【エピローグ】


                    ◇


「──以上が、今回の第二次真醒騒狗グラン=ギニョル顕現事例についての結果報告だ」


 人工心理研究所の管制室。

 大型モニタに並んだ情報をまとめ、喜嶋兆治キジマ・チョウジは都市管理部への報告を終えた。


『成程。真醒騒狗グラン=ギニョル第二号は原因不明で突発的に出現・・・・・・・・・・・したものの、幻奏歌姫単独で・・・・・・・対処可能だったと』


 画面の向こうにいる相手は感情を感じさせない無表情で。

 そこから受ける圧力に、兆治は流した汗を拭う。

 第三偶像計画──人間の正解を体現するための人工心理を作成する目論見は、人工心理研究所の先代所長と、オメガフロートを管理する鉉樹社つるぎしゃが始めた共同計画だ。

 現在は機器の故障を理由に実質凍結状態ではあるが、鉉樹社つるぎしゃ側はその再開をまだ諦めていないようで、度々兆治をせっついてくるのだ。


「情報量が少ないのは申し訳ないね。こちらも一年前に破損した機材をまだ修繕しきれていないので、取れるデータにも限度があるんだ。

 その代わり、幻奏歌姫エレクトリックエンジェルの成長は想定以上だよ。戦いの中で心象兵器インストゥルメントの第七段階が先行アンロックされていた」


『第二段階がアンロックされた時には、幻奏歌姫エレクトリックエンジェルの九形態は順番に解放されて行くものだと言う見解でしたが。

 中間をスキップして覚醒する可能性が提示されたのなら、逐一位階を上げて行く必要もないと』


「ああ。僕たちが新しく始めたトライアルこそが、彼女を成長させた鍵だと考える」


 喜嶋兆治キジマ・チョウジは毅然という。

 それに対し、画面の向こうの相手はほんの少しだけ眉を上げて。


『ところでその新しいトライアル──幻奏歌姫エレクトリックエンジェルを現実空間に出して生身の人間と触れあわせる試行ですが。

 以前その案が提出された時、我が社の社長は批判的な意見を出したはずです。

 幻奏歌姫エレクトリックエンジェルは新世界の女神を担う器として、無垢のままに育てあげるべきである、と』


「僕たちの目的は彼女が第九形態の覚醒に至ることだ。

 僕たちは幻奏劇場の制御手段を手に入れて集団感覚喪失事件の犠牲者を救う。

 君たちは幻奏歌姫エレクトリックエンジェルの精神強度を安定させて人間の正解データを受け入れる器を作る。

 そのどちらも、必要な過程は一致している。幻奏歌姫エレクトリックエンジェルの精神的成長。

 それに必要なのは人間とのコミュニケーションと考えたので実行しただけだ。

 第一、他人と接した程度で無垢性を失う程に軟弱な人工心理を設計したつもりは無い」


『成程。つまり、幻奏歌姫エレクトリックエンジェルを育て上げるという目的については今も共有出来ていると』


「ああ。だから、今後も彼女の担当はこちらに任せて貰いたい」


『……いいでしょう。幻奏歌姫エレクトリックエンジェルは今後も喜嶋兆治キジマ・チョウジの監督下にと叢雲ムラクモ社長に伝えておきます。

 しかしもう一方、真醒騒狗グラン=ギニョルの発生条件についてはオメガフロートの存続が関わっている問題ですので放置はできません。

 突発的な・・・・出現理由については調査の継続、および対策の構築をお願いします』


「了解。……ふう」


 通信を切断し、喜嶋兆治キジマ・チョウジは息を吐く。


「いいんですか所長。指示通りにデータ改竄して息子さんたちが関わっていたことを隠しましたが、スポンサーに対する多大な背信ですよ?」

鉉樹社つるぎしゃの主義からすれば、真醒騒狗グラン=ギニョルの発生に関わる人間がいると知ったら良くて排除、悪くて人体実験ぐらいはやりかねないからね。僕だってこの街を守る為なら天秤にかけて夕凪ユウナギちゃんの排除命令ぐらいは出せるけれど、ことが解決した後でまで強硬策は取りたくないよ。責任はこちらにもある訳だしさ」

