面白い顔

牧田紗矢乃

面白い顔

 僕の顔を見た人はゲラゲラと笑い出す。

 笑って笑って、さんざん笑い転げたあとにヒュゥ、と息を吐いて動かなくなってしまう。


 それがいつからなのか僕にもわからない。

 少なくとも十五年前、僕が引きこもりになる前までは普通だったと思う。


 まあ、笑われることはあったけど。

 それが辛くて部屋から出なくなったのだけど、その頃はまだ僕を見て笑い死ぬ人はいなかったはずだ。


 引きこもっている間に僕に何かが起こったのだろうか。

 髪も髭も伸び放題で、ホームレスみたいな見た目なんだろうなとは思う。

 でも、ホームレスを見て渋い顔をする人はいても笑い死ぬ人はそうそういないはずだ。




 最初は母さんだった。

 十五年ぶりに意を決して部屋から出てきた僕を前にして、母さんは驚いたように目を見開いた。

 それから、ふふふ、と笑った。


 その時はドア越しにしか会話をしなかった息子がようやっと顔を見せたことを喜んでくれているのかな、とかそんな感じにしか考えていなかった。

 今までごめん、とかそういう話をうつむきながらポツポツしたと思う。

 母さんはその間もずっと笑っていた。


 許してくれているのかな。

 そう思って顔を上げた。

 母さんと目が合って、死にそうなほど驚いた。


 母さんは人相が変わるくらい顔を歪めて笑っていた。

 ゲラゲラと声が出そうになるのを必死で堪えているようにも見えた。

 ビクビクと体を震わせしゃくり上げるように呼吸していた。

 そして、ヒュゥ、と息を吐いた次の瞬間には糸が切れた操り人形みたいにテーブルに突っ伏した。


「か……、母さん? ……母さんってば!」


 慌てて肩を掴んで揺さぶる。

 けれど反応はなかった。

 まさか、と思い母さんの口元に手を近付けた。


 母さんは息をしていなかった。


 十五年引きこもっていた僕には救急車を呼ぶという考えが浮かばなかった。

 ただただパニックになって、元のように部屋にこもって知らんぷりを決め込むことしかできなかった。


 夜になって父さんが帰ってきた音がした。

 それからバタバタと走り回る音がして、サイレンの音と赤い回転灯が近付いてくるのが見えた。

 その間も僕は部屋から動かず、父さんがドア越しに呼びかけてきても生返事を返すことしかできなかった。


 母さんは心不全による突然死という診断になったらしい。

 葬式を機に引きこもり生活を脱出しようかとも考えたけれど、笑い死んだ時の母さんの顔が忘れられなくて怖くなってやめた。




 次に僕が人と会ったのは母さんが死んでから半月ほど経ってからだった。

 何を買いに行ったのかは忘れたけれど、どうしてもコンビニに行かなきゃ行けない用事ができてしまったのだ。


 僕はマスクにキャップ、サングラスという不審者に間違えられかねない格好で外へ出た。

 奇異の目を向けられているような気はするが笑われることはなかった。

 ああ、これなら大丈夫なんだと思ったのを覚えている。


 それからは頻繁に――と言っても週一回くらいだけれど――外出するようになった。

 その中で、たった一回だけマスクもサングラスもなしで出かけた日があった。

 その時は夜だったから人に会うことはないだろうと油断していたのだ。


 運悪く鉢合わせてしまったのは、中学の同級生だった。

 向こうが僕に気付いて声を掛けてきた。

 昔仲良くしていてしょっちゅう一緒に遊んでいたやつだし、嫌な感じはしなかったから僕は彼と話しながら歩くことにした。


 初めは並んで歩くだけでお互いの顔を見合わせることもなかった。

 僕らは他愛もない話をしていたはずだ。緊張しすぎて覚えてないけど。


「ちょっと休むか」


 そう言って友人が立ち止まったのは公園の前だった。

 そういえば中学の時部活サボってよくここでお喋りしてたっけ。

 思い出に浸りながら二人並んでベンチに座った。


 友人は僕が引きこもっていたことを何となく知っているらしく、そちらへ話題が向かないように気を使ってくれているようだった。

 おかげで久々に楽しく話ができた。


 ふとした拍子に友人と目が合った。

 街灯の光に照らされた彼はとてもいい顔で笑っている。


 なんだ、母さんの時のは僕の思い違いだったんじゃないか。

 ほっと胸を撫で下ろした時だった。


「あは、それでさ……はは、ふはは、ふはははははは」


 突然人が変わったように友人が笑い始めた。

 唾を撒き散らしながら、のたうつように地面に転げて大笑いしている。


 僕は怖くなって一歩また一歩と友人から距離をとった。

 彼の視界から僕が消えれば元に戻るんじゃないかって、そう思って逃げるように公園を飛び出した。

 最後にヒュゥ、と息を吐く音が聞こえた気がした。


 次の朝、テレビをつけるとあの公園で変死体が発見されたとニュースになっていた。




 それからというもの、僕は、僕の顔が原因で人が笑い死んでいる訳ではないという証拠が欲しくて顔を隠さず色んな人に会うようになった。


 髪を整えに美容室行けば美容師が、新しい服を買いに行けばレジにいた店員が笑い転げて倒れていった。

 みんな最後にはヒュゥ、と息を吐いていた。


 人に会えば会うほど、僕の顔が原因だという証拠ばかり増えていく。

 どうしてだ。

 僕の顔がそんなに面白いのか?


 気になって、十五年ぶりに僕は鏡の前に立った。


 何の変哲もない、平凡な男がそこに立っていた。

 ちょっとやつれて顔色が悪い気がするが、スーツを着て満員電車に飛び乗れば難なく周りの景色に同化できそうだ。


「はは、なんだ、なんだよ……はははは」


 拍子抜けして床に崩れ落ちた。

 笑いが込み上げてきて止まらない。


 なんだよ、笑い死ぬことないじゃないか。

 心配しすぎて損したなぁ。


 安心したせいか腹の底から笑える。


「あはは、はは、はは、ふはは……」


 ヒュゥ。

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面白い顔 牧田紗矢乃 @makita_sayano

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