episode23

 年の瀬の夜、陽気な歌声と話し声が響く。


 氷点下近くだというのに民らはテーブルやら椅子やらを屋外へと出し、持ち寄った料理と酒を楽しんでいた。家と家の間に吊るされたランプに照らされ、明日来る新たな年を迎え入れようとしている。


 今夜はどこもかしこも宴。

 着込んだ人々が笑う場所しかない。


 もちろん氷輪の救急箱の事務所前でも、近所の者たちが集まって騒いでいた。

 ここらは物静かな街の一角で通っているが、今晩だけは大人も子供もはしゃいでいる。それはシュリたちにも当てはまった。


 普段は仕事で忙しない彼等だ、滅多にない近隣住民との交流を大切にしている。

 日頃、救命活動に支障がないように我慢している酒も、ヒュウはこの時ばかりと口にしていた。リグもお祭り騒ぎに戸惑い気味ではあるが、青年の相手をするのに楽しげだ。


 大人二人がテーブルにつく隣、少年は師に忠告する。


「先生、呑み過ぎは控えてくださいよ。酔わないとはいえお体に毒です」

「わかってるよ。今回はリグもいるからね、無理させるのは良くないし」


 ワイングラスに葡萄色が揺れる。艶やかな表面は辺りの景色を反射した。

 リグは白い頬を紅潮させ、平生より遥かに柔らかくなった表情を崩す。切れ長の瞳は優しげに細められていた。


「おれのことは気にしないでくださいよ。いつもお二人はがんばっているんですから」


 そう言って彼は、シュリのグラスに酒を注ごうとした。慌てて少年は彼の持つボトルの口を押さえて抵抗する。


「リグさん私まだ未成年! 未成年です!」

「こりゃ酔っちゃってるね」

「先生の所為ですよ止めてください!」


 どうやらアルコールが既に回ってしまったらしい。構わず酒を勧めてくる彼に、シュリは必死で阻止していた。その様子を見て、ヒュウは手を叩きながら笑っている。


 暫くして、やっとリグが観念してくれた。

 全力で止めたシュリは、焦りが大きかったこともあって肩で息をしている。それもそうだろう、相手は軍人だ。酔ったために加減をしない力は強いに決まっている。

 一方、青年は拗ねてしまったかのような不満そうな顔で少年のグラスを見つめた。純粋という言葉が似合う目で少年に訴えている。


 宴は、興奮した人々の熱気により寒さを感じなかった。むしろ暑いと言う者もいた。寒国の人間なのだから、冷気に慣れているのも当然だろう。


 ふと演奏されていた音楽の雰囲気が変わる。

 社交ソシアルダンスだ。


 気が付いた人らが喝采をあげ、次々に広場へと駆け出す。

 幼い子供も手を取り合い。

 若者は囃し立てながら。

 老人夫婦は恥ずかしそうに。

 雪が退かされた石畳の上で、くるくるとステップを踏み始めた。


 笑い合い踊る彼等をシュリは、ぼうっとしたような視線で眺める。昔見た貴族内の舞踏会とは違う、和気藹々わきあいあいとした人々が気になるようだった。


(そうか、こういうふうにも踊れるのか)


 シュリはダンスが嫌いだった。

 踊れないわけではなかったが、王宮に仕えていた教育係が厳しかったもので嫌いになってしまったのだ。美しさだとか、優しさエスコートだとか、年少の頃の彼には難しいものばかりだったのを覚えている。


