59話 狂想曲 その3

 そこまで言うと彼女は顔を片手で多い、クハハと笑い始めた。今まで一度もふざけた姿を見せなかった彼女が直接的な狂気を見せることはそれが初めてだった。


 いや、狂気ではない。彼女が心の根を見せたことが初めてだったと考えるべきだろう。そしてその発奮は恐らく衝動的なものでなく、もう隠しきれないものだと判断したゆえのことだろう。


 俺たちの眼前で目を覆い、隙を晒す彼女は、話が終わったのだというメッセージを伝えているように見えた。


「……我が主マイ・ロード。世界を救うべき告げられたのは二回目ですね」


「……そうだな。けど、今回は前回と丸っきり違う」


 彼女の主張する二つの要素。殺しは伝染し、やがて持ち主の命を奪うという「殺しの螺旋」の存在を確信したという主張と、俺が世界を統べるべき発言は、まるで文脈が繋がっていない。


 この二つを繋ぐことができる文章は、一つだ。「誰かに汚れ仕事をやらせて、ウィトさんは平和な世界を守護してください」。


 そしてジャクリーンさんのこれまでの行動から、その汚れ役が誰であるかということは明白だった。


「ジャクリーンさん。悪いけど、他にもっといいやり方があると思います。普段のジャクリーンさんはもっと賢かったはずです!」


 ナナヤ女神に世界平和の維持を任されたときには、その責任の重さ、自分じゃなくて他人の方がうまくやれるという期待からそれを断ろうとしていた。


 けれど今、俺はその責任を負ってくれるという相手に対して、それを自ら引き受けようとしている。……これは俺のツケなんだ。世界を征服して安寧を保つという義務を唯一女神に託されていたというのに、それを真剣に捉えていなかった俺のツケ。


「ここでジャクリーンさんに任せるということは、全てを彼女に押し付けるということだ。そしてその先どうなるかなんて、俺には分かりきっている」


 十人のダンジョンマスターを倒したことで気を病んだジャクリーンさんが世界中のダンジョンマスターを討伐なんてことをすれば、彼女の命の保証はない。


 その言葉を聞いて、ジャクリーンさんの目がギョロリとこちらを向いた。


「心配していただかなくて結構です。ええ、結構ですとも。私の精神はかように脆くとも、私にはこの下半身がある。きっと世界中の罪を背負って消えてくださるでしょう」


「どうしましょう我が主マイ・ロード。何を言っているのかさっぱりです」


 アニマが困ったものを見るように言った。このときばかりは彼女の余裕が少し気を楽にさせてくれた。俺とて彼女の発言は先程から要領を得ず困っていたが、今の発言でようやく少し見えてきた。


「彼女、後ろを見れば殺した人々の思いが見えるって言ってたよな。トラナの下半身に意識を持っていかれているとも」


「ええ」


 アニマが頷く。俺はようやく彼女の言動が少し読めてきた。そして今までどれだけ自分のことばかりで、周りが見えていなかったのかということも。


「殺人の強要による、ストレス性人格乖離」


 支離滅裂な行動にもこれなら説明がつく。いや、強制的に説明をつけてしまえる。植え付けられた正義感の設定と、矛盾する殺人への使命感。そして幼い頃から何度も見せつけられた姉妹の


 もし人間の幼子に同じことがあれば、むしろ人格乖離が起こっていない方が不思議なほどのイベントが目白押しだ。


 むしろ俺はなぜ今まで、俺たちに対して優しかったジャクリーンさんが、


「…………なら、先程までの自分語りは自殺前の遺言ということですね。それも、自我の崩壊という形の自殺へと。さすが我が主マイ・ロード。慧眼でいらっしゃる」


 アニマがようやく納得したと、頷いた。


 そして彼女の接がれた下半身が誰のものであるかを考えれば、そのもう一つの人格の正体はおのずと判断がつく。


 ジャクリーンさんが手のひらを上に向けると、虚空から彼女の手のひらに向かってビールが注がれる。彼女はそのビールでずぶ濡れになった手を顔の上に持っていき、それをすすった。


