進展
翌日は朝から雨だったため、捜索は不可能と判断された。一部の刑事たちは、麓周辺の交通機関や、商店街の防犯カメラなど情報収集を行っていた。
そんなとき本田は、検死の結果と、Xの足跡から靴の特定の結果を待つばかりだった。
1人の刑事が本田のデスクに駆け寄ってきた。
昨日、バス会社に調べに行った刑事だ。
昨日の夕方になり、死亡した5人の写真を揃えることができたため運転手に話を聞きに行ったのだ。
「本田さん。大変でしたよ。運転手は朝4時から10時までと、11時から16時までの交代制らしくて、昨日の朝4時から勤務の運転手に話を聞けたのは、彼らが出勤してくる午前3時でした。もう眠くて。」
その刑事の表情から、その大変さは十二分に伝わってきた。
「それは、ご苦労だ。さてどうだった。」
「はい。まず、昨日登山道入り口に降りたのは合計で6人でした。まず、2人。次のバスで3人。その次のバスで1人という内訳です。」
「その中で、写真の5人以外が降りたのはどのバスだった?」
「それが、1番初め、向山と共に会話をしながら降りた大柄の男がいたそうです。」
ついに、目撃者情報を得ることができた。これは大きな進展だ。
「大柄な男か、向山と知り合いって可能性はあるか?」
「そこまではまだ。同じツアー同士がバスで意気投合した可能性もありますし。もちろん、知り合いの線で探って行きます。」
「頼んだぞ。」
本田はその刑事の肩に手を置き、頷いた。
本田はここまで得られている情報をまとめる。
向山と知り合いの可能性。
注射を使ったこと。
大柄の男。
中村夫妻、向山の順で殺害し、最後に木曽もしくは岸谷を殺害した。
登山届を改竄し、成田青太の名前、電話番号、住所を知っていた。
そして。現在行方不明であること。
5人以外の指紋は残されていなかったという。計画的な犯行であることは間違いなかった。
動機は...
全く分からない。5人に共通点はない、成田と岸谷が同じ大学であること位だ。しかし、成田は殺害されていない。
思い浮かぶのは無差別殺人。
しかし、山で。なぜ。
本田はそこまで考えるとデスクを離れ、コーヒーを飲み干した。
「本田警部!検死の結果です!」
昼過ぎにやって来た吉田の手には、5人分の検死の資料が握られていた。
「知ってる事も多いと思うんで、かいつまんでお話します。」そういうと、まず中村夫妻の検死結果の資料を持ち、吉田は続けた。「まず、朱里さんですが彼女だけ体内から微量な毒が検出されました。恐らく目眩や吐き気を感じる程度だろうと、検視官が言ってました。」
犯人は朱里にだけ毒を盛る必要があったという事なのだろうか。
「次に、全員に共通することですが、まず注射によって麻酔を打たれてます。その後首を切りその血を回収したと思われます。この時点で被害者は死亡している可能性がありますが、目を抉り、駄目押しで心臓を突き刺したと思われます。」
吉田は資料を何度か目で追ったが、あとは既に知っているの事だったのだろう、「以上です。」と締めくくった。
「最低5人分の麻酔をどんなルートで手に入れたのか?そこからさぐれそうだな。」
「はい。麻酔の種類なんですが、おそらく医療関係で使われることが多いものらしいです。」
「医者、看護師、歯医者、獣医も有り得るか?」
「正規のルートではない場合は特定は難しかと。」
本田は被疑者特定は時間がかかる事を覚悟した。いざ、調査に乗り出そうとした時、本田にある資料が届けられた。
受付の署員から渡されたのは行方不明届。
認知症の高齢者か、山での遭難だろうと決め付けて概要を読んだ時、このタイミングは神のいたずらでは無いかと確信した。
「山部医院の医師、山部東次郎が昨日の朝から行方不明。」
本田は意図せず声に出していた。
本田のデスクを離れようとしていた吉田も立ち止まり、戻ってきた。
昨日の朝からという行方不明の時期、麻酔を手に入れられる職業。この情報は、ほぼ確信を突いていた。
「俺は山部の自宅に向かう。鑑識もついてきてくれ、何らかの物証が出るかもしれん。」
「は、はい!」