 初めて社交ダンスが楽しそうに見えた。


 少年は呆け、庶民の踊りと貴族の踊りを重ねる。上流階級の者たちと比べれば煌びやかさに欠けるが、平民の方はひたすら可笑しく戯れている。

 規則やしきたりに縛られていないという、自由を感じる。


 それにヒュウが勘付いたらしい。

 グラスを二度回して一つ笑う。酒を置いたかと思えば突然立ち上がり、シュリの前に跪いた。

 いつも彼が見上げる立場であるため、青年に見上げられるという状況は違和感しかない。少年は驚きのあまり狼狽した。

 しかし師は弟子に微笑みかけ、誘う。


「一曲どうだい。楽しませてあげるよ」


 深紅の双眸。妖しく持ち上がった口角。

 あぁ、今だけは良いだろうかと、少年は伸べられた彼の手に手を重ねた。


 開けた場に連れ出される。先に踊っていたペアたちの間合いを見計らって、ヒュウはもう片方の手をシュリの腰に滑らせた。

 寄せられ、詰められる距離。身長差はあるも青年が合わせてくれる。

 過去の練習が脳裏をよぎるが、師のエスコートのお陰で肩の力が抜けた。厚着が煩わしく思える。


 久しい動きにシュリがよろけた。が、流れるようにヒュウが支えに回る。周囲とぶつからない場所を探し、さり気なく移動を促す。息も少年に合わせていた。


 慣れている。

 元王子の癪に障るほど慣れている。


 彼は上目遣い、加えて不満げに師へ言った。


「お上手ですね、とても意外です」

「一言多いな。まぁ三百回以上年越ししてるから、これくらいはできないとな」


 青年の長髪が舞う。

 アルコールが入っているとは感じられないほどしっかりとした足つきだ。


 少年が周りに目を遣る。子供も若者も老人も、各々の知っているダンスで廻っていた。みな笑っている。

 この人たちが、自分たちの守り救っている人々なのだと感慨深く思った。

 覚えずシュリの表情が綻ぶ。大きな蒼い虹彩が細められた。


「……君もそういう顔ができるようになったんだね」


 頭上の声に上を見る。

 こちらに伏せられた長い睫毛の奥、ルビーと似た瞳と合った。


「そういう、とは?」

「そのままの意味だよ。弟子が成長して先生うれしーってこと」

「訳が分かりません」


 おちゃらけた口調に、間髪入れず子が一蹴する。どんな時でも辛辣な口は機能しているようだ。


 奏でられていた音楽が終わりを迎える。

 最後の一音まで師の導きは丁寧だった。シュリは感心した双眼を瞬かせる。

 ペアは向き合い、互いにこうべを垂れる。わっと割れんばかりの拍手が轟いた。


 遊びのダンス程度で息は上がらないシュリだが、どうしてか胸は高鳴っていた。素直に言葉を介すなら「楽しかった」のだろう。

 心做しか明るい表情の子に、ヒュウは満足そうな笑顔を向けた。誘い文句の通り、楽しませることができたのだから。


 すると席についていたリグが腰を上げ、こちらへ足早にやって来た。火照った顔は平生と変わりないが様子はおかしい。

 勢いのままにシュリの手を握った。


「グレイツァ、おれも一緒におどりたい。相手をたのむ」

「え、あ、ちょっとリグさん!?」


 再び広場へと連行される弟子の背を、師は片手を振りつつ見送る。シュリは戸惑って目を白黒させているが、なんとかリグに合わせていた。

 歪なステップだが、流石はエンカー家の嫡男。アルコールが入っていようと所作は丁寧である。


 ヒュウは緩やかに口角を持ち上げ、宴の席に戻る。右で頬杖をついて、回る人間たちを一望した。


 果たして来年の今も、こうしていられるだろうか。


 少なくとも彼はそれを望んでいる。また彼等と笑い合う時間を、敵である自分と共に。


(……もしそれが叶うとしたら、シュリは此処にいないのか)


 手拍子と歌声がこだまする。冷たさを抱いた風が黒髪をさらっていく。

 赫の視線の先、かつて自身の死を願っていた少年は笑っていた。その腰元には愛銃の眠る革のホルダー。王子に瓜二つの顔を誤魔化すために細工された、一筋の異様に長い前髪。

 どちらもヒュウの提案を基にした結果だ。人外を狩るのも、死んだ王子だと隠すのも、シュリは師に行動に移したものである。最終的な判断を任されたのは本人だが、ヒュウの言葉がなくては取らなかった行動でもある。

 つまり、厳密に言えばヒュウに従っているということ。

 少年自身の意志とは言い切れない。


(僕がいるせいで、あの子はいつまでも)


 救われない。

 ずっと、異端な人間として生きるしかなくなってしまう。


 師は苦しげに笑みを浮かべたのだった。


 とある王国の夜はける。男も女も、大人も子供も、人間もそれ以外の存在も、今年の労いを交わしている。明日からの希望を祈っている。

 彼等の陽気な声は、日を跨いでも続いたのだった。


 ・・・・・


「今年も来なかったな、ヒュウは。わたしが八十年も待ってやっているというのに」


 遠くに人工の明かりが連なっているのが見える。息を殺している空気を揺らすのは、柔らかくも感情のない声。

 声の主の周りには、黒光りする瞳を持つ動物たちがいた。兎、鹿、狸、熊、狐――多様な種族が集った森の中、一人の影が立ち上がる。


「それほど向こうの世界が気に入ってしまったのだろうな。人間らを恨んでおいて、つくづく可笑しな奴だ」


 近くにいた狼の頭を撫でる人影は、僅かに見える人々の宴に溜息を吐いた。

 月が顔を出す。辺り一帯が照らされ、人影は動物らを振り返る。


 雪が積もった周囲に溶けてしまいそうなほどに白い肌。煌めく純白の髪。短いそれを纏めるはなだ色のリボンが翻った。


「同じ人以外の存在とはいえ、彼奴あやつのようになってはいけないよ。おまえたち」


 シアンの双眸は冷笑を浮かべていた。


 ・・・・・


 翌日。

 昨晩の盛況とは打って変わって、日が昇っても街は寝静まっている。出歩く人はほとんどおらず、近郊や農村も眠りを貪っていた。


 昼に差し掛かる頃、事務所から独りの影が出て行く。黒の長髪が寒風に晒された。

 少ない人目を避けるように彼は小道を選び、迷いのない足取りで進んでいく。吐かれた白い息が赤みを帯びた頰を掠めた。


 王都近郊、狭い路地裏。

 雪の残るそこに生気はなかった。


「あんたは冬眠しない方なんだったっけ、フレイア」


 本拠地から少々離れた場所に呼び出されたヒュウは、いつもの薄ら笑いを浮かべていた。向かうは、外に跳ねた金髪の女性。


「アナタと同じで眠らずにいられるようになったって言うのが正しいかしら。まぁ今回は関係のない話だから置いておきましょ?」


 人間の姿では至極色に染まる両目が瞬く。高価そうな黒いコートに身を包み、彼女は青年を待ち構えていた。


 建物を隔てて遠く、人々の賑わう繁華街がある。その声が反響して、フレイアは煩わしそうに腕を組んだ。


 無駄話をすることなくヒュウは本題を促す。

 わざわざ年が明けて間もなく「眷属」に言伝を頼むなど、嫌な予感しか推測できない。

 彼は、ここまで案内してくれた蝶を指先から放す。ひらひらと羽ばたいてあるじの方へと帰っていった。


 使いの者が戻ってくるのと同時に、彼女は話を切り出した。妖艶な唇が笑みを消す。


「試作の発作抑制剤が、誰かに盗まれたの」


 ――――――――――――――――――


 お知らせ。

 作者が受験勉強に専念するため、この回をもって更新は暫くお休みになります。次回の更新は恐らく来年になるかと思います。

 ご迷惑をお掛けしますが、ご理解の程よろしくお願いします。

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