第128話


 地上にて。

 ジパングの東の空から、太陽が昇り始めた。

 時間を掛けてフルミーネの活動範囲から距離を取り、そこで皆と待機していたセタは表情に焦りをにじませ、汗の粒が日の出の光に照らされる。

「……少し落ち着け、セタ」と、メフィーが声を掛ける。

「し、しかし、メフィー様。ルカヱル様たちは、箒で海の方へ飛んで行ってしまったようです。それからもう、何時間も経っています」

「ルカヱル様、大丈夫かな」

 傍に立っていたアーニアも、心配そうに空を見上げる。夜の暗さと夜明けの蒼さと橙が入り混じった暁色はどこか不安をあおる配色だった。

「あやつはノアルウと同じ箒の魔法の使い手ゆえ、ノアルウと拮抗できるのもあやつしかいない。……信じて待つほかない」

「うう、待ってるだけだと、どんどん不安になってくる……」アーニアが顔を顰めていた。「ルカヱル様、苗木を落っことしたりしてないかな」

 そんなことになったらまずい、とセタも顔を顰める。

 インクレスに寄生された状態のノアルウの容赦のなさは、竜に通じるところがあった。ただでさえ容赦の無い相手なのに、ルカヱルにとっては友人である。そんな条件で、頼みの綱である封印の苗木すら失えば、戦況はあまりに一方的である

 気が付けばセタの表情もアーニアと同じようになっていたので、メフィーは呆れた様子で息をつく。

「あやつが頑張っているのに、悪い事ばかり想定しても仕方あるまい。心配せずとも、ルカヱルは妙に頭の回るやつだ。苗木を無くしたとしても、なんとかしようとする」

「……確かに、それはそうですね」

 これまでのルカヱルの振る舞いを思い出すと、セタも納得できた。何もできない時間に自分なりの価値を付与することを暇潰しと呼ぶのなら、暇潰しに生きるルカヱルにこそ生まれる信頼だろう。誰にも想像できない状況こそが、ルカヱルの独壇場なのである。

 そんな面々に、レゴリィが手持ちの水筒と容器を掲げて声を掛けた。

「皆さま、新しくお茶を淹れました。出先なので急ごしらえですが、よければお飲みください」

「ああ、ありがとう」

 アーニアが頷き、液体の注がれた木製の椀を受け取る。「メフィー様は?」

「いただこう。そうだ、ヲルタオが夜明けの後、このヒシカリに戻ってくるように言ってある。奴の扉の魔法を使った捜索と、通心円陣の情報収集能力があれば、ルカヱルの状況もすぐに分かるさ」

「そっか、ヲルタオ様もここに来るんですね。良かった」アーニアはほっとしたように呟く。

「ああ。手をこまねく時間はまもなく終わる。暇でも潰して待っていれば良い」

 明らむ空を見ていると、セタも考えが良い方向へと動き始めた。とにもかくにも、傍観して待機しかできない状況はまもなく終わる。


「――ん?」

 セタは空に何かを見て、指さした。「何かが落ちてきます。あれは――」

 アーニアとメフィーが声と指の方向へいざなわれるように、視線を動かした。

 尾を引く流れ星のような光が、ジパングの大地を目掛けて落下してきたのだ。

「……流れ星か?」

 メフィーも驚いた様子で光の軌道を見届ける。

「僕、初めて見た。綺麗…」アーニアが素直な感想を呟く。

「あの軌道、地上に落ちるぞ」

「えっ?」

「サイズは小さいが、速さがかなりのものだ。まもなく地上に落ちる――少し離れたほうが良い。儂の魔法で守れるとは思うが……」

「……いや! ま、待ってください!?」

 セタが声を上げ、皆の動きを制した。

「どうした?」

「あれ箒じゃないですか? ルカヱル様が見えます…!」

「……!!」

 メフィーは目を凝らし、流れ星を見た。

 そしてやがて、確信を得る。

「確かに――いや、ノアルウもいる……!?」

 その奇妙な光景が皆の目にはっきりと見えるころには、その箒星は地上に落ちるまで十数秒の猶予しかなかった。

(いかん、衝撃が来る――)

 メフィーは地面に手を衝き、樹の障壁を組み上げた。

「全員、伏せろ!!」

 直後、激震と突風が吹き荒れた。

 砂塵と木々の葉が舞い上がり、それが地上に漂いながら落ちて行くころ、メフィーが作った障壁の陰から皆がゆっくりと顔を出し、流れ星の落下地点を窺う。

 遠くで砂煙が上がっていた。

 予想を超える衝撃に、当のルカヱルたちの状況を予想したセタの背中を、ぞっとした悪寒が襲う。

(ノアルウ様との戦いで落ちて来たのか? いったい何があったんだ……?)

