案4:ブリガンダイン文芸部・白鳥瑞穂の初登場



 夏休みには二度の登校日がある。部活動は基本的にはないが、ブリガンダイン文芸部は様々な基本からかけ離れているので、黒部先輩は部室で待っていた。僕はどんな私服かを楽しみにしていたが、期待は虚しく散る。黒部先輩は大真面目に制服だった。


「なんだねその顔は」

「こだわりでもあるんですか。制服に」


 言ってから、失言と気づいた。密かでなくなってしまった。まるで僕が変な気を起こすつもりみたいだ。先輩のにやにや顔が痛く刺さる。彼女はこういう人だ。からかいの種を見つけたら大喜びで水を注ぎ込む。


「あるとも。今が最も輝く服だ」

「存外、俗な理由ですね。本当は?」

「部員たちに私服を見せるのが恥ずかしい」


 たち? 僕以外にもいるとは聞いていなかった。幽霊部員か、先輩なら本物の幽霊をどこかで捕まえて部員扱いしそうだ。


「今日は来てくれるみたいだ」


 足音と思って耳を澄ませたが、僕には何も聞こえない。先輩は自分の言葉も忘れたみたいに、今日の作品を早く読ませろとせっつく。少し待たせてスマホで仕上げて、いつもの『カクヨム』に投稿した。その間も部員は来ないし、先輩はなぜ気づいたのかを教えてくれない。連絡ではないとだけ言ったが、そんな情報を出すあたり訝しい。


 僕だけだと思っていた。毎週かならず小説を書き、読んでもらう。いつも応援ボタンを押してくれるからアカウントも知っている。他の作品には、有名作を除いて何も反応していない。他の部員がいるなら、有名作どれかの作者か、他の方法で繋がりがあるか。


 何も関係ないはずなのに、妬心が湧いてきた。勝手に勘違いした自分の傲慢さにも腹が立つ。かと言って行動を起こすには勇気がない。ここまで来たら腹が空いてきた。普段は給食の後だから、黒部先輩と空腹で向き合うのは初めてだ。よく見ると頬が大福のようにぷるぷると期待したが、顔を上げて目にしたのはもちろんマスク姿だ。空想が現実を侵食してきた。創作者にとっては危険な状態だ。コントロール下に入れるか、さもなくば破滅が待っている。髪の艶が回転寿司にありがちな腹立たしいマヨネーズに見える。しかし、食べてはいけない。黒部先輩を食べてはいけない。出過ぎた行動には見合う器が必要だ。


「ありがとう。今日も面白かったよ」


 先輩が顔を上げてようやく我に帰った。


「今日のきみは、おかしいな。不調なら休んだ方がいい」

「やすむ!?」


 僕は驚いて立ち上がった。別の所も立ち上がっていた。


「何を驚いて、おっと。すまない」

「いえ! 決して! そんなつもりでは!」

「電話だ。どんなつもりと思ったかは後で教えてくれたまえ」


 墓穴を掘った。気づいていない相手に気づかせてしまった。黒部先輩はその場で画面を頬に当てて、しかし黙りこんでいる。聞くだけの電話だ。最後に「すぐに」と呟いて切った。時間から言葉は五文ほど、先輩はそのまま感想会へ臨む姿勢だ。けど僕はそれどころじゃない。


「他の部員さんですか」

「そうだ。感想会を今のうちにしようじゃないか」

「もっと落ち着けるときのほうがよさそうですがね。焦って半端になったらそのほうが寂しいですから」

「一理あるが、何か触れられたくない部分があったのかな。そういえば、どんなつもりだとか」

「やめましょう。挨拶の準備をします」


 先輩はいいじゃないかと垂れるが、僕にとっては死活問題だ。机に突っ伏す形になる、こんな先輩を見るのも初めてなので死活問題が増えた。「寂しいじゃないかあ」と妙に湿った声でぼやく。さては先輩も空腹で、僕の顔がきのこに見えているな。


「そんな姿を見せるのは恥ずかしくないんですか」

「あと五分」

「お昼寝ですか。いや、先輩のことだから本当にあと五分で来るとわかって」

「私は超能力者ではないのだがな。もちろん未来人でもない」

「じゃあ宇宙人ですか」


 答えの前に、今度こそ足音が聞こえた。律儀な三回ノックに続いて扉が開く。彼は部屋を間違えたのだと思った。彼の顎は僕の頭より高く、彼の片腕は僕の両腕よりも太い。大胸筋は鎧を着込んだように前後左右に張り出している。極め付けに髪型は頭頂部から前に迫り出す、リーゼントと呼ばれがちだが本当の名前はポンパドールだ。