「ジャクリーンさん……もしかしてずっと酔ってたんですか?初めて出会ったときからずっと、同じ様子だから気づけなかったけど」


 俺の疑問に彼女はフフとだけ笑みを返した。


「乾杯は……してくださらないですもんね?」


 ジャクリーンさんは美味しそうに、自らの指を四本、ジュルリとしゃぶった。


「ジャクリーン。私達のために意識を手放すというなら、それは余計なお世話だと伝えておくわ。貴女が何もしなくとも、私達は我が主マイ・ロードに世界を捧げられる」


 アニマが告げる。しかしこれは説得ではない。友人としての気持ちを伝えたにすぎない……もう彼女の横顔は運命を飲み込んでいる人間のそれだった。


「まさか。私の目的はこれまでもこれからも自分のため、そして果たせなかった正義を果たすためです。彼女のお話をきけばきっと、この世界の運命を打破するための方法を認めてくださるはずです」


 そしてその言葉を最後に、ジャクリーンさんが車椅子から


 そこにもうジャクリーンさんの姿はない。彼女がロングスカートの下半分を破り捨てると、そこには健康的な若い脚。


 その顔は今まで見たことがないほど快活な笑みを浮かべていたのだが、すぐ隠し持っていた黒い仮面によって覆い隠される。


「我が名はトラナ・スプーンベンダー!正義の味方だ!アニマちゃんもウィト君も安心しなって!私が来たからには、もう戦う必要はないんだよ。だから二人には、生涯不戦の契約をしてもらおう!」


 トラナ・スプーンベンダー。世界平和のために悪の抹殺を繰り返す、正義の黒仮面がそこにはいた。


 XXX


「とーうっ!」


 突然の飛び蹴りを側転で躱す。彼女の脚が着地した地点からの風圧だけで、俺の身体がわずかに飛ばされる。


「避けるなっ!」


「避けるに決まってる!」


「生意気な!」


 口では虚勢を張っていても、俺のステータスはAランクモンスターである彼女には遠く及ばない。


 姿勢を極限まで低くした彼女の接近を、命からがらこけるようにして回避した。俺がこうして避けられているのは彼女がヒーローごっこのようにわざとらしいモーションをしているからというだけであり、今の俺は遊ばれているだけに過ぎなかった。


 いや、あるいは彼女も、俺自身の意思で不戦の誓いをして欲しいと考えているのかもしれない。


 けれど俺も、それを許すわけにはいかない。不戦は別にいい。だが、戦える俺たちが全ての責任を弱った彼女に押し付けるということは、きっとこの世の多くの悪よりもっと惨い。


 その行く末には悲劇しか待っていないのだ。けれど、彼女にはそれが分かっていない!


「トラナさんが殺しても結局俺たちが命令して殺したのと一緒ですって!無意味です!」


「ノンノン!私はもう死んでるんだっては!ジャクリーンちゃんの身体を借りてるだけ!だから皆殺して私の下半身を切り離せばオッケー!それからジャクリーンちゃんには旅にでも出て貰えばいいさ」


「そんなうまく行くかよ!だいたいあんたは本当のトラナじゃねーし!」


 完全に現実が見えていない。トラナの人格は完全に虚構のものであるはずなのだから。そもそも下半身に脳はないのだから接いだって考えが移るわけない。このトラナはどう考えたって「ジャクリーンさんにとって都合のいいトラナ」だ。

 

 ジャクリーンさんが犯した殺人の贖罪を果たしてくれる装置。それが今目の前にいるトラナ・スプーンベンダーであり、そしてそれはその実、ただのに過ぎない。


 口喧嘩に気を取られたトラナに対してアニマがすかさずレイピアで追撃をかける。


 しかしトラナは隠し持っていた破ったスカートの切れ端を広げると、それで彼女の突きを包み込むことで彼女の腕を絡めて関節を極めた。


 突きを掴むことは難しいが、布の類いを使用することによって無力化を可能にする初歩的な戦闘のテクニックである。だがおかしい。


「完全に戦い方を知ってる人間の動きじゃねーか」


 どうして座りっぱなしだったジャクリーンさんがこれほどまでに人間の体技を使いこなしているんだろうか。まさか本当にトラナさんの意識が入っているわけでもあるまい。


「そういえばサリュちゃんとアンジェがジャクリーンさんに護身術を教えてました!」


 腕を後ろに捻られながら、アニマが叫ぶ。やっぱりあれって俺がナナヤの巫女達に教えた技かよ!


