エピローグ

第129話


 一同がレムリアの白塔に帰還した後、ミィココとアルマ以外のメンバーはそろっていたが、彼女たちはメガラニカで別働となっている。

 竜の封印が終わり次第、レムリアに集合ということになっていたが、基本的に移動速度が遅い彼女たちが戻るのには時間がかかる見込みだった。

「あっ。私、いま箒なくなっちゃった……。どうやってミィココを迎えに行こう?」

「なに心配するな、ヲルタオがいる」

「私、メガラニカで一度も扉開けたことないので、あそこには飛べないです」

と、ヲルタオは首を振る。

「……ふむ。ルカヱルの箒があるうちに、ヲルタオをメガラニカに送っておけば良かった」

「はは……」

「ではミィココ様たちの移動を手配いたします」と、イズが手を挙げる。「最短でも2日ほどかかると思いますので、少々お時間を――」

「その必要はないぞ、イズ」

 そんな声が響く。皆が振り返ると、そこにはミィココが立っていた。

 普段の裸足の姿ではなく、ブーツを履いている。かつかつ、と硬質な足音が会議室に響いた。

「早いな――まさか、足で翔けてきたのか」

「うむ、急ぎ伝えようと思ってな……アルマに今、碧翠審院で学者たちを集めさせているが、おおよその見解は出たぞ」

「見解?」

「鉱物の汚染じゃ。インクレスのマナが影響している痕跡は、地表の一般的な鉱物には見られんかった。じゃが……ごく海底の鉱物には、わずかにマナの変質があるようじゃ」

「そうか。地表全土に及ぶほどではないらしいが……そうなるとやはり、インクレスに近い場所は更に怪しいな」

 メフィーは顎に手を当てる。「見るべきは、やはり裂け目付近の鉱石だ。汚染度を判別できるようになればインクレスの効率的な封印が可能かもしれん」

「儂もそう思っておった。個別に竜を治療するのも良いが、やはり根源を絶たんとな」

「これもなかなかに長丁場になる。竜図鑑と同等か、それ以上にな……」

「なら、一緒にすすめては?」

 ヲルタオが提案した。「さっき聞いた話ではインクレスが竜に寄生する目的は単なる食餌らしいので、鉱物を食べる竜の種類と汚染度が判別できるようになれば、そういった予防策も講ずることができると思います」

「うむ……幸いなことに、今のところインクレスに寄生された様子の他の竜はおらんが、生態が分かっていれば寄生の判断も容易い。ならば、そうしよう」

 メフィーは頷き、面々を見渡した。

「これより、竜図鑑のプロジェクトと封印のプロジェクトを並行する。ジパングのフルミーネは本プロジェクトの特別の監視対象とし、それ以外に寄生された可能性のある竜、およびインクレスに汚染された裂け目の情報を並行して集める」

「うむ。いま、アルマが汚染度を判別する方法についてまとめておる。それが出来しだい、竜図鑑作りを再始動させればよかろう」

 ミィココの提案に、皆が頷いて同意した。


 そうして発足された新しいプロジェクトは、すぐに通心円陣を介して全世界の大役所に通達されることとなった。

 裂け目という地形の情報と鉱物の汚染度というマナの情報を要するため、封印のプロジェクトにも魔女と人間のタッグを要する――それ故に、竜図鑑プロジェクトに専任された者たちが兼任する運びとなった。


「あ、あの、セタさん?」

 そんな会議――もとい、お茶会が魔女たちで進められる最中、リンが小さな声でセタの名前を呼んだ。

「? はい、どうしたんですか?」

 リンが声を潜めているようだったので、セタも小さい声で応じた。なぜ声を潜めているのか、という疑問はあったが。

「そ、そのさ。へんなこと聞くかもしれないんだけど……! セタさんって、その――!」

 リンは写真を一枚、手に持っていた。裏面しかセタからは見えていなかったため、彼は首を傾げる。

「なんでしょう?」

「ゆっ……! あぁ、(やっぱ聞かないほうがいいかな)…」

「??」

 良く聞こえない独り言をごにょごにょと呟くリンを、セタは不思議そうに眺める。

「なんでも聞いてください。これからインクレスの対応も始まっていくようなので、図鑑の仕事だけじゃなくなるようなので。地形の情報も集めるようなので、リンさんの写真がもっと必要になると思います。俺たちだけじゃなくて、役所による立ち入り封鎖とかの処置も進めるそうなので……」

