天井桟敷より

朝吹

天井桟敷より


 ぼくの大嫌いな若手ピアニストがテレビに出ている。相変わらず汚い音だ。ピアノを木琴みたいに叩いて弾くんじゃねえよ。だが彼のコンサートは毎回超満員でチケットは数分で完売、音源も飛ぶように売れる。顔の良さと戦禍の国からの亡命者という悲劇的な経歴が大うけの理由だ。

「廉太郎。課題できたか」

 ぼくの名は滝廉太郎にちなんで名づけられた。このことからもお分かりのようにぼくの両親は音楽関係者だ。音大生のぼくは「できた」と頷いた。

「舞ちゃんが音楽室を抑えたからさ、今からみんなで聴き比べてみよう」

「分かった」

 作曲の課題が出ているのだ。教授が鬼なので容赦ない講評を喰らう。

 ダメージを最小限にするために、学生たちは連帯して事前に互いの曲を批評し合い、手直しをして、いわば全体責任のようなかたちを作っておいてから発表当日に立ち向かう。

 小雨の日だった。晴れてゆく雨雲の合間に少しだけ、紫陽花色がのぞいている。

 ぼくは傘をふって水気を切り、傘立てに突っ込むと練習用のピアノがおいてある防音室に向かった。


 ぼくの祖母は芸術が分かる人だった。といっても在野のいち趣味人に過ぎなかったのだが、あれは駄目これはいいと容赦なく仕分けていて、いいと想ったものについては手放しで褒めた。

 鳴り物入りの公演会、奇跡の来日、日本の至宝。そんな触れ込みも祖母にとっては新聞に挟まれるスーパーの折込広告ほどの意味しかなかった。

 友の会に入っていた祖母は足しげく公会堂やホールに通っていたが、高名な演奏者であろうと、祖母のお眼鏡に叶わなければ「あれは駄目」なのだ。

 さすがに途中で立つことはせずに最後まで席にはいたが、祖母が「駄目」と判断した時はすぐに分かった。静脈の浮いた祖母の手が膝の上でだらりと力を失くし、眠そうな眼で残り時間を耐えていたからだ。

 今日のピアニストは上手だったけど。

 おずおずとぼくが抗弁してみても、祖母はふんと鼻を鳴らし、「熟れた手つきの流し弾きさ」と江戸っ子の口ききで斬り落とすのだった。


 とにかく、売れているものは全部駄目なんじゃないのか。幼いぼくはそう考えたこともある。祖母は流行ものや有名なものを片っ端から駄目と云っているだけなんじゃないのか。特別な存在でありたい人間がよくやる手口だ。そうすれば通人みたいにも見えるしさ。

 その向きは多少はなきにしもあらずだった。何事においても祖母は手慣れたプロの仕事よりはひたむきさを尊んでおり、路上の若者の演奏などにも足を止めてしばし耳を傾けては、「他は駄目だけど、オカリナの子がいい。あの子だけが良かったね」などと云っていた。路上のオカリナ吹きとCDを何枚も出すようなアーティストを秤に乗せても、祖母の耳は無名のオカリナ吹きに軍配をあげるのだ。


 そんな祖母をもった余禄として、ぼくはどんな弾き手であろうとも真摯に耳を傾ける癖がついた。というわけで、冒頭の亡命ピアニストは、祖母の口調をお借りして「ピアノを木琴みたいに叩いてる」と表現させてもらったのだ。


 ある時、祖母と能を観に行った。老人がすり足で橋掛りをわたり本舞台に立った。いつものように「駄目」と云うのかなと待ち構えていたのだが、ふと見ると、祖母は両眼をひたと舞台にすえて、今から松の木にでも変身するんじゃなかろうかというほどの気迫を込めて芸を見つめていたこともある。

 舞台と祖母との間に見えない糸がぴんと張っているような気がしたものだ。それは張りつめた糸電話のように舞台と祖母とを繋ぎ、ぼくには分からない何かを老いて痩せた祖母に伝え、井戸に雫を落とすようにしてその心を震わせていた。


