61話 世界平和のための
意識が徐々に覚醒していき、俺は変わらない状況のトラナとコアルームを視認した。どうやら時間は止まっていたらしい。
トラナさんが眉をひそめ、事故にあった鳥獣の死体を見るような、悼むような目をこちらに向けた。
「大丈夫?」
そして、意識を失った俺にそんな心配をしてくれる。
「あー、今ナナヤ女神と話したんですが、やっぱり俺じゃないと世界は救えないみたいです。それで、だとすると僕はトラナさんを倒さすべきなんですが」
だってトラナさんのいう方法では世界平和は実現できないようだし、ジャクリーンさんは下半身の声から逃れたいと言っていた。
だから、本格的にこのトラナという亡霊にはいてもらう意味がない。
けれど当然トラナ本人としてはそういうわけにはいかないだろう。彼女は鼻をふんと鳴らした。
「もう魅了魔法で乗っ取られちゃったのかな?殴ったら元に戻るかな」
そして彼女は初めて敵を見る目をこちらへと向けた。
───彼女のいう正義の味方というのはこういう生き方のことなのだろう。今更言葉を交わす意味はもうなさそうだった。
お互いに戦闘の構えを取る。トラナさんは先程の超速タックルをするつもりなのかクラウチングスタートの姿勢を取り、俺は脚を一歩引いて待ちの態勢を取る。
彼女は俺の加護が何かを知らない。しかし『ナディナレズレの巨塔』にいたダンジョンモンスターほとんどのDPを自らに注ぎ込んだ彼女のステータスは、並大抵の加護であれば容易に蹴散らせるほどのものだろう。
彼女が肉弾戦を試みるのはある意味当然だと言えた。
トラナさんはクラウチングスタートの構えのまま、お尻を上げ、膝にタメを作り───
そして、
心配になるくらい顔を地面にぶつけ、仮面は外れて飛んでいってしまった。
「痛ったぁ!」
と大声をあげ、すぐに頬をさする。そして彼女は気づいたようだ。自分が頬をさすっていることすらおかしいということに。
「なんでコケたくらいで肌擦りむいてんの?私」
呆然として座り込んだ彼女は、目をぱちぱちとさせた後、やはりジャクリーンさんの持つ地頭のよさゆえだろう。すぐに今何が起こっているのかに気づいたようだった。
「ステータス上昇の無効?」
そう呟くとすぐに俺の方をキッと睨みつけた。まるでそれはチートだと責めるように。だけど無効化というのは半分正解で半分外れだ。
これはトレジャーハンターが戦用に身につけるような加護とはまるで違う。正真正銘呪いの女神ナナヤの、加護ではなく
「
あの神殿にいった日、俺が貰った加護はいくつかあったが、そのなかでも特別変なものがこれだった。ナナヤ女神が興奮していた、俺にしかつけられない加護。
───この世界においてあらゆるスキルは神の力を借りたものである。つまり今この時に限っては、全てのスキルは使用不可能であり、
わざわざ異世界に来てまで殴り合いをするのもなんか違う気がするが、そういう加護なんだから仕方がない。
それに、ナナヤ女神のこの加護は戦闘するためのものではないのだから。ナナヤ女神の意図に気づいたのか、トラナさんが、俺に驚愕の目を向けた。
「正気じゃないよ」
そりゃそうだ。この加護を使えば戦闘は常に死が隣り合わせになるのだから。
トラナさんはすぐにデニーバジの祝杯の発動を試したが、そもそも空間魔法が作動せず、手にすることすらできない。まあ手に入れられても発動はしないだろうが。
「……じゃあ、今から殴り合いますか?」
俺はトラナさんに聞いた。彼女が地に付しているものだから、なるべく煽っていると思われないように、丁寧に。
彼女はそれを聞いて少し悩んだ素振りを見せたあと、
「いいよ。そうしよっか」
と笑顔で言った。
けれど俺はもう、構えはとらない。
彼女はステータスが下がり、さらに200年ほど動かしてこなかった脚でよたよたと走ってきて、俺の胸をぺシリと叩いた。
俺はそんな彼女の手を掴み、地面へと抑えつけた。俺も前世と同じ身体能力に戻っているとはいえ、病弱気味のトラナさんの体を抑えつけるには十分すぎる筋力はあった。
ずっと身もだえしていた彼女だったが、どうにもならないことを知ると苦しそうな顔で首だけをこちらに向けた。
「あのさ、私も勝てるなんて思ってないんだからさっさと殺してくれないかな。ボス部屋はどっちか死なないと出られないんだから」
そしてそんなことを言う。元々俺の加護の能力を知った時点で、自分が殺されるつもりで、殺しやすくなるように勝負を受けたのだろう。
けれど、どうしてこんなに優しい女性を俺が殺さなければならないんだ。
