第1話:https://kakuyomu.jp/users/kawanohate/news/2912051597468240238
776年3月。
アタマナ・ハワタサはエリーティアとともにビアニー中部ミゼールフェンの近くに滞在していた。
彼女の本来の主人ルヴィナ・ヴィルシュハーゼは既に2年以上前にミベルサに帰国している。
その際に、「王女殿下の成長を知りたい。おまえはここに残れ。報告を送れ」と指示されて、アタマナはエリーティアの下に残ることになった。
この年、エリーティアがイサリア魔術学院に留学するに際して、まずビアニーに立ち寄り、今に至っている。
この日、エリーティアは王都グリンジーネの方に私用で出かけている。
残ったアタマナの目の前にはウサギが転がっており、それを大きな包丁でザックザクと切り刻む老婆がいる。
老婆と言っても見た目だけならそこまでの歳ではない。50代後半くらいに見える。
しかし、実際には72歳だという。
棺桶に片足を突っ込んでいると言っても良い年齢であるが、大型包丁で豪快にウサギを解体し、返り血を浴びても全く気にする様子もない様は女豪傑そのものだ。
元ビアニー王妃ヒュネペア・グロスビューネ。
前ビアニー国王ソアリス・フェルナータの母であり、エリーティアにとっては祖母にあたる人物で、現在は孫娘のためにウサギ鍋を作っている途中だ。
「あの~、王妃様」
「何じゃい?」
包丁を右手に持ち、ウサギの返り血を浴びながらギロッと睨みつけてくるヒュネペアにアタマナは震えあがりそうになる。
(何でこの人は、こんなに圧が強いんでしょう?)
逃げ出したいくらいの衝動に、アタマナはかられる。
とはいえ、この女傑老婆は孫娘には甘い。甘すぎると言って良いほど甘い。
孫娘のために朝からウサギを狩り、それを手ずから解体して鍋にする。体力的にもしんどそうだが、楽しそうにやっている。
理由は分からないでもない。
ヒュネペアの子供で更に子をなしたのは3人いるが、ビアニーにいる祖母の下に会いに来たのはエリーティアのみである。
70を過ぎたところに初めて孫が会いにきた。それだけで甘くなるのは仕方なさそうだが、それを見ているとかつて主人のルヴィナが気にしていたことを思い出す。
「王妃様はエリーティア様に甘いのですが、彼女の父の摂政だったツィア様は……」
ルヴィナから聞いたツィアの伝言も言い、ヒュネペアの反応を待つ。
その王妃、「何じゃ、そんなことか」と呆れたような顔をした。
「妾は、セシリームでソアリスがどんな生活をしていたのかは知らん。ただ、ヤツにしても、あの嫁にしても、オルセナ女王とビアニー国王だから好き合ったわけではあるまい。そんな罰当たりはオルセナにもビアニーにもおらんじゃろう。たまたま好きになったのがオルセナ女王であり、ビアニー国王だっただけだ」
「そうみたいですね」
「オルセナ国民はほぼ全員がビアニーを呪っている。その逆もまた然りだ。そんな者達が汗水垂らして働いた収穫物を貰って、国王は生活しておる。そんな2人が国民たちの前で夫婦然とできると思うかえ?」
まさか分かり合えるなどと甘っちょろいことを言うのではないだろうな、ヒュネペアは険しい視線をアタマナに向ける。
「思いませんね……」
「そうだろう? 同じことはソアリスとエリーティアにも言える。エリーティア本人の責任というのは酷かもしれんが、あの娘がおらなんだらオルセナ国民の希望が完膚なきまでに砕かれることはなかった。ビアニー国王がオルセナ国民の前でエリーティアと仲良くしていたらどうだ? 誰も幸せになれんわ」
「そういうものなのですね」
「そういうものだ。そんなことはなかったが、もし、妾の前で嫁がオルセナ女王ですなんて言って堂々とソアリスと惚気ていたとしよう、妾はこうしてくれる!」
と、振り上げた包丁をまな板の上に突きさした!
たちまちまな板が真っ二つに割れる!
「ひぇーっ!」
「おや、古いまな板だから真っ二つに割れてしもうたわ……」
ヒュネペアは首を傾げた。
アタマナは思った。この元王妃が戦場に行けば、ホヴァルト軍に勝てるのではなかろうか、と。
「だからお主らのような他人の前で親子然と仲良くすることなどありえんわ。ソアリスの馬鹿は知らんが、エリーティアは聡明な子ゆえな」
「……王妃様がエリーティア様に甘いのは許されるんですか?」
「おぉ、許されるとも。妾はエリーティアにビアニー女王になるよう頼んだだろう。ビアニー王妃が孫娘のビアニー女王に甘くて何が悪い?」
「そうでしたね……」
ヒュネペアは「こいつはもっと古いのう」と別のまな板を取り出した。
「もうそのウサギ、解体しなくても良いのでは?」
「何を言う。朝から取ってきたウサギがまだ二羽残っておる」
「……」
やはりこの人なら、ホヴァルト軍に勝てる。アタマナはその思いを強くする。
「……ただ、それはあくまで公人としての立場じゃ。当人達しかおらんところではそれなりに夫婦と親子の関係もあったのだろう。そうやって分をわきまえておるのなら、妾も何も言えぬし、国民達も文句を言えた義理はないということだ」
「なるほど……」
「ソアリスの本拠地フェルナータには何かしら残っておるかもしれん。妾には亡き息子の私生活を覗く趣味はないが、エリーティアが望むのなら、見に行っても良いのではないか?」
「フェルナータですか……」
「どりゃー!」
「ひぇーっ!」
ヒュネペアが気合の声とともにウサギの首を一撃で飛ばした。
アタマナは三度、この人ならホヴァルト軍に勝てると思ったのであった。