座敷童子はおじいちゃん

桜鈴

第1話:春~出会い~

春。それは〝出会い〟と〝別れ〟の季節――……


***




 見上げれば満開に咲き誇る桜。その花びらは風が吹く度にふわりと一枚、また一枚とひらひら降りていく。


 長かった受験との戦いもようやく終わりを迎え、今月からいよいよ大学生になる私月城つきしろアヤメは、大学の近くにある母方の祖母の家から通学することを決めていた。


 そして――いよいよ今日はその祖母の家に引っ越す、記念すべき日なのだ。


 新しい旅の始まりに、私は心躍らせながらスニーカーに足をつけた。


「アヤメ、忘れ物は無いわね?洋服は入れた?お金はちゃんと持った?それから……くれぐれも身体には気をつけること。いいわね?」


 心配そうな顔をしつつも優しい言葉を掛けてくれる母、紅葉くれは。


「持った持った、全部完璧だよ」


 そして、


「寂しくなったらいつでも帰ってきていいんだからな……」


 心配……というよりは寂しそうな父、桐彦きりひこ。


「もう、あなたってば……今生の別れになる訳じゃないのよ……?」


「そうだよ、お父さん。長期休みにはちゃんと帰って来るから」


 なんていつもの調子で話していると、ふと壁の時計が目に入った。針が指すのは午前九時。


「わっ……もうこんな時間!?」


 私は慌ててもう片方のスニーカーに足を履き終えると、玄関の戸に手を掛ける。


「まったく……だから早めに準備しておきなさいって言ったのに」


「あはは……だって何を持っていけばいいのかわからなかったんだもん」


 母にもっともなことを言われた私は、苦笑いを作るしかできない。


「まあいいじゃないか。アヤメももう十八だ」


「またあなたはそうやって甘やかすんだから……」


 と、再びため息をつく母。しかしすぐに首を横に振り、


「いえ、今日は小言はやめましょう。アヤメ、元気に行ってらっしゃい」


「はは、その通りだ。気をつけて行っておいで」


「……ふふ」


 昔から変わらない両親の優しい笑顔に見送られ、気恥ずかしさをごまかすように急いで手を掛けたままだった戸をを開ける。


「それじゃあ、いってきまーす……!」


「ええ。いってらっしゃい」

「ああ。いってらっしゃい」


 こうして私は、ここから始まる新しい生活に期待を膨らませながら旅立ちの最初の第一歩を踏み出すのであった。




 祖母の家は電車で二時間ほどかかる場所にある。


 人によっては二時間が長いと感じるかもしれないが、私にとってはなんてことない。だって窓から見える田んぼや小川などの田舎ならではの景色を楽しむことができるのだから。


 それに今の時期は、一面に桜うを見ることができる。それも一種類だけではなく、染井吉野ソメイヨシノをはじめとし、しだれ桜や江戸彼岸桜エドヒガンザクラ、そして寒緋桜カンヒザクラなど。花が好きな私にとっては最高の光景だ。


 そんなこんなであっという間に目的の駅に着いた私は、軽い足取りで祖母の家へと向かう。




 駅から歩くこと数十分――


「着いた……!」


 目の前には瓦屋根の大きな家。自然に囲まれた中にひっそりと建っているその家は、まるで『日本の象徴』と言っても過言ではないほど立派な和風の家である。


「おばあちゃん、こんにちはー!」


「……」


(あれ……?)


 返事が無い。


(庭の方かな……?)


