うつくしいひと

南雲 皋

めぐり、めぐる

 サラにとって、フィフィはあこがれの人だった。全てだった。

 たぐまれ美貌びぼう抜群ばつぐんのプロポーション、およそ人間離れした肉体を惜しげもなくさらけ出し、常にトップモデルの座に君臨くんりんし続けるフィフィ・ローレイン。


 初めてフィフィを見たのは、母親に連れられて訪れた都心のバス停だった。時刻表の裏にかかげられた広告の中でポーズを決めるフィフィがあまりにも美しかったものだから、サラは買い物に行くために歩き出す母の手を引っ張り立ち止まらせた。サラを叱責しっせきする母の声も耳に届かない。心をつかまれた瞬間だった。


 その日から、ずっとフィフィに憧れ続けてきた。フィフィに少しでも近付こうと美容について調べ、実践じっせんし、親の反対を押し切ってモデルになった。

 スカウトされるような美貌の持ち主ではなかったから、いくつものオーディションを受け、なんとか掴み取った職業だった。


 血のにじむような努力をしてモデルになったサラの同期に、カレンという少女がいた。カレンはモデルになりたいと思ったことはなく、数名の友人と共に街で買い物をしていた際にスカウトされたのだと、臆面おくめんもなく自己紹介で言い放った。

 サラはカレンにフィフィの面影おもかげを見た。顔立ちは似ていないものの、人間離れした美貌を持つ人間から発せられる独特の雰囲気を、カレンは持っていた。


 自分は、フィフィにはなれない。そんなことはとうの昔に理解していたサラだったが、カレンに初めて対面した瞬間、更に深くサラに刻み付けられた。サラだけではない、他のモデルたちにとっても同様だった。カレンという逸材いつざいを目にした瞬間、この世代のトップモデルの座は自分のものではないのだと本能的に理解した。


 カレンには自分が類い稀な存在であるという自覚がなく、そのことがより一層彼女の神秘性を高めていた。

 すぐさまカレンの周囲にはカレンを守りたいという人間たちが囲いを作り、彼女に対する恨み妬みのようなものは根絶やしにされた。おかげで純粋じゅんすい培養ばいようされたカレンという少女のからは誰にも破られず、彼女がトップモデルへ駆け上がっていく階段を汚すものはちりひとつありはしなかった。


「サラ、あなたってフィフィさんのファンだったわよね?」


 カレンにそう声を掛けられた時、サラは撮影を終え、化粧けしょうを落としている最中だった。コールドクリームをほおりつけたサラは、こくりとひとつうなずいた。


「あのね、先日の撮影でフィフィさんと初めてお会いしたのだけれど、その時に連絡先を交換したの。そうしたら、今度フィフィさんのお宅にお呼ばれすることになって。お友達をたくさん連れてきてって言われたから、サラさん、どうかしら」

「行く! 行くわ!」


 サラは即座に返事をした。フィフィの家に行ける?日時を聞くまでもない。どんな大事な約束だって、フィフィの家に足を踏み入れることに比べたら。


 カレンは優しく微笑ほほえみ、日程が決まったら知らせるわと言って去っていった。それから何人ものモデルたちに同じことを聞いて回ったのだろう。その日の楽屋はいつになくにぎやかだった。当たり前だろう。カレンをようしているとはいえ、フィフィとの直接的な繋がりがあるわけでもない事務所にあって、フィフィと会える機会に恵まれるとは。

 サラは夢見ゆめみ心地ごこちで化粧を落とし、普段の倍の時間をかけて肌のケアをした。フィフィに会える。フィフィの前に立てる。鏡の中の自分に叱咤しったされながら、サラは最低限の身だしなみを整えるのに必死になった。


 カレンから連絡が来て、当日を迎えるまでの間、サラは夢見心地のままだった。フィフィに会ったら何を話そうか。話せなくても構わない、同じ空間にいられるだけで、フィフィの家に自分が立っているというだけで。それでも万が一、会話をする機会に恵まれたら。そんなことばかり考えて、当日までの自分の行動を思い出せないくらいに浮き足立っていた。


