第3話


 あたしはリリに憧れている。


 リリはいつだって凛として、背筋がまっすぐで、芯の強い眼差しをしていて、横顔は、まるで天使のように輝いていた。


 だから、あたしはいつもリリの横顔を眺めていた。何も知らないリリはきょとんとして、あたしを見るの。


「ん。どうしたの? 何かついてる?」

「ううん。リリの横顔が、綺麗だなって思っただけ!」

「横顔?」

「うん。天使みたいに可愛いの!」


 言うと、リリは白い頬を真っ赤にさせて、照れ始めるの。


「て、天使じゃないよ……」

「リリは髪の毛も綺麗だし、顔も可愛いし、おてても綺麗!」


 リリの手を握って、あたしも笑みを浮かべる。


「あ、手遊びしよう?」

「うん! いいよ!」

「せっせーの」


 歌い始める。

 リリと手を合わせる。

 リズムに乗って、リズムに合わせて、手を触れ合わせて、離れて、また触れて、また離れて、同じポーズをして、また手を合わせて、色んな物語が会って、最後は、やっぱり、同じポーズで終わる。


 まるで、鏡に映った自分。

 あたしと正反対のリリ。

 その笑顔が大好きだった。


「リリ、ココたち、ずっと仲良しでいようね」

「うん。いいよ」

「大人になっても、ずっと一緒にいようね」

「……うん。いいよ」


 リリが嬉しそうに笑うんだ。


「わたし、ずっとココと一緒にいる」




 神様、


 もう、あたしを殺してください。


 あたし、生きていたって仕方ない人間です。


 だから、もういっそのこと、


 あたしを……。















 ――タイピングの音で目が覚めた。


 ちょっと眠たくなって、ソファーに横になったら、眠ってしまったらしい。

 目を開けると、リリがパソコンで何かしている。そこで、ここは現実であると、神様はあたしに知らせる。


「うん。今日はこんなものか」

「……リリ?」


 リリがあたしに振り返った。


「何やってるの……?」

「見る?」


 リリがパソコンをあたしに見せた。けれど、あたしはよく意味がわからなかった。


「何かのゲーム?」

「これ、いくらって書かれてる?」

「えっと……さんびゃくまん……」

「うん。ココの貯金借りちゃったんだけど、この額にしたから、ココの口座に戻しておくね?」

「……は?」


 眉をひそめたあたしがリリを見た。リリは笑みを浮かべている。


「お買い物し放題だね。税金取られても、全然生活できる」

「な、は? 何……」

「あははは! 別に悪いことしてないよ? 情報商材作って売って、持ってた株売っただけ」

「……は、いや……え……?」

「情報商材はね、売れると思うよ。結構煽り文句入れたし」

「いや……リリ、あの……」

「お金貯めたらさぁ」


 リリが言った。


「カナダで家買おう?」

「……」

「日本にいると、いつかばれちゃうかもしれないでしょ? 一番いいのは、外に出ることなんだよ? だから、ココ、これからカナダの英語、勉強しておいてね」

「……本気で言ってる?」

「え?」


 リリがきょとんとした。


「本気だけど」

「……」

「なんで? 冗談なんか言わないよ? ココだってそうでしょう?」

「いや、だって……カナダとか……なんで、外国……」

「え? じゃあ、ココは、私を誘拐したことが世間に知られてもいいの?」

「そういうわけじゃ……」

「社会に知られたらどうなると思う? ココ、もうどこも働けないよ? だって、同級生を誘拐して、監禁して、独り占めしたいって言って、倉庫に閉じ込めてるんだもん。ね、そんな変態、どこの会社が雇ってくれると思うの? 資格取ったって無駄だよ? 学校すら受け入れないよ。それで、そうだな。まず、もうみんなココには近づかなくなるよね。学校行ったら虐められちゃうだろうね。卒業しても働けない。どうするの? ココ。わかってる? ココのやってることはね、犯罪なんだよ? どうして逃げようとしないの? 捕まっちゃうよ? ずーーーーーっと長い間、牢屋に入れられて、誰にも会えなくなって、人生をそこで終わらせることになっちゃうかもしれない。もしくは、借金地獄に遭うかも。嫌な仕事を永遠とさせられて、でも借金を払わないと、ココのお母さんのものとか、全部没収されちゃうよ? それでもって、私とは永遠に会えなくなる。ね、それでもいいの?」

