かわりみくじ

Planet_Rana

★かわりみくじ


 新年早々、「かわりみくじ」というおみくじを引くことになった。


 おみくじと言っても参拝客が集まるような大きな神社のものではなく、近所の水場にまつられた小さな祠の前に毎年この時期になると太い鎖でがんじがらめにした重い木箱が設置されるのだ。僕が引いたのはこのおみくじである。


 おみくじといえば昨今は様々な種類があるらしいが、この毎年の木箱みくじにはバリエーションがない。恋愛運健康運金運などといった種別はおろか、引いても引いても大吉で、他の内容が書かれたみくじが入っていないのかと思うほど大吉がでることで有名だ。


 地元の子どもや学生はゲン担ぎや気休めでこの一回百円のおみくじを引いていくのだけど、ここのところツキがなく運もなかった僕にしてみれば神頼み神すがりの代物だった。なにせただでさえ軽い財布の固いがま口を開けるのに、今年は五分もかかってしまったのだから。


 まあ、引いてみれば何のことは無い。今年も「大吉」の文字がにじんだ、例年と変わり映えしないおみくじである。


「わぁ、おみくじっていうんですよねこれ。私初めて見ます」


 そうして大吉の「失せ物:出る」あたりを読み込んでいると、後ろから声をかけられた。車両が通ることもしばしばある細い道沿いのくじ箱の前にしゃがみ込み、排水溝の上で長いスカートのすそを抱く。知らない女性だった。

 あまり見ない顔だ、と思うのがひとつ。この時期にマスクもせず出かけているのは珍しいなというのがひとつ。黒髪の姫カットがやけに艶めかしいと思ったのが、ひとつ。


 その内、女性の視線がこちらへ向けられる。黒と緑のオッドアイだが、片方はカラコンでも入れているんだろうか。推しのコスプレで気合が入っているというなら、この姿のクオリティの高さにも説明がつく。キラキラとした好奇心旺盛そうな顔には邪気が無く、僕が手にしていたおみくじに非常に興味をそそられているようだった。


「一回百円ですから、興味があるなら引いてみては?」

「へえ、それはまたお手軽ですね! かわりみくじ、というんでしょう?」

「……かわりみくじ?」

「知りませんか? ここで三が日にだけ売っている『かわりみくじ』は、いま中高生の間で人気の縁起物なのです。TokTokとかで『みくじ~みくじ~かわりみくじ~』ってこう、水に浸したおみくじをもってダンスするのですよ」

「な、なんですかそれ?」


 僕はTokTokとやらをアンインストールしたスマホを愛用しているため、彼女が言ったことが本当に分からなかった。


「さあ。ただ、ダンスの有無はともかく水に浸すことで内容が書き変わるみたいですね?」


 さーて、どうしましょうか。お財布の中身が心元ありません五十円玉が一枚と一円玉が六枚と十円玉が四枚で絶妙に買えませんうむむ。と、女性が苦い顔をする。これだけ綺麗な顔をしていて安売り特化五百円のコインケースをべりべりしているのも驚いたが、財布の中に百円も入っていないのはもっと驚きだった。途中で何か買い物でもして、中身を補充するのを忘れてしまったというところだろうか。


「……ちょうど僕の手元に百円ありますけど」

「人のお金で買い物しちゃいけないと叱られたばかりなのです」

「叱られ……? まあいいです。ええと、かわりみくじが変わるところが見たいんですか?」


 返事を待つ前に、僕も興味が勝ったのでそこの湧き水に開いたおみくじを浸した。水が染み込みづらくコーティングでもされているのか、白い紙が半透明の灰色に落ち着くまでに暫く待つ。


 すると、確かにおみくじの内容が書き変わった。にじんだ端からいっぺんに、ばらばらばら、と文字が泳いだように錯覚した。


 おみくじは、大吉から――大大大吉になった。


「お、おぉ……!?」

「おぉぉぉ!! これがうわさに聞くかわりみくじですね!? 面白い!!」

「え? あ、あはは。僕、毎年買ってるのに全然気づきませんでした」


 苦笑いしながらおみくじを回収して、適当に服のすそで水分を拭き取る。乾くまで時間がかかるだろうが、問題ない。後でSNSにでもあげるとしよう。


 後で絶対に買いに来ます!! と意気込みながらその場を後にした謎の女性は、まったく反対方向の道を行く。いやしかし、大大大吉とはいかなるものか。確かに神頼みしたいとは思ったけれどこれは一周回って胡散臭い。やはり人を楽しませる方向性に進化しなければおみくじは売れず、神社関係者にお金が落ちないということなのだろう。


 そうして細道を抜け、歩道に出て右を向くと、銀色のアタッシュケースが落ちていた。


「……………………?」


 周囲には人っ子一人おろか、普段は往来している車の気配もない。近づかないまま大人しく拾得物届を近くの交番へ出した。中身は、どうやらありったけの札束だった。引きつる顔面と共に、拾得者手当の受け取りを保留してその場を後にする。

 次に遭遇したのは通行止めの看板で……どうやら先ほどアタッシュケースを拾った周辺で車が八台も絡む派手な事故があったということだった。死人はいないらしいが、先ほどまでその場にいたことを思うとぞっとする。

 次に、違う道を使って帰ろうと踵を返そうとしたら誘導員に引き留められて、世間話をされた。一言二言、「大変な事故だったね」「そうですね」といった当たり障りないものだ。会釈して歩きだしたらスマホが鳴り響き、開けばメールが入っている。


 ――採用試験の合格通知だ。


「っっっ!?」


 良いことばかりが起きているはずなのに、そのメールの文面を見て肌が泡立った。懐に入れていたおみくじを引っ張り出してみると――なるほど。変わっている。


 大大大吉が、今は大吉だ。


 かわりみくじとやらの効能で良いことが起こった事実に驚嘆すべきなのか、これから起こりかねない「もしも」に戦慄すべきなのか。僕は割と自分の運の悪さと引きの弱さを知っている。脳内のイヤーワームが警戒アラートに切り替わる。


 恐ろしいことに、目の前で大吉が中吉になった。ということは、時間経過とともにこれが現実になるやも知れないということである。僕は本を沢山読むし映画をよく観るから知っているんだ、こういう兆候を見逃すとろくなことにならないということを!!


