第三章⑫『歌が私を照らせし日向』


 歌河うたがわ針月しづきが、飛び降り自殺をはかった。



 学校の屋上には、事故防止のためのフェンスが張られ、更にその上部には鳥避けのための有刺鉄線まで張られている。しかし歌河は、それらの障害を難なく乗り越え、フェンスの反対側に立った。そして、僕が手を伸ばそうとする先で、笑いながら言った。


「じゃあね、剣悟クン。 ゲームは、お前の勝ちだ」


 その言葉を最後に、歌河の姿は消えた。

 ヒュン、というあっけない風切り音と共に、一人の命が空を切る。



「待って! 止めろ、駄目だ! そんな、そんなこと……っ!」


 ハナコは、しがみつくようにフェンスへと頭を押し付けながら狼狽ろうばいしていた。きっと、人間なら誰しもそう反応するだろう。……心霊しんれいという特別な存在であるハナコでさえ、こうして人間みたいに、絶望に塗りつぶされたような表情をするのだ。


 ……だからこそ、歌河をこんな所で死なせる訳にはいかない。



 すぅ、と息を吸い込む。目にいっぱいの涙を浮かべたハナコが振り向く中、僕は、学校一帯の空気を震わせるつもりで叫んだ。




「───風晴かぜはれさんっ!!!」




✳✳✳




「っ! 皆、いくよ!!」


 その一言で、四人は一斉に動いた。花壇の真上へと立った彼女たちは、巨大な四角いクッションのようなものを広げ、その四方を持っていた。

 それは、陸上部が走り高跳びなどで使用する巨大なマット。幅三メートル、長さ六メートルの長方形で、人一人を受け止めるクッション性は十分に備えている。先生から許可を取って、風晴たちがグラウンドの倉庫から持ち出してきたのだ。



「来るよ! そっち!」


「オイ! もっと引っ張れって!」


「三人とも、気をつけて下さい!」



 目的は勿論、飛び降りて自殺しようとしている針月を救助すること。しかし、いくら大きなマットとはいえ、飛び降りてくる針月の身体を正確に受け止めることは至難の業だ。


 風晴かぜはれ陽葵ひまり霧谷きりや椿つばき梓内あずさうち凛桜りお、そして一之瀬いちのせ秋乃あきのの四人は、声をかけ合って位置を微調整していく。一部、花壇が踏み荒らされてはいるが、今はそんなことに構っていられない。とにかく、正確に彼の落下位置を捉えて、マットの中央で身体を受け止める必要がある。




 そして、ついに。




 ──────ドサァッ!!



「っ! っぐは、ぁ……っ!」



 強い衝撃と、破裂音のような音。そして、背中をマットに打ち付けられた針月のうめき声が重なった。

 マットに横たわる針月は、苦悶の表情のまま呼吸を荒らげている。陽葵たちは見事、飛び降りた針月の身体を受け止めることに成功したのだ。



「お前ら、っ……なんで…………」




「───このまま、貴方を死なせたりなんかしない!」



 決然としたその声は、陽葵から発せられたものだった。



「貴方の過去のこと、私たちも一緒に聞いたの。 ……正直、すごく辛かった。 自分が同じような境遇だったらどうなってただろう、って……そんな想像をすることも恐ろしかった」


 陽葵の目には、何故か涙が浮かんでいた。それは、針月を受け止めた際の衝撃に伴う痛みによるものか、はたまた沸き起こる悲しみによるものか。

 彼女自身にも分からない、感情の動き。しかし……針月と、陽葵の眼にはハッキリと、彼女の精神騎スピリットが揺さぶられている様が映っていた。


「逃げたくなる気持ちも、何もかもめちゃくちゃにしたくなる気持ちも、私にはちょっとだけ理解できる。

 ……でも、その発散の仕方は間違ってたでしょ! だから、その責任を取らなきゃいけないんだよ! 死ぬことでじゃなくて、生きてそれを果たさなきゃ駄目なのっ!」



 陽葵の涙の訴えを、針月は倒れ伏したまま聞いていた。いつもなら憎まれ口で反論する彼も、今はその気力が無いのかじっと黙っている。


 すると、その腑抜ふぬけた身体が突然グワン! と起こされた。凛桜が、針月の胸ぐらを掴んで引き上げたのだ。


「ボケッとしてんじゃねぇぞテメェ……! お前がを傷つけたことの清算は、まだ何にも終わってねぇんだからな! このまま死んで逃げようなんて許さねぇ!!」


 そこに居たのは、梓内凛桜ではなく、彼女の中に秘められていたもう一つの人格……梓内紫陽しようだった。凛桜の身体を使って針月を起こし、恨みの込もった形相ぎょうそうで睨み付ける紫陽。そこに、ふぅ……と静かに息を吐いた椿も入ってくる。


