わたしのことが、欲しいなら

壱単位

【短編】わたしのことが、欲しいなら


 「……これでも、駄目なのか」


 かれはあの日のように、蒼い、あおい、どこまでも降りていけるような色で、わたしを見た。うれしかった。わたしの身体が、すこしだけ、染まった。だけど、そうじゃない。


 わたしはもう、なんども示した。でも、かれはわかってくれない……いや、それは嘘だ。かれが、そのことを受け入れることができない、それをわたしは判っていて、それでも、いわざるをえなかったのだ。


 「……ウィード」


 かれがわたしの名を呼ぶ。けっして正しい名前ではない。でもわたしは、そうよばれるのが嫌いではなかった。


 「僕は、努力したんだ。僕をみてくれ。まえと同じか。変わらないのか。君には、僕は、あのときと同じに見えるのか」


 「……」


 かれの心が夜空にとんで、割れてはじけるのが手に取るようにわかる。きれいな満月だものね。その光はわたしにとっても大事なもの。だからきっと、かれは、今夜を選んでくれたんだと思う。


 「……ごめんなさい」


 「……っ!」


 揺れる。水面が、ぱん、という音をたてて。わたしはすこし驚いたけど、かれがそれを後悔するのがわかって、胸に手をあて、微笑んだ。


 「わるいのは、わたし。ごめんなさい」


 表情は、たぶん上手にできていない。わたしはそんなに器用ではない。でも、そうすることが大事だった。もう、かれを解放してあげないといけない。


 「……まえにわたし、言ったよね。わたしのことが欲しいなら、もっと時間をかけて、って」


 「ああ。ああ。聞いたよ。聞いて、時間を積んだ。君は僕を見てくれないのか? 僕が、いまどんな姿でいるのか、見てくれないのか?」


 「見てるに決まってるじゃない!」


 こぼれるものを、留めることはできなかった。


 「あれからどれだけ、わたしがあなたを見ていたか。どれだけの時間、どれだけの夜、あなたを待っていたか。知らないのはあなたじゃない! わたしの、わたしの、わたしの……!」


 ざざっ、という音。わたしはかれの腕のなかにいた。


 「……ごめん。ごめんね。でも、もう、僕には時間がないんだ」


 「……」


 「かれらがくる。もう、すぐに」


 「……とめられないの?」


 「うん。もう、僕には」


 そのかおを見ていると、わたしの心は正反対に跳ぶ。


 「……もうわたし、ここで終わってもいいかな」


 突き放されて、わたしは息を呑んだ。


 「君が、君だけが、僕のいのちを繋いでくれるんだ……だから、駄目だ。ぜったいに、君は、生きて」


 わたしが纏う、みどりの装飾が揺れる。ゆれて、わたしはかれにしがみついた。


 かれはその透き通った腕にちからをこめた。わたしを抱く腕に。息がとまって、わたしは、かれのかおを見上げた。


 「……ウィード。いや、フェザーポンドウィード。きみは、綺麗だ」


 「……」


 「僕は、かたちばっかりだ。底が深いって、みんな言う。でも、違うんだ。かたちなんて、与えられたもの。母に、大地に与えられたものだ」


 「……おかあさまを悪くいわないで」


 「そうじゃない。僕は感謝してる。母に、地球に」


 かれはわたしが知らない時間をみている。わたしのいのちは、短い。いのちを受けて、すぐに散って、そうして、また生まれ変わる。その過程をかれは、ずっと、ずっと、見てくれていた。そのことは、わたしが痛いくらい、知ってる。


 かれはその美しい水面に、ちいさな波をいくつか起こして、わたしに告げた。


 「……僕はもうすぐ、変わる。そうしたらもう二度と、君を受け入れることができない」


 「……」


 「だから最期に、ほんとに少しの時間でもいい、わずかでいいんだ、三百年……いや、百年でもいい。君と、時間を共有したかったんだ」


 「……ダム、になるのね」


 かれは驚いたようにわたしをみた。


 「知っていたのか」


 「仲間たちから聞いてた。ふな泥鰌どじょうも、蓮の花もあなたを待ってたから、ずっと」


 「……ごめん」


 わたしは水中にそよぐ腕を、かれのまんなかに廻した。かれがおそるおそる、触れてくる。


 「謝るのはわたしのほう……ごめんなさい。わたしは、わたしたちは、あなたには棲めないの」


 「……」


 「あなたが何万年も、努力したのは知ってる。でも……ごめんなさい、わたしたち藻類は、あなたのようなふかい湖には棲めない。水深五メートル未満の沼にしか棲めない。あなたが流れ込む泥を堆積して、沼になるのを、ずっと待ってた」


「……きみが必要なんだ。良質な水棲生物たち、魚たちに住んでほしいから。僕の中に。もう、観光船のために存在したくない。しずかな、地域のいきものの里になりたいんだ。そのためには君たち、藻のちからが……っ!」


「……ごめんなさい」


 わたしはきゅっとくちびるを結んでから、最後のことばをおくった。


 「あなたはたぶん、クレストラジアルゲート設計のダムになる。設計水深はすくなくとも二十五メートル。吐出流量もおおきい。わたしたちだけじゃない。もう、沼地のいきものは棲むことができないの」


 そうしてわたしはふわっと手を振った。なかまたち、数千万の浅瀬のいきものたちが一斉に立ち上がる。


 「……ああ……フサモ……フサモ……っ!」


 かれがさいごにわたしの和名を呟くのを後ろにききながら、わたしたちは別の湖沼にうつるべく、それぞれ飛翔し、あるいは胞子をとばした。


「……さようなら。沼らせてあいしてあげられなかった、可哀想なひと





 

 


 

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