案7:カンブリア文芸部・黒部長命
私が筆をとるのは何年振りか。
まずは振り返りを兼ねて遍歴を記そう。
私は白鳥の家に生まれた。家として大きいと知ったのは小学生の頃だ。離れへ遊びに行くと話しただけで皆が驚いた。多くの家は建物のひとつで完結していて、敷地内に複数の建物は無い。誰かの家に行くといえば、親戚か、親の恩師ばかりだった。一人はあえて小さい家に住むと言ってほとんど犬小屋のような山奥のお堂で禅を学んでいた。
小学校には数々の未知があった。授業の話ではない。周囲の皆は勢いある言葉遣いで意見を通したり、返事の代わりに落ち込んだ顔を返したり、こそこそと目立たない場所で膝を突き合わせていた。
興味深かった。知りたかった。私はあちこちに顔を出しては理由を探っていった。嫌う者がいるかもしれないとは考えつかなかった。探求は我らが使命といつも聞いていたからだ。
発端は手帳へ書き込む様子を見た者が大声を上げた日だった。小学校の四年生だ。
彼らは嫌悪を剥き出しにして私を糾弾した。個々への
三年の教室から瑞穂が駆けつけた。唯一の味方だが、学年の差は覆しようのない体格の差だ。反撃は
比喩でなく、現実にも。
その日の夜に家は炎に堕ちた。育まれた憎悪は赤と黒の波となりすべてを塗り替えた。幸いにも人死にはなく、悪童たちは県境を越えて少年院へ送られた。私たちも別の県境を越えて仮の住み屋へ送られた。
傍観者が喧嘩両成敗と囁く。私が気づかなかっただけで彼らも私に傷つけられていたらしい。真偽を求める術は失われた。
私たちは新天地で生き方を探した。両親共に無形の財産を抱えていたので衣食には困らなかった。
住環境は容易くない。将来を見据えて私も登記を読みに行った。六年生の頃だ。
既に誰かが住んでいる。もしくは、周囲が碌でもない。
家にいた私たちとは全部で八人だ。私と、瑞穂と、両親と、祖父母と、二人の侍従。
大世帯を束ねるには相応の広さが必要であり、大きいほど難題になる。
度重なる衝突で家族の仲も険悪になり、ついには離婚の話が出た。当時はそう聞かされた。今にして思えば伝統の名を借りた見栄とも取れる。
私は父方の黒部に、瑞穂は母方の白鳥に。
世間では困りごとが増えると思われていたが、私は決して不幸ではなかった。連絡はいつでも取れる。唯一、パピコを分け合う相手がいないだけだ。
中学校への入学と同時期だった。周囲に過去を知る者はいない。返事が遅れる他は何ら異常ない環境でいられた。私も学んだ。同じ失敗はしない。
私は文芸部で、言葉にした誰かを記録し続けた。
そこそこの文章を書き、そこそこの評価を得た。二番手か三番手を位置し、いつも誰かを持ち上げた。一番手が注目を浴びるほど隠れ蓑になる。誰も私を気に留めない。安全な立ち位置を確保した。
卒業式の前日まで。
一番手が急に主張した。「実は文芸部で最もうまいのは黒部長命だ」と、根拠も出さずに主張した。当然、誰も聞き入れない。しかし彼はお構いなしだ。私に聞かせたいだけに見えた。
彼は下心を出した。
私はまたひとつ学んだ。高校では書いた内容の存在も伏せた。読み専と言えば通る文化があり、何人もいた。先輩たちは熱心に書いては読ませてくれる。返答の技術を身に付ける。
ここでも誤算があった。下級生が読むばかりで、誰も書かない。私が三年に上がる頃には読み専だけになり、誰も書かないならば読み専もいなくなる。先輩たちの卒業を待たずに文芸部は私一人だけになった。
部室があるのに、人がいない。瑞穂のおかげで存続こそしているが、このままでは今年すらも危うい。
そこに期待の星が現れた。君だ、荒廃くん。
荒廃くんの日々では、部室での出来事が比重の多くを占めているらしい。普段はゲームばかりと言えば、人によっては顔を
しかも荒廃くんはあろうことか私への好意を抱いている。何人もの同年代を見てきたから分かる。恋慕には至らないかもしれない。ならば時間と距離と出来事の問題だ。人は空間を共にした相手との関係を深める。好くものはさらに好き、嫌うものはさらに嫌う。私は
今日を以て計画はおしまいだ。
荒廃くんを傷つけたら私自身を許しがたい。だから、計画は終わりだ。
洗いざらい白状して、すべて終わりだ。
荒廃くんがこれを読んだら必ず何かを想う。許すにも嫌うにも荒廃くんにばかり負担を押し付けた。
それでも、将来を含めたら最小限に抑えられる。
*
部室に珍しく誰もいなかった。僕が一番乗りとは決して思えない。いつも同じ机に先輩が座っていて、たまに瑞穂くんが体操かゲームかをしていて、そこに僕が入るのがお決まりだった。
達筆な文章を読み終えたら、ノートを閉じて鞄に入れた。部室を出て、学校を飛び出し、自転車を走らせた。
行き先は決まっている。道は覚えている。先輩の家に。コンビニを通るルートで。
インターホンを押し、返事も待たずに叫んだ。
「先輩! 黒部先輩! 荒廃です!」
カーテンに隙間ができて、元に戻り、扉が開いた。
「先輩、渡すものがふたつあります」
僕は鞄を開けた。まずは達筆なノートを。
「君は読んだ上で、私に会いにきてくれたのか」
「会うだけじゃないですよ。もうひとつがこれ」
買ったばかりのパピコを目の前で左右に引く。小気味のいい音と、小気味のいい形になる。
「君は」
「受け取ってください」
きっと初めて、真剣な顔をしていた。
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