「それも、もういいんです。俺たち殺し合いするほど仲悪くないじゃないですか。お互いに、この世界を良くしたいって気持ちは同じなんですから。手、離すんでボス部屋の扉持ってもらっていいですか?」
俺は彼女を解放したあと、のんびりと歩いて重々しい石扉に手をかける。もう
トラナさんも不可解そうな顔をしつつ、ゆっくり歩くともう片方の石扉に手をかけてくれた。
「いっせーのーで」
二人で力を込めて押すと、ゆっくりと扉が動く。もう神に見放されたこのダンジョンには、どちらかが死なないと開かない扉なんて不思議なものはないのだ。
「やっぱり、お互いに世界平和を願ってるのに争うなんて馬鹿げてますよ。そんなルール、こっそり破っちゃいましょう」
XXX
ずっと不思議に思っていたことがあった。どうして神殿で俺に加護を授けたあの日、ナナヤ女神は神の事情をあんなに丁寧に説明したのだろう。いや、神同士の契約ということはわかるが、もっと隠す方法はあったはずだ。
俺はこう思う。ナナヤ女神は、何か思惑があって「神の弱点」を教えてくれたんじゃないだろうか。
そして神の目から隠れることができるというこの加護。自ら成長することができるダンジョンという仕組み。モンスターの在り方を哀れだといっていたこと。
その発端の全てがナナヤ女神となれば、もう神に抗えと言っているようにしか思えない。そして、このモンスターと人間が殺し合い続けるというシステムそのものにも。思えば、ナナヤ女神は多くのヒントを残していた。
この力があれば、ダンジョンマスター同士の代理戦争とかいう馬鹿げた人形遊びを無血のまま終わらせることができるかもしれない。
そして、ジャクリーンさんはその第一歩となるのだろう。その割には、だいぶ血を流してしまったような気がするが。
───扉を開くと、すぐ近くにリュウジョウが控えていた。俺とトラナさんが二人で出てきたことよりも、トラナさんの姿を見て驚いているようだ。
「トラナ?」
「うん。久しぶり。リュウ」
しかし、一瞬少年のような顔になったリュウジョウの表情は、トラナさんの言葉を聞いてすぐに元に戻った。
《・》と気づいたのだろう。
前世の話を聞いている分あまりにいたたまれないので、フォローを入れてあげることにした。
「ジャクリーンさんの二重人格みたいです」
俺の言葉に、リュウジョウは「そうか」とだけ呟き、トラナさんの方を向いた。
「聞かせてくれ。どうしてあのボロ小屋が襲われたあの日俺たちを捨てて逃げなかった」
そして、真面目な顔でそんなことを聞いた。
……いや、二重人格でもいいの?話聞いてた?
と思ったが、そもそもリュウジョウの言う蘇生というのは、元々こんなもののつもりだったのだろうか?
その言葉にトラナさんは胸をツンっと突き出して誇らしげに言った。
「当たり前じゃん!世界平和より家族の方が大事だったからだよ」
その言葉を聞いてリュウジョウは驚いた顔をした後、晴れやかな、それでいて我が子を見るような眼差しで言った。
「そうか。お前はやっぱりトラナ・スプーンベンダーじゃないよ」
どうやら、彼の中に生きているトラナとは違う答えだったらそお。
XXX
「目、覚めました?」
車椅子に座ったジャクリーンさんがゆっくりと頭を起こした。顔はどこか気だるげだ。
「ええ。全部見てましたよ。負けてましたね。トラナさん」
「あれ?まだ自分が人格乖離っていう自覚はない感じですかね?」
「いえ、今までトラナの人格は声をかけてくるだけだったのですが、この身体の所有権を譲った時点で全然他の記憶がないんですから、すぐに気づきましたよ。トラナさんは私が作った虚構だったんですね」
ジャクリーンさんはやれやれと両手を広げた。うん、やっぱりこの敬語なのにどこかおちゃらけている感じの彼女が、一番落ち着く。
「じゃあ、もう治ったんですかね?」
「あーいえ、どうやら私はまだ強迫観念的なものがあるらしくて。トラナにならないと脚が治せないんですよね。なぜか」
そういって見せてくれた彼女の破れたロングスカートから覗く脚は、また老いた姿に戻っていた。
けれどまあ、いつでも治せるのだから治ったようなもんだろう。というか強迫観念とかではなく、彼女が本物のトラナの脚を捨てたくないと思っているだけなんじゃないだろうか。
「リュウジョウ様はどうなりました?お前はトラナじゃないと言われた後です」
ジャクリーンさんが聞く。
─────あの後リュウジョウは、自分の中にいるトラナの精度にでも満足したのか黙り込んでしまった。それから俺はナナヤ女神の計画を説明したが、「俺はもうジャクリーンのダンジョンモンスターだ」と言って自分の意志を明かすつもりはないようだった。