 フィフィの家の場所は誰にも教えられないと、カレンを筆頭に招かれた人は全員、迎えの車に乗せられた。何台もの高級車が、次々と少女を乗せて出発する。サラたちの乗せられた後部座席の窓は全てふさがれていて、運転席との間にもかべがあり、今どこを走っているのか見当も付かない。サラと同じ車に乗ったのは、雑誌で何度か見たことのある顔ばかりだった。


「あたしケリー、よろしく」

「私はジュディ」

「ジルよ」

「サラです、よろしく」

「みんな同じくらいでしょ? 敬語なんていいって」

「そうよ、それにみんなフィフィのファンだもん」

「楽しみすぎて眠れなかった、クマ、隠せてる?」

「あぁ、だからいつもより化粧がちょっと濃いのね」

「大失態だわ」


 三人は同じ事務所なのか、和気藹々わきあいあいと話を続けた。サラは敬語はいらないことに肯定こうていする頷きを返した後は、ずっと三人の会話に相槌あいづちを打つにてっした。そもそもあまり人と話すことが得意ではないのだと、こういう時に思い知らされる。それは、サラが自分の見た目に自信を持てないことと結びついていた。


 一時間ほど、居心地いごこちがいいとは言えない時間を過ごした頃だろうか、車が停まり、ドアが開けられた。車から降りるとそこは砂利じゃりの敷かれた駐車場のようで、サラたちは思い思いに身体を伸ばした。周りには他の少女たちの乗った車も到着していて、全員がそろったことを確認されたのち、運転手たちの案内で屋敷へと向かうことになった。


 舗装ほそうされた道が伸びる先、木々に囲まれたところにフィフィの屋敷はあった。まるで宮殿きゅうでんのような作りのそれはサラだけでなく、他の少女たちの心も掴んだようだった。街から離れているとはいえ、こんなにも大きな敷地に豪勢ごうせいな屋敷、いったいどれくらいの金額を稼げばこんなふうになれるのかと、全員が思ったに違いなかった。


 彫刻ちょうこくほどこされた白と金の扉が左右に開いて、中から真紅しんくのドレスに身を包んだフィフィが歩み出てきた時、サラは呼吸をすっかり忘れてその姿に見惚みほれた。吹く風も、それになびく髪やドレスのすそも、差し込む陽光ようこうも何もかもがフィフィを美しく見せるために存在しているようだった。


「カレン、皆さんも、今日はようこそ私のお屋敷へ。さ、中へ入って? 今日のためにお料理も用意したのよ」


 鼓膜こまくを揺らすフィフィの声に、サラは腰からくだけそうになるのを何とか耐えねばならなかった。他の少女たちもまるで熱に浮かされたように頬を赤らめ、ほうと溜息ためいきを吐きながらゆっくり屋敷の中へと足を進める。

 唯一、カレンだけが嬉しそうにフィフィにお礼をべていて、二人が言葉を交わし合う光景は天上のもののように美しかった。


 玄関ホールは吹き抜けになっており、大きなシャンデリアがきらめきを放っていた。フィフィの先導で食事の用意がなされた大広間に来ると、いくつものテーブルに見たこともないような食事やデザート、無数のドリンクが並べられている。


「ビュッフェスタイルにしたの。好きなものを取ってね。まずは乾杯をしましょ」


 うながされるままに、皆が思い思いのグラスを取る。シャンパンやワイン、ブランデーやウイスキーといったアルコール類もたくさんの種類が並んでいたが、未成年が多いこともありジュースやお茶のたぐいも多かった。サラは前にフィフィが雑誌で毎日飲んでいると言っていたハーブティが並んでいることに気付き、それを選んだ。

 他の少女たちが透明なグラスを持つ中でひとりティーカップを持つ自分の異質いしつさには、気付かないフリをした。


「たくさんの出会いに感謝を。乾杯」


 フィフィがシャンパングラスを掲げ、少女たちがそれにならう。グロスでいろどられた唇が色とりどりのドリンクを体内に受け入れた。長いドライブにのどかわいていた少女たちは、ほとんどがグラスを空にした。サラも同じく、少しミントの風味を感じるお茶を飲み干した。


 それからフィフィが広間内を歩いて少女たちに声を掛けて回った。サラは会場の端の方に立っていて、自分の元にフィフィがどんどん近付いてくるのを感じていた。鼓動こどうがどんどん高鳴るのが分かる。呼吸が荒くなり、視界が歪み、そしてフィフィの心配の声を聞きながら意識を手放した。


