案2:ブリッツクリーク文芸部の失敗
自衛隊と米軍の合同演習が増えた。これまで対テロ活動や被災地での支援が主だったのが、このごろは塹壕を掘ったり、装備の展開と収納を手際よく進めたり、そんな内容が必要だから、上官からの説明はないけど、みんな分かってる。僕もわかってる。訓練をやるの理由は、必要になるからだ。
副産物として、街中で外国人を見ても驚かなくなった。それまでは顔立ちの特徴から、おっ外国人だなと目線が動いていたけれど、もうすっかり見慣れてしまった。ホクロの位置とか目の角度とかと同じく特徴のひとつになった。
大部屋で羽を伸ばす。次々と人が入ってくる。普段は別の駐屯地にいる連中と親睦を深めるチャンスだ。日本人同士でも文化や喋り方に地域差がある。僕はここでは、日本人とか自衛隊とかではなく、僕として相手と向き合う。
隣にそろりそろりとのつもりで近づく男がいた。小太りで入隊してから筋肉がついた様子で、新兵気分がそろそろ抜けたところ、つまりは僕の同期に見える。彼は眼鏡を直しながら、本気ではないと言いたげな仕草で話しだした。
「おまえさ、黒部さんと同郷って本当?」
「高校で少し一緒だったくらいだけど」
「部活?」
「そうだよ」
「何部?」
「ブリッツクリーク文芸部だよ」
この言葉がどう琴線に触れたのか、彼はガッツポーズをした。控えめのつもりらしいが、ただ座るだけで腕は動かない。
「彼女の好みを知りたいんだ。もちろんタダなんて言わない、1週間は掃除でも炊事でも代行さえてくれ」
「と言われても、彼女の男性の好みなんて知らないし」
「文芸部なら、読むか書くかしただろ」
「ああそういう。いろいろ読んでたけど目立つのは」
僕に少しだけ悪戯心が芽生えた。彼は露骨に、趣味が合うとみたら口説くつもりだ。司令官のお気に入りの座か、プライベートに向いているか、どちらにも効く作品を読んでいた。
「軍事的な話なら、大義や仲間のために少人数の犠牲は躊躇してなかったなあ。主人公の自己犠牲が特に多い」
彼の高揚が揺らいだ気がした。別に作品の好みなんて、普段の行動に直接の影響なんかない。特に命のやりとりを含む話は。マクガフィンだ。登場人物にとっては重要で、読者も重要とわかって、しかし作品としてはいくらでも代替できる。『主人公が警備をかいくぐり宝石を盗み出す』作品なら、盗み出すのが宝石以外になっても構わない。人質でも、ビー玉でも、機密情報でも。『誰かの警備をかいくぐり何かを盗む』作品になる。
「噂は本当なのか」
「何の?」
「黒部さんのだよ。聞いてないか? 彼女の指揮でテロリストの根城を鎮圧した話」
僕には何も届いていなかった。配属先の違いは言葉以上に遠い遠い溝になる。壁1枚を隔てただけの部屋でさえ、僕らは誰が何をしているのか知らずに生きている。テロリストだって同じだ。隣に住む人は、手を伸ばせば届く距離にダイナマイトが積まれているとは知らないままで安心して眠る。たった1枚の壁が、恐怖も悲しみも喜びもを覆い隠す。
僕は言えなかった。この合同演習の後、ひとつ遠征に行く。他の誰が来るかは当日までわからない。隣にいる彼もいるなら、もしかしたら、期待した内容の逆が起こるかもしれない。
***
後になればなんとでも言える。作戦は失敗し、黒部さんは死んだ。彼のものらしき眼鏡がフレームだけで落ちていた。どこに原因があったか、僕は隠すべきか、打ち明けるべきか、まだ答えを出せずにいる。
黒部さんの判断が一瞬だけ遅れた。車を出す時だ。地平線の先から迫撃砲が飛んでくる。1発目で時間がないと知り、2発目が運転席を貫いた。アクセルを踏んでいれば、ただ1秒だけ早ければ、後部座席に冷や汗をかかせるだけで済んでいた。踏めなかった原因が僕にある。
もし踏んでいたら、僕を轢いていた。黒部さんはそれを避けるために遅れるしかなかった。一刻も早く動くべきなのに、一刻だけ待たせた。僕が殺したのと同じだ。3発目までには代わってアクセルを踏めた。時間のせいで負傷兵が間に合わなくなった。僕だけのために全員を犠牲にした。
*
黒部先輩は読み終えてから、しばらく目を閉じた。作中とはいえ、調子に乗ったか。登場人物は名前が部員と同じなだけで、同一人物ではないかもしれない。それでも慣例として、自分たちにありそうな話を書いてきた。それを急に殺してしまったら。
「きみは私を、そんなに評しているのかい。ただ読むだけの私を」
黒部先輩は指先で目尻を撫でた。目やにをとっただけだと言いたげに転がすが、仕草が大袈裟すぎる。爪で弾くまでもなく落ちる。
僕が何を言うよりも先に、先輩は立ち上がり、窓際へ向かった。
「あれを見ろ」
指の先にあって、目立つもの。ガスタンクと煙突、あとは住宅だか商業施設だか、遠目には曖昧な建物だ。
「父親があそこで働いてた」
黒部先輩はそれだけ言い残して、先に窓べを離れた。
「すまない、余計な話だったね。感想を聞いてくれたまえよ」
席に戻り、僕も向かいに座るよう促した。
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