第三章⑪『心眼』



 に輝く、僕の瞳。

 それは、心眼石しんがんせきが持つ神秘的なあの輝きと同じものだった。


 ……今の僕には、分かる。


 この眼が持つ力も、それによって見ることのできる世界も。

 そして、精神騎スピリット使いユーザーとしての力が再び僕に宿ったのだ、ということも。



「ハナコ……ただいま」



 一度、見失いかけたパートナーの姿。それが、今の僕の眼にはハッキリと映っていた。その事実がとてつもなく嬉しくて、僕は自然と笑みをこぼしていた。その一方で、彼女は……ハナコは、今にも泣きそうな顔で僕を見上げている。



「何で...…どうして、戻ってこれるんだ……! 君は、あんなに傷ついた。 苦しめられた! それなのに……」



「そんなの、ハナコが心配だったからに決まってるでしょ。 それに……」



 僕がスッと手を差し出すと、側にいた僕の精神騎スピリットが勢いよくジャンプして、てのひらの上に乗っかった。相変わらず、触れている感触はないけれど、でも、掌にかすかに温かさがある。そこに精神騎スピリットがいるという感覚が、手の上で確かに感じられた。


「諦めたくなかったんだ。 ハナコのことも、学校の皆のことも。 そして……歌河うたがわのことも」



 そう言って、再び歌河の方を向く。彼は、明らかに狼狽ろうばいしていた。その上で、心底恨めしそうに僕を睨んでいる。


「ふざけんなよ……それは……その”眼”はナシだろうが……っ! それは……それは花心かさねだけのモンだァ!」


 歌河が奇声を上げながら襲いかかってくる。しかし、前と同じようにはいかない。

 僕は、歌河と精神騎スピリットとをじっと見つめた。そして、彼が右手を引いて僕の頬を殴ろうとする。その予備動作を見切って、僕はバッ! と左に回避した。


「なっ……!?」


 歌河がバランスを崩す。その隙に、僕は身体を反転して、宙ぶらりんになった彼の左腕を掴んで引き上げた。刑事ドラマでよくある、犯人を制圧する時の体術だけど、これが見事にうまくいく。


「ぐぁっ……クソッ! な、んで……!」


 歌河も驚いていたが、正直僕の方がもっと驚いていた。


(偶然じゃない。 今、歌河の動きが手に取るように分かったような……)


 ケンカなんて慣れていない僕が、ここまで綺麗に関節技を決められるなんて有り得ない。でも、それはケンカ慣れとか技術とか、そういう感覚ではなかった。

 、という表現が適切だろうか。僕は今、歌河がどういう風に攻撃してきて、どのように思考しているのかを、瞬間的に察知した。……できてしまったのだ。



「これ、って……」



「───”心眼しんがん”の力、だね」



 僕の後ろで、ハナコがそう呟いた。



「人の心、すなわち精神騎スピリットを視認する力をもたらす『心眼石しんがんせき』。 その力は元来がんらい、人の心を見透かすことのできる人間の力をベースにして作られたものだ。 ……つまり、石に頼らずに精神騎スピリットを視認できる人間が、この世界には一定数存在するということ。

 ……君は、そんな稀有けうな存在の一人になったんだよ」


「心眼って、そんなことまでできるの……?」


「それだけじゃない。 心眼石を通した精神騎スピリットの制御よりも、力の伝達がクリアになる。 その分、精神騎スピリットの能力がアップするんだ」


「っ……べちゃくちゃ喋ってねぇで離せよ!!」



 ガッ! と、歌河が僕の手を振りほどいて脱出する。一瞬、意識が彼に向いてなかったタイミングでの出来事だった。しかし、僕が再び歌河を視界に入れると、またしても彼の思考や精神騎スピリットの情報が頭の中を巡った。

 予想どおり、歌河は僕を襲ってこなかった。



「ムカつくんだよお前! ヒーローみたいに気取って、綺麗事ばっかほざいて……その度に、花心アイツの影がチラつくんだ……!