 祖母の判断基準はさっぱりわからなかった。豆腐に包丁を入れるように、いい悪いがすぱっとしていて、滅多なことで「いい」が出ない。

 そんな祖母とぼくの両親との仲は険悪だった。声楽家のぼくの母は「お母さんは眼高手低だから」と云って憚らなかったし、父は「義母さんはやる気の芽をつぶす」とぼやく。

 ぼくの父はピアノ教室を自宅でひらいていた。珍しい男の先生だというので習いに来る生徒も男子が多く、音大を目指すまでに生徒を育てる。

 父は教えるのがうまかった。

 けじめをつけるためにもぼくは父に習わずよその教室でピアノを習っていたが、出来ればぼくも父に習いたかったほどだ。

「音楽は歓びだからね」

 基礎だけ抑え、低学年の子たちには本人の希望を取り入れてアニメの曲や流行の曲を課題として与えていた。それも父が耳コピで楽譜におこして、彼らのまだ小さな手でも弾けるように直したものを渡すのだ。

 弾けることが楽しいものだから、父の生徒たちはみるみる上達していった。

「先生、うちの子にはクラシックを」

 本格派嗜好の親からそう云われても、「愉しめる心がまだ育ってないので」と父は応えた。それでもモーツァルトの変奏曲やリストの「愛の夢」等がいつの間にかさり気なく練習に組み込まれていった。

 意気揚々と戦隊もののOP曲を発表会で演奏していた紅顔の少年が、七年後には国内の大きなコンペティションにタキシード姿で出てきてショパンを弾ききり優勝する姿は感涙もので、父のピアノ教室は実績と口コミで大盛況だった。

 母は祖母を反面教師にしていた。

 なにしろ祖母のことだから、母がどれほど上達しようが表彰されようが、「てんで駄目だね」と云い捨てていたというから徹底している。こと芸術になると祖母は妥協を知らなかったのだ。


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 そんな祖母だったから孫のぼくとても例外ではなく、「廉太郎は手が大きくて腕が長いからピアニストに向いてるよ」と忙しい両親に代わってぼくのピアノの発表会に来てくれたものの、褒められたことは一度もない。

「上達したね」

 云ってくれるのはこれだけで、その度にぼくは落ち込んだ。駄目出しに等しかったからだ。

 街のオカリナ吹きの音色は祖母の心をとらえたが、ぼくのピアノの音は祖母を眠そうにするだけなのだ。

 そのうちぼくにも気が付いた。祖母が見ているのは技術ではなく心。ただそこだけなのだと。



「セオリー通りだけど、いいじゃん」

「あの教授なら気に入りそう。これ舞ちゃんの曲だろ」

「当たりです」

 防音室に集まったぼくたちは伏せた楽譜をシャッフルして誰のものか分からなくしてから他人のかいた譜面を弾いて、ひとりずつ講評を行った。初見で弾くことになるわけだが、音大ピアノ科なら弾けて当たり前だ。

 課題曲を渡されるとぼくたちはその曲を作った作曲家の生涯を調べ上げ、曲の成り立ちを頭に叩き込み、「当時は革命があった」「失恋した直後だった」と理解を深め、その上で和音をたぐって譜面の構成を『解読』する。指を動かしながら、調べ上げた音楽家のクロニクルを反芻し、楽譜の中に彼らの心と技能を探す旅に出る。

 怒りや哀しみ、不遇の生涯、或いは名声の中における孤独。

 うまい人間はまるで評伝を書くかのようにして豊かに奏でてみせる。一方で曲の構築面だけに注目するやつもいて、そちらは一音一音をいかに効果的に曲の中で大切に輝かせ、全体をまとめ上げるかに腐心する。

「だっていくら想像してみても本当はビフテキのことを考えながら創った曲かも知れないじゃないか」

 そいつの云うことは一理あるのだ。もしかしたら真理かもしれない。そのことは今回のように作曲の課題が出た時に実感する。べつにぼくらは私生活のあれこれを五線譜にぶつけているとは限らないからだ。

 感情で譜面は書けない。曲づくりというのは法則にそったかなり緻密で論理的な作業の連続で、分かりやすく云うなら起承転結をしっかり計画して組み立てていく小説書きにも似た作業なのだ。

 哀しいことがあったからといってそれをそのまま書いても日記になるだけで小説にはならないのと同じだ。感情が動くことがあったとしてそれを小説にする際には、書き手はただ文章や全体の構想に頭が傾いていて、その感情自体はそれほど感じていないのではないだろうか。

 かといって論理だけでは人の心を打つものは創れない。伝えたいものとそれを効果的に伝える技巧。この塩梅にぼくたちは神経を注いで、課題に取り組む。

 見くびらないで欲しいものだ。風邪をひいて唾液を呑むのも辛い、そんな時でも陽気な曲を、好きな子と迎えた薔薇色の朝でも絶望の雄たけびを上げている自殺志願者の曲を、ぼくらは作曲できるよ?

