第3話 クソまずいレーションのきずな
目的地のマンションは、もとは何階建てだったのだろうか、二階から上は吹っ飛んでなくなってしまっていた。しかし地下は奇跡的に無傷だった。高級なマンションだったらしく、広々とした駐車場とちょっとしたジムがあった。
東スヴァキ部隊の面々は、まず、屋内であるジムに怪我人を寝かせた。荷物も屋内に置いた。屋内はそれでいっぱいになってしまったので、自分たちは外に出て、駐車場のコンクリートの床に腰を下ろした。
電気もガスもない。けれど、屋根と壁がある。
「大変だったね」
リラがそう言ってティレアヴィルスの肩を叩いた。どうやら笑みを作ろうとしてくれているようだったが、顔の筋肉が硬くなり、どことなく引きつっていた。
「いつもこんな感じなの?」
「いや、そんなに頻繁にあるわけじゃないよ。それに州境にいる軍人さんたちのほうがもっと大変だと思うし」
「それは気にしなくていい」
男の声が聞こえてきた。顔を上げると、ジムに寝かせたはずのエベル軍曹が杖をついて立っていた。
「本来だったらその州境にいる第九師団がしっかりしているべきだったんだ。申し訳ないな」
「そんなこと言わないでくださいよ」
リラが自分の胸元を叩く。
「わたしたちの街は、わたしたちで守る」
その言葉を聞いてティレアヴィルスは泣きそうになった。
国民はこんなふうに銃弾の雨にさらされながらも敵に立ち向かっている。一方、王である父は、外国へ脱出してしまった。
王とはいったい何なのだろう。そんなことだから悪の枢軸国呼ばわりされるのではないか。
ここにいる人は誰一人悪人ではない。真面目な一般市民が銃を握って敵に向き合っている。
「さて、ティルに銃の使い方を教えてあげようか」
リラが言った。
「ここで発砲訓練はできないけど、弾の込め方と構え方を」
ティレアヴィルスは一瞬震えた。けれど次の時には気を取り直して頷いた。
「よろしくお願いします。一応勉強は得意なんです」
軍曹が「いいことだ」と笑った。
地下での平和な日々は本当に短期間で終わった。
それから二日後の夜、突如外から轟音が聞こえてきた。
すさまじい震動を感じた。地震が来たのかと思った。しかし揺れ方がおかしい。それに地鳴りではなく破裂音が聞こえる。
「みんな起きて!」
外を見張っていた女性二人が地下に飛び込んできた。
「連中、またミサイルをぶち込んできやがった!」
軍曹が「落ち着け」と大きな声を出した。
「ここにいるのが一番安全だ。真ん中に集まれ」
女性たちの多くは「はい」と返事をして集合した。けれど今入ってきた二人は頷かなかった。
「まだ外に人が……!」
背中がぞくりとした。生きている人間が建物を崩すような破壊活動のまっただ中にいるのか。
軍曹は首を横に振った。
「可哀想だが、俺はお前たちの安全を優先する」
女性たちは呆然と軍曹を見つめた。
「間に合わない。生存者を救助することにする」
ティレアヴィルスも何も言えなかった。それすら本当は危険だ。なぜなら医薬品も不足しつつあるからだ。そうでなくても、ジムも駐車場もいっぱいで、これ以上人を受け入れる余地はない。全員を助けるのは無理なのだ。救助するつもりがあるだけ軍曹は優しかった。
「祈るしかないのね」
ある女性が涙声で言った。
「本当は知ってるの。私たちにできることは、もう、アメリカやEUが助けに来てくれるのを祈るだけなのよね」
壊滅しているのは第九師団だけではない。第一、第二、第三と、ほとんどすべての師団が全滅しているのだ。
ティレアヴィルスは震え上がった。
この国は、悪の枢軸国だ。
見捨てられるかもしれない。
ぎゅっと、ライフルの銃身を握り締めた。
「戦わなければ」
悔しさのあまり涙が出てきた。
「僕が戦わなければ。みんなを、スヴァキを、守るために」
歯を食いしばり、腕で涙を拭ったティレアヴィルスに、リラが微笑みかけた。今度こそ、落ち着いた、優しい表情だった。
「大丈夫。あんたはよくやってるよ」
「でも」
「ここにいるじゃないか。お父さんもお母さんもあんたを捨てて逃げたのに、あんたはここで銃を握ってる」
すすり泣く声がそこかしこから聞こえてくる。
「みんな本当はわかってるんだよ。あんたがひとりで戦っていることを」
「何もしていない。みんなの大事な糧食を消費しているだけだ」
「いいじゃないか、宮殿にいたら食べることのないものだ。王子様に自分たちと同じクソまずいレーションを食わせてる、みんな満足してるよ」
軍曹が「クソまずいとは何だ」と笑った。
少ししてから、いつの間にか自分の氏素性がバレていることに気づいた。リラがあまりにも自然だったのですぐにはわからなかった。
だが誰もティレアヴィルスを排除しようとはしない。みんな温かい目でティレアヴィルスを見つめている。
「みんな王室メンバーのことが嫌いなんじゃないのか」
軍曹が杖を器用に動かしながら床に膝を下ろした。
「お前を殺して首を差し出しても一時的に溜飲が下がるだけで何にもならない。得をするのは血眼で権力争いをしている貴族の豚どもだけで俺たち市民じゃないんだ。だったら生きているほうがいい。男は荷物運びで役に立つ」
ティレアヴィルスもおかしくなって笑ってしまった。
砲撃の音が止んだ。外が静かになる。
「様子を見に行くか」
軍曹が言った。そうはいっても足が不自由になった彼が外を歩き回れるわけではないのだが、女性たちは信頼し切った様子で頷いた。
「向こうもそんなに何十発も持ってるわけじゃないからな。今回の砲撃で消耗してる。すぐには追加できないだろう」
ある女性がリュックサックを背負ってジムから出てきた。おそらく医薬品が入っているのだろう。彼女も悲壮な顔をしている。姉と同じくらいの年齢の女性がミサイル攻撃で手足が吹き飛んだ体を看るのだ。
とても久しぶりに姉のことを思い出した。
この世で唯一の姉弟だったが、あまり親しくはなかった。上品で美しくウィットに富んでいるが、派手好きで金遣いが荒く、平時は毎晩のようにパーティをしていた。典型的な古き良き王侯貴族だった。幼い頃から王冠を継ぐ者としてそれなりの教育を受けていたティレアヴィルスは彼女をうらやましく思っていた。無責任な人だ。自分もそんなふうに振る舞いたい。だがそれをすると母上ががっかりする。
姉は子供の頃からよく言っていた。早く結婚して王室を出ていくのだ、と。
カイサリーエ家は、国際社会からの男女平等を推進する潮流に負け、王位継承を長子相続とし、第一王女を継承権一位に据えた。けれど、国内の重臣たちは誰も真に受けていなかった。王女本人でさえ認めていなかった。
すべてを押し付けられて立ちすくんでいたティレアヴィルスは、今、初めて自らの意思で銃を握った。
「行こう。あいつらが荒らしに来る前に」
そう言ったティレアヴィルスの肩や腰を、すっかり学生をやめて兵士となった東スヴァキ部隊のみんなが後ろから促すように叩いていく。
「僕の国は僕が守らなければ」
そして一人でも多くの国民を救い、廃墟の中から胸を張ってこの国も国だと言える国につくりかえるのだ。
そのために、今、立ち上がらなければ。
地上へ続く階段を上がり、鉄の扉を開けた。
暁のまばゆい光が、あたりを照らし出していた。
<終>
第九師団東スヴァキ部隊の王 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid
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