吉田は興奮のあまりもつれる足を無理やり動かし、デスクから走って離れた。
山部はマンションの一室に住んでいた。
行方不明届けを出したのは、昨日の朝山部が経営する病院に彼が現れなかった事を不審に思った看護師の1人だった。
電話も通じず、今日になってマンションを訪ねても応答がなかったため、警察に届けたという。
本田ら数人は、オーナーから合鍵を借りると、部屋に入った。
広さから言って家族がいるのだろう。
その証拠に、山部と妻そして娘が写った写真がリビングにいくつも飾られていた。
しかし、生活感が皆無だった。
「ここが、山部の部屋だと思います。」
本田より素早く部屋を捜索していた刑事が、奥の方から捜査員一団を呼んだ。
山部の部屋に入ると真っ先に遺影が目に入った。
「奥さんは亡くなってるんだな。」
本田が呟いた。笑顔で家族写真に写っていたその女性は、黒縁の小さな遺影の中で微笑んでいた。
それにしても娘の方はどこだろうか。
本田がそんな事を考えている間にも捜査は進んでいた。
「物置の中に、登山グッツがかなりあります。スペースが空いている所があるので、持ち出した可能性があるかと。」
「宝玉岳の登山道に関する資料がありました。」
続々と発見される証拠は山部がXだと言うことを示していた。
しかし、彼が凶行に及んだとしたら理由が全く分からなかった。
本田には、犯人の動機を知ることができるまでは、事件は終わらないと感じていた。
本田はこの部屋に居ることに何故か抵抗を感じ、マンションの外に出ていた。
雨は午前より強くなっていた。
すると、山部の身辺を調査している刑事から電話がかかってきた。
「もしもし、本田警部。山部の娘の山部美桜子さんの居場所が分かりました。大学病院です。」
「分かった。最近の父親の様子について聞いてくれ。」
「それが。」と刑事が言葉に詰まった。「昨日の夕方目が覚めるまで、半年ほど植物状態だったらしくて。最近の様子は聞けないかと。」
「そうか、なら仕方ないな。」
本田は電話を切ると、とりあえず署に戻ることにした。
夜8時。捜査会議が開かれ、これまでに集まった様々な情報が発表された。
まず、木曽の写真から照合を頼んでいた登山靴について、山部のパソコン内のデータからその登山靴の購入履歴が発見された。
次に、向山と共にバスを降りた大柄の男性について、運転手に山部の写真を見せると同一人物だと言う証言が取れた。
そして、決定的だったのは登山届の筆跡と山部の筆跡が一致。つまり、登山届を改竄したのは山部だった。
この後、山部について調べていた刑事が立ち上がった。
「続いて、山部東次郎についてですが、宝玉岳の初心者向けツアーを5年前から毎年行っていました。主催者は向山ですが、隊長は毎回山部が務めていたようです。また、家族関係についてですが、半年前に妻の澄子さんと娘の美桜子さんが自家用車で事故をおこしてます。この時、澄子さんは死亡。美桜子さんは脳に重症を追ったため昨日の夕方まで植物状態だったそうです。それと、山部医院を訪ねた時にある看護師が、麻酔が6本無くなっている。という話を聞きました。」
5人を殺害するなら麻酔は5本で足りたはずだ。予備なのだろうか、それとも他に目的があるのだろうか。
さらに本田は、昨日の夕方というタイミングに疑念を持った。
恐らく事件が発覚したすぐあとぐらいだろうか。目に見えない大きな力が渦巻いているように感じた。
「明日は天候も回復する。山部を指名手配し、確実に確保する。宝玉岳を捜索する班と、麓周辺の交通機関などで聞き込み、捜索をする班に別れる。」
本田は反射的に手を挙げた。
「俺は山に行かせて下さい。そこで何か見つかる気がします。」
その場にいるほとんどの人間が、麓の捜索に重点を置こうとしていただろう。かなり冷ややかな目を向けられた。
「まあいい。しっかり調べてくれ。」
捜索本部長の許可は出た。本田はこの恐ろしい殺戮の理由を知ることにこだわっていた。
とにかく、理由が知りたかったのだ。
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