「私は、貴方を許す気にはなれません。 どんな過去があっても、どんな償いをしても……貴方が私や風晴さん、梓内さんを、そして何より……藤鳥くんを傷つけたという事実は決して消えない。

 ……それでも、貴方はそれを背負って、やり直さなければいけないんです」


「……ハッ」


 三人に詰め寄られる形となった針月は、そこで渇いた笑いをこぼした。そして、首もとを鷲掴んでいた凛桜の手を軽く振りほどくと、再びドスン! とマットに倒れこんだ。



「結局、どこまで行っても楽させてくれない、ってことだな……」


 針月はそう言い残すと、スッと目を閉じた。その際、彼の側にいた精神騎スピリットが、まるで天に召されるかのように白く消えていった。これは、針月がことを示していたのだが、この時、唯一の精神騎スピリット使いユーザーである陽葵は、その瞬間を見逃してしまっていた。


 陽葵たちは、それぞれやりきれない表情で顔を見合わせた。

 ハッピーとは程遠いような浮かない空気の中、自殺未遂の青年を救った四人のヒーローたちは静かに、その青年の顔を見下ろすのだった。



✳✳✳



「風晴さん、みんなっ……!」


「剣悟くんっ!」


 数分後。僕はハナコと共に、急いで屋上から一階まで降りて、風晴さん達のもとへと向かった。階段を降りる途中、最悪の事態も想像した。しかし、風晴さん達が持っていたマットに歌河が寝そべっているのを見て、心の底から安堵のため息が漏れた。僕の精神騎スピリットも、胸の辺りをナデナデしている。



「剣悟くん……これは一体……」


 一人、状況を飲み込めていない様子のハナコに、僕はいつもの心中会話で説明をした。


『歌河の過去について聞いたのは、僕だけじゃないんだ。 風晴さんや霧谷さん、梓内さんも一緒に話を聞いてて、それで一緒に話し合った。

 歌河はいつも屋上にいる。 だから、そこでヤツを説得しよう、ってことになったんだよ。 当然、そこにはハナコも来るだろうと思っていたから、ハナコを助けに行くって意味合いもあったんだけどね』


 腕を組みながら、僕は続けて言う。


『それで、万が一のケースに備えて、風晴さん達に準備をしてもらってたんだ。 屋上でアイツを説得する……となると、失敗する可能性だって有り得る。 歌河が血迷って飛び降りたりするかもしれない、ってことも想定してた』


「っ! ……まさか、こうなることも君は計算に入れて……」


 驚き、声を上げるハナコ。そんな彼女への返事も兼ねるようにしながら、僕はマットの周りを囲むように立つ風晴さん達に向かって言う。



「……本当は、この想定通りにはなって欲しくなかった。 屋上で僕がキチンと彼を説得して、引き留めていれば、彼や皆を、こんな危険な目に遭わせずに済んだ。 ……でも、結果的に皆の協力のおかげで、何とか歌河の命は助けられた。 本当に、ありがとう……!」


 深々と、頭を下げる。地面にドン、と頭を付け、状態になっている僕の精神騎スピリットも隣にいる。


「きっと皆、歌河への恨みとか、不満とか、あると思う。 ……それでも皆は、「歌河を助けたい」っていう僕のわがままを受け入れてくれた。 本当、何てお礼を言ったら良いのか……」


「もぉ、剣悟くん! 頭上げてよぉ!」


 その時の風晴さんの声は、普段と同じようなトーンの明るさで、僕は驚いた。顔を上げると、風晴さんと霧谷さんが笑っている。梓内さんは、後ろで腕を組んでそっぽを向いていた。


