案8:寒ブリ文芸部・赤羽りせ襲来
明日は席を温めといて!
*
いつものように部室に入ると、黒部先輩がメモ帳を見せてきた。B5サイズのノートを千切ってB6よりやや大きくて不恰好で、紙飛行機らしき折れ目が見える。
「何ですか、これは」
「りせちだろうね。聞いてるかい? OBOG訪問の日を」
「それはもちろん。でももしかして、飛ばしてきたんですか」
「のびのびした子だったからね。私が連絡先を教えてなかったからだよ」
僕の作品もやがて見せたいと言っていた人の一人だ。いくつかの作品は見せられない理由があり、先輩は詳しく語らないから僕が目につく共通点を探していた。重い悩みやトラウマを作品で抉るなら、逆に刺さる作品も書きたかった。昇華させられたらきっとびっくりする。けれど、舞台も登場人物も大筋もばらばらだ。答えを求めたら傲慢さを指摘されるに違いないから、偶然を装いたかったが、見つけられないままで対面を前にしている。
諦めて何事もなかったように装う。先輩に訊ねるのは何気ない言葉に気をつけるためで、作品には出さない。
部室に瑞穂くんも揃ったから、と言って先輩がスマホの画面を見せた。内容は、りせさんにまつわる注意事項と理由だ。『体の性差を意識させる諸々は避ける。扱いの性差を強調する。けれども困難な事項は避ける。椅子は用意するが、立ったままでも不自然ないように。りせちは4月で20歳になり、今日まで5ヶ月あった。きっと性同一性障害の適合手術を受けた頃だ』授業で少し聞いただけで、当事者を知る形では見たことがなかった。統計ではクラスに2人くらいいても不思議ではないそうだが、明かすか明かさないかは必ず本人が決める。少なくとも、僕を信用して明かす人はいなかった。
「こういう子だ。外見はきっと驚かないが、中身はまだ柔らかすぎる。どうかつつかないでやってほしい」
「アウティングにならないですか、これ」
「もちろん本人の許可があるさ。私が信用する相手になら言ってもいい、とね」
僕も瑞穂くんも読み終えたら、先輩は文章を消すと言った。何事もないように見せかけて自然に受け入れる。気を遣うための条件は、気を遣ったと意識をさせないこと。これができなければやがて相手が惨めな思いをする一端になる。
「なあ長命、立ったまま、とは?」
瑞穂くんの疑問に先輩は口頭で答えた。
「外科手術とは計算された大怪我だからだよ。股間部に大怪我をして、まともに座れるまで回復したかどうかは私も見えないんだ。それにりせちの手術は、装具を入れているはずだ。この椅子には気遣いがない」
部室ももちろん木の板の椅子だ。膝の手前に丸みがつく以外は真っ平らで、健康な僕でも長く座れば痛くなる。
こうして迎える準備をして、あとは翌日を待つ。下校の道で目にするものから受け取れるものを受け取るつもりだったが、今回は全く浮かばない。家でネットに頼る。関わりありそうな話題を調べて読み込んだ。
時は流れて翌日の放課後。授業は午前だけで、先輩の先輩と1年生や2年生の交流に集中する。
部室へ向かう。途中でも大人びた顔とすれ違った。身長や服装だけじゃない。落ち着き方というか、目の動かし方か、とにかく雰囲気から違う。僕の作品にも活かせるよう観察と想像をしておく。
いつもの3人が揃い、椅子の並び方を整えたら、ちょうどよく扉が開いた。
「よっす! めいちゃん久しぶり!」
彼女が赤羽りせ先輩。肩幅や腰周りは服で隠れるが、喉元は出して、しかし隆起はない。女装の指南と部分的に重なり、確実に異なる部分がある。主張は確実に、しかしさりげなく。よくわかる。
「弟くんと、噂の荒廃くんだね。はじめまして、りせです」
かわいらしく頭を下げた。声にも違和感はない。もし何も知らずに会っていたら、僕は何かを察知したか? あまり自信はない。
「初めまして、荒廃です。黒部先輩と仲良しと聞いています。よろしくお願いします」
「瑞穂す。姉貴の親友と聞けば無礼は決してしません」
色とりどりの挨拶に続き、黒部先輩も口を開いた。
「他の連中は来ないらしい。まあ、予想はしてたけどね」
「みんな今はAI漫画でお熱だもんね」
文章の力ではなく、文章の手軽さで物語を作っていた人たち。もちろん一面としては正しいが、似て非なる好みではやがて話がずれ始める。漫画を描くには機械で作画ができる時代だ。手軽さの恩恵は薄れ、力強さがより重要になる。
ひと通りの挨拶の後に僕が音頭をとった。
「レディース・アンド・ジェントルマン。さっそくりせ先輩にプレゼントを送りましょう」
真っ先に黒部先輩が拾ってくれた。
「パーティーらしくていいね。りせちへの贈り物はこれだ。荒廃くんの作品集、そしてブロマイドだ」
「待って! ブロマイドは聞いてませんよ」
「安心したまえ。ちゃんと許可を取った写真だ」
「いや僕はそんな許可を出してませんけど」
「見たまえこの写真を。学校側で撮り、こうして配布している。包括的に許可を撮ったと言えるだろう」
聞いていないが、確かに行事の写真に関しては許可を出していた。ほとんど強制的だったが、現にクラスのアルバムにある以上、間違いではない。正当性では勝てない。ならば、正当性以外で。
「写真は、先輩だけで持っててほしいです」
そう、可愛い後輩ちゃんムーブだ。あの黒部先輩に通じるかは不明だが、狙わなければ通じもしない。負けてもとんとん、勝てば得。分のいい賭けだ。
「そうか、そうまで言われては、すまないりせち、ブロマイドは取り下げる」
「めいちゃん、意外と活発になった?」
「かわりに私のブロマイドをあげよう。もちろんサインと匂いつきだ」
何の!? 文芸部にあるまじき行為だが、言葉も失って表情で語った。先輩は久しぶりの胡散臭いにやけ顔で答えた。
「気になるかな? けれどこの写真も、りせちだけで持っててほしいんだ」
言い返せず悶々とする。こういう点ではまだ先輩が一枚上手だ。
「おおー、確かにめいちゃんのアレだ」
「そうだろう。3時間かけて用意したんだぞ」
「ありがとね」
女性陣にして先輩陣が意味深なやりとりを続ける。こうなると僕と瑞穂くんは出る幕がない。目を見合わせて、頬を膨らませた様子を見せつけておく。
黒部先輩が先に気づいて促した。りせ先輩がやり残したことを今からやろう、と提案した。
「合唱コンクール、りせちは体調を崩してたんだ」
「それならちょうど良さそうですね。曲目はやはり『寒ブリの歌』ですか」
我らが富山県が誇る寒ブリを全国各地へ広めるにはやはり音楽は強い。古より音楽は儀式に祭りにつきものであり、それらが格式あると知らしめる雰囲気を今日はじめて耳にした人にも想起させる。逆説的に、音楽があれば格式がついてきて印象づけられる。
ここは防音が弱い一般教室なので声量は控えめに、富山県の誇りがこもった混声四部合唱を歌い上げる。
ぶん ぶん ぶん ぶん ブリ ブリ
ぷるん ぷるん ぷるん ぷるん ブリ ブリ
氷見の海は ブリの海だよ
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