第三章⑪『心眼』
粒子を纏ったオレンジ色に輝く、僕の瞳。
それは、
……今の僕には、分かる。
この眼が持つ力も、それによって見ることのできる世界も。
そして、
「ハナコ……ただいま」
一度、見失いかけたパートナーの姿。それが、今の僕の眼にはハッキリと映っていた。その事実がとてつもなく嬉しくて、僕は自然と笑みを
「何で……どうして、戻ってこれるんだ……! 君は、あんなに傷ついた。 苦しめられた! それなのに……」
「そんなの、ハナコが心配だったからに決まってるでしょ。 それに……」
僕がスッと手を差し出すと、側にいた僕の
「諦めたくなかったんだ。 ハナコのことも、学校の皆のことも。 そして……
そう言って、再び歌河の方を向く。彼は、明らかに
「ふざけんなよ……それは……その”眼”はナシだろうが……っ! それは……それは
歌河が奇声を上げながら襲いかかってくる。しかし、前と同じようにはいかない。
僕は、歌河と
「なっ……!?」
歌河がバランスを崩す。その隙に、僕は身体を反転して、宙ぶらりんになった彼の左腕を掴んで引き上げた。刑事ドラマでよくある、犯人を制圧する時の体術だけど、これが見事にうまくいく。
「ぐぁっ……クソッ! な、んで……!」
歌河も驚いていたが、正直僕の方がもっと驚いていた。
(偶然じゃない。 今、歌河の動きが手に取るように分かったような……)
ケンカなんて慣れていない僕が、ここまで綺麗に関節技を決められるなんて有り得ない。でも、それはケンカ慣れとか技術とか、そういう感覚ではなかった。
彼の行動が読めた、という表現が適切だろうか。僕は今、歌河がどういう風に攻撃してきて、どのように思考しているのかを、瞬間的に察知した。……できてしまったのだ。
「これ、って……」
「───”
僕の後ろで、ハナコがそう呟いた。
「人の心、すなわち
……君は、そんな
「僕が……」
「それだけじゃない。 心眼石を通した
「っ……べちゃくちゃ喋ってねぇで離せよ!!」
ガッ! と、歌河が僕の手を振りほどいて脱出する。一瞬、意識が彼に向いてなかったタイミングでの出来事だった。しかし、僕が再び歌河を視界に入れると、またしても彼の思考や
予想どおり、歌河は僕を襲ってこなかった。
「ムカつくんだよお前! ヒーローみたいに気取って、綺麗事ばっかほざいて……その度に、
そこに居るハナコとかいうヤツも、お前も!! どうして……どうして
悲痛な叫びと共に、歌河の
彼の
恐らくあれは、『
「……僕は、アンタを救う。 アンタを苦しみから解き放って、ハナコが……
歌河が感情を解放しかけている、今がチャンスだ。彼の心の扉、『イドア』を開くところまではいかずとも、せめて彼の感情の片鱗を掴むことができさえすれば……。
きっと、彼を救える。
「アンタが今まで犯してきた罪と、一緒に向き合う。 そうして、一緒に反省して、一緒に未来へ進む。 ……アンタが自分自身の感情を受け入れて、コントロールできるようにするんだ」
「ダセェ台詞ばっか吐いてんじゃねえよこのクソ野郎!!」
ゴボゴボと沸き溢れる毒の沼を展開させながら、歌河の
僕の
「大体ッ! お前が俺のこと救うってんなら、俺がやろうとしてることの邪魔すんなよ! 人様の目標をぶち壊そうとして、何が幸せな世界だぁ!? 頭沸いてんのか!?」
「アンタが抱く恨みや復讐心を否定するつもりはない。
……でも、アンタだってきっと分かってるはずだ。 学校をめちゃくちゃにするなんて、そんなことしたって満たされないって。 だから止めたいんだ」
「何様のつもりだよ! 満たされるとか満たされないとか、お前が決めることじゃねえっつってんだろ!」
「そうだね。 僕には、アンタの苦しみや悲しみを理解することはできないのかもしれない。 ……ただ、想像することはできる。
