だよ」

「……何が……?」

「IPアドレス隠して、アンチウイルスソフトも入れたから……これでどこ触ってもばれないと思う」

「え……何それ……」

「IPアドレス辿られたら居場所ばれちゃうの。そうなったら、ここに警察がやってきて、私を見つけちゃうかもしれないでしょ? だから、ね、今隠したから、もう大丈夫」

「……」

「うーん、ニュースになってるね」


 女子高生行方不明。誘拐の可能性。


「早く飽きてくれたらいいんだけど」


 >おまわりさん、犯人ここです!

 >今頃レイプされてるんだろうな。

 >この子めちゃくちゃ可愛い。

 >絶対性格悪い。


「あ、それは正解」


 リリが掲示板を閉じ、またあたしに振り向いた。


「今朝作ってもらった通帳貸して」

「つ、通帳……あ……えっと……」


 あたしは急いで鞄の中を覗き、新品の通帳をリリに渡した。


「これ」

「ありがとう」


 リリが何かのHPにあたしの名前を入れて登録し、通帳に書かれた口座の番号を登録し始めた。何をやっているのかはわからない。それを詮索する余裕もない。あたしの頭にあるのは一つだけ。


(どうしよう)


 あたしの家の地下倉庫。


(どうしよう)


 行方不明となったリリ。


(どうしよう)


 あたしが連れてきた。頭を思い切り殴って、キャリーケースに入れて、倉庫に運んで、死んだと思ってベッドに運んだら、普通に生きてた。あたしの血の気が引いて、通報されると思って、だからどうしようと思ってパニックになって。


 でも、リリは優しく言ったの。


「大丈夫だよ」


 あたしを優しく抱きしめて、囁いた。


「絶対ばれないようにしようね」


 天使のような笑みをあたしに浮かべて、あたしがするべきことをリリが1から10までメモに書いた。今朝はそれをあたしが行って、帰ってきたらリリが10から100のことを始めた。あたしはどうしていいかわからず、ただ壁の隅で震えているだけ。どうしようと頭を抱えているだけ。馬鹿なことをしたと自分を責めるだけ。


(なんであんなことしちゃったんだろう……!)

「これで良し」

(どうしよう……! 警察、どうしよう、医者に、えっと、どうしよう……。どうしよう……!)

「ごめんね! お待たせ!」


 リリが笑顔で部屋の隅にいるあたしの側に駆け寄ってきた。あたしは小さく悲鳴を上げ、さらに膝を抱きしめて、縮こまった。そんなあたしを――リリが優しく抱きしめた。


「寂しかったよね。ごめんね。ほっといちゃって」

「……」

「でもね、もう大丈夫。絶対にばれないから」

「……」

「怖かったよね。でもね、もう大丈夫だから安心して?」


 リリが優しい声で囁いて、あたしの背中を優しい手で撫でた。その感触が、とろけるくらいに気持ちよくて、あたしは――少しだけ――安心した。けど、やっぱりまだ胸がざわついている。どうしよう、でも、どうしよう。