 サラの意識が浮上したのは、冷えた身体に生温かな液体が伝った気持ち悪さのせいだった。フィフィと話す緊張のあまり倒れてしまったのかと慌てて身体を起こしたサラは、自分が何も身に付けていないことに気付いて困惑こんわくした。

 石造りの小部屋に寝かされていたらしく、周囲を見渡したサラは自分を目覚めさせた生温かな液体の正体を知った。それは、ケリーの身体から流れ出した血液。

 床に横たわるケリーも何も身に付けておらず、その身体の至るところに小さな穴が空いていた。サラをらしたのは、その穴から流れてきた一筋の血液だった。


「なにが、どうなって……」


 サラは震える身体を必死にふるい立たせ、小部屋の扉に手を伸ばした。扉には鍵は掛かっておらず、ギィィと嫌な音を立ててゆっくりと開いた。廊下は小部屋と同じで薄暗く、冷え切っている。いくつもの扉が無数に並んでいて、廊下の先はどこまでも続いているように思えた。


 ここは、どこなのだろう。

 サラはフィフィのことが心配になった。もし、フィフィの屋敷の場所が誰かに知られていたのだとしたら、自分たちが招かれたことをカモフラージュに、フィフィをわなめたのかもしれないと。


 あまり力の入らない身体をりながら廊下を歩くと、扉が少し開いている部屋があった。部屋の中に誰かがいるかと気配をうかがうが、生きた人間がいるような感覚はしなかった。恐る恐る扉の隙間から室内を覗き込むと、ケリーと同じように身体中に無数の穴が空いた死体が複数転がっていた。名前も知らない少女だったが、広間で乾杯をした中にその顔があったことはサラの記憶に新しかった。


 他にも扉が開いている部屋がいくつかあって、そのどこにも同じ状態の死体が転がっていた。ジュディも、サラも、生気のない青白い死体となって横たわっていた。にごったガラス玉のような瞳がサラを見つめていて、楽しげに話していた彼女たちの顔とのギャップに吐き気がした。


 しばらく廊下を歩いていると、男たちの声がした。反射的に息を殺し、様子を窺う。格子こうしまどの付いた部屋には五台ほどのベッドが並んでいて、全裸の男たちはそこに横たわる少女たちを蹂躙じゅうりんしていた。

 肌を舐める水音、皮膚と皮膚が激しくぶつかる肉音、男たちのけものじみたあえごえ。少女たちの声がしないのは、彼女たちがすでに息をしていないからに他ならなかった。

 物言わぬ、穴だらけの少女たちを、男たちは好き放題たのしんでいた。サラは声を発さずに涙を流し、その光景を見つめた。


「そろそろ次の時間だ、行くぞ」

「あぁ、もうそんな時間か」

「ずいぶん夢中になってたな、当たりか?」

「顔の好みで決めたけど、当たりだった」

「ハハハハハ、最高じゃないか!」


 男たちが部屋を出る前に、サラは手前の部屋の扉の影に身を隠した。他愛たあいのない会話をしながら歩いていく男たちの後を追うと、小さく水音が聞こえてくる。それは流れるような音ではなく、お湯の張ったバスタブに誰かが浸かっているような音と、蛇口じゃぐちを閉め忘れたような音だった。


 ちゃぷり、ちゃぷり、ぽちゃん、ぽちゃん。


 サラは足音を立てないように、ゆっくりと音のする方へと歩みを進めた。

 薄暗かった廊下から、眩しいくらいの明かりに照らされた部屋へ。サラは目を細め、入口から顔を覗かせるようにそっと様子を窺った。


 フィフィの屋敷の玄関ホールにあったシャンデリアに似た照明が、室内をキラキラと照らしている。大理石で作られた室内は光を反射して白く輝き、中央にそなえられた大きなプールのようなところには真っ赤な液体が揺らめいていた。

 プールの上部には、天井から何本もの鎖が垂れ下がっている。その鎖の先には何人もの少女たちが拘束され、うめごえを上げていた。猿轡さるぐつわませられているせいで、叫ぶこともできないようだった。


 一人の男が壁際にあるハンドルを操作すると、少女たちの身体がゆっくりと下降してきた。残りの男たちの手には細いパイプのようなものがにぎられていて、サラは死体に空いた穴の正体を悟った。流れ出る血液の量があまりにも少なかった理由にも。

