第130話

 図鑑プロジェクトの再開と封印プロジェクトの発足が計画されてからのこと。

 世界の各役所では、それらプロジェクトの並行に備えて準備が進められていった。

 それに伴い、魔女と絵描きたちは一度各自のホームへと戻ることとなった。その間、封印の苗木を習得するための魔導書マニュアルがメフィーによって作られ、魔女たちに配布された。誰しもが緊急事態にインクレスに対抗できるようにするため、という目的であり、習得した魔女は各自が自身の判断で裂け目の封印も行う。

 ちなみに樹の魔法の習得から先に始め、それを応用して封印の魔法の習得となるため、道のりは割と長いようだ。魔女と魔法の相性というものはあるが、樹の魔法を最初に習得したのは、最も若いアーニアとのことらしい。

 またメフィーは、このプロジェクトの本格始動に先立ち、通心円陣の効果を情報収集に特化させ、最近になって地鳴りが増えている地域の情報を集め始めた。役所はそれらの情報をまとめ、魔女が実施する鉱物マナの汚染調査とは別に、地盤調査を計画している。



 2か月後。

 魔女の家にて、セタは扉を叩く。

「ルカ、いますか?」

「いるよ!」

と、ルカヱルは家の脇から顔を出す。

 そこに茣蓙ござを敷き、箒を編んでいるらしい。ちょうど形になった箒が一本地面に転がっており、もう二本ほど、壁に立てかけられていた。

「箒を作ってたんですね。前にお渡しした、メフィー様の魔法のマニュアルの方はどうですか?」

「めっ……っちゃ難しい。ようやく樹の魔法が使えそうって感じ」

という返事からするに、難航中のようだ。

「ともあれ、他の準備は出来たってことだね――なら、いよいよ出発です!」

 セタたちはアヴァロンの竜の調査中、半ばそれを切り上げるようにインクレスの調査へと入った。

 だから再開にあたり、まずアヴァロンに出向くことにしたのである。今回の調査から、全魔女に竜の調査状況が共有され、どの竜がどこにいるのかが一部把握できるようになった。

 それに伴い、可能な限り周辺の鉱物の汚染度を確認することとなっている。

「アルマさんとミィココ様から、鉱石の汚染度を判断する指南書マニュアルも届きました。魔女の目は必要ですので、ルカが読まないといけないですが……」

「わあ、またマニュアルか~…。でも、暇潰しのネタにはなるね」

 ぺらぺら、とマニュアルをめくりながら、ルカヱルは呟いた。

「他の魔女様が調査した竜の図鑑情報も貰ってます。メガラニカにはまだものすごい数の竜がいるみたいですね」

「そりゃまあね。あの大陸、ものすごく大きいのですから」

 確かに、とセタは世界地図を思い浮かべて納得する。ミィココが殆どメガラニカの外に出たことが無いと言っていたが、それは結局のところ、メガラニカが世界の3分の1以上の面積を占める大陸だからだろう。

「それと、レムリアの竜の調査についても依頼が来てます。ルカをご指名で」

「私に? っていうかレムリア? メフィーがやるんじゃないの?」

「はは……。それが、メフィー様はプロジェクトを並行する関係で、“暇なし”だそうです」

「ふーん。それがあの人の暇潰しなんだろうけど」

 マニュアルに目を通しながら、ルカヱルはため息混じりに呟く。「それに、ノアルウの保護もお願いしてるからね。ひと肌脱ぎますかぁ……」

「……そうですね」

 ノアルウが目を覚ました、という報告はまだない。

 ただ、メフィーが彼女に付与した漆塗りの赤いバッジを介して、常にバイタルをモニターしている。それによれば、魔女が眠りに就いているのと同じ状態を維持しているようだ。

 一方で、その封印の宿り木の生長が止まりつつある。裏を返せば、ノアルウのマナはまもなく殆ど底を尽きる状態になる――その瞬間が山場となる。期待通りに行けば、ノアルウが瀕死に陥った今わの際で、寄生を維持できなくなったインクレスが剥がれ落ちる。

 同時に、封印の宿り木もマナが吸い取れず、寄生の解除と同時に枯れて効力を失う。

 一つの論点は、封印の魔法を自分自身に行使する、という史上初の試みがどのような結果をもたらすかである。同じ魔法の名前であっても、使う条件によっては微妙に効力が異なることがあるからだ。期待通りのタイミングで宿り木が枯れてくれるか――メフィーの言葉を借りれば、「あとは祈るしかない」状況である。

 ルカヱルもまた、毎日祈っている人物の一人だろう。

「セタの準備もできてるんだったら、ぼちぼち出発しようか? 実は最近、ずっと家に籠ってたからうずうずしてるのです」

「準備は出来てます。ただ、出発の前に――」

 セタは書類の間から、一枚の大きな紙を取り出す。

 スケッチブックを切り取ったものらしく、紙質は厚くて硬い。


 その紙に、とある絵が描かれていた。


「この2か月の間に、時間がある時に描いてたんです。約束の絵です」

 色彩を持った光が、風に揺れるカーテンのような柔らかな輪郭となって夜空に浮かんでいる。植物から抽出した淡い色彩が、むしろ光を描くのに適した儚さを持っていた。

 それはかつてアヴァロンの北洋群島で見たオーロラを描いた、セタの作品だった。その時は揺らめいていたはずの光の動きが、色彩をありのまま再現した静止画として、紙の中に閉じ込められている。

 そんな絵画がルカヱルの手元に渡った。それを一目見て、ルカヱルは目を少しずつ見開いて、わずかに頬を綻ばせた。

「ずっと気になっていたことがあるんです。貴方も前、俺に聞いたことですが――貴方が見たオーロラは、俺が見たオーロラ……その絵の景色と、同じでしたか?」

 鉱物や植物のせいで、視界が歪むのが魔女の生態である――しかし、夜空にオーロラが浮かんだ景色については、どのように見えていたのか?

 セタが尋ねると、まじまじと絵画を見つめていたルカヱルが、やがて顔を上げた。


 その時の彼女は心底と嬉しそうに微笑み、そして彼の問いに対して、一言で答えたそうだ。













「―――ん」

 薄暗い影の中で、小さく呻く声。

 上体を起こすと、身体の上にたくさんの落ち葉が乗っていたことに気付く。さらには細い幹の樹が白く、軽く枯れて、折れていた。

 よく見ればそれは樹ではなく、枯れた箒らしい。

「ここは……」

 辺りを見渡すと、周囲は樹で覆われていた。樹の空洞の内側にいるようだ、と気付くと同時に、光が差し込む樹洞の入口を見つける。外からは鳥の鳴き声がまばらに響くのが聞こえた。

 折れた箒を拾って、明るい外の世界へと歩み出る。佇んで朝の静かな風景を眺めると、息を深く吸い込み、少し冷たい空気をかみしめた。

 それから、もう忘れかけていた世界の景色を、ノアルウはゆっくり歩きながら暫く楽しんでいた。





 おしまい


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「竜」図鑑アトリエの魔女 漆葉 @UrhaSinoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画