「ちゃんとアルバイト辞めること言った?」

「言った……」

「それなら良かった! 生活費のことは心配ないからね!」

「リリ、やっぱり……やっぱり……」

「どうしたの?」


 優しい声で言ってくる。


「誘拐犯がそんな顔してちゃ駄目だよ」


 あたしは俯いた。やっぱり、


「自首する……」

「んー」

「あたし、本当に馬鹿なことしたって、思ってるから」

「大丈夫」

「なっ……殴るなんてっ……! 本当に……あたし……どうかしてた! 馬鹿だった!」


 リリがパニックになって泣きじゃくるあたしの頭を撫でる。


「ごめん、リリ! 本当に、ごめん!」

「私なら大丈夫。きっと神様がね、誰も罪人にしたくなかったんだよ」

「でもっ、血、あのっ、……怪我が!」

「包帯巻いてくれたから、もう平気!」


 リリは優しい笑顔を浮かべる。


「大丈夫だから!」

「ごめん……、リリ、ごめんね……!」

「怒ってないし、私、恨んでないよ。ね、安心して。泣き止んで?」

「ごめんなさい……! ごめんなさい……!!」

「うん。そうだね。……聞いてもいい? ココ」


 リリが笑顔のままあたしの顔を覗いてきた。


「どうして私を殴ったの?」


 あたしは――黙った。

 けれどリリは、とても真っ直ぐあたしを見つめてくる。その瞳は純粋な子供のように綺麗で――そんなクラスメイトを――あたしは、後ろから、


「ごめんなさい」

「謝ってほしいわけじゃないの」

「ごめんなさい」

「ココ、私聞いてるよね?」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「謝ってほしいなんて言ってないんだけど」

「ごめっ」


 ――リリに頬を叩かれた。


「聞いてるよね?」


 あたしは叩かれた頬に触れ、リリを見た。リリは――やはり、笑顔だった。


「どうして、後ろから、バッドで、殴ったの?」

「……」

「答えて」

「……、……、……その……、……、……」

「……」

「……………………………………」

「……うん。わかった」


 リリの口角が下がった。


「出ていく」

「えっ」

「だって答えてくれないんだもん」

「え、まっ、待って……」

「無理無理。気持ち悪い」

「やだ、り、リリ……」

「じゃあね。ココ。ばいばい」

「まっ……!」


 ドアを開けようとしたリリを、後ろから強くしがみついた。


「待ってリリぃいいいいい!!!!」


 リリの手がドアノブを掴む直前で止まった。


「ごめんなさい! ごめんなさいっっ! 答えるっ、答えるから出て行かないで!! お願い、ここにいて!! お願いします!! ごめんなさい!! ごめんなさいぃいいいいいいい!!」


 必死に叫ぶが、リリはドアノブを掴んだ。


「ごめっ、リリっ、待って! 待って!! だから! ああっ! だからっ、あたし、リリが、すごかったから、リリがいつも光ってたから、だから、リリが、リリが目立ってたから、リリがいつもクラスで、くら、クラスで……!」


 リリがドアノブをひねった。その手を掴み、押さえつける。


「あたしはっ……憧れてたから……っ……リリを殴ったの!!!」

「えー?」


 リリがあたしに振り返った。


「憧れてて、どうして殴ったの?」

「だ、だって、だってそれ、なんでって、あたし、だっ、あっ、ふっ……ぅうっ……」

「もー。ココは泣き虫なんだから」


 リリがあたしを優しく抱きしめ返した。その瞬間、パニックだった頭の中に安心が生まれて、あたしの目から大量の涙が溢れ、リリの服に落ちていく。リリが優しく優しく――あたしの頭を撫でた。


