episode22
誘拐事件から五日の時が流れた。
本日もヴィンリル王国近郊は曇天。
今朝降ったばかりの雪が薄く積もっていた。肌を細かく傷つけるかのような冷たい風が横切っていく。
「お疲れシュリ。仕事が速くて助かるよ」
商業施設が並ぶ町の外れ。年の瀬が近いこともあり、氷点下であっても人の出は多い。
少年は濃紺のコートに付いた砂埃を払い、自身の足元に転がった死体を見下ろす。
周りには既に数人の軍人がおり、息のしない四肢を回収していた。
今季二度目の、冬眠中の発症である。
積雪の中で広がりを止めない血溜まり、変貌しかけて歪になった人外。
細胞や肉の隆起に対応しきれず、はち切れてしまった皮膚から赫が流れ出ていた。下半身はまだ人を保っているが、上半身、特に頭は化け物の名が似合うほどに醜悪である。
この状態から判断するに、恐らく彼女は鼠の人外だろう。ミミズと酷似した尾が脱力している。
騒ぎに興じたのか、若者たちが甲高い笑い声を立てて傍を通っていった。不快そうにシュリが眉を顰める。
そこへ部隊の者らと作業していたリグが合流してきた。
「ご苦労さまでした、あとは仲間が始末してくれるみたいです」
「了解、帰るとしますか」
身を返す。一行は雑踏へと入っていった。
年末年始に宴を催すことは世界共通なのだろう。この寒冷な王国でも、人々は新たな年を迎えようと準備に奔走していた。
至る店が繁盛し、道行く大人も子供も買い物袋を両手に先を急いでいる。里帰り前の時期だ、今日辺りが一番の盛況となっていることだろう。
氷輪の救急箱も同じく、祭りの用意のために外出していた。
本来ならば事務所で待機しているはずのリグであるが、荷物持ち要員として駆り出されている。彼は文句の一つも言わずに青年のあとを付いていた。
生真面目な彼を、シュリは見上げて言う。
「断っていただいても良かったのですよ。このようなこと、業務には含まれていないのですから」
哀れとも感じる眼差しだ。自身の師に対する配慮などこれっぽっちもない。
対して金髪の青年は、口元を覆うマフラーの下で答えた。
「いや、いい機会だと思ったんだ。祭りなんて今まで参加したことがなかったから」
リグは生家が厳しいものであったため、娯楽と取れるものは一切身近になかった。それは年末年始も同様。幼少期は灰色の時間を過ごしてきたそうで、現在も祭りの雰囲気に慣れていないのだと言う。
そんな彼は実家へ帰る予定はないらしい。というより、軍人になってから一度たりとも帰省したことがない。その事を耳にしたヒュウが、折角なら年越えを共に過ごそうと提案したのだ。
始めは遠慮の一点張りだったが、誰もいない駐屯地にいるのも気が引けたそうで了承してくれた。宴の参加にも唆られたということもあるのだろうが、何より彼等と過ごす時間が好きだった。
買った酒瓶の重さが心地よい。ヒュウが好む銘柄は勿論、軍人の青年が好奇心から手にとったワインも揃っている。
若さのせいかリグは実年齢よりも幼く見えるため、アルコールとの並びが不自然だった。
小刻みにカチャカチャとなる甲高い音の合間、リグが目下の少年に目を向ける。
「グレイツァはあと六年で成人か。一緒に飲めるのはまだ先だな」
思いも寄らぬ言葉を掛けられ、シュリは即座に答えられなかった。彼から酌を交わすことを望まれている、という事と同等の台詞である。
意外に感じつつ子供の彼は笑って返した。酒の味を知らないのだから、今どうこう言えたものではない。
不意、前方を歩く青年が笑って振り返った。どうやら年下組の会話を聞いていたらしい。普段通りの笑みは楽しそうである。
「大人のシュリって想像がつかないね。でも六年経てばそうなっちゃうのか」
ヴィンリル王国では十九歳が成人年齢だと定められている。
とはいえこの時代、十代後半となったら立派な大人の部類だ。十五を過ぎれば大抵の子は結婚する運命にある。
十九というのは曖昧さを避けるためだけであって特別な理由がある訳ではない。成人してようがしてまいが飲酒や喫煙でさえも個人の自由。大方、そのように背伸びをしてしまった子供は早死するという研究結果が出ているそうだ。
ヒュウは白い息を吐いて言った。
「子供の成長って本当に早いんだよね。そんなに生き急がなくたっていいだろって言いたいくらい」
細められた
(……
住処まであと少しだ。両腕の荷物を抱え直す。
ふと先刻の話題に引っ掛かりを覚えた。シュリはもう一度目線を上へ向け、金髪の青年に問う。
「そういえばリグさんは二十歳ですよね。ご結婚はされていないのですか」
問われたリグは一瞬、遠くを見た後に「興味がない」と答えた。
シュリには既視感がある返答なようで、間髪入れずに師の方へと目を向ける。ヒュウはあからさまに気が付かないフリをしてみせた。
師弟のやり取りから察したリグは、無表情ながらも納得した顔をする。なるほど長髪の青年も
