第4話

 再び、2050年の日本。


 逃げ去った少年であったが、幸いだったのは周りの同級生が非常に温かいことであった。彼らは「友人が深刻な問題を抱えている」と教師や家に連絡をした。家族や教師もまた、必要な措置をすぐにとった。

 翌日、少年は学校の美術室で友人達とある人物を待っていた。

「一体、誰が来るの?」

「それは来てからのお楽しみだよ」

 待つこと、三十分。

 冴えない感じの男性が、その外見よりは俊敏な足取りで歩いてくる。

「こんにちは~」

「向坂さん?」

「そうで~す」

 呑気な答えに周りが湧いて、少年に紹介する。

「この人は向坂さんと言って、2042年には全世界2位になった時の人なんだ」

「一線級でやれたのは6年くらい前の話だよ。最近はスピードについていけなくなっちゃってねぇ」

 そう言って、向坂は少年を見た。

「君が自分でプレーしたいと言っていた少年か。何でそうしたいと思ったんだい?」

 少年は憮然とした顔をしている。

「別に怒ったりはしないよ。どうしてそう思ったのかを知りたいだけだから」

「……たまたま、昔の人が実際にやっていたのを見て、自分にはどうしてもできない動きだったから」

「なるほどね。僕の子供の頃には実際にサッカーや野球で大活躍している普通の選手がいたものだった。最近はそういう選手の映像を極端に流さないけれど、全く流さないのもまた良くないよね。隠していると、良くないことをしているみたいに思うだろうし。だから、昔の選手を見て興味をもったこと自体は間違ってはいないよ」

「……」

「ただね、例えば昔の人達は、石器で狩りをしていたけれど、君はそういうことをしてみたいと思う?」

 少年は首を左右に振った。

「それと似たようなもので、今後、人類が求められている進化の方向性…というと大袈裟かな、世界が望んでいる方向は変わっていると思うんだよね。例えば、僕は昔、ボクシングをやっていたこともあるのだけど」

 向坂の言葉に、子供達が一斉に驚く。

「いやいや、僕ら40前後の人間にはまだ現実世界のスポーツ経験があるよ。50代以上の人達はかなりの競技を経験したんじゃないかな」

 子供達が「そうなんだ。知らなかった」とざわめいている。

「で、僕の経験を語るならばボクシングは体重による差が大きい。生まれた時点でどれだけ頑張っても王者になれない人がいる。でも、ヴァーチャル世界だと一番巧くて強い人が王者になれる。どちらがいいと思う?」

「…誰でも王者になれる世界の方がいいと思う」

「そうだよね。今のスポーツは三次元空間のものもあるし、エンターテインメント性も知的ゲームとしての側面も完全に上になっている。僕は昔ながらのものがスポーツについて語ることが即差別みたいな風潮は嫌いだけど、これって石器時代の狩猟みたいなものなんじゃないかな。敢えてそれをしなければいけないのかと言うとそうじゃないよね?」

「……うん」

「僕も大分歳だから、昔ほどのものはできないけど、せっかくだから色々アドバイスしてあげるよ」

「うん!」

 少年は元気に即答した。

 その様子を見て、周りの子供達も安心したように溜息をついた。


 少年が前日に持っていたボールは、庭の倉庫にしまわれることになった。

 そのボールが、誰か別の人間の手に触れられることはないだろう。

 恐らく、永遠に……。

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2050年のスポーツ 川野遥 @kawanohate

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