「ね、どうして憧れてて、殴ったの?」

「……ひっ……ひとり、じめ……したかった……」

「どうして独り占めしたかったの?」

「どうして……?」

「どうして?」

「どうして……」

「どうしてココは、私を独り占めしたかったの?」

「それは……」


 あたしの手とリリの手が触れた。あたしの体とリリの体が触れている。リリがあたしの額と自分の額を重ねて、あたしの手を握りしめ、あたしを見つめた。


「どうして? ココ」


 それは、悪魔の囁きのよう。


「教えて? ココ」


 あたしはリリに近づき、




 柔らかい唇にキスをした。




「……リリは、憧れだった」

「あたしは、リリみたいになりたかった」

「リリは、お金持ちで、おじさんとおばさんから愛されてて」

「可愛くて、美人で、明るくて」

「みんなの人気者で」

「だから」

「昔みたいに」

「ただ、リリの隣にいたくて」

「それで」

「あたし」

「……やっちゃいけないこと、した」


 あたしは俯く。


「自首する」

「……ココ」

「自首して、あたし、おじさんとおばさんに謝ってくる」

「ココ、それで本当にいいの?」

「え?」

「自首したら」


 リリが眉を下げて、あたしの手を握りしめ、可愛い顔であたしを見つめた。


「私と、もう二度と会えなくなるよ?」


 あたしは――口が動かなくなった。


「だって、ココは誘拐犯だもん! 当然だよね!」

「……」

「もう独り占めも出来なくなるよ? 私とこうやってお喋りも出来なくなる。ねえ、ココ、本当にいいの?」

「だって……でも……リリが……でも……」

「そっか。ココは私のこと、その程度にしか思ってなかったんだね」

「そ、そんなこと……!」

「じゃあ自首したら? うん。自首していいと思う。私は……ココに捕まってほしくないから、頭が痛いの我慢して、やる事リスト書いてあげたのに」

「え、い、痛い……?」

「すごく痛いよ。ココが殴ったから!」


 リリの言葉が、あたしの胸を突き刺す。


「でも、ココに捕まってほしくないから、私、我慢して書いて、パソコンも使えるようにしてあげたのに!」


 リリの言葉が、あたしに重くのし掛かる。


「ココは、私の努力を全部無駄にしちゃうんだね! だから人に嫌われるんだよ!」

「……っ……」

「ココのこと、守ってあげたかっただけなのに……そんなことするんだ?」


 あーあ。


「ココのこと、嫌いになりそう」

「……、……そんな……つもりじゃ……」

「じゃあどうするの?」

「お医者……さん……」

「自首したら私の努力が全部無駄。ココのこと嫌いになるから。ココと、もう二度と口利かないから!」

「……、……。……、……、……。………………………………」

「つまりね、正反対の事すればいいの。わかる?」

「……あ、そっか……正反対の……こと……」

「そう。私に嫌われたくなかったら、ココがしようとしてることの反対のことをすればいいの」

「そっか。反対のこと……だから、えっと、自首しないで……ここに、リリを……隠して……」

「うん」

「でも、頭は……ど、どうしよう……痛い?」

「ううん!」


 リリが笑顔で首を振った。


「もう全然痛くないよ!」






 当たり前だよね。

 バッド、当たってないもん。





「い、痛くない……? 大丈夫……?」

「大丈夫だよ。本当に痛くないの」





 当たり前だよね。

 怪我なんて、してないもん。





「血、あの、傷……」

「ココが手当してくれたから、もう大丈夫だってば!」





 あれ、私の血じゃないもん。

 血糊だもん。




(*'ω'*)




 ココ。

 私の可愛いココ。

 ずっと一緒にいると思ってたのに。

 ずっと側にいてくれると思ってたのに。


 その男だれ?


 手を繋いで、幸せそうな顔して、その愛しい笑顔を私以外の他人に向ける。


 小さかったココは大人になっていく。

 小さかった私は成長していく。

 私達の距離が開いた。


 いつの間にか、喋る関係性じゃなくなった。


(許さない)


 ここは私よりも男を選んだ。

 だから私はココから男を奪った。

 男はココじゃなくて、私を選んだ。


(許さない)


 ココが恋した相手は全員私が奪った。

 全員私を選んだ。そして、私は男を捨てた。


(許さない)


 ココの全てを奪ってやった。

 だって、ココが求めていいのは、私だけだから。


(ココが私を求めてくれたら全て終わる。そうすれば全部解決する)


 胸のモヤモヤも、イライラも、不安も、発狂も、全部、ココのせい。

 ココが私を求めないから悪いの。

 だから私はココを突き落とす。

 何度も何度も突き落としては、突き落としては、突き落として、また突き落として、何度も、何度も――。


 ココの失敗は私の成功。

 ココの涙は私の笑顔。

 ココが自己肯定感を低くすればするほど、私の自己肯定感が上がっていく。


 ココ。

 私のココ。

 私のここはココだけのもの。

 私のもの。

 誰にも譲らない。

 誰にもあげない。

 誰にも渡さない。


 ココは私だけのもの。


 だから、私もココだけのものになりたかった。



「ココ」



 私は優しくココを抱きしめるの。


「大丈夫だよ。私、ココのこと、嫌いになったりしないから」

「……っ……っ……!」

「また昔みたいに、仲良くしよう?」


 ここで。


「ずっと」


 ココと、


「私、側にいるから」



 だからね、ココ。



「私を離さないでね?」

「離したら」

「嫌いになるから」



 ココの弱々しい手が、私を抱きしめた。だから私も……可愛いココをとても優しく、抱きしめた。

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