「――ルカヱル様!!」

 そうして堰を切ったようにセタたちが樹で作られた障壁から出て、落下地点へ向かって駆け寄っていく。



「ノアルウ、ごめん」

「――ううん。ルカヱル、ありがとうね、私のわがままを聞いてくれて」

「ごめん。でもこんな方法しか、もう無かった」

 声も手も震えせながら、ルカヱルは箒を握り直し、同時に涙の雫が滴り落ちて地面を濡らした。

「いいの。君は……ただ、樹を植えただけだから」

 ルカヱルの握る箒の柄の先はノアルウの胴体を深く貫き、大地に突き刺さっていたのである。


 それが難局を打破する手段の結果だった――インクレスの共鳴が及ばない遥か大気圏外から地上へ加速し、地上にたどり着くと同時にルカヱルの箒を苗木として、ノアルウ自身が自分に対して封印の魔法を行使する。


 封印に必要な時間と道具、魔法、そして魔女の全てをそろえつつ、寄生の影響を掻い潜るための、ルカヱルが考えた策だった。

「もう私の願いはかなった。少し眠るから……ごめんなさい。貴方の箒を、しばらく借りるね」

「……うん。いいよ。おやすみ、ノアルウ」

「さよなら――ルカ」

 ノアルウが箒の柄を握って魔法を行使し、“樹植え”を行う――その瞬間、箒に一瞬だけ光が宿ると、マナを吸い上げて穂先の枝葉が伸び、柄が幹のように樹皮を纏い始めた。

 ほどなく幼い樹が大地に根付くと、ノアルウは静かに目を閉ざした。

「うう、ああ……あああぁ……」

 魔女は基本的に呼吸を必要としない。だからノアルウは、まるで息を引き取ったように眠っていた。

 静かに眠る友の胸元で、ルカヱルは声を殺して泣いた。


「……ノアルウ、ルカヱル。これは……そういうことか……」

 その光景のもとへ最初にたどり着いたメフィーは、葉を付けた箒の樹を見て、すべての経緯を察した。

 それゆえに、メフィーにしか分からない懸念事項が急激に渦巻く。

「この、馬鹿弟子め……。自分自身に封印の魔法を行使すれば、どんな結果になるか分からんぞ……」

 わずかにその表情が歪み、唇をかむ。

 それでも自分の魔法に賭けたのかと、眠りについたノアルウに聞いても分からない。もっと割の良い方法もあったはずだと、メフィーなりに思うことはあった。

 ただ弟子が頑張ったというのに、悪い事ばかり想定しても仕方あるまい――メフィーはそう思い直し、掛ける言葉を探しながら、静かに二人の元へと歩み寄っていく。

「ルカ!!」

 その脇をセタが追い越し、泣きじゃくる魔女のもとへ駆け寄っていった。駆け寄って来たセタを見たルカヱルが彼に抱き着き、また泣き声を上げる。

 それから彼女が落ち着くまでの間、セタは彼女に胸を貸し続けた。

「落ち着きましたか?」

「……うん。ご、ごめん! ちょっと色々あって」

「ええ。状況は、見ればなんとなく」

 セタは肩を竦める。

 隣ではノアルウに寄り添うように膝をつくメフィーと、その後ろから様子を窺うアーニアたちが立っていた。

「箒で封印を……。ルカヱル様がやったの?」

「いや、封印をしたのはノアルウ自身だろう」メフィーは立ち上がると、ルカヱルの方へと歩み寄った。「――こやつは竜と違い、野ざらしにはできない。経過を確認するうえでも、守る必要がある」

 そういうと、漆塗りのバッジを取り出し、ノアルウの胸元においた。

 さらに周りを囲むように地面から木々が背を伸ばし、互いに絡んで束なると空に向かって生長して、やがて大きな樹洞のような構造を形成した。

「ノアルウの回復はここで見守る。良いな、ルカヱル」

「……うん。ありがとう、メフィー」

「礼を言うのは儂の方だ。あとは回復を願うしかないが――行こう。インクレスのより根本的な対策も、ゆくゆく講じなくてはな」

 一同が樹洞から出ると、そこにはヲルタオとリンが既に到着していた。

「皆さん、ごきげんよう。お迎えに上がった所、大きな樹が伸びるのが見えたので、メフィー様かなと」

「ありがとう。……色々と誤算はあったが、ひとまずやるべきことは終わった」

 夜が明け、明るくなった朝の木陰で、皆は顔を見合わせた。

「皆、ご苦労だった。帰ろう」


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