 サラの想像した通り、ぶら下がった少女たちの肉体に無数のパイプが突き刺さる。先端からぴゅうと血液が吹き出し、プールに溜まった大量の血に波紋はもんを生み出していった。


 再び少女たちの肉体が上空へと飾られ、がくがくと痙攣けいれんしていた彼女らの動きがどんどん静かになっていく。がしゃんがしゃんと耳障みみざわりな鎖の金属音が完全に止まり、部屋に響くのは水音のみになった。

 吊り下げられている人間の中にはカレンもフィフィも見当たらず、サラは少しだけ安心した。どこかに囚われているのかもしれない。そう思い、しゃがみこんだ状態で部屋に足を踏み入れたサラの前に、生まれたままの姿のカレンが現れた。


「サラ、起きたのね」

「カ、カレン……! 大丈夫なの? いったい何がどうなって……」

「落ち着いて。ほら、フィフィが呼んでる」


 ざばり。


 プールの中から、真っ赤に染まったフィフィが姿を現した。頭の先から、とろりとした赤がフィフィの肉体を飾り立てている。形のいい乳房も、ピンと尖った乳首も、美しいラインを描く腰も、無駄な肉のない腹にあるへそも、つるりとした股も、すらりと長い手足も、何もかもが赤く、てらてらと輝いて。

 フィフィの手が、ゆらり上下に揺らされる。誘うように向けられた手招きにサラはゆっくりと立ち上がった。背中に添わされたカレンの手は滑らかで暖かく、そこから感じる鼓動が心地いい。


 ちゃぷり。


 生温かな血液に足を付け、そのままプールに浸かっていった。フィフィの肉体が、どんどんとサラに近付いてくる。フィフィの肌が、サラの肌に触れ、まるで一人の人間になるかのように距離を縮めていった。サラの首に細長い腕が絡みつき、きつく抱きしめられる。


「美しさを保つ秘訣ひけつを教わったの。始まりだけは、特別なんですって。誰よりも愛する人の血液を浴びなければならなくて」


 耳元で、カレンの声がする。サラはフィフィの鼓動を感じながら、掛けられた言葉を飲み込んだ。


「誰よりも、愛する人」

「そう。サラにとって、それはフィフィでしょう?」


 確かに、サラにとってフィフィは全てだった。誰よりも愛する人。その通りだと思った。

 フィフィの顔が眼前に迫り、厚い舌がサラの唇をでる。薄く開いたサラの咥内こうないにフィフィの温かな舌がぬるりと侵入し、そして血の味が口いっぱいに広がった。


 いつの間にかフィフィの背後に回っていたカレンが、彼女の細い首にパイプを突き立てた。一瞬強い力で抱きしめられたかと思うと、びくりびくりと震える身体から、サラの身体に血液が降り注ぐ。それと同時に、サラの体内に何かが芽生えた。それは言葉に言い表せない何かで、しかし強い存在感を伴ってサラの身体を内側から満たしていた。


「ああ……サラ、綺麗よ……。私、ずうっとあなたが欲しかった。あなたがフィフィを見つめる瞳が欲しかった。それを私に向けてほしかった……」


 ずるり。


 フィフィの身体から力が抜けて、プールの中へと崩れ落ちていく。サラはぼうっとしたまま、手を伸ばしてくるカレンを拒むこともできない。カレンが自分に向かって何かを話しているような気がするが、それが明確な言葉となってサラに届くことはなかった。サラは自分の中に目覚めた何かの暖かさが、自分の肉体を作り替えているのを感じていた。


 カレンの唇がサラの首に触れ、そして真っ白な歯が皮膚を突き破り肉を噛みちぎる。吹き出した血液がカレンに降り注ぎ、美しいブロンドや整った顔、引き締まった肉体を深紅しんくに染めていくのを、サラはどこか他人事のように見つめていた。自分の中に芽生えた暖かさが、失われていくのをぼうっとしたまま見つめていた。

 カレンの持つ細いパイプがサラの右の瞳をくり抜き、恍惚こうこつの表情を浮かべた彼女がそれを口に含むのも、ずっとずっと見つめていた。


 最期に見たカレンは、フィフィよりも、美しかった。



[END]

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