「貴方のその底抜けの優しさには、いつも驚かされます。 私や、他の皆さんを助けてくれた時と同じように、彼にも同じ優しさと熱量を持って接する。 ……そう簡単にできることではありません」


「チッ……アタシだって納得いってねぇよ。 けど、凛桜がそうするって決めたからな。 アタシはそれに従っただけだ」


「私たちは、剣悟くんのその優しさに救われたんだから! だから、剣悟がやったのはすごいことなの! もっとも~っと、胸を張っていいんだよ!」


「みんな……!」



 微笑む風晴さん達。その足元では、風晴さんの精神騎スピリット、霧谷さんの精神騎スピリット、梓内さんの精神騎スピリットが、それぞれ拍手を贈ってくれていた。その光景を見るだけでも、なんだか救われた気がした。



「君のやったことは、間違いなく偉業だ。 誰も、君を責めるヤツなんて居るもんか」


 スッと、僕の背中にもたれかかるようにしながら、ハナコが呟いた。その微かな感触に「えっ……」と少し驚くが、反応を返す間もなく、ハナコは言う。



「……君が、精神騎スピリット使いユーザーになってくれて本当に良かった。 心からそう思うよ。 ありがとう」



「……こちらこそ、ありがと」


 ボソッと呟いたその言葉は、ハナコに届いたか、はたまた風晴さん達に聞こえていたかどうかは分からない。

 ただ一つ言えるのは、僕はもう一人じゃないということ。こうして、自分が信じた道に進もうとする時に、背中を押してくれる人たちが居る。助けてくれる仲間がいる。

 それが、心から嬉しく思えた。




「……あれ? そういえば、一之瀬先輩は?」


 少しして、風晴さん達と一緒に来てくれていたはずの先輩の姿がないことに気がついた。辺りを見るも、彼女の姿はどこにもない。


「あぁ、先輩ならさっき帰っちゃったよ? なんか、「もう私の役目は果たしたから」とか言って」


「そう、なんだ……。 先輩にも、お礼言っておきたかったんだけどな」


 そう言って、ふと歌河が倒れ伏すマットに視線を移す。

 後で職員室に行って、歌河とのことは全て話すつもりでいる。歌河のことは、先生たちが何とかしてくれるはずだ。病院に向かうのか、それとも元いた児童養護施設に戻されるのか。それは、定かではない。


(歌河……)


 安らかな顔で眠る歌河を見ていると、不意に僕の精神騎スピリットの装備がビリビリと破れ、ダメージを負った。

 空は、雨雲が消えて綺麗な青に染まっている。しかし、点々と浮かぶ薄い雲の筋はまだ微かに残っている。雲は、太陽を中途半端におおって、もやのように光を遮っていた。



✳✳✳



「───えぇ。 歌河針月は倒れ、藤鳥ふじとり剣悟けんごが”心眼しんがん”を勝ち取りました。 ……結局、全て会長の見立て通りになりましたね」



 校舎端にある運動部用のトイレ。人目につかないその場所で、女はタブレット端末に向かってそう話していた。

 四分割された画面には、それぞれ生徒の顔が映し出されている。その内の一人……画面端に『生徒会副会長』というバッジが付けられた男の枠が、緑色に光る。



『ま、これも運命さだめだね。 湧き水はやがて海へ渡る……であれば、かこに囚われし覆水どうけに明日はない』


『はぁ……相っ変わらず副会長の台詞って高度すぎて意味不明なんですけどぉ』


 『生徒会庶務』のバッジが付いた画面枠が光り、男がため息混じりに呟く。タブレットを持つ女は、それらのやり取りについては無視して、淡々と話を進めた。


「それから……歌河針月は先ほど飛び降り自殺を図りましたが、藤鳥剣悟によって阻止されています。 彼の身柄は、教職員が預かることになると思いますが……如何いたしま」



『───教職員どもに任せておけば良い。 議論自体が時間の無駄だ』



 男のズシン、と響くような一声で、皆は一斉に口を閉ざした。緑の枠が光っているのは、『生徒会長』と書かれたバッジの男。男は、カーテン越しに入る窓からの光を背に受けながら、重暗い画面の中で言う。