僕はついさっきまで、
「剣悟くん……」
けど……と、言葉を紡ぐよりも先に、
「おかげで分かった。 ……苦しみや悲しみ、心の傷は一生消えない。 いくら逃げたって、蓋をしたって、その痛みが無くなることはない。
だったらいっそ、ちゃんと向き合った方が良いんだよ。 逃げるわけでも、目を背けるわけでも、抗うわけでもなく……痛みを受け入れて、前に進むんだ。 そうすれば、また心を満たせるようになる」
一歩、また一歩と、僕の
しかし、
「そんな浅い根性論で何が救えるってぇ!? 本気でそう思ってんなら、今すぐ世界中の戦争終わらせてみろよ偽善者!」
「終わらせるさ! でも、それを成し遂げるのは僕じゃない……人の心だっ!!」
もう、歌河の言葉には毒されない。
胸の奥底から沸き起こる
そして、再び剣を構えた
すぐさま、歌河の
ガシィ! と、
───それは、一息つく間もない真剣勝負となる。
「アンタは、
「あっそ! それで何なんだよ!? バカはバカらしく勝手に傷ついて病んでりゃ良いだけだろ?! ああいうヤツらは、産まれた時点で障害持ちなんだよ! 俺が介入しようがしまいが関係なく自滅する運命だった! それを
「それはやっちゃいけない事なんだ! たとえそれまでの間にどれだけ傷ついていたとしても、アンタが与えた傷は、他の傷痕に紛れてしっかりと残ってる。 だからこそ、アンタがその過ちに向き合うことで、その人たちは傷一つ分報われるはずなんだ……!」
「ハッ! お前は
傷痕一つで騒いでしょーもねぇなぁ!! んなもんにこだわってるからいつまで経っても精神病患者が減らねぇんだろ!!」
「確かに、アンタの償いは果てしないものかもしれない。 傷一つと向き合うだけじゃ、その人の闇を全部取り除けないのかもしれない。
……けど! そこから始めなきゃ駄目なんだ! 悪いことをしたなら謝って、ウソをついたなら本当のことを話して、痛みを与えたのならその痛みに寄り添って! そうやって、一つずつ取り戻していって、心を解きほぐしていけばきっと……皆が幸せになれる未来に繋がる。 アンタの苦しみだって、晴らせる!」
「だから誰も望んでねぇんだよそんな事!! 俺みたいなバカでクソで害しかない不燃物の謝罪なんざ、誰も必要としてねぇだろうが!! 病原菌は病原菌らしく、人様に迷惑かけることでしか生きてけないんだから邪魔すんな!!」
「そんなことないよ! アンタを……いや、君のことを必要としてる人ならここに居る! 僕も、ハナコも……そして、花心さんもだ!」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ偽善者!!!!!!!!
お前ごときが花心を語ってんじゃねえぞクソガイジ!!!!!」
「君が辛すぎる人生を送ってきたことは、僕も知ってる。 でも……だからこそ! 君が変えなきゃいけないんだ! 君や、花心さんが受けた苦しみを人に与え返して……それを繰り返すたびに、皆の心に傷は溜まっていく。 もちろん、君自身の心にも!」
「ダッッッセェ!!! 傷ってのはスポーツマンや兵士の勲章なんだろ? だったら皆ありがたく苦しめられとけよ!! やられたヤツがやり返して何が悪い? 当然の報いだろうが!! そうして皆で仲良く傷つき合うのが”平等”ってコトだろ!?」
「その連鎖がっ!! ……花心さんを、死に追いやってしまったんじゃないの?
君がやろうとしてる事は、第二、第三の花心さんを生んでしまうことなんだ。 それを再現しつづけることが、本当に君を満たすの?」
「ぅるせぇよ説教じみたセリフをペラペラペラペラと!! 邪魔すんな、って言ってるのが何で分かんねぇんだよ!?」
「君が!! 深層心理でそれを止めたがってるから!! だから止めたいんだ!!