「……」

「ねえ!」


 リリが大声で言った。


「犯罪者が日本にいたいとか、言っちゃ駄目でしょ!?」


 ――あたしは俯いて、体を震わせて、血の気が引いて――服の袖を握りしめた。


「……ご……めん……リリ……」

「……ううん! わかってくれたらいいの!」


 リリの頬がすぐに緩み、あたしの腰に抱き着いた。


「私も、大きな声出してごめんね?」

「……ううん……本当に……ごめん……」


 リリは、すごく優しいから、あたしを守ろうとしてくれてる。

 だから、あたしはせめて、リリの言うことを聞かないと。


「カナダの、英語……勉強……するよ……」

「うん! 一緒に勉強しよう? わかんないところがあったら、私が教えてあげる!」

「あ、明日……買ってくる……」

「善は急げだもんね!」

「……お腹、空いたよね……」


 リリがあたしの膝に顎を乗せ、見上げた。


「食べたいの、ある?」

「じゃあ」


 リリが答えた。


「ココのハンバーグ食べたい」

















 偏差値の高い学校でも、リリはいつも高得点を取っていたし、生徒会の仕事を頑張っていた。


「ココは部活入らないの?」


 アオイちゃんに言われて、あたしは肩をすくませた。


「もう時期的に遅くない?」

「まあ、体育系は難しいと思うけど、あれは? ほら、家庭科部」

(ああ……家庭科部……か……)


 確かに、日常生活で使えそう。


(それに……)

「リリ、今日遊びに行ける?」

「ごめんね。委員会の仕事あるから!」


 リリは楽しそうに、立派に委員会の仕事を行っていた。その姿はいつも輝いていた。羨ましかった。あたしには、持ってないものだから。


(部活とか、やりがいのある事って……見つけたこと、少ないかも)


 見つけるには参加するしかない。


「……見学……行ってみようかな……」

「うん。ココに合ってると思う!」


 その日の放課後、早速、見学に行ってみた。家庭科部っていうくらいだから、料理をするものだと思ってたら、その日によってやることが違うらしい。あたしが見学に行った時は皆で裁縫をしていた。


「ね、どこのクラスなの?」

「私、C組!」


 部員は少人数で、みんな優しそうだった。次の日も見学で行ってみた。


「ココちゃん、また来てくれたんだね!」

「今日はお掃除やるんだって!」

「みんなで廊下綺麗にしよ!」


 二週間、あたしは家庭科室に通うことになった。入部届は出していないけど、先生も、みんなも、あたしさえ良ければと、快く迎えてくれた。


「もう入部届出しちゃえば?」

「ココちゃん来てくれるなら喜んで歓迎するー!」


 あたしも、ここなら出していいかなって思った。家庭科は日常的にも使えるし、ここには……リリがいない。


 このひと時だけは、あたしはリリを忘れることができた。嬉しかった。楽しかった。こんなに家庭科が楽しいとは思わなかった。喋ったことのない人と仲良くなれて、あたしは口下手だけど、でもみんな、とても良くしてくれた。


 家庭科の授業、あたしは率先して料理をした。アオイちゃんがあたしの顔を覗き込んできた。


「様になってんじゃん」

「今日ね、入部届貰ってこようと思って」

「あ、入るの?」

「家庭科部、ずっと見学だったけど、でも色々手伝わせてもらえたりして、すごく……楽しかったから」

「それなら良かった。最近ココ、明るいもんね」

「え、……そう?」

「うん。なんか活き活きしてる」


 確かに、学校に来るのが楽しくなった。放課後が待ちきれなかった。


「今日ね、ハンバーグ作るんだ」

「うわ、放課後でしょ? いいなー」

「うん。部費から出してね、皆でお買い物に行って、作るんだって。あたし、部費は払ってないから、今日は良いって言ったんだけど、皆がぜひって。先生も、良ければって。だから、あたし……すごく楽しみで……」


 皆と作るハンバーグ。


「習ったら、アオイちゃんにも作ってあげるね」

「うわ、そいつは楽しみだなぁ」


 放課後、あたしはわくわくして家庭科室に歩いていった。


(今日の帰りに、先生に入部届下さいって言おう)


 それで、皆と一緒に部活動を楽しもう。


(部活がこんなに楽しいなんて思わなかった)


