60話 暗室の狂気

「巫女のみんなは加護を使って欲しくないもんだと思ってたけど」


 トラナ・スプーンベンダーは血を溢すアニマの死体をゆっくりと地面に寝かせながら呟いた。


「私はウィト君にはナナヤ女神の加護を使ってほしくないな。あの女神はまともじゃないよ」


 そしてそう言って、やれやれとわざとらしく首を振った。


「力を使って人に何かを強要するのはナナヤ女神もトラナさんも一緒ですけどね」


「全然ちがーう!苦しみを肩代わりしている私と、押し付ける女神だよ?」


 俺の反論にトラナが腰に手を当て頬を膨らませる。


「でも結局トラナさんも言う世界平和ってのは、ナナヤ女神様の言っていたダンジョンマスターを倒す計画でしょう。だったら仲良くする必要があるんじゃないですか?」


「あの女神はウィト君の身柄なんて気にしてないさ。私がもっと効率的にやるって言えば、許すさ。きっとね」


「それは違うと思うんです」


 俺の言葉に彼女は訝しげに目を細めた。


「まさか、あれからもう一回ナナヤ女神に会ったの?」


「いえ、ただ魔法を唱えようとすると詠唱が浮かぶでしょう?それで、ナナヤ女神の考えがわかったんですよ」


「詠唱って、あの詠唱?」


 トラナさんが目を丸くしてこちらを見た。


「今から、唱えてみますね」

 

 そして俺は頭にナナヤ女神の加護を思い浮かべる。胸元の紋章の灼けるような熱さを感じながら、思いつく言葉の洪水に舌を任せる。


「『詠唱なんてのはラベリングが出来てればそれでいいの』『呪文も祝詞もフレーバーに過ぎない』『ウィト。これはアンタのための魔法』『必要になれば、唱えなさい』」


 俺は一瞬の頭痛の後、自分の視界が目に吸い込まれていくような感覚に陥って、そして自分の心を見た。


 XXX


 気がつくとそこは宇宙だった。これが心の中かと納得したけど、数瞬の後に、昔みたアニメの一コマだと気づいた。そしてそのアニメのことを思い出すと次々とそれに対応して世界の風景が変わっていく。


 それに応じて身体の感覚も無重力や超重力と次々変わるものだから、俺は自分が最も想像しやすいコアルームのことを考えて、そこで落ち着くことにした。


 そして、俺の心の中のコアルームにて、ナナヤ女神は俺を待っていた。


「あーそう。もう来たのね」


 と、そう言った。


 心の中に入り込んだ彼女という異物に全神経が集中され、もはや俺の心の中には彼女と俺の精神以外の何者も存在しなかった。当然俺には身体の反応もなく、彼女の周囲には白や黒すらない彼女の拍動の反響した風景が拡がるのみだった。


