#10 教育・学び(感想)

 『19世紀の異端科学者はかく語る』電子書籍化にともない、カクヨム版は序文を残して削除しました。規約の関係でURL載せませんが、書籍版タイトルは『十九世紀の異端科学者はかく語る: ダーウィンの愛弟子ラボックの思想と哲学 -The Pleasures of Life-』です。


 電子書籍版を出したからといって、小説投稿サイトを軽んじるつもりはまったくなく、棲み分けしつつ執筆活動を展開したいと考えています。


 そこで、ここから先は、翻訳文を引用しながら訳者主観で「感想と解説」を投稿しようかと。


「翻訳者だって、ひとりの読者として感想書きたい!」


 そんな主旨で、好き勝手に語ります。


(※引用文は改稿前のもので、書籍版とは異なる場合があります)





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#10 教育・学び(感想)

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 このタイトルでは、テーマが硬すぎて、読者の興味を引く要素がまったくありませんが、個人的には共感する内容が多かった。


 多すぎて、どこを抜粋・紹介するか悩みます。

 現代でも十分通じる教育論だと思う。


 冒頭からこんな感じ(↓)なので、ラボック自身も一般受けするテーマではないと自覚してそう。




> 人生の喜びの中に、教育・学びが含まれるというのは、かなり意外に思われるかもしれない。なぜなら、勉強は多くの人にとって嫌なもので、学校を卒業したら終わりと考えられているからだ。




 19世紀のイギリスで『14歳の少年少女に求められる学習達成度』というのが紹介されています。




> 声を出してはっきりと読み、丸くはっきりとした字を書けること。

> 通常の数学のルール、特に複合加算を知っていること(これは決して普遍的な能力ではない)。

> フランス語を簡単かつ正確に話し、読み書きし、フランス文学を多少は知っていること。

> 一般的なフランス語とドイツ語の本を翻訳できること。

> 地理学の初歩的な知識を十分に持ち、その土台に好奇心を刺激する十分な天文学の概念が含まれていること。

> 地質学と歴史学の非常に広範な事実に関する知識——自分が住む世界の物理的・政治的な大きな特徴がどのようにして現在の形になったかを、はっきりと完全に一般的に理解するのに十分なものであること。

> 幼い頃から動植物や鉱物などの自然物を観察する力を養い、イギリスの重要な古典のうち、各時代にふさわしい優れた作品について一般的な知識を身につけること。

> 絵や音楽の初歩的な知識を持っていること。




 ハードルが高すぎる!!

 名門出身でノブレス・オブリージュを求められる子供たちは、このレベルを要求されるのでしょうか……。


 下記、チャールズ二世とバスビー博士の帽子エピソードでちょっと笑ってしまいました。





> リチャード・バスビー博士は、「チャールズ二世の前で帽子をかぶり続け、生徒たちに彼がいかに偉大な人物であるかを示した」と言われている。しかし、生徒たちが帽子ごときに惑わされたのかどうか、私は疑問に思う。バスビー博士の教育論にはかなり懐疑的だ。(中略)


> バスビー博士のやり方の主な欠点は、「人間は無知だ」という大きな事実を視界から遠ざけていることにある。




 いつものように、私が好きな一節をいくつか。




> 天国の美しさを見るのは目ではない。音楽の甘さを聞くのも、朗報や悲報を聞くのも耳ではない。五感的・知的な感覚すべての味を知覚する魂である。魂が高貴で優れているほど、その知覚はさらに大きくさらに味わい深いものとなる。



> 学びに時間をかけすぎるのは怠慢であり、学びを見栄のために使いすぎるのは気取り(うぬぼれ、思い上がり)であり、界隈のルールだけで判断するのは学識者の滑稽さの表れだ。


> 狡猾な人間は学問を軽蔑し、単純な人間は学問を称賛し、賢明な人間は学問を利用する。




 最後に、やや長いですがとても感銘を受けた話を引用します。




> 教育における大きな過ちは、本を読むことを賛美し、教育と指導を混同していることだと思う。

> 暗記ばかりで、心を育てるどころかプレッシャーをかけている。


> 小学生は、機械的に書くことや、果てしなく複雑なスペルに疲れ果てている。日付けの羅列や、各時代の君主や地名の暗記リストに圧迫されている——これらのリストは、子供たちの心になじみやすい考えを伝えることもなく、日常的な欲求や仕事とほとんど関係がない。パブリックスクールでも、ラテン語とギリシャ語の文法がうんざりするほど続くため、同じく不幸な結果が生じている。


> 私たちは、子供たちに対してまったく逆の方針をとるべきだ。

> ようするに、子供たちに健全で多様な心の糧を与え、ドライな事実で心を満たすのではなく、むしろ子供たちの嗜好を養うように努めるべきだ。


> 重要な点は、すべての子供に教えることではなく、すべての子供に「学ぶ意欲を持たせる」ことにある。生徒の知識がいくらか多くても少なくても、何が問題なのだろうか。


> 多くを学びながら、授業が嫌いなまま学校を去った生徒は、これまで学んだ内容をすぐに忘れてしまうだろう。一方、知識欲を身につけた生徒は、たとえ少ししか学んでいなくても、最初に学んだ以上のことを自分で学ぶだろう。


> 子どもは本来「知りたがり」でいつも質問を投げかけている。これは奨励されるべき性質だ。(中略)


> しかし、現実ではほとんどの場合、知識の獲得はとても不愉快で疲労を伴う形で与えられている。そのために、あらゆる知的欲求が窒息するか押し殺されてしまう。

> 実際に、学校は学ぶ意欲を失わせる場所となり、目指す目的とは正反対の効果を生み出している。




 なお、ジョン・ラボックのエッセイ『The Pleasures of Life』は、今回の「#10 教育・学び」で完結して、2年後に続編(第二部)が出ています。


 すでに完訳済みで、電子書籍版を製作中。

 ぶじにリリースできたら、また自由気ままな感想文を書きたいですね。

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19世紀の異端科学者はかく語る:The Pleasures of Life 1.2 しんの(C.Clarté) @shinno3

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