「はあ……それに幻奏歌姫エレクトリックエンジェルについても余計なことを言って、第三偶像計画から外されたらどうするんです?」

「いいんだよ副所長。一年前に僕は反省したのさ」


 集団感覚喪失事件が起きた日のこと。幻奏劇場内部内にあった研究所は真醒騒狗グラン=ギニョルによって崩壊した。

 壁は倒壊し柱は崩落し、機材は天井の下敷きになって潰れ壊れて、そしてそれは研究員たちも同じだった。

 煙と炎と血の匂いがする終末のような光景の中、喜嶋兆治キジマ・チョウジは自分の人生を振り返っていた。

 理想の人間を再誕させる野望に邁進していた十数年。

 法も倫理も家族すらも投げ打った、その結末がこれなのかと、あっけなさに悔いていた。

 これで終わりと思ってしまうと、価値が低いと見なしていた自分の捨ててきたものに、急に未練が湧いてきて。

 これで終わりにしたくはないと、強く思っていた中で、現れたのが雨鈴ウレイだった。


 世界が壊れていく惨状の中、人工心理の少女が行っていたのは、人命救助行為だった。

 瓦礫をどかして人を探し、怪我人相手は止血して、心停止者にはマッサージして。

 慌てふためく状況の中、とても冷静沈着に、たった一人でみんなを救おうと動いていた。


 実験対象として扱っていた存在がそうやって自分たちを助けようと動いている。

 理想にしていた神様よりも、その姿は尊く見えて。


 だから、喜嶋兆治キジマ・チョウジは決意した。

 捨ててきたものを拾い直そう。

 幻奏歌姫の少女の尊さを守り抜こう。

 まずは、そう。冷酷だったキャラクターを、親しみやすそうなものに変えてみようと。


「先代所長と鉉樹社つるぎしゃには悪いけれども、雨鈴ウレイを人間の正解の器になんてさせはしない。

 彼女は今のまま育つだけで十分以上に良い子だよ。わざわざ塗りつぶす必要なんてない」


幻奏歌姫エレクトリックエンジェルを娘のように思うのはいいですけど、実の息子さんの方との仲は大丈夫なんですか? さっき思いっきり突き放してましたけど」

「ああ、あれは僕の手で何かするよりも雨鈴ウレイに任せる流れを作った方が適切だと判断したからね」


 幻奏歌姫エレクトリックエンジェルの設計目的は人間の正解を作ること。そしてその「正解」を以って人間の精神を癒すこと。

 つまりは高度なカウンセリングで、それは設計途中の雨鈴ウレイにも期待されてる機能であり。


「最近の慧雅ケイガくんは明白に落ち込んでいたからねえ。なんとかしてあげたかったけれど、僕みたいなのがなにかやろうとしても逆効果にしかならないでしょ、嫌われてるようだしさ。

 それよりは幻奏歌姫エレクトリックエンジェルに任せた方が彼女の成長にも繋げられてよし、慧雅ケイガくんを元気付けられてよし、そっちの方が『正しい』だろう?」

「確かに所長の今のキャラ付けは思春期の息子さんにとってはかなりうざったそうですし、そもそも所長は憎まれ役を演じるにはしては素で人でなしすぎますが」


 喜嶋兆治キジマ・チョウジは副所長の正論に拗ねたような表情になりながら、


「まあ慧雅ケイガくんが落ち込んでたのも、勇気を失っていた・・・・・・・・んだから仕方ないんだけれど」


 このオメガフロートの住人は、一年前の集団感覚喪失事件で劇場に何かを落としてきている。

 それが大事なものか不要なものか、使っていたものか使う予定もなかったものか、有害無害の区別なく。


「失われたものを取り戻すための幻奏歌姫エレクトリックエンジェルの精神作用。流石に歩けないとかの行動概念の喪失にまでは効果は出ないようだけれど、欠落していた感情を再び生み出させる程度のことはどうやら今の雨鈴ウレイでもいけるようだね」


 本来の喜嶋慧雅キジマ・ケイガの性格は、バレバレでも幼馴染の少女を庇って嘘つくような、幻奏歌姫の少女を助けに危険に身を晒すような、そんな夢想英雄ジュブナイルヒーローめいていて。