 そこに居るハナコとかいうヤツも、お前も!! どうして……どうして花心アイツの皮被って俺の邪魔すんだよ!!」


 悲痛な叫びと共に、歌河の精神騎スピリットからドクドクと黒い液体が溢れだした。

 彼の精神騎スピリットの属性からかんがみるに、あれは”毒”の沼。しかしその色は、紫や緑とは違い、黒に近い。


 恐らくあれは、『心此処に在らずメランコリック』で現れる”黒い霧”に近いものだ。今まで歌河が蓋をして……いや、心を鈍化させて感知できなくしていた苦しみ、痛み、悲しみ。それが今、精神騎スピリットを介して放出しはじめている。



「……僕は、アンタを救う。 アンタを苦しみから解き放って、ハナコが...…日向ひなた花心かさねさんが願った幸せを実現させる。 そのために……」



 歌河が感情を解放しかけている、今がチャンスだ。彼の心の扉、『イドア』を開くところまではいかずとも、せめて彼の感情の片鱗を掴むことができさえすれば……。

 きっと、彼を救える。



「アンタが今まで犯してきた罪と、一緒に向き合う。 そうして、一緒に反省して、一緒に未来へ進む。 ……アンタが自分自身の感情を受け入れて、コントロールできるようにするんだ」



「ダセェ台詞ばっか吐いてんじゃねえよこのクソ野郎!!」



 ゴボゴボと沸き溢れる毒の沼を展開させながら、歌河の精神騎スピリットが襲いかかってきた。

 僕の精神騎スピリットは、ジャンプして応戦する。そのまま剣を逆手に持ち、下にいる歌河の精神騎スピリットめがけて落下。しかし相手も、杖でそれを受け止めた。跳ね返された僕の精神騎スピリットは、毒の沼に足をつかないよう宙で身を捻りながら、一度歌河と距離を取った。



「大体ッ! お前が俺のこと救うってんなら、俺がやろうとしてることの邪魔すんなよ! 人様の目標をぶち壊そうとして、何が幸せな世界だぁ!? 頭沸いてんのか!?」


「アンタが抱く恨みや復讐心を否定するつもりはない。

 ……でも、アンタだってきっと分かってるはずだ。 学校をめちゃくちゃにするなんて、そんなことしたって満たされないって。 だから止めたいんだ」


「何様のつもりだよ! 満たされるとか満たされないとか、お前が決めることじゃねえっつってんだろ!」


「そうだね。 僕には、アンタの苦しみや悲しみを理解することはできないのかもしれない。 ……ただ、想像することはできる。 僕も、ついさっきまで精神騎スピリットの力を失って、ハナコとの絆さえ失いかけた。 それが無くなることで、”普通”の生活に戻れるんだ、って……もう責任を負う必要なんて無い、って……そう言い聞かせられて」


「剣悟くん……」


 けど……と、言葉を紡ぐよりも先に、精神騎スピリットが剣を構えた。

 精神騎スピリットの身体全体を、熱い炎が包み込んでいる。その炎は、範囲を広げる毒の沼の侵攻にさえ抗っていた。ハナコが見守る中で、僕は言う。


「おかげで分かった。 ……苦しみや悲しみ、心の傷は一生消えない。 いくら逃げたって、蓋をしたって、その痛みが無くなることはない。

 だったらいっそ、ちゃんと向き合った方が良いんだよ。 逃げるわけでも、目を背けるわけでも、抗うわけでもなく……痛みを受け入れて、前に進むんだ。 そうすれば、また心を満たせるようになる」



 一歩、また一歩と、僕の精神騎スピリットが歩みを進める。ついには、歌河の精神騎スピリットの間合い……毒の沼に足を踏み入れた。

 しかし、精神騎スピリットが毒に侵されることはなかった。足元から、白煙が激しく立ち込める。精神騎スピリットを纏う炎が、毒の沼を蒸発させるかのように、一部分だけを干上がらせているのだ。