『自殺という、命をなげうつ選択をした時点で、ソイツに社会的価値はない。 自殺したいと願うヤツなど、社会にとっては不必要な存在なのだから、死んで正解だ』


「……しかし、彼もまた”心眼”を獲得する可能性を持った精神騎スピリット使いユーザーであったことは事実で」


お役御免ようずみ、という意味だよ。 エンドロールはもう下りたんだ。 なら、次の役者ファントムを讃える準備をするのが務めマナー。 そうは思わない?』


「……承知しました。 では、今後は引き続き、藤鳥剣悟の経過観察を進めるという方向で」


『異議なーし』


 『生徒会庶務』のバッジの男が、気の抜けた返事をかえす。一人、『生徒会会計』というバッジの付いた女だけは、先ほどからずっと声を発していなかった。が、庶務の発言の後に、その女の画面に小さく、手を上げるスタンプが表示された。「同意」という意思表示のつもりらしい。



『今回もまた?』


「様子見、ですね。 今回の件は警察沙汰にならないよう手が入るみたいですから、生徒間ではウワサ程度にしか事実は広まらないでしょうし」


 淡々とそう告げると、女は軽く咳払いをした。 


「では、経過報告は以上です。 また何か動きがあれば報告をあげますので、ご確認の程よろしくお願いいたします。


 ……ふぅ、歌河も結構手塩かけてたのに、残念な幕切れね」


 

 体裁ていさいの整った会議が終わるや否や、タブレットを持つ女は砕けた口調でそう呟いた。無論、オンライン通話はまだ繋がっている。ただ、『生徒会長』の男だけは、「経過報告は以上」と言われたタイミングで会議から抜けていた。



『そーいえば、書記さんはこれからどうすんの? 今のまま、『一之瀬』でやってく感じ?』


 庶務からそう聞かれ、女は息を吐く。


「そうね……『一之瀬』でだいぶ出しゃばっちゃったから、新キャラは入れようかしら? 今は『二階堂にかいどう』と『四條しじょう』と『五木田いつきだ』と『七尾ななお』だけしか使ってないし。 ……あぁでも、『四條しじょう 由佳ゆか』はもう使えなくなるから、実質四つだけか」



『相も変わらず、詐欺師ひゃくめんそうていしているね。

 ……そうか、むしろ君こそが本当の”名前不明ファントム”、というべきだったかな』



 副会長から言われ、女は妖艶な笑みを浮かべる。

 それは、『一之瀬 秋乃』という借り物の名前を名乗っていた時には決して見せなかった、怪しい笑みであった。



✳✳✳



 歌河針月は、精神病棟に長期間入院することになった。


 『清森きよもり特別心理学精神科センター』という、この辺りでもかなり大きな精神科専門の病院だ。心理学方面では割と有名で、一応僕の進路希望先の一つでもある。そんな偉大な病院に、彼の身柄は預けられることとなったのだ。費用などは、学校側と、彼がいた養護施設とが半額ずつ負担する意向になったらしい。



「……」


「……まだ、気にしているのかい?」


 『開かずの倉庫』の奥。古びた跳び箱に背を預けて座り込む僕に、ハナコが遠慮がちに話しかけてきた。


 歌河との”一騎討ち”を終えた土曜日。その翌週には、歌河のウワサは全生徒に広まっていた。当然、僕や風晴さんたちは当事者だから、事の顛末てんまつを全て知っている。

 しかし、学校側はその事実を一切秘匿したのだ。普通、「先日学内でこんな事件がありました」と、全校生徒ないし保護者に説明があるはずだが、それも無し。奇しくも、歌河が語っていた日向ひなた花心かさねさんの事件と同じ対応で、学校側は事件を”無かったこと”にしたのである。



「この学校自体に、裏があることは分かった。 歌河の言っていたとおり、この学校には……何か暴かなきゃいけない闇があるんだと思う。

 だから……今度は僕が、歌河がやろうとしていたことを、正しいやり方で遂行してみせる」


「……どうして、君がそこまでする必要があるんだ。 あの日、ヤツは君が差し伸べた手を取らなかったじゃないか」


 ハナコの声は、悲しみと怒りが混ざったような震え声だった。それだけ、僕に言いにくい言葉だったのだろう。



『───さっきから主人公じみたセリフをペラペラペラペラと……甘っちょろくて反吐が出るんだよねぇ。 そんな舐め腐ったチープなやり方じゃ、お前の掲げる理想は叶わない』