自暴自棄になって、誰も止めてくれる人が居なくて、皆が君のことを諦めた。 ……そんな君を唯一助けようとしてくれたのが、花心さんだった」
「だからっ! 知ったような口を」
「本当の君は、花心さんのような被害者をこれ以上増やしたくなかっただけなんだ! 学校をメチャクチャにする、っていう目的も……本当は、いじめや誹謗中傷が
その大きな目的に固執するあまり、やり方を間違えた。 自分自身の復讐心と自己嫌悪で歯止めが効かなくなった。 そのせいで、君はこんな方法を取らざるを得なくなった。 君が重ねた罪のせいで、身動きが取れなくなっただけだ」
「大層な妄想劇だなぁ!? 俺みたいなゴミクズが、そんな善人思想持ってると思うのか!? あぁ!?」
「───思ってるよ。 だって君は、その優しさを花心さんから貰ってるんだから」
「は………………」
そこで一瞬、歌河の
その僅かなタイミングに生まれる隙を、僕の
「悪意や絶望は、伝染する。 ……けど、それと一緒で、善意や希望も広がっていくものなんだ。 誰かが誰かに優しくすれば、その分だけその人の心に優しさの種が残る。 花心さんは、そうしてたくさんの人に善意を、希望を伝播させた人だった。
……それは、君が一番よく知っていることでしょ?」
「っ……んなもん受け取ってねぇよ! 俺は、花心の自殺で苦しみだけを植え付けられた! こんなことなら、初めから出逢わなきゃ良かったんだ!」
「そんなこと言わないでよ……! 花心さんは、君を救うために行動してた。 そのおかげで生まれた笑顔だって、きっとあったはずだ!
辛いこと、苦しいことばっかりの人生を、君は歩んで来たのかもしれない。 でも! 花心さんと出逢えたって運命まで否定しちゃ駄目だ!」
歌河の
彼の
彼の
しかし、今しがた僕の
「人は過ちを繰り返す……でも、その過ちの中で学ぶんだ。 犯した罪と向き合う中で、気づきを得て、反省して……また失敗するかもしれないけど、そこで得た物は決して失われない。 歌河
だったら……君にできることは、何もかもめちゃくちゃにしてリセットすることだけじゃないよ。 その希望の種を、花心さんと同じように広げていくことだって、できるはずだ!」
「だから……俺にそんな資格なんて」
「あるに決まってるっ! けど……それでも自分を信じられないって言うなら、僕が手助けするから! 花心さんの代わりにはなれないかもしれないけど、それでも!
君と一緒にがんばるって、約束する! 君が受けるべきじゃなかった痛みも、一緒に受け止める!」
だから……! と、手を差し伸べる僕。
その手を振り払われることも、噛みつかれることだって覚悟していた。それでも僕は、何度でも彼に手を伸ばし続けると決めたのだ。
「まずは、自分を許してあげて。
それから、一緒に謝りに行こう。 君が受けた苦しみと向き合うため……そして、前を向いて進んでいくために。
そのための協力だったら、僕は惜しまない」
「っ……!」
歌河の目から、いつの間にか涙が溢れていた。
胸の真ん中を貫かれた
「なんで……だよ……」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、歌河が呟く。彼もまた、
「根っからのクソ善人で、俺みたいなクズも救おうとして……そんなヤツ、他に居ないと思ってた……。
なのになんで……なんでお前は……っ! そんな根っこのとこまで、
ガン! とコンクリートの地面を叩きつけ、泣き叫ぶ歌河。そこには、初めて彼と出会った時に感じたような怪しさや悪意、重苦しさは
僕が黙って歌河を見下ろしていると、ふと、ハナコが僕の隣にやって来て
「……彼にとっての唯一絶対の
……彼はきっと、二人目のヒーローたる剣悟くんの存在を認められなかったんだろう」
やりきれない……そんなハナコの表情が、心苦しかった。