「そんな浅い根性論で何が救えるってぇ!? 本気でそう思ってんなら、今すぐ世界中の戦争終わらせてみろよ偽善者!」


「終わらせて見せるさ! でも、それを成し遂げるのは僕じゃない……人の心だっ!!」



 もう、歌河の言葉には

 胸の奥底から沸き起こる不撓ふとう心火しんかが、僕の精神騎スピリットを真っ直ぐに突き動かした。


 そして、再び剣を構えた精神騎スピリットが、ガッ! と高く飛び上がり、攻撃を仕掛ける。

 すぐさま、歌河の精神騎スピリットも対応して、魔法の弾を飛ばしてきた。僕の精神騎スピリットは、空中でそれを避けながら、着実に歌河の精神騎スピリットへと迫っていく。


 ガシィ! と、つばり合いのような音が響いた。剣と、杖とが激しくぶつかり合う。それが繰り返されるのと同時、僕も、歌河との舌戦を繰り広げていた。

 

 ───それは、一息つく間もない真剣勝負となる。



「アンタは、風晴かぜはれさんや霧谷きりやさん、梓内あずさうちさんの心を……この学校に通う多くの生徒たちの心をもてあそんだ! そのこととちゃんと向き合わない限り、皆も……アンタも救われない!」


「あっそ! それで何なんだよ!? バカはバカらしく勝手に傷ついて病んでりゃ良いだけだろ?! ああいうヤツらは、産まれた時点で障害持ちなんだよ! 俺が介入しようがしまいが関係なく自滅する運命だった! それを玩具おもちゃにすることの何が悪い?!」


「それはやっちゃいけない事なんだ! たとえそれまでの間にどれだけ傷ついていたとしても、アンタが与えた傷は、他の傷痕に紛れてしっかりと残ってる。 だからこそ、アンタがその過ちに向き合うことで、その人たちは傷一つ分報われるはずなんだ……!」


「ハッ! お前は流行病パンデミックで死んだ雑魚の一人ひとりを覚えてんのかよ!? 戦争で死んだヤツらの中からたった一人をピックアップして手ェ合わせただけで、被害者から喜ばれると、本気で思ってんのかよ!?

傷痕一つで騒いでしょーもねぇなぁ!! んなもんにこだわってるからいつまで経っても精神病患者が減らねぇんだろ!!」


「確かに、アンタの償いは果てしないものかもしれない。 傷一つと向き合うだけじゃ、その人の闇を全部取り除けないのかもしれない。 

……けど! そこから始めなきゃ駄目なんだ! 悪いことをしたなら謝って、ウソをついたなら本当のことを話して、痛みを与えたのならその痛みに寄り添って! そうやって、一つずつ取り戻していって、心を解きほぐしていけばきっと……皆が幸せになれる未来に繋がる。 アンタの苦しみだって、晴らせる!」


「だから誰も望んでねぇんだよそんな事!! 俺みたいなバカでクソで害しかない不燃物の謝罪なんざ、誰も必要としてねぇだろうが!! 病原菌は病原菌らしく、人様に迷惑かけることでしか生きてけないんだから邪魔すんな!!」


「そんなことないよ! アンタを……いや、君のことを必要としてる人ならここに居る! 僕も、ハナコも……そして、花心さんもだ!」


「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ偽善者!!!!!!!!

 お前ごときが花心を語ってんじゃねえぞクソガイジ!!!!!」


「君が辛すぎる人生を送ってきたことは、僕も知ってる。 でも……だからこそ! 君が変えなきゃいけないんだ! 君や、花心さんが受けた苦しみを人に与え返して……それを繰り返すたびに、皆の心に傷は溜まっていく。 もちろん、君自身の心にも!」


「ダッッッセェ!!! 傷ってのはスポーツマンや兵士の勲章なんだろ? だったら皆ありがたく苦しめられとけよ!! やられたヤツがやり返して何が悪い? 当然の報いだろうが!! そうして皆で仲良く傷つき合うのが”平等”ってコトだろ!?」


「その連鎖がっ!! ……花心さんを、死に追いやってしまったんじゃないの?