 あたしは教室のドアを開けた。


「お疲れ様です」





 教室にリリがいた。





 あたしの足が止まった。

 リリが皆に笑顔を向けている。

 ふと、あたしに気づいた部員が、駆け寄ってきた。


「ねえ、ココちゃん! めっちゃ良いニュース!」

「学校から、家庭科部に支援金が出るんだって!」


 あたしはリリを見た。リリの口が動き出す。


「家庭科は日常生活で大事なものだから、って言ったら、会長がぜひって」

「えー! リリちゃんが言ってくれたの!?」

「うわ、まじ天使! リリちゃんありがとう!!」

「それでね、良かったらなんだけど、今日家庭科部が支援金の使い方が正しいかどうかっていうのも見ないといけないから、私がいることになるんだけど、それは大丈夫?」

「全然!」

「むしろ一緒にハンバーグ作ろうよ!」


 皆がリリを囲んで、リリに感謝している。

 先生があたしに近づいてきた。


「ココちゃん、今日どうする? ハンバーグ作る?」

「……あの、実は」


 あたしは先生に伝えた。


「放課後に、アルバイトが決まって」

「あら、そうなの?」

「はい。だから、そのことを伝えに来たんです」

「まあ、それは……残念ね。入部してくれると思ってたんだけど」

「こちらこそすいません。二週間も……お邪魔しちゃって」


 部員の皆があたしを見た。あたしは笑顔を向けた。


「それじゃあね。皆。元気でね」


 リリが皆に囲まれる教室のドアを、あたしは静かに閉めた。


「……」


 あたしは――教室から離れた。


 帰り道、雑誌置き場から無料でもらえるアルバイト募集の冊子を取り、鞄に入れて――家へと帰っていった。


 翌日、アオイちゃんが訊いてきた。


「ハンバーグどうだった?」

「飽きちゃった」


 アオイちゃんが瞬きする。


「あたし、駄目だね。全然続かないや」


 今日もリリは、皆に囲まれて楽しそうに笑っている。


「アルバイト始めようと思って」

「……そっか」

「うん。貯金して……卒業したら、どこか行こうかなって」

「ん? 上京でもするの?」

「東京は空気臭いって聞くから」


 そうだな。


「どこか……遠く」


 そういえば、リリのお父さんの国って、


「あ」


 あたしは呟いた。


「カナダ、行ってみたいな」














 ひき肉を叩いて、形を作って、整えて、火に通す。不味いものは作れない。リリが食べるんだから。リリが背後からフライパンを覗いた。二人分のハンバーグが焼かれている。リリがクスっと笑って、あたしの腰に抱き着いた。


「うわっ!!」


 驚いたあたしが慌ててフライパンから手を離し、リリに振り返った。


「リリ!」

「抱き着くの駄目だった?」

「火傷したらどうするの!」


 リリの手を掴んで確認する。


「油、飛んでない?」

「飛んでない、けど……」

(……良かった。火傷してない)


 綺麗な手は、綺麗なまま。


(……良かった)

「……火傷するのは、ココの方じゃないの?」

「あたしは火傷したっていいよ。でも……リリは……」


 白い手を見つめる。


「駄目だよ。こんなに……綺麗な手、してるのに」

「……」

「もう駄目だからね」


 リリの手を離す。


「もっと、自分を大事にして。リリ」


 あたしがフライパンに振り返ると――また背中から、リリに抱き着かれた。


「り、リリ!」

「あははは!」

「ハンバーグ、焦げちゃうから……!」




 ――大好き。




「一回離して、リリ!」

「やーだ!」



 大好き。



「リリが食べることになるんだよ。これ」

「このままひっくり返せばいいじゃん」

「油飛んで、リリの手に当たったら、どうするの! 痛い思いするのはリリなんだよ!?」



 ココ、愛してる。

 私の、ココ。

 私だけのココ。


 優しくて、思いやりが強くて、人に気遣いの出来る、ココ。


 だから、大好きなの。

 ずっと、ココの側にいたいの。


(私の手なんか、火傷したって、怪我したって、どうだっていい)

(なのに、ココったら、私の心配なんかして)

(ココが)


 私の心配をしてくれた!!!!!!


