(後半)完成する三都物語

 南街区までは、路面電車に乗ればすぐに着く。この町では優雅に「トラム」と呼ばれているが、古びたダークグリーンの車両は天下茶屋ガチャを通る阪堺線のチンチン電車とそう変わりはない。

 この時間のトラムはがら空きだったが、さっきまであんなに楽し気に酔っぱらっていた沙縒たちも、車内ではすっかりおとなしくしていた。この国は、日本ほど酔っ払いに甘くはない。東洋人が大騒ぎなんぞすれば、即降りろと言われてしまう。

 窓の向こうをゴシック様式の大聖堂や、貴族の館だったルネサンス様式の宮殿の門などが、それぞれライトアップされて次々と流れる。大通りブールバールを走る電車の車窓は、乗っているだけで観光できるくらいに素晴らしいものだったが、三人ともすでに見飽きてしまっていた。


「マッハシェ・ドゥ・パ」の停留所でトラムを降り、哲が道頓堀だと主張する橋の辺りまで、川沿いの狭い通りを歩いた。

 道の片側には洋風長屋みたいな二階建ての建物が続いていて、これは昔の食品市場だったらしいが、今は多くの店がカフェやレストランに衣替えしている。カウンターからアレノ川の流れを見られるという、やはりおしゃれ飲食店街である。


「ここ、何度も来たけどさ。本社の偉い人連れてきたこともあるし。こんな小洒落たとこに道頓堀?」

 春奈が、疑わしそうな目を哲に向けた。

「まあ、行けばわかるさ」

 哲は妙に自信ありげ、沙縒は期待に瞳を輝かせている。

 長屋の切れ目、建物と建物の間にその橋はあった。路面の敷石があちこち凍り付いていて、転ばないように気を付けながら、三人は橋の向こうへと歩く。

「これ、エイビス橋って言うらしいよ。で、あれがさ」

 振り返った哲は、沙縒たちの背後を指さした。

「ほら、道頓堀っぽいよね」


 沙縒と春奈も振り返る。川沿いに続く建物の壁。そこには確かに、広告のネオンがいくつも輝いていた。

 橋のすぐ横には、哲も言っていた「Lotus Biscoss」、日本のカフェでも見かけるカラメル味のロータス・ビスケットの広告。

 もちろん、グリコ看板のように全面が光る派手派手なものではない。暗闇の中で赤く輝く「Lotsu」のロゴに、ビスケットを象った「Biscoss」の黄色いネオンが寄り添っているだけだ。そもそも、巨大なランナーが万歳しているような屋外広告はこの国では許可が下りないだろう。

 その隣の壁には日本でも「バイエル・アスピリン」で知られるバイエル社の「BAYER」の文字が縦横十字型に並ぶマーク。明るい緑色のネオンで表現されている。

 さらにはクローネンブルグ・ビールのロゴ、「1664」が、こちらは青いネオンで。そして日本でもおなじみの「ASAHI PENTAX」の赤いロゴと、白く光るネオン管で雑に表現された一眼レフカメラ。三人は知らないが、ペンタックスの広告はかつて本物の道頓堀にもあったという。


 確かに、川沿いにネオンが並んでいる。しかし、いかにも儚げなこの雰囲気は、闇金の帝王萬田はんが闊歩する大阪ミナミとはまるで違っていた。

「こんな地味なトンボリがあるかい!」

 と全力の突っ込みが入ってもおかしいくらいなのだが、

「似てる!」

 沙縒は叫んだ。その大きな瞳が、涙で潤んでいる。

「道頓堀にすごい似てる! すごい!」

「ほんとだね……。戎橋に帰ってきたみたいだ……」

 春奈が静かにうなずく。してやったりと、哲は得意げに胸を張った。


 三人がストゼロで酔っぱらっているのは確かだったが、それだけではない。川沿いに広告ネオンが並んでいる、というだけでもこの国ではものすごく珍しい風景なのだ。これでも屋外広告規制すれすれなくらいなのである。

 景観なんぼのもんじゃい、というレベルで広告があふれかえる日本の街角を、沙縒たちはこのささやかな「道頓堀」の風景の中に見出したのだった。


 大阪ミナミの風景があるくらいだから、同じ古都である京都や、元々欧米っぽい神戸の風景だってあるはず、と三人は考えた。

 日本に帰れないなら、このシロノワールブールの中でちょっとでも京阪神の「三都」――JR西日本が昔、CMでそう主張していた――に近い場所を見つけ出して、心の慰めを得よう。そう思ったのだった。


 まずは「大文字」が見つかった。

 北街区の郊外にある「ディーモンゼの丘」の中腹で、十字架の形に並んだ電灯が点されるのだが、まあこれが大文字だろうということになった。

 神戸にも同じように、市街地近くの山で市章や錨などの形のイルミネーションが光る「山麓電飾」があるので、これは神戸も兼ねているということでよかろうということにした。


元町高架下モトコーの焼肉」は、そのまんま急行トラムレックスプレスの高架下にあるバール街に、コリアン風焼肉屋があるのを沙縒が発見した。

 ホルモンはメニューには無さそうだったが、名称不明の肉を適当に頼んで出てきたカルビもロースも大変おいしくて、タレもちゃんと焼肉屋の味。

「沙縒、でかした!」

 と春奈は大喜び、

「わたしここ、鶴橋のガード下って思ってもいいですよね? あそこもこんな感じだし」

 という沙縒に、もちろんいいとも、と上機嫌でうなずいた。

「じゃあ僕は、桃山の『駅前0番地』だと思うことにしようかな」

 と便乗する哲にも、二人は「いいね!」と親指を立てて見せた。マイナーすぎて、そこがどんな場所なのかは知らなかったが。

 まあ、どこの都会にも、こういう庶民系グルメ街というのは共通で存在するものなのだ。


 海のないシロノワールブール、普通に考えれば大阪南港やメリケン波止場などのウォーターフロントはどうにもならないところだが、しかしこの町には国際河川のアレノ川がある。

 港町である西街区のメルケルにはちゃんと大型客船の着く立派な河港があって、広々とした桟橋のそばには古びた観覧車や赤い鉄骨の展望台までがそろっていた。誰がどう見てもハーバーランドとかポートタワーだから、これでまた神戸を一つクリアということになった。

 このアレノ川は大活躍で、あの「道頓堀」もあったし、川沿いに並ぶ飲食店のウッドデッキが鴨川の川床っぽくもあって、いくつものスポットをクリアする有能な存在だった。


 やがて、三人は気づき始めた。

 結局は町なかのあらゆる小路、公園、ビルの中に至るまで、みんなどこかしら京阪神なのだった。

 なんさん通りも、布引ハーブ園も、ろうじ店舗も、このシロノワールブールに姿を現していく。町を置き換えることで、自分たちの居場所を引き寄せる。気づいてしまえば、実に簡単なことなのだった。


「今日のお店も良かったなあ、良い鯛を使ってたよねえ」

 重いロングコート姿の春奈は、踊り出しそうに軽々とした足取りで沙縒たちの前を歩いた。

「でしょう? あそこの大将、魚市場の知り合いに特別なコネがあるらしいんですよ」

 またも得点を稼くことができて、哲は得意げだ。

「じゃあ、次は大阪の番ですね。梅田のビッグマン前に18時集合でよろしく!」

 駅の前で手を振る沙縒に、哲と春奈は笑顔で手を振り返した。


 四条河原町交差点の南西、21時。雨で濡れたアスファルトを、高島屋の灯りが照らしていた。

(終わり)

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大阪へ帰りたい 天野橋立 @hashidateamano

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