エピローグ

 教会を継ぐ者

 一八八九年十一月。ルーフェス旧市街から死者の面影が完全に消えて数日後、ランゲル地区のダンベルグ城でマーディス王が死去したという情報が街中に流れた。残された王族らは彼の葬儀を国葬とすべく、ダンベルグ教会に命じて執行の一切を任せようとしたが、リード牧師は断固としてそれを拒否した。

 次期王であるマーディス王の息子オルエスは、その拒否に大きな衝撃を受けた。二十歳そこらの若き王は、ダンベルグ教会の命令拒否に怒る余裕もなく、あまりの衝撃に精神を病み、寝込むことになった。


 オルエス王が病床に伏すなかで、先王の国葬についてダンベルグ教会と王族間で話し合いが行われたが、結局折り合いがつくことはなかった。

 結果のところ、マーディス王の国葬が行われることはなく、ランゲル地区内で静かに葬儀が執り行われたのである。




 朝六時を迎えて、ひと仕事終えたジェインが鐘塔から戻ってきた。朝のルーティンがだいぶ身体に馴染んできた頃だった。

「僕の鐘の音はどう?」

「ああ、なかなか悪くない」

 父親のあっさりとした返答を聞いて、ジェインは肩をすくめた。続けて、こぼすように言う。

「あのさ。死者がいなくなったら、僕も記憶がなくなるんじゃないかって思ってた。でも、そうならなくて良かったよね」

「私も危惧していたよ。でも、我々は特別だったんだろう。アンドラ王が神にとって特別であったように、我々教会の人間もまた神にとって特別だったのかもしれない。この手の話は、我々が生きているうちには真実までたどり着けないかもしれないが」


 死者であった彼らが姿を消すことで、生者の記憶から死者の存在が消える――ジェインはそうなるだろうと思っていた。死者とのやり取りは記憶から一切無かったこととして、消え失せていた可能性もあるのだ。

 だが、現実としてそうはならなかった。これもまた神が仕組んだ世界に今もなお生きているという証拠だろう。


「まあ、頑張ったことを無かったことにはしたくないよね。結構、大変だったし」

「そうだな。……ところで話は変わるが、新しい王のことをジェインはどう思う?」

「どうかな。今までも目立たなかったし、よく分からない。でも、マーディス王と比べたら物わかりは良さそうだよね。何より人間って感じがする……アンドラ王もそうだったけど」

「どうやら、近々ここを訪問したいらしい。教会との関係の再構築を希望してくる可能性も否定はできない」

「いいんじゃない? 今優位にいるのは教会の方だよ。再構築したいなら、厳しい条件を突きつけておけばいい。それで嫌なら、じゃあ残念だったねって」

 あくまで強い姿勢を貫こうとするジェインに、リード牧師が溜息をついた。これは単に父親として心配しているだけなのだ。

「……それでいいのか? 条件に乗ってくるかもしれないぞ。もしかすると、年齢的に私よりもジェインの方が王と関わる期間が長くなるかもしれない。嫌なら、先に断ることもできる」

 ジェインは余裕をみせるように、口元に笑みを浮かべた。

「マーディス王の国葬も拒否してるんだし、既に向こうだって教会の出方くらい想定しているよ。なら、こっちは強気でいた方がいい。戦略を練らないと。もう二度と同じ過ちは繰り返させたりしない」


 半分諦めたようにリード牧師が納得して頷いた。

 ジェインは声を少しだけ明るくして言う。

「あのさ、僕ちょっと出かけてくるから」

「今日は休みだろう? どこへ行く?」

「……今日で昇天から一ヶ月だよ。本当の意味でそれを知るのは僕らだけだし、何もできないけど僕がやらなきゃ誰も墓参りなんてしない。死者だった人間もその墓も場所も、全ては把握できてないけど、できるだけ多くの場所を当たってこれから探したいと思う」


 死者が神の国へ召されてから一ヶ月。ルーフェス旧市街では、昇天一ヶ月を機に牧師を墓地に呼んで追悼を行うことがある。だが、死者を全て把握できていないため、今はまだ過去に死者だった人間に対してそれを行う術がない。

 だが、ジェインはあることに気がついていた。死者が昇天したタイミングで、だ。

 つまり、生者に対してその違和感の内容を事細かに聞き込むことで、死者だった人物が判明するかもしれないのである。ただ、まだ全て確実にやり遂げられる保証もない中で、手探り状態で調査を進めることになることは間違いない。


「本当にやるのか? まだお前は若い。若すぎる。今からそんな先の見えないようなことを始めなくても……」

 リード牧師の不安そうな顔をちらりと見ながら、ジェインは教会の扉に向かって歩き始めていた。

「まあ、確かに大変かもね。でも、今始めなきゃ終わらないし。まだ子供だから相手にしてもらえないかもしれないけど、それだけの時間を費やしても、やる価値はあるでしょ。……先に爺ちゃんに挨拶してから行くから」


 ダンベルグ教会裏手の墓地に、ランドル・リード先代牧師の墓地がある。埋葬されてからまだ二週間ほどしか経っていない。ジェインは祖父の墓参りをした後、そこからもう少し歩いてアルジント・リーグルスの墓に向かった。

 それから、さらに進んで奥に立ち並ぶベル・ストリート住民墓地へ向かう。やや寂れた場所に、ヴェーチル・インスとシェリダ・インスの墓があった。


 この一ヶ月間、ジェインは敷地内のすべての墓を見て回った。騎士団学校に通う傍らで、時間の許す限り死人と向き合ってきたのだ。これからはレーンやルーア、ウェリティが眠る他の墓地を回り、死者として昇天した他の者の墓にまで足を運ぶ予定だ。


 墓石の間を強い風が吹き抜けて、ジェインは一瞬目を瞑った。


 再び目を開けた瞬間、そこに見覚えのある人々の顔が浮かびあがったような気がして、強く瞬きを繰り返した。だがそこには何もなく、気のせいかと思って少しだけ肩を落として息を吐く。


 雲ひとつない晴天を、ジェインはゆっくりと見上げた。

 過去から未来を紡ぐことができるのは、今生きている人間だけだ。それでも不安に思うことは数え切れないほどある。そんなときこそ、時々過去を振り返りながら、死人に問おう。


「――だからさ。ちゃんと見ていてよね」


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死者の条件 島文音 @celtic

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