「よく来てくれたね」


 先輩の一言で間違いではなかったと思い知る。眼光は鋭く、僕は震え上がって道を開けた。直後に気づく。これでは先輩への猪突猛進がクリーンヒットする。


「そっちが荒廃くんすか」

「そうだとも。荒廃した作風がすばらしいよ」

「初めまして、白鳥瑞穂しらとり・みずほす。自分ダブって一年なんでタメで頼みます」


 名前がかわいい。同じクラスにいて、一学期には一度も登校していなかったあの名前だ。男子グループの、絶対にかわいい病弱子だとひそひそ話が聞こえていた。あいつら、がっかりするぞ。


「瑞穂は私の弟でもある。仲良くしてくれたまえ」

「え、でも名字が」

「離婚したんだ。これであいこだね」


 何が? 僕は記憶を探る。先輩から失礼された記憶は、もちろん数えきれない程にあるが、デリケートな部分に突っ込んだのは僕ばかりだった。先輩は最も深い部分には決して踏み込まなかった。あるいは、大きく踏み込ませたのを口実に少しずつたくさんの踏み込み方とも受け取れる。


長命ちょうめい(黒部先輩の下の名前)、帰るぞ」

「待て、荒廃くんの前だぞ」

「自分のおなクラなんで、普通すよ」


 瑞穂くんは先輩を俵担ぎにして、そのまま帰る様子で背を向けた。先輩が顔を上げて手を振っている。助けた方がいい気がしたが、勝ち目がどこにも見えない。


「先輩」


 声をかけるのが精一杯だった。瑞穂くんは足を止める。顔は見せないが、少なくとも話は通じる。


「安心したまえ。タクシーを拾うのと同じだよ。腹が減っては動けないからね。きみも仲良く使うがいい」

「おい長命」

「友達がいるほうが楽しいだろう。私が呼んだのだから、まずはランチからどうかな」


 ぱしん、とどこかを叩く音が聞こえた。瑞穂くんが先輩の尻を叩いた。物怖じしない人だ。なのに僕には目を合わせてもくれない。もしかして。


「瑞穂くん」


 勇気を出した。先輩の顔が穏やかになった。胡散臭くない笑みもできるとわかった。瑞穂くんはまず首だけでゆっくり、恐る恐るといった感じで、振り返る。僕は待つ。先輩の顔が隠れて、先輩の尻が見える。待つんじゃなかった。スカート越しとはいえ普段なら決してお目にかかれない部位が、よりにもよって瑞穂くんの顔の隣に。相手の目を合わせて話しましょうと教わったのに、すぐ隣で圧倒的な吸引力を発揮している。


 考えたらやってられない。今から言うべき言葉に集中して、言うことに集中して。言う。言うぞ。


「友達でやっていこう」


 それは愛の告白を断るときの波風たてない言い方じゃないか! 先輩の尻も震えている。瑞穂くんのポンパドールの先端も震えている。申し開きの余地を探す。本当に友達になりたいんだと。言えるものか。この短時間でそんなの、信用が足りなすぎる。こんな状況では本心だからこそ伝えにくい。瑞穂くんに期待するしかないか。先の言い方で本当に友達になる可能性が一応はある。


「なあ瑞穂、いいだろう。部員でもあるんだから」

「長命、やはり勝手に部員にしてたのか」


 またかよ! 僕も半ば強引に部員にされたが、瑞穂くんも同じく強引な手を食らっていた。仲間意識が芽生えるチャンスだ。瑞穂くんはあれで目がよく、僕の顔から読み取ってくれた。


 僕は歩み寄り右手を出した。瑞穂くんは応えた。先輩も頑張って右手を伸ばしているらしいが、ぜんぜん届かなかった。



「自分、感動しました」


 瑞穂くんが褒めてくれる。口下手を肩や表情筋で饒舌に補う。素直な奴だ。誰かと違って。


「本当に、すばらしいよ。あの大切な日をこうして作品にしてくれた。きみにはお礼をしなければならないね。よし、タクシー回数券をあげよう」


 先輩は鞄から藁半紙の配布プリントを取り出し、丁寧な大きさに千切って、ボールペンで手書きのチケットを作り始めた。静かながら楽しむ様子はよくわかる。わかるからこそ気味が悪い。回数券で友達を使うなど、しかもそれを用意するのが姉とは、瑞穂くんも難儀に違いない。


 僕はとりあえず回数券を受け取り、使わないぞと誓った。それらしい理由なら、先輩との記念品とか、命が関わるくらい大事なときのためとかで、いくらでもこじつけられる。


 部室が賑やかで嬉しいのは僕も同意する。クラスの男子はがっかりしていたが、そんな様子を本人の前では隠し続けていた。

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