「ココ、こっち向いて?」

「なに、リリ……」


 ――唇が重なり合う。


 部屋には火の音が響く。

 テレビからニュースキャスターの声が聞こえた。


『宇南山・デボルト・リリさんの行方がわからなくなって三日が経ちました。未だに、手掛かりは掴めていません』


 私の手が火を止めた。ココが後ずさって、カウンターにぶつかった。だから私はココをカウンターと自分の間に閉じ込めた。唇が重なり合う。離れる。また重なる。離れて、また、何度も、ココと私の唇が、磁石のようにくっつきあうの。


「リリ、ちょっと、待って……」


 ココの首筋に唇を寄せた。


「リリ……?」


 ココの匂いがする。体育ジャージでも、ハンカチでもない、ココそのものの匂いを感じる。胸がドキドキする。ココの体に触れられる。肌をなぞる。キスをする。ココが戸惑った顔をする。だから唇にキスをする。見つめ合う。今度は頬にキスをする。瞼に、額に、首に、鎖骨に、うなじに、ココの全部、ココに触れられる。私の手が、触れてる。ココに。ずっと触りたいと思ってたココのここにも、ここにも、ここにも、全部、触っても、ココは怒らないし、むしろ、肯定しなければいけない。だって、ココは犯罪者なんだもん。独り占めしたいという理由で劣等感でいっぱいの同級生を誘拐したとんでもない変態だもん。だからココは、抵抗する権利なんてない。私にされるがまま。私に愛されるがまま。


 ココは、私に逆らえない。

 だから、触っていいの。

 私だけが、ココに触れられるの。


 私、ココに――ずっとこうしたかった。


「ココ、可愛い」


 赤く染まった耳に囁けば、ココの肩が揺れた。


「私が火傷したら、嫌なの?」


 ――ココが小さく頷いた。ああ、可愛い。ココ、可愛い。その頷き方、すごく可愛い。私のことを考えてるココは、どうしてこんなにも可愛くて、愛らしいんだろう!

 ハンバーグなんていらない! ずっとココとこうしてくっつきあってたい!


 私のココ。

 私だけのココ。

 私を心配するココ。

 私だけを思うココ。

 ココの頭は、ココの脳は、ココのココロは、今、全部、私のものなんだ!


 嬉しい! 嬉しい!! 私、嬉しい!

 ココ、大好き!

 私、ココが大好き!!


 いっぱいキスしてあげるね!

 いっぱい抱きしめてあげるね!

 いっぱい愛をあげるね!

 いっぱい、いっぱい、ココを愛してあげるね!!


 ココの唇を塞ぐ。ココがあたしの腕を掴む。離したくなくて、ずっとキスしていたら……ココの足が震えてきた。そして――力が入らなくなってきて――崩れ落ちていくように、ココがゆっくりと床に座り込んだ。だから私も座って、座り込んで動けなくなって、壁に閉じ込められたココに、またキスをするの。


 キスをしてたら、ココの口の中に入りたくなって、ココの口を舐めてみた。ココがぎょっとしてあたしの腕を押し、引き離した。


 目を丸くして、信じられないという顔で、私を見る。その目が――愛しくて仕方ない。


「……」

「……どうしたの? ココ?」


 私は笑みを浮かべる。


「独り占めしたいんでしょ?」


 ココの黒い目が揺れる。


「して?」


 私からココに近づく。


「ココのものにして」


 ――唇が重なると、ココの舌と触れ合うことが出来た。

 頬を赤く染めたココは、眉を下げて、ぎゅっと目を瞑った。その顔が――もう――なんで――そんなに可愛い顔をするんだろう。

 熱い舌が絡み合う。私の手がココの手に重なった。ココの口から溜まった唾液が溢れて落ちた。私はもっと唇を重ねさせた。ココが嫌がるそぶりを見せた。私はココの手を掴んだ。抱き寄せて、唇を絶対に離さない。ココがあたしの胸に触れた。離れない。ココがあたしの胸を叩いた。離れたくない。ココがあたしの胸を押した。


 絶対いや。離れない。


 ココの体が震え始めた。そこで唇を離した。ココがせき込んだ。酸素が一気に肺に入って、苦しそうだった。


「げほげほっ! げっほげほっ! げほげほ!!」

「ココ、こういう時は、鼻で呼吸して?」

「ごめ、げほげほっ! ごめん、ごめっ……!」

「ううん。私なら大丈夫だよ」


 私のキスで呼吸が出来なくなって、苦しむココも可愛くて仕方ない。


「よしよし、ココ」


 抱きしめて、優しく撫でる。


「ココ、大好きだよ」


 生焼のハンバーグの匂いがする。


「ココ」





 愛してる。私のココ。






 せき込む愛しいココの肩に、私は笑顔のまま――顔を埋めた。




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