 君がやろうとしてる事は、第二、第三の花心さんを生んでしまうことなんだ。 それを再現しつづけることが、本当に君を満たすの?」


「ぅるせぇよ説教じみたセリフをペラペラペラペラと!! 邪魔すんな、って言ってるのが何で分かんねぇんだよ!?」


「君が!! 深層心理でそれを止めたがってるから!! だから止めたいんだ!!

 自暴自棄になって、誰も止めてくれる人が居なくて、皆が君のことを諦めた。 ……そんな君を唯一助けようとしてくれたのが、花心さんだった」


「だからっ! 知ったような口を」


「本当の君は、花心さんのような被害者をこれ以上増やしたくなかっただけなんだ! 学校をメチャクチャにする、っていう目的も……本当は、いじめや誹謗中傷が蔓延はびこる学校組織を変えさせるための、自分なりの抵抗だったんだろ? 

 その大きな目的に固執するあまり、やり方を間違えた。 自分自身の復讐心と自己嫌悪で歯止めが効かなくなった。 そのせいで、君はこんな方法を取らざるを得なくなった。 君が重ねた罪のせいで、身動きが取れなくなっただけだ」


「大層な妄想劇だなぁ!? 俺みたいなゴミクズが、そんな善人思想持ってると思うのか!? あぁ!?」




「───思ってるよ。 だって君は、その優しさを花心さんから貰ってるんだから」




「は………………」




 そこで一瞬、歌河の精神騎スピリットが動きを止めた。

 その僅かなタイミングに生まれる隙を、僕の精神騎スピリットは逃さない。炎を纏う剣が、歌河の精神騎スピリットの胸を真っ直ぐに刺す。



「悪意や絶望は、伝染する。 ……けど、それと一緒で、善意や希望も広がっていくものなんだ。 誰かが誰かに優しくすれば、その分だけその人の心に優しさの種が残る。 花心さんは、そうしてたくさんの人に善意を、希望を伝播させた人だった。

 ……それは、君が一番よく知っていることでしょ?」


「っ……んなもん受け取ってねぇよ! 俺は、花心の自殺で苦しみだけを植え付けられた! こんなことなら、初めから出逢わなきゃ良かったんだ!」


「そんなこと言わないでよ……! 花心さんは、君を救うために行動してた。 そのおかげで生まれた笑顔だって、きっとあったはずだ!

 辛いこと、苦しいことばっかりの人生を、君は歩んで来たのかもしれない。 でも! 花心さんと出逢えたって運命まで否定しちゃ駄目だ!」



 歌河の精神騎スピリットから溢れ出ていた毒が、勢いを弱めていく。対して、僕の精神騎スピリットの炎から放出される熱は、どんどんと高まっていった。


 彼の精神騎スピリットには、毒で形成されたヘドロのような、謎の膜があった。今までは、そこに触れることすら出来なかったのだが、今、精神騎スピリットの攻撃が通ったことによって理解した。

 彼の精神騎スピリットは、傷つきやすい。現に、精神騎スピリットの身体には既に無数の傷痕が残っている。けど、彼はその痛みをものともしない。毒に慣れた身体が、ダメージの感知を鈍らせているのだ。


 しかし、今しがた僕の精神騎スピリットが放った一撃。それは、確かに彼の精神騎スピリットの核心を突いていた。剣先が、彼の胸の真ん中に届いたのだ。



「人は過ちを繰り返す……でも、その過ちの中で学ぶんだ。 犯した罪と向き合う中で、気づきを得て、反省して……また失敗するかもしれないけど、そこで得た物は決して失われない。 歌河 針月しづき……君は、もう充分悲劇を味わった。 苦しんだ。 けどその中で、花心さんから希望を得た!

