その三
きょうは二日である。一家そろって、お雑煮を食べてそれから長女ひとりは、すぐに自分の書斎へしりぞいた。純白の毛糸のセエタアの、胸には、黄色い小さな
──恋愛の舞踏の終ったところから、つねに、真の物語がはじまります。めでたく結ばれたところで、たいていの映画は、the end になるようでありますが、私たちの知りたいのは、さて、それからどんな生活をはじめたかという一事であります。人生は、決して興奮の舞踏の連続ではありません。白々しく
王子も、ラプンツェルも、死ぬほど疲れていましたが、ゆっくり休んでいるひまもありませんでした。王さまも、王妃も、また家来の衆も、ひとしく王子の無事を喜び矢継早に、この度の冒険に就いて質問を集中し、王子の背後に
「あたし、帰ります。あたしの着物は、どこ?」と少し起きかけて、言いました。
「ばかだなあ」王子は、のんびりした声で、「着物は、君が着てるじゃないか」
「いいえ、あたしが塔で着ていた着物よ。かえして
「ばかだなあ」王子は再び、のんびりした声で言いました。「もう、
ラプンツェルは、思わずこっくり
「君は、まだ、疲れているんだ」と勝手な判断を下し、「おなかも、すいているんだ。とにかく食事の仕度をさせよう」と低く呟きながら、あたふたと部屋を出て行きました。
やがて五人の侍女がやって来て、ラプンツェルを再び香水の風呂にいれ、こんどは前の着物よりもっと重い、真紅の着物を着せました。顔と手に、薄く化粧を施しました。少し短い金髪をも上手にたばねてくれました。真珠の
ラプンツェルは、食事の部屋に通されました。そこには王さまと、王妃と王子の三人が、晴れやかに笑って立っていました。
「おう綺麗じゃ」王さまは両手をひろげてラプンツェルを迎えました。
「ほんとうに」と王妃も満足げに首肯きました。王さまも王妃も、慈悲深く、少しも高ぶる事の無い、とても優しい人でした。
ラプンツェルは、少し淋しそうに
「お坐り。ここへお坐り」王子は、すぐにラプンツェルの手を執って食卓につかせ、自分もその隣りにぴったりくっついて坐りました。
王さまも王妃も軽く笑いながら着席し、やがてなごやかな食事がはじめられたのでしたが、ラプンツェルひとりは、ただ、まごついて居りました。つぎつぎと食卓に運ばれて来るお料理を、どうして食べたらいいのやら、まるで見当が附かないのです。いちいち隣りの王子のほうを盗み見て、こっそりその手つきを
食卓の話題は豊富でした。王子は、四年前の恐怖を語り、またこの度の冒険を誇り、王さまはその一語一語に感動し、深く首肯いてその
「あたし、おもてへ出てみたいの。なんだか胸が苦しくて」顔が
王子は、あまりに上機嫌だったので、ラプンツェルの苦痛に同情する事を忘れていました。人は、自分で幸福な時には、他人の苦しみに気が附かないものなのでしょう。ラプンツェルの
「たべすぎたのさ。庭を歩いたら、すぐなおるさ」と軽く言って立ち上りました。
外は、よいお天気でした。もう秋も、なかばなのに、ここの庭ばかりは様々の草花が一ぱい咲いて居りました。ラプンツェルは、やっと、にっこり笑いました。
「せいせいしたわ。お城の中は暗いので、私は夜かと思っていました」
「夜なものか。君は、きのうの昼から、けさまで、ぐっすり眠っていたんだ。寝息も無いくらいに深く眠っていたので、私は、死んだのじゃないかと心配していた」
「森の娘が、その時に死んでしまって、目が醒めてみると、上品なお姫さまになっていたらよかったのだけれど、目が醒めても、やっぱり、あたしはお婆さんの娘だったわ」ラプンツェルは本気に残念がって、そう言ったのでしたが、王子はそれをラプンツェルのお
「そうかね。そうであったかね。それはお気の毒だったねえ」と言って、また大声を挙げて笑うのでした。
なんという花か、たいへん
「もう、どこへも行かないね?」と王子は少し落ちついて、ラプンツェルと並んでまた歩き出し、低い声で言いました。二人は白い花の茨の蔭から出て、
「何。どうしたの?」と王子は、ラプンツェルの顔を
