危機

かなりのハイペースに、岸谷は限界を迎えていた。

先頭の山部とはかなり差が開き、山道に生えている木々に体重を預けるように、1歩1歩進んでいた。

木曽はさすがに休憩が必要だと判断した。

「山部さん!少し休みましょう。」

聞こえるようにかなりの声量で声をかけた。

山部は驚いたように肩をビクリと動かすと振り返った。

「岸谷さんが疲れてるんで、小休憩を挟みませんか?」

「私は大丈夫です。」と言った岸本を木曽が制する。

「休んだ方が効率がいいと思う。」その木曽の言葉に、岸谷も頷いた。

木曽の発言を聞きながら、山部は岸谷の元まで下ってきた。

「すまん。後ろが見えてなかった。休もうか。」

時計を見ながら山部が言った。しかし、表情に焦りの色があった。

「すみません。私が体力がないばっかりに。」

荷物をおろしながら、岸谷が申し訳なさそうに呟いた。誰も咎める者はいない。

「そもそも、初心者向けの登山だから気にすることないよ。」

木曽は元気づけるためにできるだけ明るく振舞った。

そして、自分にできることを思案した。

「そうだ、岸谷さん。写真撮りましょう!」その提案に一瞬戸惑いを見せた岸谷だったが、木曽の精一杯の行動に答えるため「いいですね。」と笑顔を見せた。

その隣で山部はリュックの中身を確認したり、時計を気にしていたが、特にこちらを気にしてる様子はなかった。


決していいロケーションとは言えなかったが、岸谷の緊張をほぐすために岸谷の写真を撮った。

山部の肩とリュックが写ったが、作品では無いので気にしない。

嘘でもポジティブな言葉を言えば前向きになるように、作り笑いであっても彼女の心を明るい気持ちに出来れば良いと思った。


小休憩が終わり、山小屋を目指す3人は黙々とと進み続けた。辺りに生える木々の種類の変化が、確実に高地になっていることを示していた。

先頭を歩く山部はしきりに時計を見ていた。

しかし突然。

「黙れっ!」と怒鳴ったのである。それは周囲にこだました。

立ち止まる山部、岸谷が恐る恐る話しかけた。

「どうかしましたか?」

すると山部は、さっきの怒声が嘘のように冷静な顔に戻った。

「あっ。いや、少し混乱していた。」

吃りながら頭を掻き回した。

「進もう。休む暇はない。」

木曽は山部の怒声に正直恐怖していた。

そんな状況でも山は静かだ。雨も霧も完全にない。これで晴れていれば最高の登山日和だが、今の状況はそんなに流暢なものではなかった。


岸谷がバランスを崩し、倒れたのは唐突な出来事だった。

木曽の目の前で、まるであるはずの無い階段を踏み抜いたようにら彼女は倒れた。

「岸谷さん!」

駆け寄る木曽。とりあえず外傷が無いことを確認する。頭を打った様子もない。

すぐに山部も駆けつけた。

「どうした?何があった。」

木曽はその時の様子を出来る限り正確に伝えた。この状況は医師である山部に任せるべきだと判断した。

「過労か。いや、発汗がすごいな。熱中症かもしれない。」

すると岸谷が苦しそうに身をよじった。

「応急処置は私が施す。木曽くんは山小屋に急いでくれないか。」

しかし、木曽には自信がなかった。この山は初登山である。しかも、霧の心配もあった。

木曽がためらいを見せていると、山部が喝を入れた。

「君しかいない!もうすぐ森林限界を越える、そしたら道は1本だ。霧が出ても問題は無い。」

木曽は恐怖と不安に襲われていた。しかし、足元の岸谷を見て決心がついた。

「わかりました。行きます。」

「頼んだ、岸谷さんの命は君にかかっている。それに、向山の状況も麓の警察に動いて貰わなければならない。」

木曽は、必要最低限の荷物にするため、水をほとんど捨て、不要な物も山部に預けた。

「岸谷さんを頼みます。」

木曽が岸谷にとって何も特別な存在では無いことは十分承知していたが、彼にはそれしか言葉が浮かばなかった。

そして、ハイスピードで山を登りはじめた。

使命を果たすために。


ペースを乱さぬよう、なおかつ最小限の体力消費に抑えて、木曽は1歩1歩を踏みしめていた。

初めは、岸谷の顔や山部の懇願する表情が脳裏に浮かんでいたが、向山の死体と不可解な足跡の事を思い出した時に、解決しなければいけない疑問がひとつ残っていることを思い出した。

木曽はカメラを取り出し、足跡を見比べた。

自分の足跡は靴を見ればわかる、岸谷の足跡は小さいのですぐにわかった。

残ったのが、山部の足跡だ。

次に、向山が滑落したと思われる場所の付近の2人組の足跡の写真を見る。

悪い予感は的中した、山部の足跡と一致していた。

そうすると、山部の「向山はどこか?」という質問はおかしい。山部は向山と一緒にいたはずだからだ。

そして、岸谷が山部の軍手についていると指摘した血。その答えは向山の死体の写真にあった。

写真を拡大すると、向山は片目と首から出血があったのだ。赤いカッパに惑わされ、谷の上からでは気づかなかった。

目的は分からない。しかし、山部は殺人を犯した可能性がある。

決め付けに近い推理だが、木曽にはそう考えることしか出来なかった。

そして、脳裏に岸谷の顔が再び浮かんだ。

「岸谷さんが危ない。」

一人呟き、引き返そうとして足が止まった。

山小屋にこの事を知らせれば、自分は助かる。

ここで引き返したら自分の命も危うい。警察に頼むべきか。

運命の2択を迫られた木曽は、大声で叫んだ。

やりきれない気持ちをぶつけるために、地面に拳を叩きつけた。

拳から流れた血を見た時、木曽の心を決まった。

「戻ろう。」

ほぼ走るように道を引き返す木曽。頭は混乱し、冷静ではなかった。


「木曽くん!」

何度も聞いたその声が後ろから聞こえた。

「なんでお前が。」

先回りされていたのか。木曽は振り返った。

その瞬間、首に刺すような痛みを感じた。

そして彼の意識は途絶えた。

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