 だったら……君にできることは、何もかもめちゃくちゃにしてリセットすることだけじゃない。 その希望の種を、花心さんと同じように広げていくことだって、できるはずなんだ!」



「だから……俺にそんな資格なんて」



「あるに決まってるっ! けど……それでも自分を信じられないって言うなら、僕が手助けするから! 花心さんの代わりにはなれないかもしれないけど、それでも!

 君と一緒にがんばるって、約束する! 君が受けるべきじゃなかった痛みも、一緒に受け止める!」


 だから……! と、手を差し伸べる僕。

 その手を振り払われることも、噛みつかれることだって覚悟していた。それでも僕は、何度でも彼に手を伸ばし続けると決めたのだ。




「まずは、自分を許してあげて。

 それから、一緒に謝りに行こう。 君が受けた苦しみと向き合うため……そして、前を向いて進んでいくために。

 そのための協力だったら、僕は惜しまないから」




「っ……!」



 歌河の目から、いつの間にか涙が溢れていた。

 胸の真ん中を貫かれた精神騎スピリットは、天を仰ぎ見るような格好で、そのまま膝をついた。カラン、と音がして、精神騎スピリットの手から武器の杖が落ちる。戦意喪失……彼が、もう戦う意思を失くしたということが、それで理解できた。



「なんで……だよ……」


  

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、歌河が呟く。彼もまた、精神騎スピリットと同じように膝から崩れ落ちるような格好になっていた。



「根っからのクソ善人で、俺みたいなクズも救おうとして……そんなヤツ、他に居ないと思ってた……。

 なのになんで……なんでお前は……っ! そんな根っこのとこまで、花心アイツそっくりなんだよッ……!」



 

 ガン! とコンクリートの地面を叩きつけ、泣き叫ぶ歌河。そこには、初めて彼と出会った時に感じたような怪しさや悪意、重苦しさは微塵みじんもなかった。

 僕が黙って歌河を見下ろしていると、ふと、ハナコが僕の隣にやって来てささやいてきた。



「彼にとっての、唯一絶対の救世主ヒーロー……それが、日向 花心だった。 彼女が亡くなったことで、彼の中での”救済”はついえてしまった。

 ……彼はきっと、二人目のヒーローたる剣悟くんの存在を認められなかったんだろう」



 やりきれない……そんなハナコの表情が、心苦しかった。


 ハナコは、日向花心さんから生まれた精神騎スピリット……なのに、花心さんの記憶を持ち得ていない。

 ハナコが、花心さんの言葉を代弁し、歌河に伝えることが出来ていたなら、どれほど良かっただろう。大切な人を失い、置いていかれた人たちが、その人の言葉を受けとれたなら、どれだけ救われるだろう。……けど、どう足掻いたって、過去は変えられない。死んだ人を蘇らせることはできない。



 それでも……



「僕が花心さんと似てる、って思ってもらえたのはきっと……ハナコが側にいてくれてたからだよ」



 え……と、ハナコが僕の方を見る。僕は、ハナコと顔を合わせて、小さく微笑んだ。それから、顔をあげた歌河に一歩近づき、再び手を差し出す。



「花心さんが亡くなってしまったのは、覆らない事実だ。 でも、花心さんの”心”はまだ消えてない。

 僕が精神騎スピリット使い《ユーザー》として皆を助けてこれたのは、ハナコのサポートがあったからだ。 それって、花心さんが遺そうとした夢や、希望が……ハナコを介して、僕に力をくれたってことなんじゃないかな。

 だから……君に手を差しのべたのは僕じゃない。 花心さんの”心”だよ」



「っ……あ、ぁぁ……っ!」




 泣き腫らした顔を上げて僕を見る歌河は、まるで神様の啓示を受けた一人の信者のようだった。……僕がそんな風に思ったのは、僕自身が花心さんの言葉を代弁する”預言者よげんしゃ”のつもりでいたからだと思う。

 自分が偉い人になったなんて言うつもりは無い。でも、今目の前で透明な涙を落とす彼にとっての神様が花心さんなのだとしたら……きっと、”預言者”という役割は、僕にしか出来ないことだったと、そう思えた。



「っ…………」



 そっと、差しのべた手が温かく包まれる。

 歌河が僕の手をとったのだ。

 

 歌河は、一度俯いて地面を涙で濡らした。それでも、掴んだ僕の手は離そうとしなかった。

 真っ直ぐ、微動だにせずに僕のことを見つめる歌河の精神騎スピリット。ローブで隠されていた精神騎スピリットの身体は傷だらけだったはずだが、今はもう、その傷にかさぶたが貼られ、少しずつではあるが、痛みも引きかけている様子だった。



「……もう帰ろう。 これからのこと、一緒に考えていくためにも」



 力を込め、歌河の手を引いて立ち上がらせる。繋いだその手は、まだ離さない。

 これから、彼は多くの償いをしていかなければならないだろう。それは、出口の無い洞窟を彷徨さまよい歩くぐらい、途方もないことなのかもしれない。……それでも少しずつ、一緒に歩いていけば大丈夫。今なら、そう信じられた。



 けれど、




「───って、そんな上手くまとまるワケねぇだろバァァァァァァカ!!!!!」



「えっ…………」




 握った手が、乱暴に振りほどかれる。

 空を舞う僕の手。ハナコも、僕の後ろで茫然としている。

 ただ一人、僕らの前に対峙する歌河だけは……涙に塗られた顔をニヤリと歪ませていた。



「さっきから主人公じみたセリフをペラペラペラペラと……甘っちょろくて反吐が出るんだよねぇ。 そんな舐め腐ったチープなやり方じゃ、お前の掲げる理想は叶わない」



「な、んで……君は、剣悟くんの言葉で改心したはずじゃなかったのか!?」



「うっせえ黙ってろ。 ……コレは、俺と剣悟コイツとの問題だ」



 強い口調でハナコを牽制けんせいする歌河。



 ……でも、何かがおかしい。



 敵意を向けてきているはずの歌河だが、その精神騎スピリットは戦闘態勢に入っていない。それどころか、真っ直ぐに僕を見つめたまま立ち尽くしている。

 


「お前……その”心眼”ってヤツで心が読めるんだろ? だったら、俺の心の奥底まで見抜いてみせろよ」



「っ……!?」



 ニヤリ、と歌河がまた不適な笑みを浮かべる。

 ハナコは慌てていたが、僕自身の心はどこか冷静だった。僕の精神騎スピリットも、剣を鞘に収め、相手の精神騎スピリットをじっと見つめている。それでも、ザワついた感じだけはどうしても拭えない。



「俺は反省なんかしない! 後悔なんてしない! 誰にも頭を下げないし、向き合ったりもしない!

 希望の種ってのは……一度腐ったらもう終わりなんだよ。 だから、その腐った種を握りしめて、劣悪に生きていくしかないんだ」



「待って、ダメだ! そんなことしたら君は───」



「悪ぃけど! もう俺に残された道はこれしかないんでねぇ!

 ……これが、俺なりのやり方なんだよっ!!」



 ふらつく足取りで、歌河は後方へと後ずさっていった。

 その先は、屋上をふち取るフェンス。歌河は、後ろ手にフェンスを掴むと、そのまま軽い身のこなしでそれをよじ登った。



「歌河っ!!」



 僕とハナコが走って、歌河の足を掴む。が、彼は足をブンブンと振り回して、僕の差し出した手を蹴り飛ばした。更に、人に触れられないハナコの手をすり抜け、その足でフェンスを乗り越える。



 そして、



「───じゃあね、剣悟クン。 ゲームは、お前の勝ちだ」




 その言葉を最後に。


 ヒュン、と風を切る音がする。


 歌河の身体は、フェンスの向こうへとフェードアウトしていった。

 




つづく

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