異変
6人の登山隊は宝玉岳山頂を目指し歩み始めた。
ロープウェイが整備されていることもあり、人の気配は全くない。
隊長の山部を先頭に、中村典夫、朱里、岸谷、木曽、向山の隊列で登っていた。
登山序盤。道は広くなったり、狭くなったり、急な上り坂になったかと思えば平坦になったり、くねくねと曲がったり、登山道ですら表情を持っているように思えた。
そんな景色の一つ一つに感動しながら、木曽は時々カメラのシャッターを切った。
朱里と岸谷に配慮してだろうか、ペースはかなりゆっくりだったため登山経験者の木曽、典夫、向山にはかなり余裕があった。
木曽には少し先で、山部と典夫が会話しているのが聞こえた。
「山部さん。この時期は、やっぱり熊とか出るんですかね?」
典夫が尋ねる。去年は全国で熊との遭遇情報が多かったからそのような質問をしたのかもしれない。
「今年はまだ聞きませんね。念の為、鈴は持ってきてるんですが。」
そう言って山部はポケットから鈴を取り出し、鳴らして見せた。
熊とは基本的に臆病な動物である。そのためラジオや鈴で人間の存在をアピールすることが良いとされている。
木曽は谷を流れる小川を撮影すると、向山に疑問をぶつけた。
「山部さんって登山家とか冒険家みたいな職業をされてるんですか?」
木曽は一目見た時からそういうイメージを抱いていた。
「いやいや、彼の本業は医者でして、山は趣味の範囲ですよ。」
木曽は向山の予想外の回答に驚いた。
「彼とは中学から同級生でしてね。当時は登山部なんか作ってよく登りましたよ。この宝玉岳は2人で初めて登った山でね。5年くらい前から初心者向けツアーをやってるんですよ。今までは定員は10人以上でワイワイ登ったんですけどね。」
「じゃあ、山部さんが今年は定員5人って言い出したんですか?」
木曽にはその意図が分からなかった。
「そうなんですよ。」向山は続ける。「今年はワイワイ登るって気分じゃないって言い出しましてね。急遽5人に、まあ1人の来なかったんですけどね。」
木曽は朝の山部の様子から確かにワイワイした登山を期待していないような雰囲気を感じとっていた。
「それにね。」と向山は少し声のトーンを落として言った。「半年ほど前になりますが、山部の奥さんと娘さんが交通事故にあいまして、奥さんが亡くなって、娘さんも意識が戻らならしいんですよ。」
「そんなことが。」木曽は驚きが隠せなかった。山部は辛い気持ちを紛らわせるために山に登っているのだろうか。
「だから、山部少し様子が変なんですよね。こちらがどうにかできる問題じゃないんですが。」
木曽はとても深刻な表情をした向山にかける言葉が見つからなかった。
旧友の悩みを解決する方法を考えた末結局登山に辿り着いたのだろう。
「この休憩場では10分休憩します。」
そう呼びかけたのは山部だった。
出発してから50分ほど経っていた。
1つ目の休憩場には、仮設トイレが2つ設置されて、東屋がある開けた場所だった。
各々が荷物を下ろし、ベンチに座った。
木曽の隣には岸谷が腰を下ろした。岸谷はそれほど疲れを感じさせず、まだ爽やかな顔をしていた。
「岸谷さん。初登山なのに凄いですね。」
木曽が話しかけると、岸谷は花が咲いたように明るい笑顔になり「ありがとうございます。私大学でバスケやってたんで、体力は自信があるんですよ!」と語った。
すると今度は岸谷から質問された。
「木曽さんって山岳カメラマンなんですよね?写真見せて貰ってもいいですか。」
「そんなに凄いものじゃないけど、良かったらどうぞ。」
木曽は去年の夏から今年の夏にかけて撮影した、特にお気に入りの写真を岸谷に見せた。
その中でも、高山植物に興味を示していた。
「出発の前、高山植物に興味があるって言ってたよね。」
「そうなんですよ。」先程より語気を荒らげて岸谷が語り出した。「祖父が登山好きで、高山植物の写真を図鑑とかで見せてくれたりしてたんで、大学の卒論も高山植物についてにしようと思ってます。」
この熱の入り方に木曽は戸惑ったが、一見チャラそうな学生が山、高山植物に興味を持っていることが嬉しかった。
その後、2人は大学についての話で盛り上がったが、岸谷は思い出したようにソウタという名前を出した。
「ここって電波ありますかね。ソウタになんで来れなくなったのか電話で確認しないと。」
恐らく、突如ツアー不参加となった成田青太のことらしい。