「仲が良くて何よりだ!」


 トラナさんに炎魔法を放ち、アニマを彼女の手から逃れさせた。だが、もし彼女の目的がアニマを殺すことであれば、既に彼女の命はなかっただろう。


「どうしてお願いを聞いてくれないの?私がウィト君の代わりに世界征服をしてあげようって言ってんのに!元々そんな乗り気じゃなかったじゃん」


 トラナが駄々っ子のように叫ぶ。しかし彼女の感情に憎しみなどは一切ない。むしろ、友人に対する親しみのような感情を前面に押し付けてきていた。


 しかしいくら彼女に俺達と過ごした記憶があっても、俺とトラナの人格は初対面である。


「トラナさんがやったって成功するかわからないでしょう?」


 俺はジャクリーンさんが心配だという理由と、とりあえず一度きちんと落ち着いて話をしたいという理由で彼女を止めようとしているが、そんなことで彼女の気が収まる気配はない。だから俺は切り口を変えて説得してみることにした。


「大丈夫!私に作戦があるの!私の『死体接合』と、ピルリパートちゃんの『怪人作成』、サリュちゃんの『伝承化』があれば、みんなからユニークスキルだけ貰うことができるはずなんだって!だって、もう戦わないみんなには必要ないはずでしょ?」


 するとなんと、すぐに不戦の契約以外の条件が飛び出してきた。


 ……元々ジャクリーンさんは俺の命を人質にしてた人だし、ベースが身勝手なんだよな。


 契約魔法とやらのせいで殺人以外の目的でも戦いが最善策になるのが最悪だ。もし契約魔法で行動を完全に縛ることが出来なければ彼女もこんな手段には出なかっただろう。


 ────俺は彼女に二度敗北している。だから彼女の目的が世界平和なのだとしたら世界平和を願う一人の人間としてその座を明け渡す必要があるのかもしれない。


「けど、ジャクリーンさんはそんな死んだトラナさんに全てを押し付けることをして納得できるんですか?というか上手くいくと思ってるんですか?」


「失敗してもジャクリーンちゃんには危害はいかないからって安心しなって!」


 彼女は、力自慢をするように腕をぐるぐると回す。


 その様子は自信に満ちあふれていて、この暗い世界に差し込んだ光のように見える。


 しかし俺は異世界の知識から、それを知っている。彼女の作戦ではトラナの人格がダンジョンマスターの鏖殺をなし、その後トラナの人格を切り離すつもりらしいが、人格乖離とはそんな単純なものではないということを。


 ……トラナそのものになったと考えている彼女には言っても無駄だろうが。やはり、力ずくで彼女を止めるしかないようだ。


「交渉決裂ですね。今のジャクリーンさんには何を言っても無駄でしょうから、諦めていただきます」


「だからトラナだってば、見てよこの脚!トラナそのものでしょうが」


「ただダンジョンポイントを使って改造しただけでしょ!」


 二重人格の症状が彼女にとって最悪の結論を導いている。


 俺だってユニークスキルを譲ったっていいし世界調停の使命を彼女に譲ることにはなんの不満もないのだ。けれどその手段も、予想しうる結果も、何もかもが最悪だった。


 話にきく本当のトラナ・スプーンベンダーならそんな選択、取るはずがない。


「リュウジョウがダンジョンマスターになったとき贖罪のチャンスだと思ったように、俺がナナヤ女神に世界救済を頼まれた姿を見て、贖罪のチャンスだと思ったんでしょ?トラナさんを殺した分を取り戻すチャンスだって!自分を罰するのに他人を巻き込まないでください!」


「うるさーい!」


 俺の責めに激昂したトラナさんが姿勢を低くしたかと思うと、十歩分ほどもある距離からひとっ飛びで頭突きをかましてくる。


 両手をクロスさせて衝撃も和らげるも、受けきれずに吹き飛ばされた。


 どんだけ理不尽なパワーだよ。ほんと全く、スーパーマンみたいだ。正義の味方とはよく言ったものである。


 しかしいつまで経っても追撃がやってこない。おかしいと思って彼女を注視すると、距離が開いた隙に『デニーバジの祝杯』をどこかから取り出していた。。以前俺のダンジョンのメンバーほとんどを眠らせたやっかいな杯である。


 けれど今回は、睡眠対策装備は万全に揃えてある。


「甘いわね!」


 アニマが、トラナさんが睡眠魔法を使用している今こそがチャンスだと駆け出した。────しかしどうやら、トラナさんの様子がおかしい。


「ふっふっふ。お酒の効果は眠るだけじゃないのだよ!」


 トラナさんが変身ベルトを買ってもらった幼児のように、自分が最強だと信じて疑わないような、不敵な笑みを浮かべた。


 待てよ、攻めている場合じゃない!このままじゃまずいぞ!


