その六
──美人であった。その顔は、輝くばかりに美しかった。──と長兄は、大いに興奮して書きつづけた。長兄の万年筆は、実に太い。ソーセージくらいの大きさである。その堂々たる万年筆を、しかと右手に握って胸を張り、きゅっと口を引き締め、まことに立派な態度で一字一字、はっきり大きく書いてはいるが、惜しい事には、この長兄には、弟妹ほどの物語の才能が無いようである。弟妹たちは、それゆえこの長兄を少しく、なめているようなふうがあるけれども、それは弟妹たちの
──その顔は、ラプンツェルの顔ではなかった。いや、やっぱりラプンツェルの顔である。しかしながら、病気以前のラプンツェルの、うぶ毛の多い、
「不思議な事もあるものだ」と魔法使いの老婆は、首をかしげて呟いた。「こんなはずではなかった。
これを要するに、王子の愛の力が、老婆の魔法の力に打ち勝ったという事になるのであるが、小生の観察に
長兄は、あまり真剣に力をいれすぎて書いたので、自分でも何を言っているのやら、わけがわからなくなって
──この故に、われは望む。男は怒らず争わず、いずれの処にても潔き手をあげて祈らん事を。また女は、
まずこれでよし、と長兄は、思わず
さて、これで物語は、どうやら五日目に、長兄の道徳講義という何だか蛇足に近いものに依って一応は完結した様子である。きょうは、正月の五日である。次男の風邪も、なおっていた。昼すこし過ぎに、長兄は書斎から意気揚々と出て来て、
「さあ、完成したぞ。完成したぞ」と弟妹たちに報告して歩いて、皆を客間に集合させた。祖父も、にやにや笑いながら、やって来た。やがて祖母も、末弟に無理矢理、ひっぱられてやって来た。母と、さとは客間に火鉢を用意するやら、お茶、お菓子、昼食がわりのサンドイッチ、祖父のウイスキイなど運ぶのにいそがしい。まず末弟から、読みはじめた。祖母は、膝をすすめ、文章の切れめ切れめに、なるほどなるほどという賛成の言葉をさしはさむので、末弟は読みながら恥ずかしかった。祖父は、どさくさまぎれに、ウイスキイの瓶を自分の傍に引き寄せて、
全部、読み終った頃には、祖父は既に程度を越えて酔っていた。うまい、皆うまい、なかでもルミ(次女の名)がうまかった、とやはり次女を
「王子とラプンツェルの事ばかり書いて、王さまと、王妃さまの事には、誰もちっとも触れなかったのは残念じゃ。初枝が、ちょっと書いていたようだが、あれだけでは足りん。そもそも、王子がラプンツェルと結婚出来たのも、またそれから末永く幸福に暮せたのも、みなこれひとえに、王さまと王妃さまの御慈愛のたまものじゃ。王さまと王妃さまに、もし御理解が無かったら、王子とラプンツェルとが、どんなに深く愛し合っていたとしても滅茶苦茶じゃ。だからして、王さまと王妃さまの深き御寛容を無視しては、この物語は成立せぬ。お前たちは、まだ若い。そういう陰の御理解に気が附かず、ただもう王子さまやラプンツェルの恋慕の事ばかり問題にしている。まだ、いたらんようじゃ。わしは、ヴィクトル・ユーゴーの作品を、せがれにすすめられて愛読したものだが、あれはさすがに
「一ばん出来のよかった人に、おじいさんが勲章を授与なさるそうですよ」と母は、子供たちに笑いながら教えた。母は、祖父にそんな事で元気を
「いや、これは、やっぱり、みよ(母の名)にあげよう。永久に、あげましょう。孫たちを、よろしくたのみますよ」と言った。
子供たちは、何だか感動した。実に立派な勲章のように思われた。
ろまん燈籠 太宰治/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official
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