「………」

 はっとすると、リンは少し顎を引いて、セタを見つめた。

「セタさん、こっち」

と、手を引いて彼を立ち上がらせて、会議室を出ていく。

「え、ちょ……」

 廊下の隅で立ち止まると、リンは振り返り、一度だけ深呼吸をした。

 そして、手に持っていた写真をセタに提示する。そこに写されたとある『作品』は、セタも見覚えがあった。

「セタさん、貴方が幽霊画家なんでしょ」

 あらかじめ決めていたかのような文言を勢いに任せて口に出したようなリンの言葉に、セタは目を丸くした。

「いや俺じゃないです――って言っても、無駄そうな感じですね……?」

 少し顔を赤くして歯を浮かせているリンを前に、セタは何か申し訳ない感情を抱きつつも、苦笑いで応じた。

「~~…! 絶対セタさんだって! 確信してる、もう!」

「あの……すみません、隠してて」

「ねえええっちょっとくらい言ってよぉ…! 恥ずかしいんですけど、すっごく……!!」

「いや、ちょっとも言えないですよ。一応、ジパングじゃ犯罪ですし……。というか、そうでなくても俺も恥ずかしくて、とても名乗れないですし……」

「それはごめんなさい……」

と、リンはいたたまれない様子で、シュンと肩を下げた。「セタさんの事情は分かるの。正しいと思うし。だから本当に、私がこう、すごく恥ずかしいだけだから」

「はは、それは申し訳ない……でも、俺がグラフィティを描くのはもうあれ一度きり。いわば遺作です。幽霊画家は、二度と作品を描きません」

「え……」

 リンは驚いたように顔を上げる。

 まるで師の訃報を聞いたような、心臓がぎくりと硬くなった感覚があった。

「もう、描かない…?」

「ええ。もう幽霊画家なんて奴は、この世にいません、良いですね。俺はただの役人見習いですから」

 セタがそう言い残し、リンの脇を抜けて会議室に戻ろうとした。

「――なんで、なんで描いてくれたの?」

 リンが問うと、セタは歩みを止めた。

「……リンさんがインスピレーションになるかも、と言ったので」

「そ、そんな理由で? でも、あの絵を描かなければバレなかったのに――いや、仮に描くにしたって、私の後ろ姿を描かなければ、セタさんが幽霊画家だってバレることなかったのに」

「後ろ姿を描いた理由ですか……あれが無いと“絵にならない”と思ったので」

「えっ」

「今のは遺言です。もう幽霊画家なんて奴のことは忘れました。ほら、戻りましょう?」

「……うん」

 リンは大人しく頷いて、セタの後ろをついて歩き出した。

(“絵にならない”、か……絵の技巧とかじゃなくて、そういう精神も元にあるんだ)

 幽霊画家は音もなく、壁に一晩で精巧な風景画を描く不気味な速筆の絵描きだと、巷の噂はあったが――結局のところ、どう描いたかではなく、何を描いたかが、幽霊画家をあくまで“画家”と認めさせた所以らしい。

 そう思ったとき、リンはとあるアイデアが浮かんだ。

「ねえ、セタさん。いつか壁に絵を描いて欲しいんだけど」

「でも俺は――」

に、お願いしたの。図鑑プロジェクトで見たセタさんの絵の腕を見込んで、貴方に依頼する仕事として」

 セタの前にリンは歩み出て、悪戯っぽく微笑むと、両手の指の先を合せた。

「ウチのお店の壁に、絵を描いてくれないかな? ――お店の雰囲気が良くなるような、素敵な絵」

 呆気にとられた様子のセタは、やがて吹き出すように笑った。

「俺の絵なんかで良いんですかね」

「セタさんが良い。ねえセタさんって、アトリエとかやらないの?」

「ええ、ええ。もう分かりましたよ、お店の絵ですね。全く……リンさんも大概、人が悪いな」

 ため息混じりに了承したセタは、しかしどこか、晴れ晴れとした様子だった。



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