「アニマ!避けろ」


 俺が叫ぶと、アニマは武器を捨てて地面に伏せた。


「『人の宴は果無し事』『まうとの席はない』『俺たちの席もない』『さあ飲み干せ』!」


 ────元々ジャクリーンさんの持つデニーバジの祝杯には詠唱はなかったはずだ。つまり、ジャクリーンさんのなかで、「デニーバジの祝杯を完璧に使いこなせるのはトラナである」という思い込みが存在している可能性がある。


 そしてその場合、これから始まるものこそがデニーバジ女神のということになる。


 彼女の詠唱が終わった瞬間、頭がぐらつく。


「そんじゃま、素敵なトリップをしている間に、契約してもらおっかな~」


 気づけば、一瞬で


 それが酒の歓びを強制的に植え付ける加護だと悟った頃には、既に俺はまともに歩けなくなっていた。


 確かに、相手に契約をさせるのであれば、眠らせるよりは酔わせた方がいいはずだなと、真面目な思考のはずなのに何故か口から笑みが漏れる。やばい、何も考えられん。やばい、やばい。


「ほうら。とっとと観念しないからこんな手段を取らないといけないじゃん!」


 トラナは呆れたように、こちらに歩み寄ってきた。そしてへたりこんだ俺に手を差し伸べた。


「大丈夫ー?立てますかー?ほら、この手を取ってね」


 そしてそんな優しい言葉をかける。酔った頭では、たった今まで争っていた相手であってもそんな彼女に縋りつきたくなる。


 二次会の最中ふとした時に二人きりになるだけでなんかいい感じになるあれだ。いっちばん楽しいあれ!


 ────しかし俺は、差し伸べられた彼女の手を掴み、そして指をへし折った。


「いってええええええ!なんで動けるのさ!?」


 しかし当然、トラナの咄嗟の反応により俺も鼻に膝蹴りをかまされ、鼻の骨が折れる。鼻血が止まらないが、おかげでなんとか酔いが冷める。


 彼女は反撃されたことが不思議で仕方がないように周囲を確認し、そしてすぐに、地面に伏したアニマの様子がおかしいことに気がついたようだ。


「邪魔!」


 トラナが片手でアニマをひょいっと壁に投げる。しかしアニマはやり遂げた顔で、よろめきながらも自分の脚で立ってみせた。事実、彼女は仕事を成し遂げていた。


「残念だったわねトラナ。私のユニークスキルについては、話していなかったかしら。」


 アニマの伏せていた床には、。どれもデニーバジの祝杯のような形で、淡い輝きを放っている。


「『価値分配』……絵で書かれたもののが半分に割られるスキルよ」


「……ジャクリーンちゃんの記憶もあるからアニマちゃんの変態性は知ってるけど、随分そのままのスキルなんだね?それで?この絵を消したら効果も消えるのかな」


 初めてトラナの顔から笑みが消え、不快そうな顔でアニマを見据えた。


「さあ。どうかしら」


 そう言って余裕を見せつけたアニマの背後の壁に、高速で杯の絵が複製されていく。Eランクアイテム『自動書記』……決まった通りに動きが繰り返されるだけの筆だが、彼女にとっては有効な武器となる。


 トラナもまさかAランクアイテムを使っておいて卑怯だというつもりはないだろう。


「はぁーっ!めんどっ!まさか本気で勝つつもりじゃないよね?」


 ────本当に一瞬のことだった。


 バンッとトラックが壁に衝突したような音が響くと、既にトラナがアニマの喉に手をかけていた。それは、この戦闘で初めて見せた彼女の本気だった。


「友達だから、なるべく傷つけないように戦ってるんだってわからないかな?ジャクリーンちゃんはアニマちゃんに話を聞いてもらいたかったみたいだけど……私の目的に必要なのはウィト君だけだから」


 まずい!アニマが……。


 必死に立ち上がろうと、朦朧とした頭では届くはずもなく、最後にアニマと目をあわせることが精一杯だった。


我が主マイ・ロード。申し訳ございませんが、ナナヤの加護の使用を、お願いいたします。大丈夫です。ジャクリーンは、強い子ですから」


 そしてその言葉を最後に、アニマの首はへし折られた。

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