 ここ一年の現実空間では失われていたその感情を取り戻したなら、世界の一つぐらいならこうやってきちんと救えるのだ。


「けれど、その辺回復したからってまさか調整を受けていない人間が心象兵器インストゥルメントを覚醒させるなんてびっくりだよ! 理論上は可能という計算が出てたけれどもそれを発現させる理由も状況もあるとは思わなかったからね! ああ、なんとか言いくるめてデータ取りたいなぁ、お小遣いアップとかで行けないかな……!」

「所長、キャラ変した割に根本の人の心がわからないマッドサイエンティスト気質変わってないですよね……」


                    ◇


 ──そして今日も、昨日に続く夏休みの朝が来る。


 ぽすこん、と胸元に何かが当たる衝撃で、喜嶋慧雅キジマ・ケイガは目を覚ました。

 瞼を開き、視線を自分の胸元へ向けると、そこには高校で使っている教科書が山積み。

 なんでこんなものが乗せられてるんだと思いながらまばたきし、意識を覚醒させていく。


 少し視線を上へ向けると、視界に入るのはなんか散らかっている自分の部屋。

 やってないので当然進行していない夏休みの宿題。何冊か本を抜いたので空間が目立つ感じの本棚。昨日久々に手に取ったけれどチューニングがズレていたので後でしっかり直しておくかとひとまず取りやすい場所に移動させたエレキギター。


「ありがとう。教科書貸してくれたおかげで履修範囲はだいたい解ったわ」


 そして、同居している幼馴染。


                    ◇


 ──舞冬界城ホワイトパレスでの戦いの後、現実世界に帰還した慧雅ケイガたちを待っていたのはお説教だった。

 人工心理研究所の副所長の人から、もうめちゃくちゃに怒られた。

 幻奏歌姫エレクトリックエンジェルは勝手に人を危険空間に連れ込むなとか、所長の息子は危険だと解ってついて行くなとか、夕凪ユウナギ相手には何を言えばいいのか解らなかったのか言葉にしばらく詰まった後で世界を危険に晒すなとか、とにかくそんな感じで雷どんどん。

 その光景を見ていた肝心の所長、即ち慧雅ケイガの父親は、後ろでばつが悪そうな顔をしながら云々頭を捻っていたが、一通りお説教が終わったあとで、


「とにかく、無事に帰って来てくれてよかったよ」


 と一言だけを残してくれて。

 昔のように息子に無興味で流したりはしないのだと、それだけでもう十分だった。


 ──それはそれとして状況を拗らせた原因がその一言で許されると思うなよと思ったので一発アッパーは入れておいた。


 そのまま倒れ込みそうになった腰に夕凪ユウナギのブーツの蹴りが刺さってコンボ成立。よろめいてぶつかった本棚から大量の本が落ちてきて最終的に15hitぐらいの結果となった。


 その後、雨鈴ウレイはこの後のことを考えるからと研究所に残り、慧雅ケイガ夕凪ユウナギの二人はひとまず帰ることになった。

 タクシーが学校のそばを通り過ぎた時、夕凪ユウナギがぽそりと呟いた。


「復学しようと思うのよね」


 その一言は明白に、停滞から踏み出そうとしている発言で。

 一年の間止まっていた彼女の時計が、やっと動き出したことを信じられた。


「私の足、治る可能性があるっておじさまが言ってくれたじゃない。

 この一年間ずっと投げ捨てるようなことしてきたのは、もうどうせ私の人生なんて終わりのようなものだと諦めてた部分があったからで、終わってるならもう何したって無駄だから、時間が勝手に切れるまで自己憐憫に浸ってた方が快適だろうと、そう逃げてたのよね。