ハナコは、日向花心さんから生まれた
ハナコが、花心さんの言葉を代弁し、歌河に伝えることが出来ていたなら、どれほど良かっただろう。大切な人を失い、置いていかれた人たちが、その人の言葉を受けとれたなら、どれだけ救われるだろう。……けど、どう足掻いたって、過去は変えられない。死んだ人を蘇らせることはできない。
それでも……
「僕が花心さんと似てる、って思ってもらえたのはきっと……ハナコが側にいてくれてたからだよ」
え……と、ハナコが僕の方を見る。僕は、ハナコと顔を合わせて、小さく微笑んだ。それから、顔をあげた歌河に一歩近づき、再び手を差し出す。
「花心さんが亡くなってしまったのは、
僕が
だから……君に手を差しのべたのは僕じゃない。 花心さんの”心”なんだよ」
「っ……あ、ぁぁ……っ!」
泣き腫らした顔を上げて僕を見る歌河は、まるで神様の啓示を受けた一人の信者のようだった。……僕がそんな風に思ったのは、僕自身が花心さんの言葉を代弁する”
自分が偉い人になったなんて言うつもりは無い。でも、今目の前で透明な涙を落とす彼にとっての神様が花心さんなのだとしたら……きっと、”預言者”という役割は、僕にしか出来ないことだったと、そう思えた。
「っ…………」
そっと、差しのべた手が温かく包まれる。
歌河が僕の手をとったのだ。
歌河は、一度俯いて地面を涙で濡らした。それでも、掴んだ僕の手は離そうとしなかった。
真っ直ぐ、微動だにせずに僕のことを見つめる歌河の
「……もう帰ろう。 これからのこと、一緒に考えていくためにも」
力を込め、歌河の手を引いて立ち上がらせる。繋いだその手は、まだ離さない。
これから、彼は多くの償いをしていかなければならないだろう。それは、出口の無い洞窟を
けれど、
「───って、そんな上手くまとまるワケねぇだろバァァァァァァカ!!!!!」
「えっ…………」
握った手が、乱暴に振りほどかれる。
空を舞う僕の手。ハナコも、僕の後ろで茫然としている。
ただ一人、僕らの前に対峙する歌河だけは……涙に塗られた顔をニヤリと歪ませていた。
「さっきから主人公じみたセリフをペラペラペラペラと……甘っちょろくて反吐が出るんだよねぇ。 そんな舐め腐ったチープなやり方じゃ、お前の掲げる理想は叶わない」
「な、んで……この期に及んでまだ君は!?」
「うっせえ黙ってろ。 ……コレは、俺と
強い口調でハナコを
……でも、何かがおかしい。
敵意を向けてきているはずの歌河だが、その
「お前……その”心眼”ってヤツで心が読めるんだろ? だったら、俺の心の奥底まで見抜いてみせろよ」
「っ……!?」
ニヤリ、と歌河がまた不適な笑みを浮かべる。
ハナコは慌てていたが、僕自身の心はどこか冷静だった。僕の
「俺は反省なんかしない! 後悔なんてしない! 誰にも頭を下げないし、向き合ったりもしない!
希望の種ってのは……一度腐ったらもう終わりなんだ。 だから俺は、その腐った種を握りしめて、劣悪に生きていくしかないんだよ」
「待って、ダメだ! そんなことしたら君は───」
「悪ぃけど! もう残された道はこれしかないんでねぇ!
……これが、俺なりのやり方なんだよっ!!」
ふらつく足取りで、歌河は後方へと後ずさっていった。
その先は、屋上を
「歌河っ!!」
僕とハナコが走って、歌河の足を掴む。が、彼は足をブンブンと振り回して、僕の差し出した手を蹴り飛ばした。更に、人に触れられないハナコの手をすり抜け、その足でフェンスを乗り越える。
そして、
「───じゃあね、剣悟クン。 ゲームは、お前の勝ちだ」
その言葉を最後に。
ヒュン、と風を切る音がする。
歌河の身体は、フェンスの向こうへとフェードアウトしていった。
つづく
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