 そして、対話が始まる。


「詠唱って、本当に適当なんですね」


「適当じゃないわよ。何回も耳に入っちゃうものだから、皆好みの文章にしてるんじゃないかしら。だから料理名が詠唱の神もいれば、全部変なオリジナル言語の神もいるわけ」


「とは言えども、あの詠唱はあんまりだと思いますが」


「いいのよ。あの呪文を知ってるのはアンタだけなんだから……それで、何の用よ」


「今、私の代わりに世界征服をしたいと言っている者がいまして」


「ふーん。あの後ろにいた女?」


「ご存知でしたか?」


「舐めないでよ。神は欲叶えるのが仕事なんだから。それで?アイツがアンタを脅して私の加護を奪おうとでもしたわけ?」


「いえ、どちらかといえば俺の役目を代わりに背負ってあげたいって感じでした」


「あっそう。ま、あの小賢しい女の考えそうなことだわ。っていうか、元々はアンタがもっと早く行動してればこんなことにはならなかったんだけど」


「返す言葉もございません」


「それで?あの女を殺すだけなら、私の加護があればでしょ?どうしてわざわざ私の時間を取らせたわけ」


「聞きたいことがあったんです。なんで、世界平和の道具が俺なのか」


「言ったでしょ。あんたが命以上のものを捧げられるからよ。加護の量はそのまま強さに繋がる」


「でも、この世界には契約魔法があります。何か俺の自由を確保してくださる理由があったんじゃないですか?」


「何?世界制定、したくないわけ」


「いえ、世界の平穏を願う気持ちはありますよ。ただ、もっと上手くできる人は確かにいるかもしれないなって」


「ふーん。アンタのいう世界平和って何?」


「苦しみはあっても仕方ないと思うんですが……強いて言うなら、世界に悪がない状況ですかね」


「じゃあ例えば、今回の引き金である神の代理戦争における悪って何?」


「うーん。強いていうなら世界の仕組みですかね?遊びで人間を産み出した神々とか」


「その悪が確定できなきゃ世界平和なんて夢のまた夢ね。アンタ自分が矛盾してるの分かってないでしょ。はーっ、まあいいわ。その女は何か言ってた?」


「いえ、ナナヤ女神と言われたダンジョンマスター狩りをするつもりらしいですけど」


「…………私はね。思うのよ。戦いを終わらせるには、正義と悪という対立構造を終わらせる必要があるんだってね。正義がある限り、別の正義に倒されちゃうわけだし」


「……」


「分かってるわよ。正義の敵は別の正義とかくだらないありふれた考えだって言うんでしょ。まあそれもそうなんだけど、私の考えはちょっと違うの。正義っていうのは、元々悪の一つの形なの」


「はぁ」


「いい?私の考える悪っていうのは、他人のリビドーを阻止することによるリビドーよ」


「リビドー……」


「快楽のことね。楽しさとか、生きたいって気持ちとか。家族を守りたいとかいう快楽。もちろん交尾もね。世界の生物は全てリビドーのために生きている」


「悪は他者の快楽を阻止すること。違和感はありませんが、つまり……」


「正義は悪のリビドーを阻害するという悪のリビドーの一種っていうことになるわね。資本主義なんて最悪よ。生きているだけで全ての人間とリビドーを奪い合うレースに参加することになる。そりゃこの世界から悪が消えないわよ。全員小さな悪事を働いていることになるんだから」


「なるほど」


「そもそもね人間に正義も悪もないのよ。あんただって目の前の人間が残虐行為に及んだ殺人鬼なら死んでほしいと思うだろうけど、それはミクロの視点の話。あんたがさっき言った通り、大抵の人間は「世界中の人間が幸せになるように」って考えてる。ミクロとマクロの視点が違うせいで矛盾が生まれてるだけなの」


「……今回のジャクリーンさんはそのパターンですかね。世界平和を祈ってるのに、自分の犠牲も願っているとか」


「反省なんてまさにリビドーそのものよね……ま、それはいいの。大事なことは、ミクロとマクロの矛盾をありのまま受け入れないと、単純に自分の持ってる視点を減らすだけになるってこと。人間は世界平和を願いながらも目の前の敵を殺すのが似合ってるわ」


「その話でなんで僕なのかってのは」


「ちっ!ありがたい話をしてやってるんだから黙って聴いときなさいっての。あのね、アンタを選んだ理由は、貴方のリビドーは「恋を探すこと」だからよ。それは貴方自身が生きてさえいれば誰にも阻止されることはない。命さえも顧みない貴方の世界に、。だから元々悪じゃない貴方は、悪になりえない。もちろん正義という名の悪にもね」


「そんなことないですよ。僕だって目の前で誰かが傷つけられれば怒りもしますし……」


「だーかーらー、誰にでもある世界平和を目指す気持ちはそのままあってもいいの。この世からリビドーを消すことはできなくても、殺人や傷害を消すことならできるんだから。いい?私の目指す世界平和は正義という悪が争い続ける醜い世界じゃない。皆アンタみたいな人間になるの。「永世世界平和」の実現には正義のヒーローはいらない。あんたみたいな何者でもないスカスカな奴の力が必要ってわけ」

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