彼は抑揚のない物言いで呟く。悪意はなかった。
「確かにロッドさんは独身のイメージが強いです」
「奇遇ですね、まったくの同感です」
「ねぇなんか今日当たり強くない??」
いつもは弟子一人の辛辣な口であるが、不本意にもリグが吐いてしまった。今回は二倍の鋭さである。
言われてしまった彼はしょんぼり、という表現が的確な顔をしながら言った。
「僕これでもモテる方なんだよ。興味ないだけで」
「物は言いようですね」
「シュリくんヒドい」
少年の間も空けない返答に、青年の両目は涙で溶けてしまいそうだった。流石に見過ごせなくなったのか、リグが二人の間に入る。
「そういうグレイツァも興味がないんじゃないか? 整った顔をしているんだし、困らなさそうに見えるが」
唐突に話を振られ、シュリは面食らう。あからさまに戸惑っているが動揺とまではいかない。彼は苦笑を浮かべて答えた。
「お褒めいただき感謝します。ですが私は先生の矛として生きておりますので、所帯を持つことは考えていません」
丁寧な口調ではっきりと否定する。それもそうだろう、彼は人間が嫌いなのだから。恋愛対象など以ての外である。
シュリの返答を咀嚼したヒュウは、聞き捨てならないと勢いよく振り返った。師の方が動揺しているが、すぐに困ったような笑みになる。
「なんで僕中心なんだい。あんたの人生だろう」
子は柔和に微笑んだ。瑠璃色の双眸の奥、確固たる意志が師に訴えている。
私がそう望んでいるのだ、と。
声で返さない彼に呆れつつも、彼のことをよく理解している青年はこれ以上何も言わなかった。再び前方へ向き直って帰路を辿る。
先程、ヒュウが自らモテると言っていたのは事実だ。
シュリは過去に何度か、彼が様々な女性に言い寄られているのを見たことがある。仕事柄、肉体的にも精神的にも弱っている人に優しくするのだから、筋違いな感情を抱いてしまうのはよくある話だ。
片手で数えられる程度ではあるが、少年も同世代の子にその気のある声を掛けられたことがある。だがシュリは生憎の人間嫌い。考える間もなく断っていた。
(そう思うと、先生は本当にお人好しな方なのだな)
彼の返答は毎回、振り切るものではなかった。わざと少しの希望を持たせるような、思わせぶりとも感じる言葉を返すのだ。完全に断ったことなど、少なくともシュリは一度も見たことがない。
果たしてそれは素の彼なのか、嘘の彼なのか。弟子でも判断しがたい。
そもそも師は人外、両性だ。
人間と関係を持つことは己の命を危険に晒すのと同等。彼なりの自己防衛なのかもしれない。
人ではないが、一言でいえば罪な人なのだろう。彼が生きる三百もの月日の中で、どれだけの人が化け物に好意を寄せたのか。シュリは人間の愚かさに鼻で笑った。
が、思いがけず純粋な疑問にぶつかる。
実際本人は経験したことがあるのだろうか、と。
彼等は心を持たない。それに似た人格を形成し、あたかも人間のように生きている。長く生きた者は特に人間と近い存在になるが、師はどうなのだろう。
彼は恋をしたことがあるのだろうか。
「どうしたシュリ。ぼーっとして」
「っいえ、お気になさらず」
無駄な考察だと少年は取り繕った。
恋など所詮、生殖本能の紛い物に過ぎない。
・・・・・
帰宅直後に焚いた暖炉が赤くなる。
事務所内では火の弾ける音と、ヒールの硬い音、そして師弟の軽い言い争いが聞こえた。真面目を音にしたような少年の中性的な声に対抗するのは、気怠げな低くも明るい青年の声。
二人の代り映えないやり取りを前に、ソファに掛けていたリグは目を細めた。
(父親じゃなくて先生、か)
青年から見て、ヒュウとシュリの背は親子にしか見えない。
近い距離、許された気、遠回しの優しさ。
血の繋がりがあるからこそ享受できるものだと思っていた。しかし彼等と共に生活していると、間違いなのではないかと疑うことの方が多くなった。
父の、グレウの面影が
まともに顔を合わせられたのも遠い昔の記憶と化していた。彼との会話など以ての外である。
リグは師弟を心底、羨ましく感じていた。
いっそのこと血縁関係でなかったなら、こうはならなかったかもしれない、という考えさえ浮かぶほどである。境遇に恨みを抱くなどということもなかっただろうか、とも。
父親譲りの深緑の瞳が瞬く。
受け継いだのは容姿だけで、統率者の器量と精神は持ち得ていない。彼は自身を心無い言葉で貶めていた。
「リグ、夕食にしよう。先に
無意識のうちに下がっていた視線を上げる。青年は投げかけられたヒュウの台詞に、少しばかり驚いて反応した。
(もし普通の家に生まれたなら、こういう会話もあったのだろうか)
考えかけて
この師弟と過ごす年越しが、一層楽しみになった。
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