VRアルバイト

大隅 スミヲ

VRアルバイト

『あ、それ以上先は進めませんよ。引き返してください』


 背後から声を掛けられたことで、私は足を止めた。

 振り向くと、そこには誰もいなかった。

 確かに声は聞こえたはずだ。

 若い男の声だった。

 

 周りは塀に囲まれた一本道である。

 塀はかなり高く、その向こうには竹林があった。

 どこかから見ているのだろうか。

 そんな風に思ったが、どこからもこちらを見るような場所は存在しない。

 では、声はどこから聞こえてきたのだろうか。

 そんなことを考えていると、背筋がぞくりとした。

 あの感覚だ。


 私は慌てて走り出した。

 しかし、それ以上先には進めなかった。

 あの男の声が言った通りだった。


 背後から黒い何かが迫っていた。

 私はどうすることも出来ず、悲鳴をあげながら、その場にしゃがみこむ。


 ぐしゃり。

 なにかが潰れるような音がした。

 まるで完熟トマトを床の上に落としてしまった時のような音だった。


『だから、それ以上先は進めないって言ったじゃないですか』

『でも、あなたにはチャンスを差し上げます。クイズチャンスです』

 また、男の声がした。


 顔をあげると、そこには男の姿があった。

 その男はピエロのような衣装を着て、頭にはシルクハットを被っている。

 そして、そのシルクハットには大きくクエスチョンマークが描かれていた。


 さっき見た時は、誰もいなかったはずだ。

 どこから出て来たというのだろうか。


「それでは、問題です。とんち話でお馴染みの『一休さん』ですが、足利義満から屏風絵の中にいる何を捕まえてみよといわれたでしょうか?」

「え……」

 あまりにも突然の出来事に、私は口をパクパクとさせるだけで何も答えることは出来なかった。


 ブー!

 頭の上の方でブザーがなる。


「残念でした、時間切れです。では、戻ってください」


 男はそういうと、私の立っていた場所の地面の底が抜けた。

 ものすごい勢いで私は落下してく。

 あ、地面とぶつかる。

 ぐしゃり。

 また、あの音だ。

 トマトが潰れるような音が、耳の奥から聞こえてきた。

 

「はい。もう一度、がんばってください」

 その声に私は目を開ける。

 そこには、一番最初に見たのと同じ景色が広がっていた。


「もう一度、やり直しです。クリア目指して頑張ってくださいね」

 男はそういうと、見えない扉を開けて、どこかへと消えてしまった。



※ ※ ※ ※



「はい、お疲れさまでした」

 女性の声で、私は我に返った。

「ゴーグルは、一回消毒しますのでスタッフに渡してくださいね」


 ゴーグルを外すと、現実の世界へと戻ってくる。

 ここは都内某所にあるスタジオだ。

 照明の明かりが眩しかった。


 私は息を整えながら、ここが現実の世界であることをもう一度確認する。

 こんなに辛い仕事だったら、引き受けなければよかった。

 心の中で後悔しながら、外したゴーグルをスタッフに渡した。


「おつかれさま。次のテストまでは時間があるから、シャワーでも浴びてきてよ」

 例の声の男がそういいながら、私にスポーツドリンクを手渡してくる。

 格好はピエロなどではなく、普通のスーツ姿だった。


 ここは彼の経営する会社であり、私はVRゲームのテスト担当者だった。

 日当5万円という金額に釣られてやってきたわけだが、やはり高額のアルバイトというのは裏があるのだと私は実感していた。


 シャワーを浴びて、着替えを済ませると、休憩室で温かいココアを飲んだ。

 少しは生き返った気分だ。

 休憩室でぼーっとしていると、隣にあるスタッフルームから声が聞こえてきた。

 休憩室とスタッフルームはパーテーションで区切られているだけであり、声などは筒抜けになってしまっていた。


「ねえ、今回のバイトの人は続きそうなの。前みたいなことは嫌だからね」

「大丈夫だって。前回の人は弱すぎたんだよ」

「本当に? 聞いたわよ、精神が壊れちゃったって」

「おい、声が大きいって」

「現実の世界とVRの世界がごっちゃになっちゃったんでしょ」

「ああ。まれにそういう事故があるらしい。他の会社でも数件発生していて厚生労働省の立ち入り検査が入ったところもあるって聞いている」

「うちは大丈夫なの?」

「まあ、いまのところは大丈夫だろう。まだ1件しか起きていないし」


 聞きたくもない話だった。でも、聞いたところで、もうどうすることも出来なかった。

 すでに5万円は受け取ってしまっているし、何があっても責任は自分で負うという契約書にもサインをしてしまっていた。



「さあ、次のテストをはじますよ」

 その言葉にしたがって、私はVRゴーグルを再び装着した。

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