 だから、もしもそうやって作られた曲が後世に残り、「この曲がつくられたのは作曲家の苦難の時期で」などと語りたがり屋がしたり顔で決めつけるのだとしたら、ある種の笑話だと想ってくれればいい。感情に引きずられていたら譜面なんか書けないって。

 そういう意味ではやはりモーツァルトは異色だ。あのど変態は正しくど変態のまま、感性だけで数々の超級作品を創り上げたのだから。


 さて、順番が来たぼくは譜面を裏返しにした紙束から一部を抜き取ると、誰かの作曲した曲を練習室のグランドピアノで弾いてみた。

 軽快な行進曲。曲題は『ジョナサン』か。制止を振り切って果敢に飛行に挑み続けた一羽の無分別なかもめ。リチャード・バックの『かもめのジョナサン』。

「これ誰の書いたもの?」

 ピアノの椅子を降りたぼくは楽譜を片手で挙げた。

「作曲したのは誰」

 挙手したのは、臼咲うすざき圭一郎だった。その瞬間にぼくたちは分かった。臼咲がかいたものは、小説のジョナサンではない。ファミリーレストランの『ジョナサン』だ。


 臼咲圭一郎は、祖母がいつも「あの子はいいね」と云っていた父のピアノ教室の生徒だ。ぼくと同じ歳で、音大に合格してみると彼もいたのだ。

 何しろあの祖母のお気に入りだから、とてつもない天才なのかと身構えていたのだが、臼咲は拍子抜けするほどごく普通の、よくいる音大生でしかなかった。

「廉太郎くんと同じ学校で嬉しい」

 臼咲圭一郎ははにかんだ笑顔を浮かべて、ほわっとそこにいた。突出した才能もなければ期待される将来性があるわけでもなく、この音大によく合格できたなぁと想ってしまったほど、平凡だった。

 ただ臼咲のピアノの音は、泣きたくなるほど清澄だった。巧く弾こうともしていないし、魅せようともしていない。音がすうっと心に落ちてくる。哀しくなるほど譜面のままに、しかし透き通る音なのだ。

 君はなにが云いたいの……。

 ピアノに向かう臼咲は音と対話しているかのようだった。聴き役になり、音符が語ることを臼咲は鍵盤に乗せていた。


「なんでもあって……苺のデザートまであるんだよ」

 これ、ファミレスの曲ですか。

「どうかな。廉太郎くん」

「いいんじゃない、素直で」

 ぼくの眼は泳いでいた。仲間を見廻したが、仲間も言葉を探しあぐねて、でも苦笑していた。

「よかった」

 臼咲は顔を明るくした。

 それで、入院中の祖母に臼咲の演奏を動画で聴いてもらったのだ。

「臼咲圭一郎だよ。おとうさんの教室に来ていた」

「憶えてるよ。あの子は昔から、ピアノと仲良しだったから」

 ピアノと仲良し。

「あの子のベートーヴェンを聴いてごらん。短刀をもっているようだろう。ラヴェルを聴いてごらん。妖精がピアノに座っているよ。演奏者のための演奏ではないんだよ」

 謎の言葉を紡いで、祖母はいつまでも臼咲の演奏を聴いていた。死ぬ時も聴いていた。


 ただの趣味人として祖母は生きた。祖母はいちばん安い粗末な席からいちばん厳しい眼を注いでいる『天井桟敷の人々』のようだった。祖母の心には臼咲のようなピアニストがいて、そいつだけが祖母の好む音色を響かせることができていたのだ、最期まで。

「無垢なピアニストなんて、漫画の読みすぎですよ」

 喪服の上着を脱ぐと、ぼくは黒ネクタイをゆるめて自宅のピアノに向かった。鐘の音は鐘の音に、夢のなごりはまだ夢のままに。ぼくと臼咲の違いがどこにあるのかはぼくには分からない。解釈も含めてかなり深く音の海に沈むほうだとぼくは自負しているのだが、しゃらしゃら奏でている臼咲のほうがいいと祖母は云うのだから。

 まあ、不満足でも我慢してもらおう。これは孫が祖母に向けた別れの曲なのだ。分からないなりに理解するなら、臼咲圭一郎ならばこういう時にはカッコつけてピアノなんか弾かずに、蒲団にもぐってべそべそと泣いているだけだろう。

 さようなら、おばあちゃん。

 静かに指をとめ、ペダルを離した。弾き終える頃、空は花束の色になっていた。

 上達したね、と空から祖母が云うように。



[了]


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