真相

昨日の雨で登山道はぬかるんでいた。

本田は、頭上を包む緑の空を眺め。息を大きく吸い込んだ。

山は嫌いじゃない。

こんな事件が起きなければ。


今朝になり新情報が捜索本部にもたらされた。

山部は妻と娘が事故を起こす前日に、宝玉岳の冬山登山を行っていたと言う。

宝玉岳登山後に山部を襲った悲劇、半年後に山部が起こした悲劇。これは細い糸で繋がっていると勝手に考察していた。


捜索は登山課を中心に、麓から行われていた。

本田は、吉田と共に木曽が死亡していた、森林限界の少し上まで登った。

6人の登山隊の足取りを追うように。

「ここに、木曽の死体があったんだな。」

本田が聞くと、吉田は頷いた。

この周辺を徹底的に捜索しようと本田は決めていた。

登山道を外れ、巨大な岩がたたずみ、草木はほとんどない場所を歩いた。

「そんな所にまだ隠れてると思えませんけど。」

荷物の多い吉田が、本田を追いかける。もちろん本田も隠れてるとは思っていなかった。しかし、導かれるように岩場の隙間を覗いた。

「いた。」

本田はついに見つけた。巨岩の間に空間があり、その中に小さな祠があった。苔だらけの祠には、文字があるのかもしれないが、全く解読不能だった。

その祠の台座に頭を乗せて倒れている人間、恐らく山部だろう。

「うわっ。なんだこれ。とりあえず署に無線で連絡します。」

祠を覗いた吉田は、悲鳴にも似た声をあげその場から離れた。

木曽の写真に写っていたリュック。

服も同じだった。

異なっていたのは、片目がなかったことだろう。そして、顎の辺りに注射痕がこのされていた。

首には大きな切り傷が残され、その場に血はほとんど残されていなかった。

本田はさらに観察を続けた。

ペットボトルが5つ転がっていた。中には乾いた血のようなものが少し残っていた。

しかし、祠の何処にも眼球はなかった。

その代わり祠の中央に、丸い石がおいてあった。本田はその石に触れたいという欲求に襲われた。

本田は逆らえない、本能とも近い何かにかに、操られ手を伸ばしていた。

「本田警部!何してるんですか?」

吉田の声に目が覚めた。

自分の呼吸が荒いことに気がついた。

「すまない。署の連中を待とう。」

「この仏さんが、山部ですかね。」

「ああ、間違いない。首を切って死んだようだ。ナイフが近くに落ちていたから自殺だろう。」

2人は祠から少し離れた岩場に腰を下ろした。

数十分後にヘリコプターの音が聞こえ、山小屋に数名の鑑識官が降り立った。


「現場の保存ありがとうございます。」

鑑識官たちは、祠のある岩の隙間に入って行った。

「吉田。俺もいいか。」

「はい。手袋とか装備一式つけてくれれば大丈夫です。」

吉田の指示に従い、本田は再度中に踏み込んだ。

彼のリュックやペットボトル、ナイフ、などが証拠として押収された。

様々な状況写真を取り終えるといよいよ山部の死体を移動させることになった。

不思議な事に彼の首元の衣服には血がついていたが、祠にはほとんど血が残っていなかったのだ。まるで祠そのものが吸い込んだように。

さらに、僅かに飛び散った血を受けていた遺書も発見された。

これがもし山部の遺書だとすれば、本田が気になって仕方ないこの殺人の理由が知れるかもしれない。

山部と彼の遺した証拠品と共にヘリコプターで署に変えるために、本田は祠から離れようとした。

その時、吉田が目を大きく開き、祠の中央に置かれた石に手を伸ばしていた。

さっきの不気味な感覚を吉田も感じているとしたらまずいと感じた。

反射的に吉田の腕を振り払った。

「しっかりしろ!そいつに触れるな!」

その瞬間、吉田の目には輝きが戻り、首を左右に大きく振った。

「すみません。どうかしてました。この石ころを持ち帰りたくなったと言うか、なんて言えばいいんだろう。」

「とにかく、ここを出るぞ。あの遺書で全てが解決するかもしれない。」

「分かりました。」

2人は他の鑑識を追いかけて、山小屋を目指した。


ヘリコプターの轟音の中で、本田は考えた。あの祠、そしてあの石。決して人間が関わっていい代物ではないと。

実際、本田自身が経験したあの感覚は、科学で説明のつくものではなかった。

もっと霊的で、神がかった。

そう、この事件は初めから終わりまで大きな力に支配され、思うように進んでいたと思った。

あの、大量猟奇殺人をおこした山部ださえ、被害者なのかもしれない。不謹慎ながらそんな考えが脳内を支配した。


ヘリコプターは署に到着し、山部の死体は検死に回された。

所持品については細かい作業が終わったようだ。

まず、ペットボトル内には中村夫妻、向山、木曽、岸谷の血液が僅かに残されていた。

リュックの中には、血液を集めるために使ったであろう漏斗、そして麻酔の成分が検出された注射器が5本、予備のナイフなどがあった。

あるべきはずの眼球だが、警察は獣が喰ったのではないかという見解を示した。

そして、注射器は山部の近くに1本落ちていた物もあった。

遺書は、読むことが出来なかった。

本田はここまで来て怖くなってしまっていた。


夜になり、山部の検死結果を吉田が伝えにきた。

「死因は失血死です。目についてですが、顎に微量の麻酔を打って顔面の部分麻酔をした状態で、自分て抉ったと思われます。これは現場検証の結果なんですが、あの祠は雨風にあたる場所ではないにも関わらず、6人分の血液はありませんでした。もちろん眼球も見つかってないです。」

「部分麻酔をしたとは言っても、自分で眼球を抉るなんて、正常な精神状態じゃないな。」

すると、吉田は本田が読もうにも読めずにいた山部の遺書に目を向けた。

「それ、読みましたか?」

「いや、まだだ。人間が踏み込んでは行けない領域な気がする。今回の事件は全てがそうだ。」

「でも、終わらせないと。ここで。」

本田は手袋をつけると、血にまみれた遺書を開いた。


読み終えた2人は、息をする事も忘れていた。全身に冷や汗をかき、夏だと言うのに手足が震えた。

しかし、この遺書には血が飛び散り、判読不能の部分があった。

それが人名なのか、それ以外の何かなのか。

本田ははその部分を鑑識に回したが、世界中のどの文字とも記号とも一致しない不明の何かが記されているだけだった。


この事件は、登山道で5人が死亡する殺人事件が起きて、犯人は精神に異常があり自殺した。としか報道されていない。

世間に知らせるには恐ろしい過ぎる事実が遺書には記されていたのだ。


本田は、山部の娘美桜子が健やかに生きてくれることを心から望んだ。

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