 けど、終わらないのよねそう簡単に。

 だとしたらやれることはやり続けていた方が、多分意味があるだろうから」

「そっか。……高校の勉強、ついてけるか?」

「舐めないで。三日もあれば追いつくどころか学年一位を抜いてあげる。

 あなたが見たいのそれでしょう? だったら私は望み通りに最強無敵よ」


                    ◇


 ──そんな会話があった訳で。

 家に帰ってからは欲しいと求めた夕凪ユウナギ慧雅ケイガの教科書を貸し出したりとかしてたのだ。


「……つまり貸した教科書一晩のうちで全部読破したってことか?」

「読ふぁ……、こほん、読破で済んだら理解って言わないのよ。問題まで全部済ませたわ」


 彼女はさらりとそう言うが、どう考えても簡単にできるものとは見えなくて。

 あくびを強引に嚙み殺そうとしている辺り、おそらく夜通しだったのだろう。

 それだけ入れた気合いを目にして、本気であるのを痛感する。


「とにかく、私はこうやって動けることを証明したわ。

 だからあなたも、何か告げたいものがあるだろうと思うのだけど」


 幼馴染の少女の言葉に、喜嶋慧雅キジマ・ケイガは求められているものを理解する。

 遥か昔の夕暮れに、彼女は自分に言ってくれた。

 世界で一番程度には格好良くなってと、そんな子供らしい期待の言葉。

 それに挑んでみようだなんて、そんな無謀に今の自分はワクワクしている。

 なに、世界なんてものは既に一回救ってる。だとすれば、怖いものなどあるものか。


「そーだな。……ああ。また始めてみようと思う。ギター」


 決意を込めて言ったそれに、眼前の少女は何故だか期待はずれを食らったかのようにぷるぷるして、


「……そこは私の褒め称えじゃないの!?」

「そっちですか姫!? いやここはお前の復活に感激した俺が自分も歩き出さなきゃなみたいな感銘を受けるシーンじゃねえの!?」

「あなたの優先順位の最頂点はこの私を称賛することだって決まってるでしょ!?」

「待てそんなルールは俺知らない一体いつの会議で承認された条文ですか!?」

「私が今よ従順に従え!」


 二人がじゃれている中、きぃぃと音がして部屋のドアが開いた。

 そちらの方に目を向けると、哀咲雨鈴アイザキ・ウレイが立っていて、


「お邪魔──だったかな──」

「いいえ違う違う、そんなことないわよ!?」

「ないないないない、別になにも変なことしてないから、ほんとだから」


 二人同時に両手を振って否定した。

 なんでこんなに取り乱してるのか、自分でもちょっと解らないけど。


「ところで、いつの間にウチに戻ってきてたんだ?」

「昨日の夜、慧雅ケイガが寝てる間に来てたわよ」

「うん。人工心理研究所は──天使わたしの社会経験トライアルを続行することを決定したから。

 だからもうしばらくきみたちのそばにいることになったの。よろしく──ね?」


 そう言って幻奏歌姫はにこりと笑う。

 今の慧雅ケイガたちがあるのは紛れもなく彼女のおかげがある訳で、あれでお別れにならなかったのは少し心がホッとする。


「(ねえ、雨鈴ウレイ。昨日の夜の話ちゃんと覚えてるわよね? 私の幻聴とかじゃないわよね?)」

「(うん。天使わたしはなんでもしてあげるよ。ケイガとハカナはコイビトドーシ──だもんね。それを応援するためなら──なんでも)」

「(なんていい響き……! そう、そうよ、そうなのよ。だから私の言うことちゃんと聞きなさい。いいわね?)」


 夕凪ユウナギ雨鈴ウレイが何か小声で話しているのを眺めながら、慧雅ケイガは安心したように首をうんうん振っていた。

 何故か昨日の夕凪ユウナギ雨鈴ウレイに当たりが強かったので、自分が寝ている間にそれが解消したならいい話だ。これから同居人になるのだから、トラブルの種は少ない方がありがたい。

 ところで彼女たちは一体何の話をしているのだろう。うまく聞き取れなかったが。


「それで、ギターをまた握るっていうなら、私に一曲聞かせてちょうだい」

「……今から?」

「そうよ。私を追いかけようって言うのなら、この程度で怯んだりとかしないわよね。

 あなたはやれるって思えるところ、聞かせてくれるって信じてるわ」

「わくわく──」


 二人に期待を寄せられて、引くに引けなくなってしまった。

 一年間のブランクはやっぱり不安が大きいし、いきなり一曲やってくれと言われても何を選べばいいかとか悩んでしまう。

 期待を向けられているからには下手なものなどやりたくないし、自分に自信を持つことは非日常を経ても困難だ。


 けど。


 ここは日常の一ページ。だとすれば、ここでの失敗なんのその。

 下手になってたりしたのなら、少しずつ成長してけばいいだけのこと。

 停滞は打破できたのだ。一度歩き始めることが出来たなら、多分その後も行けるだろう。


「それじゃあ気分に合わせた一曲で。曲名は──」


【Fin】

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幻奏歌姫は恋の天使になりうるか? 貴金属 @you96

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