「ごめんなさい。あなたが、へんに真面目なので、つい笑っちゃったの。あたしが今さら、どこへ行けるの? あたしが、あなたを塔の中で四年も待っていたのです」沼のほとりに着きました。ラプンツェルは、こんどは泣きたくなって、岸の青草の上に崩れるように坐りました。王子の顔を見上げて、「王さまも、王妃さまも、おゆるし下さったの?」
「もちろんさ」王子は再び以前の、こだわらぬ笑顔にかえってラプンツェルの傍に腰をおろし、「君は、私の命の恩人じゃないか」
ラプンツェルは、王子の膝に顔を押しつけて泣きました。
それから数日後、お城では豪華な婚礼の式が挙げられました。その夜の花嫁は、翼を失った天使のように
「不思議だわ。ほんとうに、不思議」
「また、疑問が生じたようだね」王子は二十一歳になったので少し大人びて来たようです。「こんどは、どんな疑問が生じたのか、聞きたいものだね。先日は、神様が、どこにいるのかという偉い御質問だったね」
ラプンツェルは、うつむいて、くすくす笑い、
「あたしは、女でしょうか」と言いました。
王子は、この質問には、まごつきました。
「少くとも、男ではない」と、もったいぶった言いかたをしました。
「あたしも、やはり、子供を産んで、それからお婆さんになるのでしょうか」
「美しいお婆さんになるだろう」
「あたし、いやよ」ラプンツェルは、
「そりゃ、また、どういうわけかね」王子は余裕のある口調で尋ねます。
「ゆうべも眠らずに考えました。子供が生れると、あたしは急にお婆さんになるし、あなたは子供ばかりを可愛がって、きっと、あたしを邪魔になさるでしょう。誰も、あたしを可愛がってくれません。あたしには、よくわかります。あたしは、育ちの卑しい馬鹿な女ですから、お婆さんになって汚くなってしまったら、何の取りどころも無くなるのです。また森へ帰って、魔法使いにでもなるより他はありませぬ」
王子は不機嫌になりました。
「君は、まだ、あのいまわしい森の事を忘れないのか。君のいまの御身分を考えなさい」
「ごめんなさい。もう綺麗に忘れているつもりだったのに、ゆうべのような淋しい夜には、ふっと思い出してしまうのです。あたしの婆さんは、こわい魔法使いですが、でも、あたしをずいぶん甘やかして育てて下さいました。誰もあたしを可愛がらないようになっても、森の婆さんだけは、いつでも、きっと、あたしを小さい子供のように抱いて下さるような気がするのです」
「私が傍にいるじゃないか」王子は、にがり切って言いました。
「いいえ、あなたは駄目。あなたは、あたしを、ずいぶん可愛がって下さいましたが、ただ、あたしを珍らしがってお笑いになるばかりで、あたしは何だか淋しかったのです。いまに、あたしが子供を産んだら、あなたは今度は子供のほうを珍らしがって、あたしを忘れてしまうでしょう。あたしはつまらない女ですから」
「君は、ご自分の美しさに気が附かない」王子は、ひどく口をとがらせて
「あなたは、なんにも御存じないのです。あたしは、このごろ、とても苦しいのですよ。あたし、やっぱり、魔法使いの悪い血を受けた野蛮な女です。生れる子供が、憎くてなりません。殺してやりたいくらいです」と声を震わせて言って、下唇を
気弱い王子は
長女は、自信たっぷりの顔つきで、とどこおる事なく書き流し、ここまで書いて静かに筆を
「失敬、失敬」末弟は、ひどく
「和ちゃん、偵察しに来たのね」
「いやいや、さにあらず」末弟は顔を真赤にして、いよいよへどもどした。
「知っていますよ。私が、うまく続けたかどうか心配だったんでしょう?」
「実は、そうなんだよ」末弟は小声であっさり白状した。
「僕のは下手だったろうね。どうせ下手なんだからね」ひとりで、さかんに
「そうでもないわよ。今回だけは、大出来よ」
「そうかね」末弟の小さい眼は喜びに輝いた。「ねえさん、うまく続けてくれたかね。ラプンツェルを、うまく書いてくれた?」
「ええ、まあ、どうやらね」
「ありがとう!」末弟は、長女に向って合掌した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます