第三章⑩『偏執病(パラノイア)』


 ゴォ、と静かに風が吹き抜ける。

 今にも雨が降りだしそうな重い空気が、町一帯を覆う。

 グラウンドや体育館で部活動に励む者以外誰もいない、土曜日の校舎。その屋上で一人、そして一体の心霊スピリットが対峙していた。



「学校を、めちゃくちゃに……?」



 眉をひそめるハナコを前にして、歌河うたがわはニヤリと不気味な笑顔を浮かべる。



「人は過ちを繰り返す生き物だ、ってよく言うでしょ? アレって結局、人は「反省」とか「改心」ってのが出来ない生き物だ、って言ってるのと同じだしね。

泣いて謝ったって、それは単なるパフォーマンス。 本当の意味での反省なんて、そこにはない。 ……過ちってのはさ、繰り返されるべくして繰り返されてるんだよ」

 

 歌河の饒舌じょうぜつは止まらない。彼の足元では、精神騎スピリットが血管をブクブクと浮かせ、血をたぎらせている。


「戦争ってのは、どちらか一方が完膚かんぷなきまでに叩きのめされるまで終わらないだろ? 歩み寄りとか、和解なんてあり得ない。 あったとしても、それは”休戦状態”にあるだけで、火種は決して消えてなくなったりしない。 結局、人間の行き着く所ってのは、争いやケンカ、いがみ合いの世界なんだよ」


「……随分とよく喋るな」


「黙って聞いてろよサル。 ……でさ、反省も改心もしないヤツらにしいたげられる弱者に出来ることって、何があると思う?

我慢すること? 逃げること? それとも、希望を胸に抗うこと?


……僕の答えはこうだ。 『』ってね」


 ハナコが目を丸くするのと同時、歌河が笑う。


「いじめが辛いなら、いじめたヤツを社会的に殺して、組織そのものも潰してしまえば良い。 嫌なヤツがいるなら、ソイツとその関係者を皆殺せば良い。 勝てないゲームがあるなら、盤面を叩き割るか、リセットすれば良い。


 死に際のゴキブリは、そうやって最後にひと暴れするだけの力を秘めてるんだよ。 ほら、自殺する人って、よく駅のホームで飛び降りるでしょ? そうやって、自分の小さな命を犠牲にして、最後の力でできるだけ多くの人間に迷惑を与えることで、ヤツらは社会に”報復”をしてるのさ。 

 「」って呪いをかけながらね!」


 片目をてのひらで押さえつけながら、歌河は高らかに笑った。その笑みに宿るドス黒い闇は、暗雲が立ち込める空の下でも、さらに暗く深く、存在感を放っているようだった。


「……君は、この学校が日向ひなた花心かさねを死に追いやったと考えて……それで、壊そうとしているというのか」


「ハッ! ただ壊すんじゃないよ。

 のうのうと生活してるバカ共に花心と同じ目に遭ってもらって、自殺者を増やして、そして今度こそ言い逃れが出来ないレベルの状況まで、この学校を追い込む。 この学校を廃校にして、学校関係者が全員不幸な末路を辿るまで追い詰める。 それが、僕の描くゲームのシナリオさ」


「そんなの、ただ君が経験した悲劇を、君自身の手で繰り返しているだけじゃないか!」


「馬鹿だなぁ、初めからそれが目的だって言ってんだろ。

 僕はこの学校の連中と同じように、反省も改心もしない。 ただ、自分や花心が味わった絶望と苦しみを、皆で平等に分かち合おうとしてるだけさ」


 歌河の精神騎スピリットは、装備の杖をグルグルと回しながら、毒属性の魔弾を撒き散らしていた。

 心霊スピリットという特殊な存在であるハナコ。しかし、元は精神騎スピリットであるため、精神騎スピリットからの攻撃は彼女にも通用する。すなわち、歌河の精神騎スピリットが放つ魔弾に触れた途端、ハナコはダメージを負ってしまうのだ。それを知っているハナコは、歌河から距離を取りつつ、苦い顔で彼を見つめた。



「……日向花心は、君にそんな下らないことを託したのか? 私には、学校を壊したことで彼女が満足するとは、到底思えない」


「だろうね。 で、それが何? まさか、僕が花心のために動いてるとか、そんな性善説期待してんの?」


「なるほど……あくまで君は、自分の都合で動いていると言い張るのか。 ……だったら、尚更見過ごせないな」


 

 一歩、ハナコが距離を詰める。それは、魔弾の回避など気にしない……正面から歌河と向き合うことを覚悟した、彼女なりの行動だった。



「君の心は、自らの毒によって麻痺してしまっている。 耐毒性……いや、”黒い霧”すらものともしない。 精神騎スピリット使いユーザーとして、特筆すべき才能だ」


 でも……と彼女は言う。


「それは、自分の痛みにふたをしているだけにすぎない。 痛みを感じないからといって、痛みそのものが無かったことになる訳じゃない! 

……君の精神騎スピリットを見ろ。 もう、こんなにボロボロじゃないか……!」



 魔術師のような風貌で、大きなローブをまとう歌河の精神騎スピリット。しかしハナコは、そのローブの裏側に隠れた傷跡の数々を見逃さなかった。


 そう……それはかつて、自分の弱さと臆病さを隠すために甲冑かっちゅうに身を包んで素性すじょうを隠していた、霧谷きりや椿つばきと同じ。彼もまた、自分の心のダメージや腐敗をローブで隠していた。加えて、人の悪意に慣れきってしまった彼の心は、毒にも闇にも耐えうる、感覚麻痺のような状態に陥っていたのだ。



「日向花心は、君のその傷を見抜いていた。 だからこそ、君を助けようとして……心眼石しんがんせきを君に託したんだ。 決して、こんな馬鹿げたことをさせる為なんかじゃない」


「あーはいはい、知ったような口聞くなよ心霊バケモノのクセに。 お前に何が」


「現にっ! 君は今の今まで『心此処に在らず《メランコリック》』になることなく生活してきている!

日向花心が亡くなった後も、君が君のままで居られた理由は何だ? 分かるだろう……? 日向花心が、君に希望を持って欲しいと、その心眼石を託したからじゃないのかっ!!」



「あーあーうるさいうるさいうるさい!!!!! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れこのカス野郎がよぉ!!!!!」



 先ほどまで余裕があった歌河に、変化が生じた。ポツ、ポツ……と、彼の足元に雨粒が落ち、黒い斑点が少しずつ連なっていく。



「花心は、僕に心眼石を渡した途端死んだ!! 僕みたいな生きる価値もないゴミカスと、死んだ方がマシなゴミ連中ばっかりを残して、アイツだけが死んだんだ!

 ふっっっざけんな!! トチ狂ってんだよ何もかも!! 理不尽で、絶望的で、救いもないこの世の摂理が花心を殺した!! だから……僕が神様の代わりに全員を天罰にかけてやるのさ!!」


 歌河の精神騎スピリットが、ローブを脱ぎ捨てた。ハナコの言葉通り、精神騎スピリットの身体にはいたるところに刺し傷や痣のようなものがある。更に、げっそりと痩せ細った身体を覆う皮膚は、毒を帯びて青白く変色しているようだった。

 まさに、衰弱死すいじゃくし寸前の身体。それでも、精神騎スピリットは魔法の杖を一心不乱に回し、毒の針を撒き散らし続ける。


 ……しかし、目標も定まらず乱雑に放たれるその攻撃は、ハナコの足元をかすめることさえ出来ていなかった。



「クラスの連中が、この学校が……いや、社会そのものが、花心を殺した”殺人鬼”なんだよ! 僕が今まで息苦しかったのも、全部ソイツらのせいだ! 花心のためじゃない……僕は、ソイツらがムカつくから復讐しようとしてるだけだ! お前みてぇな偽物の命なんかには一生分かんねぇだろうけどなぁ!!!」 



(言動が支離滅裂になってきている……このまま暴走されると、簡単には治まりそうにないな。 どうすれば……)



 かつて、剣悟けんごと共に生徒たちの『心此処に在らずメランコリック』を治療してきたハナコ。しかしそれは、生徒らの心の扉である『イドア』を開き、深層世界で闇の根源と戦う、という手段でいつも行ってきた。


 歌河うたがわ針月しづき……精神騎スピリット使いユーザーである彼は、簡単には心を開こうとしない。加えて、あの性格……付け入る隙はないだろう。

 すなわち、ハナコは深層世界での決闘なしで歌河を止めなければならないのだ。思考が定まらない、話の通じない相手を前に、”説得”というものがどれほど無意味か……それは、ハナコも充分理解していた。



「分かったならとっとと全員首吊って死ねよ! 花心みたいなクソ善人を殺すような世界に、幸せも希望もない……存在する価値もない!! 皆がドブに沈むみたいに不幸と絶望にまみれて、そのまま死んでいけば良いんだ!! 僕も、テメェも、皆全員……地獄行きが相応ふさわしいんだよ!!」



 それは、ほとんど咆哮ほうこうのようだった。

 喉から絞り出すような叫びと共に、歌河の精神騎スピリットが放つ毒の針。今ここにハナコ以外の人間が居たら、どれだけ被害が拡大していたことだろうか。歌河の放つ”毒”は、怒りと悲しみと絶望を携え、爆発するかのように辺りを重苦しい空気に変えていった。



 ひるむハナコは、言葉を発することすら出来ずにいた。辛うじてダメージは回避しているものの、反撃のタイミングを全く掴めていない。更には、歌河の放つ毒気のせいで、気持ちも弱まってしまっていた。

 このまま、防御一辺倒になってしまえば、歌河を止めることなど到底できない。



(やはり、私一人では…………)



 彼女の頭に浮かぶのは、一人の相棒。

 この学校で偶然出会い、絆を深めていきながら、共に生徒たちを救おうとしてくれた友。



 もし、彼がここに居てくれたなら…………



 彼なら、どんな風に言葉をかけるだろう…………



 そうだ、きっと彼なら…………




「──────いいや、違う。 幸せも希望も、まだ無くなってなんかない」



 ……しかして、その思いは”奇跡”となって現れる。



「え……」

 

 ハナコが振り返る。幻聴でも聞こえたのか、という予想は、彼女が目の当たりにした人物の姿によって打ち消された。

 同時に、歌河も目を丸くした。機関銃のような勢いで毒を発していた彼の口は止まり、呆然とただ立ち尽くすだけになる。



 二人が見つめる先……そこに立つ、主人公の姿。



「剣悟、くん…………!」

 


 ───ハナコにとっての奇跡……藤鳥ふじどり剣悟けんごの姿が、そこにあった。




 ✳✳✳



 部活動に来る生徒以外誰もいない、土曜日の校舎。その屋上で、僕と歌河は対峙した。歌河は、恨みと呆れの込もった眼差しで、僕を睨みつける。



「ハッ……キミって本気の馬鹿だったんだね。 何の力もない雑魚ざこの分際で、今さら僕に何の用?」



「決まってるだろ。 ……僕は、アンタと決着をつけなきゃいけないんだ」



「へぇ、一昔前のスポ根マンガみたいで気色悪。 一度僕に心を折られた弱虫が、身の程わきまえた方が良いんじゃない?」



 彼の声の通り方、息切れ、顔色……それらから察するに、僕が来るまでの間に何かがあったのは間違いなさそうだ。

 きっと、この近くにハナコが居て、一人で彼と戦おうとしたのだろう。……今の僕には、歌河の精神騎スピリットも、心霊スピリットであるハナコの声も、姿も確認できないから、分からないんだけど。



「いいの? キミのお仲間は、必死になって『帰れ』って言ってるよ?

 ……あぁ、そっか。 キミは心眼石をもってないモブだから、それも聞こえないんだっけ? ハッ、邪魔者にも程があるでしょ」


「アンタのこと、勝手に調べさせてもらった」


「…………はぁ?」



 歌河の言葉には取り合わない。僕は、淡々と話を進めることだけに集中する。



「アンタのことをよく知る先輩から話を聞いて、養護施設にも行って……それで、アンタの過去について知った」


「へぇ、今度は探偵ごっこかよ。 ガキの脳みそはお気楽で良いね」


「それで、僕なりの見解を出した」


 ふぅ……と息を吐き、僕は歌河を真っ直ぐに見つめて言った。



「歌河針月、アンタは───偏執病パラノイアだ」



 『偏執病パラノイア』。

 それは、他者に対する非現実的な不信感や、迫害への恐怖などといった妄想に取りつかれてしまう精神病である。


 この病は、『妄想性パーソナリティ障害P  P  D』の一種であるが、特に”不安”や”恐怖”といった方向性の妄想が強く現れ出る。

 常に他人を疑い、攻撃されるのではないかと怯える。それが転じて、こちらから他者を攻撃しようとか、「やられる前にやってやる」というような思考が強くなる。すなわち、何をされてもマイナス方面に捉えてしまうのだ。


 『パーソナリティ障害』に類する病は、『統合失調型』や『自己愛性』、『依存性』、『回避性』など数多く存在する。それらは時として、併発する場合もある。

 彼の場合、不安や恐怖といった妄想に取りつかれる中で、他者を軽視した言動をとったり、人を傷つけるのを厭わないような行いをしたりしている。……悪意を持って人に「死ね」と言ったり、実際に暴力行為をしたり、などだ。

 これは、『反社会性パーソナリティ障害A S P D』と呼ばれる病の特徴に近い。すなわち彼は、『偏執病パラノイア』と『反社会性パーソナリティ障害A S P D』を併発した状態にある、と考えられるのだ。




「『偏執病パラノイア』と『反社会性パーソナリティ障害A S P D』……いずれも、有効な治療法が見つかっていない難しい病だ。 だからこそ、誰にも理解されず、受け入れられず……孤独や苦しみを強いられることも多い」


「専門用語ビッシリのつまんねぇ講義をありがとう。 で、何が言いたいワケ?

僕がそのトンデモ精神疾患持ちの異常者キチガイだ、ってレッテル貼って見下しに来たの? それとも同情?

 ……どっちにしろ、反吐が出るほど気持ち悪ぃしね、ソレ」


「どっちでもないよ。 ただ……」



 そう言って、僕は一歩前に出た。





「───僕は、君に謝るためにここに来た」




「……………………は?」



 薄ら笑いを浮かべていた歌河の表情が一変する。今にも雨が振りだしそうな曇り空から、湿気た風が躍り出て、僕らの前を通り去っていった。

 僕は、踏み出した方と逆の足をピタリと揃えてから、そのまま深く腰を曲げ、頭を下ろした。



「ごめんなさい。 ……アンタの生い立ちや過去のこと、何も知らなかった。 何も知ろうとしないまま、ただ”嫌なヤツ”だって決めつけてた。 先入観だけに囚われて、アンタの事情に寄り添おうとしなかったのは、僕の罪だ」


「……んだよ、それ」


 歌河の声が震えているのが分かる。顔は見えていないが、その震えは恐らく、怒りや苛立ちから来ている震えだろう。それでも、僕はまだ頭を上げない。


「同情とか、許されたいとか、そういうのじゃない。 ただ……謝りたかった。 これは、単なる僕のエゴだよ」


「エゴ……エゴねぇ。 ……あぁそうだよ。 テメェは、正真正銘のクソエゴイストだっ!!」


 歌河が声を荒らげる。足音を立てて近づいてきたかと思うと、彼はおもむろに僕の制服の襟首を掴んで持ち上げてきた。


「黙って聞いてりゃ……テメェの謝罪に何の価値があるんだよ!! それで花心が生き返んのか!? 学校のヤツらの罪が帳消しになんのか!? その萎縮した脳みそをいくら下げた所でムダ! 何の意味もねぇ行動なんだよボケが!!」


 歌河の声が、耳もとで割れるように響く。


「それにさぁ……気づいてる? お前のやってることって、いじめられっ子がいじめっ子に頭を下げてるのと一緒なんだぜ?

 お前の行動は、弱者が強者に屈することを助長してんの。 分かる? テメェは今、『いじめは、いじめられる側が謝らなきゃいけない』って自ら体現してんだよ!!」


「確かにそう見えるかもしれない……でも、僕はそれを他者に強要したりなんかしない!」


 僕は、襟を掴む歌河の腕をグッと掴み返し、そのまま強く握りしめた。


「いじめも、加害も、人格否定も……決して許される行動じゃないのは分かってる。 加害者には、罪を犯した責任がのしかかるし、被害者にも”許さない権利”はある。

でも、それは全部『罪』の話だ! アンタが犯した罪は多い……でも! 僕はアンタという『人』まで憎みたくない!」


「言ってんだろ!! 俺は自分のことを最低で劣悪で生きる価値もないゴミクズだって自覚してんだ!! 誰から憎まれるだの憎まなれないだの関係ねぇんだよ!!」


「でも!! それじゃあいつまで経っても君が救われない!!」


 歌河の腕を振りほどいた拍子に、バランスを崩して倒れてしまった。じん、と右膝に痛みが広がる。その時ちょうど、曇天からポツリ、と冷たい雫が落ちてきた。屋上に広がる斑点は次第に増えていく。やがてそれは、本格的な雨となって、二人の身体を打ち付けていった。


「アンタがやったことも、やられたことも……全部、理由があってそうなっただけなんだ。 だから、罪への責任はあったとしても、アンタ自身に罪はない」


「黙れクソ主人公ヒーロー気取り!! それで良い子になったつもりかよ!!」


「ヒーローでも悪役でも! 偽善者でも、エゴイストでも何でも良い!!

僕はただ……悩んだり苦しんだりしてる人を、誰一人見捨てたくないだけなんだっ!!」



「っ……!」






『───私の夢はね…………みんなが、心から幸せになれる世界を作ることなの。 だから、悩んだり苦しんだりしてる人を、誰一人見捨てたくないんだ』



 ……歌河の脳裏に浮かぶ、言葉。


 ……誰も信じずに生きると心に決めた彼が、唯一信じた言葉。


 ───日向花心が残したその言葉が、今、藤鳥剣悟の叫びに裏打たれて、歌河の脳内でフラッシュバックする。





「……確かに、僕は無力だ」


 膝をついたまま、僕は弱々しく呟いた。

 髪を濡らす雨粒が、目尻と頬を伝って、顎先に落ちてくる。


精神騎スピリット使いユーザー力を手にしたことで、浮かれて……何でも出来る人になったつもりでいた。 でも……それで視えるようになった世界は、僕が想像してたよりもずっと重くて、苦しくて、残酷な世界だった。 僕の力はちっぽけだって……そう痛感した」


 それでも……と僕は続ける。


「皆が明るく幸せに笑えるようになって欲しい、っていう願いは本物だったんだ。 だからこそ、僕は風晴かぜはれさんや霧谷きりやさん、梓内あずさうちさんを傷つけた君を……僕やハナコを追い詰めた君を許せなかった」


「そうだよ、それで良いだろ!! 何が間違ってんだよ?」


「でも、そうして憎み合うばかりじゃ何も解決しない!! 憎しみの連鎖を絶ち切る人が、世界には必要なんだ!」


 濡れて重くなった身体を持ち上げるようにして、僕は立ち上がった。そして、真っ直ぐに顔を上げて、見開いた目を歌河に向ける。


「だから、僕は決めた……!

たとえ罪を憎んだとしても、誰かを恨んだり憎んだりなんてしない。 善人も悪人も、加害者も被害者も、”人間”も”心霊”も、皆受け入れる!!

 そうやって、全部を都合よく受け止めてくれる優しい神様が、世界に一人ぐらい居たっていいはずなんだ!!