 玄関とは反対側からぐるりと回ってみると、庭の奥の方で人影が動くのが見えた。


 私は自然のおいしい空気を思い切り吸い込み、その人影に向かって……


「おばあちゃーーん!アヤメだよーー」


 ここら辺りにはこのの家一軒しかない。他にあると言えば、畑や田んぼくらいだ。それも祖母の所有している。


 だから大声を出しても近所迷惑になんてならないのだ。


「アヤメ?」


 私の声に反応するように、庭の奥で人影の正体おばあちゃんがこちらを振り向いた。


「おばあちゃん久しぶり!」


「あらあら、もう着いたのね。庭の手入れをしていたらついつい夢中になっちゃって。本当に久しぶりね。それにしても……」


 祖母はその優しい笑顔を崩さないまま私をじっと見つめている。


「……おばあちゃん?」


「ふふ、しばらく見ない間に美人になって……もうすっかり一人前の“レディ”ね」


「レ、レディ……?!」


 何故かその瞬間今朝の両親との会話を思い出し、再びむず痒い感情が顔を出す。


 独り立ち記念日だからなのか、なんだか今日はやたらとみんなが優しい気がする。


「そ、そうかなぁ……?あ、私部屋に荷物置いてくるね……!」


「ふふ、階段に気を付けてね」


 背中から聞こえる祖母の呼びかけに心の中で返事をしながら私は今朝同様、恥ずかしさを悟られぬようにこれから自分の部屋になる場所へと急ぎ足で向かった。


 部屋に着くと丸い机と綺麗に畳んである布団が一番に目に入った。きっと祖母が用意してくれたのだろう。


 私は早速その布団を敷き寝転がった。


 まったく……うちの家族はみんな過保護なんだから。


 そりゃ、両親からすれば兄弟のいない私は可愛い一人娘だし、祖母から見ても唯一の孫だ。正直愛されている自覚はある。けれどもう少し……ほんの少しだけ放っておいてほしいな。


(なんて、わがまま過ぎるか……)


『ないものねだりなんて贅沢だぞ』と自分に言い聞かせながら、ぼんやりと天井を見つめた。


 静かに瞼を閉じれば色んな音が聞こえてくる。鳥のさえずりや春のそよ風が木々を揺らす音。その音たちに耳を傾けていると、眠気のせいか自分の名前を呼ぶ声さえも聞こえるような気がした。


(きっとこれが夢の世界への入り口なんだなぁ……)


 夢と現の間をさ迷いながら、私はゆっくりと眠りに落ちた。




 しばらくして――


「……ん」


 目を覚ますと見慣れない天井。まだ眠気の残る頭でぼんやりまどろんでいると……


「アヤメー?晩ご飯できたわよー」


(おばあちゃん……?……あぁそうだ……!)


 祖母の声で一気に目が覚めた。


「そっか……ここはおばあちゃん家だ」


 私は寝転んだままの身体を起き上がらせると、祖母が待つ一階へと向かう。食卓の戸を開けると美味しそうな匂いが鼻を抜けていった。


「わぁ美味しそう……!」


「ふふ、折角アヤメが来てくれたんだもの。おばあちゃん張り切っちゃった」


 私は席に着き、早速両手を合わせる。


「いただきまーす!……ん~!どれも美味し~い」


「おかわりは沢山あるからどんどん食べなさいね」


 口いっぱいに頬張る私を見た祖母は「やれやれ」といった顔をしている。だけど、とても嬉しそうだ。


「ああそうそう。アヤメが来る前に布団を用意しておこうと思ってすっかり忘れてたわ」


「布団?」


 そう言いながら立ち上がった祖母の背中に、私はすかさず声を掛けた。


「ちゃんと用意してあったよ?私さっきまでその布団で昼寝してたし」


「えっ?あらそう……やだわぁおばあちゃボケてきちゃったのかしら……?」


「あはは、おばあちゃんはまだまだ若いよ」


「あらまぁありがとう」


 なんて、他愛もない話をしながら私たち二人は“ガールズトーク”を楽しんだ。


 食事を終え、祖母と一緒に食べ終わった食器を洗っていると、




 タタタタタタタタッッッ……――




 水道の音に紛れて何か聞こえた気がした。


「おばあちゃん、今なにか聞こえなかった?」


「え?」


 私たちは水道の水を止め、集中して耳を澄ます。


(あれ、何も聞こえない……)