その後、トラナさんも「私は眠るから、ジャクリーンちゃんによろしく!」と言って目を瞑ると、本当に眠ってしまった。この状態で起こすとまずいかもしれないと思ったので、結局ジャクリーンさんが目を覚ますまでこうして待っていたというわけだ。
「ジャクリーンさんに従うそうです」
「そうですか」
はぁ。とジャクリーンさんは大きくため息をついた。
「それで、これからどうするんですか?」
俺はナナヤ女神の秘密主義のせいで分かりづらくなってしまっていたが、ともかくこの世界で運命づけられている殺し合いと神に奉仕する定めを無くすことに尽力することになるのだろう。
今まで通りダンジョン攻略はするのだろうが、本格的に使命感を持って、表の世界……政治に手を出していくことになると思う。
ジャクリーンさんは悩みこんでしまってなかなか答えようとしない。でも、彼女だって自分のやりたいことははっきりしているはずなので、後押ししてあげることにした。
「ちなみに、裏切ったことはみんな多分怒ってないですよ」
「ほんとですかぁ?」
「ほんとほんと。お酒は控えてもらうと思いますけど」
俺の言葉に彼女は「はぁ」と、再びため息をついた。
「もう下半身だとか設定だとか寿命についての恐れは消えたんですが、今まで生き残るためにしか活動をしてこなかったもので。これから何をすればいいのやら」
自らの命を守るためだけに生きていたジャクリーンさんならではの悩みのように見えて、それは自分のやりたい事が見つからないという至極ありふれた悩みだった。
けれどこの事に関してはアドバイスがしてあげられる。俺は前世でその悩みにさんざん苦しめられてきたのだから。
「前の契約憶えてます?」
「はい。リュウジョウを倒した後、私と契約して脚を戻す計画ですよね」
「ジャクリーンさんは俺とナナヤ女神との対談についてきていなかったら、その後どうするつもりだったんですか」
「はい?」
「あれ?死ななくなってからしたいことがあったんじゃないですか?ジャクリーンさんは」
「あー……」
そういって斜め上を向いて考えた後、
「脚を取り除いても、贖罪やらトラナの声なんかの問題が解決すると思っていませんでしたので、次の争いのことしか考えてませんでしたからねー。まさか全てがいっぺんに解決するとは」
と、至極まっとうなことを言った。しょうがない、こちらから声をかけるべきなのだろう。
「特に予定はないなら、いったんウチに来ますか?これから世界の改革をしていくことになると思いますけど」
俺の誘いに悩む素振りを見せた彼女だが、その口元がわずかに緩んでいたのを俺は見逃さなかった。
「ま、私の部屋もありますしね。仕方ありませんね。ウィトさんのダンジョンモンスターになりますか」
「い、いやいや。別にうちのモンスターになる必要はないですよ。同盟関係にあるダンジョンでいいじゃないですか」
「もともと憧れてたんですよ。毎日ラジオ体操したり勉強して、たまに外に出るナナヤの巫女達の生活に。それに、たぶんきちんとダンジョンモンスター契約を結ばないとナナヤの巫女達とちゃんと友達にはなれないと思いましてね」
本当に人権侵害以外の何物でもないダンジョンモンスター契約を新たに結ぶことになるとは思ってなかった。けれど、うちの子達と友達になるためなら仕方がないか。
「……うちの巫女達にも言いましたけど、契約解除したかったらいつでも言っていいですからね」
「はいはい」
『契約魔法』を発動して青い光の糸を送ると、彼女はそれを手の甲の上に乗せて受け止めた。
+++
ジャクリーン・スプーンベンダーがダンジョンモンスターとなりました
+++
契約完了である。それにしても、命を守るためにずっと活動してきたジャクリーンさんが俺に命を預けてくれるとは。
「ふふふ」
漏れ出すような笑い声が聞こえて、契約の印である手の甲の紋章を見ていた俺は、彼女の方へと顔を上げた。
「どうしたんですか?」
「いえいえ、これからのことを考えると愉快でなりませんでしたので。とりあえずゆっくり休んだ後はアニマさんに絵を習うだけじゃなく、詩もやってみたいんですよね。アンジェさんが詳しいらしいのですが」
俺は彼女の笑顔を見て、ようやく自分が平和だとか未来だとか、そんな風に呼ばれる尊いものを守ることができたのだという気分になって、その笑顔を脳裏に焼き付けることにしたのだった。
ダンジョンマスターに転生したので引きこもってモンスターを溺愛してたらいつの間にか最強になってました~美少女になったモンスター達が勝手に世界を侵略し始めたんですが~ 貼らいでか @hara_ideka
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