 あの時の歌河が発した言葉が、僕の頭で繰り返し再生される。



『俺は!! 反省なんかしない、後悔なんてしない。 誰にも頭を下げねぇし、向き合ったりもしない。

 希望の種ってのは……一度腐ったらもう終わりなんだよ。 だから、その腐った種を握りしめて、劣悪に生きていくしかない』



 ……拒絶。


 それ以外に言い表せない、歌河の選択。


 しかし、僕は彼のその言葉に悲しんでいた訳ではなかった。



「本当はさ、違うんだ」


「……?」


「僕が、歌河の行動を先読みして、自殺を未然に防いだって……皆がそう思ってくれてる。 でも、実際には違うんだよ」


 目を閉じ、沸き上がる悲嘆を抑え込むようにしながら、ゆっくりと告げる。


「歌河がフェンスをよじ登った時、下にいた風晴さん達のことが見えたはずなんだ。 ……何なら、僕らが学校に来る前から、歌河は屋上で待機していたはず。 僕らがグラウンドからマットを運んでくる様子を事前に見ていたっておかしくない」


「っ!? ま、まさか……」


「……多分、歌河は。 僕のお膳立てに敢えて乗っかるために」


 ”心眼しんがん”の力を得た僕には、あの時歌河が考えていたことが、精神騎スピリットを通じて全て見えていた。勿論、その全てをその時理解できていた訳ではないし、今になってやっと、彼の意図を掴めた部分だってある。

 


「……これは、あくまで僕の推論なんだけど」

 

 あの時、歌河が口にした言葉。彼の取った行動。それらを少しずつ思い出しながら、僕は言う。


「歌河は、。 でも、アイツはアイツなりのやり方を貫こうとして、ああなったんじゃないかな、って思うんだ」


「えっ……?」


 予想もしなかったような言葉に、流石のハナコも少し驚いている様子だった。


「歌河は最後に、『俺の心の奥底まで見抜いてみせろ』って言ってた。 その後、アイツが僕に対して暴言を言っている間……アイツの精神騎スピリットは、裏返しにしたマントを被って、僕の方に祈りを捧げるようなポーズをしてたんだよ」


 ハナコは、少し考えてから呟く。


「裏返し……つまり、彼は自分の心とは真逆のことを言っていた、と?」


「多分、ね。 ……でも、無条件に僕を受け入れて助けを求めるのは、歌河の性質上できなかった。 プライドっていうか、矜持きょうじみたいなものだったんだと思う。

 だから歌河は、今まで通り自分をに仕立てあげて、僕にを託したんじゃないか、って。 そう思うんだ」


 あくまで推測だけどね、と付け足しながら、僕は渇いた笑いを見せた。


 歌河は、生徒らを犠牲に学校を内部崩壊させることで、日向花心の復讐を果たそうとした。歌河自身、それを”悪”だと理解した上で、それでも止まらなかったのだ。

 彼は、僕のことを”ヒーロー”だとか”主人公”だとか言っていた。それはきっと、自身を”悪役”だと認識していることに裏打たれた言葉だったのではないかと思う。そして、『残された道はこれしか無い』と言って、最後まで自分を”悪役”にしようとしたのだ。



「けれど、どうして彼はそこまで……」


「学校側は、これだけ大きな事件でも揉み消すような連中だ。 事件がうやむやになって、忘れ去られる可能性も捨てきれない。

 ……日向さんの事件を、ほとんど誰も知らなかったみたいに、ね」


 それを聞いて、ハナコは苦い顔をする。僕も、何となくハナコと目を合わせられなかったが、そのまま話は続けた。


「……多分歌河は、”憎まれ役”でいようとしたんだと思う。 過去の話を聞く限り、日向さんとの繋がりが一番強かったのは、歌河だ。 だから、皆が歌河を恨むことは同時に……「日向花心のことを忘れない」ことでもあるんだよ。

 ……アイツの悪評は、学校内でも有名だったでしょ?」


「そ、んな……」


「実際、僕は風晴さん達を救う過程で、アイツの悪行にたどり着いた。 そして、その先にあった日向花心さんの事件について知った。 彼女の事件を風化させないためのシンボルでいること……それが、アイツの目的の一つだったんじゃないか、って思うんだ」