 だから……僕がその役を請け負う!! 全部受け止めて全てに味方する、底抜けの善人かみさまにっ!!!」




 斜めに刺す雨が、不意に弱まった。

 分厚く空を覆う雲の一部が途切れ、白い光を覗かせたのだ。


 顔を出した太陽は、スポットライトのように屋上の二人を照らし出す。陰の消えた屋上に怯える歌河と、その瞳に光を宿して立つ僕。その景色の変貌はまるで、世界を闇に染めさせないと願う僕の決意に呼応したかのようであった。



「な、んだよ、それ………………キショいんだよ……寒いんだよ……ダセーよウゼーよ気持ち悪ぃよ死ねよクソ野郎が!!!!!」



 歌河が激昂する。喉がはち切れそうな程の声を絞り出して、頭を掻きむしる彼の姿を、僕は目をそらさず見つめ続けた。



「そんな善人キャラなんて、フィクションの世界だろうが!! 世界はそんな甘くない! 皆が傷つけあって、いがみ合う、救いようのない世界なんだよココは!!」



「そんなことないよ。 ……そりゃあ、強くて優しい人なんて、滅多にいないかもしれない。 僕だって、そうなりたいって願ってるだけで、まだその境地に至ってない。

 ……でもさ、少なくとも日向花心さんは、アンタにとって、そんな”神様”みたいな存在だったんじゃないのか? アンタだって、そういう人に救われたことがあるからこそ、今ここに居るんだろ?」



「黙れカス野郎!! 花心は……花心はそういう人間だったからこそ死んだんだ!! 全ての人間の呪詛じゅそを引き受けて、悪意も憎しみも受け止めて、それで死んだ!! 結局、そういうヤツから順番に死んでいく!! 理不尽で無惨で救いようのない世界なんだ、って言ってんだよ!!」



「だったら!! 僕がその世界を変える!!

アンタの眼に視える世界が、そんなに暗く淀んでいるんだとしたら……僕がそれを変える!

誰も見捨てない! 悩み苦しんでる全ての人も、みんな救ってみせる!


───そして証明するんだ! みんなが、心から幸せになれる世界を作れるんだって!!」



 人の心は、複雑怪奇なもの。

 喜びも、怒りも、悲しみも、全ては人の心から生まれる。それが、人間関係を形成する要になることもあれば、人を苦しめてしまうこともある。


 もし、人の心についての知識で、人の役に立つことが出来たら……。心の問題を抱える人たちを救うことが出来たら、なんて素敵だろう。

 そうして僕は、心理学者になることを目指した。



(そうだ…………僕は、全ての人に幸せになって欲しくて、心理学者を目指したんだ)



 その決意を今、思い出す。

 ……否、子供の時よりもより強い意志が、僕の心に芽生えていた。


 それは、決して消えることのない炎のように、熱く燃えたぎる信念。


 絶対に諦めないという、不撓不屈ふとうふくつの勇気。


 燃やすためではなく、その温かさで世界を包み込むために……僕は、その心に火を灯す!



「そのための……力をっ……!」



 グッと、瞳を閉じる。

 胸の奥から込み上げてくる熱い気持ちに身を委ねる。

 雲の隙間から覗く日の光が、僕を取り巻く熱を昂らせるように輝いていた。


 

 ───そうして、奇跡は起こる。




「これ、は……」




 僕の両目は、し、輝いていた。

 自分で自分の瞳を見ることなど出来ないはずなのに。何故か僕は今、自分の瞳の状態を認識できていたのだ。


「嘘、だろ……まさか、その”眼”…………」


 

 歌河が……いや、歌河の精神騎スピリットが、目を丸くして口をポカンと開けているのが”視える”。


 傍らには、真っ赤な炎を携えて立つ僕の精神騎スピリットが”視える”。



 そして、僕の隣には…………



 神様でも見たかのように泣き崩れながら僕を見上げる、ハナコの姿が”視えていた”。




「剣悟、くん…………」




 もう誰も捨てない。



 誰の苦しみも落とさない。



 ……そんな思いが、僕に力をくれたのだ。



 心眼石しんがんせきに頼らずとも、自らの眼で精神騎スピリットを視認できる力。



 ───『心眼しんがん』という新たな力を、その瞳に宿して。




「ハナコ……ただいま」




 そうして僕は───藤鳥剣悟は、再び精神騎スピリット使いユーザーとしての力を手にした。



 

つづく

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