 困った。とても困った。ずっとずっと大吉で良い運ならともかく、凶まで行きついた日には洒落にならない気がする。おみくじなど心のよりどころかつ眉唾のおまじないだとばかり考えていたが、よくよく思い返せば水にぬらした程度でおみくじの文字位置がすっかり入れ替わったり移動したりするなんてありえないわけだし、最初の方から明らかに何かがおかしかったのである。


 問題は引いた時点で僕の運がそこそこに悪かったということで!!


「っああああああついてないついてない!! 今まだ小吉だけどこっからどうなるか分からんこっわぁ!!」


 おみくじの処分法などゴミ箱にぽいしかしらないのだが、今はそれを気にする時間が惜しい。歩数や時間換算でこのろくでもないカウントダウンが始まっているなら、まずは先ほどのなんちゃって神社まで引き返すまでである。そうして振り返ると、そこには交通規制のイエローテープ――大回り、しなければならない。


「絶妙に運が無い!!」

「どうしました?」

「ぅぉっ、お、落とし物したので拾ってきまぁす!!」

「うぉおお!? 君、いきなり規制線の内側に飛び込むんじゃないよー!?」


 交通誘導のおっちゃん本当に申し訳ない。しかしこの道が一番の近道なのは間違いないのだ。そこまで遠くないのに何度か足をもつれさせて膝を擦りむいたり手首をひねったりしたが、僕は何とかおみくじを引いた場所まで戻ってくることができた。


「っ、はあ。はぁ、待てよ。これからどうしたらいいんだ?」


 手持ちのおみくじを見直すと吉の文字が失せて凶になったばっかりで、じわじわと隣に「大」の文字が浮かび上がり始めていた。うわぁもの凄い藪蛇をつついた気配がする。障らぬ神になんとやらなら障ったそれには祟られるのだ――そう思っていると、走る音と共に誰かが近づいてくる気配がした。


「!!」

「あら。先ほどぶりですね、運がいいのか悪いのか……」

「う、運悪いです!! かわりみくじ、でしたっけ!? これ多分やっちゃまずいやつなのでは!?」

「そうですか? やはり貴方もそうなりましたか。まあ、私が教えてしまったこともありますし、ここは元凶を断つことでチャラにしてもらえないかなと思いまして……今、どんな感じですか?」


 非常に冷静な調子で女性が僕のおみくじをのぞき込む。既に手はガタガタと震えていたし表記はどんどん「大大大凶」に近づいていくわけなんだけど、目の前の緑の瞳はきらりと光るだけだった。


「百円、でしたよね」

「ひゃい?」


 ちゃりん。と、今度はしっかりお金の音がして。開かれた小銭入れから取り出された白銅の硬貨が手のひらに乗せられる。


「私、このおみくじが欲しいんです。譲っていただけないでしょうか?」

「え……いや、だめですよ。だめです。だって、変な感じしますもん、渡してしまったら、貴方にもきっと何か悪いことが」

「私は大丈夫ですよ。ほら、興味深々なので」


 そういうと、殆ど追いはぎみたいな形でおみくじは取り上げられてしまった。僕の手のひらにはきれいな百円玉が一枚残されて、彼女の手にはすこぶる悪い運勢が書かれたかわりみくじがある。


「特に信仰していない神にも頼み事をする国民性というのは非常に面白いと思いますが」


 女性は言って、おみくじの内容を読むことなく折りたたんだ。


「ある程度全員に同じだけの幸福を配るというのは、どこかで折り合いをつけねばならないことになります」


 綺麗に綺麗に折りたたんで、更に小さくクルクルと丸める。


「その始末を、少しの好奇心や欲に惹かれた者に押し付けるというのは、どうかなって――まあ、人間らしいっちゃらしいですがね」


 ――ぱくん。


「えっ」


 目の前で女性が、おみくじを飲み込んだ。とても運勢が悪そうなおみくじを飲み込んだ。咀嚼も何もせず、それが当たり前であるかのように。


「それじゃあ、おかえりなさい。夜道には気を付けてくださいね?」


 声がして顔を上げると辺りは真っ暗で。街灯の明かりすらない細道の、目に入るものは電柱の張り紙くらいで本当に何もない場所に、僕は立っていた。……それからは家に帰るまで、一度も振り返らなかった。


 結局あの一件から何かが変わったわけでもなく、けれどあれ以上の不幸に見舞われるようなこともなく、僕は新年度を迎えることになった。どうやら補欠合格したらしい就職先で嫌味たらしい上司にもまれながら、疲れた足で帰宅して家事をして寝て、起きる。


 朝ごはんには味噌汁と漬物を用意した。たぶんこれが、僕のちょうどいい幸せなんだろう。そう思った頃に連絡が入った。警察署からだった。

 どうやらあのかわりみくじには平均的に「大吉」を引き寄せる力があったのだろう。

 臨時収入は全て、奨学金の返済にあてられた。




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