 歌河は、自らが救われることを望んでいなかった。きっと彼は初めから、救われることなど諦めていたんだと思う。それは、すごく悲しいことだけれど……その代償として、彼は日向花心の幸福を叶えようとしたのだ。


 それこそが、彼がどうしてもやり遂げたかったこと。

 もう引き返すことのできない「悪」に染まってまで、叶えたかった願いなのだ。



「……ま、全部僕が描いた勝手な解釈かもしれないんだけどね。 それでも、僕はそう信じたいんだ」


 軽くうつむいたまま、僕は言う。


「悪いヤツに対して、色々理由をつけて文句を言うのは簡単だ。 言われる側だって、それは因果応報でもある訳だし。

 ……けどさ、その悪いヤツにも、何か目的があったかもしれない。 良い側面があったのかもしれない、って考える方が、僕は好きなんだ。 そうやって、人のいところを信じることこそが、優しい世界を作るための第一歩だと思うから」


 それは、僕にとっての決意表明みたいな言葉でもあった。数秒ほど間を空けた後、ハナコもそらに答える。


「そうだね。 決して簡単なことではないけれど……きっと、剣悟くんならそれをやり遂げられる」


「うん。 歌河が自分のやり方を貫いたみたいに、僕も僕のやり方を貫くつもりだよ。 まずは僕自身が、「相手を信じる」ことを体現する」


 言いながら、僕は地面に手をついてゆっくりと立ち上がった。

 倉庫の入り口ドアの硝子ガラスから、光が差し込んでいる。ちょうど僕の胸の辺りを照らすその光は、まるで僕の心に当てられたスポットライトのようだった。



「……好奇心旺盛なところと、前向きなところ。 それが、僕の長所だからね」


 そう言って、隣に立つハナコに微笑みかける。ハナコも、僕のその様子を見て安心したのか、ホッとしたような笑顔を向けてくれた。



✳✳✳



「……私は、日向花心の死の真相を知りたい」



 それから数分後。倉庫を出ようとする僕の背中に向かって、ハナコはそう言った。


「明るく、優しく...…誰からも好かれていたはずの彼女が、なぜ自殺してしまったのか。 歌河も知り得なかったその真実を、私はどうしても知りたいんだ」


「ハナコ……」


「私は、日向花心の”心霊スピリット”だ。 彼女がかつてやってきた”人助け”を通して、失われた彼女の記憶に近づけるかもしれない。 ずっと、そう思っていた。 剣悟くんという協力者を得てもなお、私の根幹にあるその願いは変わっていない」



 今までに聞いたことのない、ハナコの本心。彼女の眼差しや、息づかい、声音……その全てが、彼女が本気でそう願っているということを示していた。


「私も、私のやりたいことを……やるべきことを完遂する。 そのために……」



 そこで一度言葉を切ると、ハナコは僕の手を取って、両手で包み込んだ。

 初めて感じた、ハナコの手のひらの感触。温もり……というにはあまりに冷たすぎた。僕はゆっくりと振り返り、ハナコの顔を見る。そこに居たのは、たった一人の儚い少女の姿。心を宿した、人間の姿だった。



「君の力が必要だ、剣悟くん。 

 ───私の願いを、君に託したい」



 それは、彼女にとっての決意。誓いの言葉だった。

 『仮契約』から始まった、僕とハナコの関係。でも、今はお互いがお互いのことをより深く知って、互いに信頼し合える仲になった。



 そんなハナコから告げられた、願い。

 それはある種、信頼の証ともとれるものだ。だからこそ、僕はその瞬間、心が飛び上がるほど嬉しかった。


 

 穏やかで心地の良い静寂。僕の精神騎スピリットが、僕たち二人の周りをピョンピョンと跳ね回っている。

 キラキラと照らされるあたたかい空間の中、彼女からの思いを受け取った僕は、心からの笑顔でこう答えた。



「───うん、任せて。 僕が君のこと、ちゃんと救ってみせるから……!」





第三章 END



 




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深層心理の精神騎(スピリット) 彁面ライターUFO @ufo-wings

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