「ふふ、もしかしたら座敷童子かもしれないわね」


「座敷童子って、妖怪の?怖っ……」


 昔から祖父母が話す妖怪話が好きだった私は、今でもその気持ちを忘れていない。だけどやっぱり実際に目の前に現れたら、少し怖い……


「大丈夫よ。座敷童子は悪さなんてしないから」


 私の思っていることが通じたのか、祖母はまるで小さい子をなだめるようにそう言ってくれた。


 昔から優しくて温かい祖母。


 私がこの家から大学に通うことに決めたのは、去年の冬に祖父が亡くなってからひとりきりになってしまった祖母が心配だったというのも理由のひとつ。


「ありがとうおばあちゃん。洗い物も終わったし、私そろそろお風呂入るね」


「ええ。お手伝いありがとうね。今日は疲れてるだろうし早くおやすみ」


「うん。おやすみなさーい」


 祖母に挨拶しキッチンを後にする。




 風呂と寝る支度を済ませ部屋に戻ると、さっきまで自分が寝ていた形がそのまま残った布団が目に入る。私はその形を崩さないよう再びその上にそっと寝転がった。


 久々の長旅で疲れているのか、ほんの数十分前に寝たばかりなのにもう睡魔がやってきた。


 襲ってくる睡魔に身を任せ、意識を手放した――……




 カーテンの隙間から差す木漏れ日が朝を知らせる合図。


「――……い……おーい!」


(……もう朝?)


 私はまだ眠い目を擦りながらゆっくり起き上がる。


「おばあちゃん……そんなに呼ばなくても聞こえ――」


「誰がおばあちゃんだ!」


「……ん?」


 そこでようやくこの声が祖母のものではないことに気づいた私は、声の主の正体を確かめようと勢いよく顔を上げた。すると、


「やっと起きたか。まったく、寝坊助じゃのう」


「……」


 なんと、目の前にいたのは祖母――ではなく小さな男の子だった。


「見まちが、い?」


 しかし何度見直しても見間違いではないらしい。


 目の前に少年がいる。それも七歳くらいの。


(もしかして、昨日おばあちゃんが言ってた……)




***


――……『ふふ、もしかしたら座敷童子かもしれないわね』


***




「むむ……?何をぼんやりしておる。まだ寝てるのか?」


 少年の声で我に返った私は、勇気を出しておそるおそる尋ねてみた。


「ざ、座敷童子……?」


「座敷童子?なんじゃそれは?」


「へ?」


 思っていた返事と違うものが返ってきて、思わず間抜けな声が出てしまった。


「そんなものは知らん。我の名はユズじゃ」


「ユズ……」


 ユズと名乗る少年は、驚く私などまるでお構いなしに部屋をぐるりと見渡している。そして私が乗っている布団が目に映った瞬間、何かを思い出したように瞳を輝かせ、


「ああ、そうじゃ。我が用意してやった布団はさぞかし寝心地が良かったじゃろう。なにせ起こしてもなかなか起きんかったからのう」


「布団……あ!」


 なるほど。そういうことなら祖母が用意した覚えが無いと言っていたことに納得がいく。


 満足げに話す彼の表情はとても生き生きとしていた。例えるなら、お手伝いを頑張った子どもが母親に褒めてほしそうな顔だ。


(ちょっとかわいいかも)


 不思議なことに、なぜかこの不可解な状況を受け入れ始めている自分がいる。


(昔からおじいちゃんとおばあちゃんが教えてくれた妖の話とか好きだったからかな)


「ふふ、ありがとう」


 私はお礼を言いながらユズの頭を撫でてやった。


「触れられる……じゃあ本当に座敷童子じゃないの?」


「だからさっきから知らんと言っておるじゃろ」


 撫でられているせいか、僅かに頬を赤らめたユズが答える。


「そうだ!おばあちゃんなら何か分かるかも!」


「おばあちゃん?ああ、さっき我と間違えた……って、わぁっ!」


 私はユズの手を引き、早速祖母の元へ向かった。

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