「まだ、ギリギリ電波あるっぽいね。連絡出来るうちにしときなよ。」
木曽が言うと「じゃあ、かけてきますね。」と言い残し、岸谷は少し離れた所へ歩いて行った。
隣のベンチにはこの後の行程や天候などを確認している山部と向山の姿があった。
「よし、そろそろ出発だな。トイレ済ませてくる。」
山部が言い残し、トイレの方に向かったが、素早く引き返してきた。パッとリュックを持つとトイレに向かった。
「誰も盗むわけないだろ。」と向山が吐き捨てるように言っているのが聞こえた。
電話を終えた岸谷が木曽の近くにやってきたので「そろそろ出発らいしよ。」と声をかけた。
しかし、岸谷は呆然としていた。どうしたのか?と木曽が呼びかけると、岸谷は自分のリュックをバシバシ叩きながら電話での内容を話し始めた。
「さすがに起きてると思って電話したら、知らない女の声がしたんですよ!許せなくないですか?」
成田は良くない男だということは理解できた。
「それは、大変だったね。」木曽にはそれしかかける言葉は見当たらなかった。
山部がトイレから戻り、隊列を組み直し出発した一同。初登山の朱里も岸谷もほとんどペースを乱さず。順調に進んで言った。
30分ほどして、景色が少し変わってきた。
人の手のつけようのない、太古のままの姿の木々が多く見られ始めた、また巨大な岩や複雑な地形、木曽はまたカメラを構えた。
「道幅が広いんで、休憩しましょう。」
山部が声をかけ、一同は腰を下ろした。
水を飲んだり、軽食をとったり各々が休憩をしていると山部が下ってきた。
「これ、皆さんに配ってるんです。良ければどうぞ。」
そう言って山部から手渡されたのは、塩分入りの飴だった。
「ありがとうございます。」と受け取り。口に入れる。適度な塩分と糖分は大切だ。さすが医者だと、木曽は思った。
山部はさらに少し下り向山にも飴を渡した。再び隊の先頭に戻る山部の後ろ姿に少し寂しさ、哀愁を感じた。
休憩を経て、かなり険しい道に入った。
入山前にも説明があった難所のひとつだ。朱里は山部の手を借りつつ登切り、岸本も木曽に荷物を預け登り切った。
「そろそろ半分ですかね?」
木曽がすぐ後ろの向山に尋ねた。
「そうですね。さっきの難所を過ぎれば折り返しってところですね。」
木曽はその言葉が聞けて断然やる気が入った。なので、もう少し岸谷の荷物を持ってやる事にした。
しかし、自体が急変した。
部隊か止まったのだ。ちょうど曲がりくねったところで、前の様子が見えなかった。
「何があったんでしょうか?」
心配そうにつぶやく向山。
「ちょっと見てきますね。」と言い残し、木曽は岸谷を抜かして中村夫妻のもとへ行った。
木曽が見た朱里は完全に体調がすぐれないようだった。
山道の脇の木にもたれかかって座っており、顔色も青白かった。
「大丈夫ですか?」
もちろん、山部と典夫も隣にいる。
「ごめんなさいね。さっきからめまいが凄くて。」
申し訳なさそうに謝る朱里。幸い声にはハリがあり、重症という訳ではなさそうだった。
「恐らく低血糖もしくは初期の高山病ですね。」
素早く、所見を述べる山部。医者らしくテキパキしている。この状況でも冷静だった。
木曽のすぐ後ろでは岸谷も不安そうな眼差しを向けていた。
「いやー、家内がご迷惑をかけてすまない。」
申し訳なさそうに典夫も謝る。
「こればかりは仕方ないことです。歩けるうちに始めの休憩場まで行けば、助けが呼べると思います。」
そのタイミングで向山も登ってきた。
「トランシーバーなら持っていますが、恐らく山小屋にしか通じないですね。」少し間を置いて、「ここからは登りの難所も多いです
。下った方が賢明かと。」
ここはちょうど中間地点。登って山小屋よりも、下って休憩場で人を呼ぶをほうが良いという判断が下された。
「わかりました。私が家内と下ります。皆さんに迷惑はかけられませんので。」
木曽は典夫なら経験豊富で任せられると思った。
「わかりました。」山部は同意し、「さっき通った登りの難所の下まで私が付き添います。」
山部の判断は的確だった。朱里を支える人材と荷物を持つ人材が、さっきの難所では必要不可欠だからだ。
木曽、向山、岸谷はそこで待機することになり。山部の帰りを待つことになった。
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